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4 北白河の名花

誰にも折られぬ花は、いつしか人の目にさらされて、美しさは、静かに広がり、逃げ場を失っていくのでしょう。


『源義経』――遠い昔の少女時代に、学校で聞いたような気がする。


「源平合戦……ですか?」


 磯禅尼は、驚いた顔をした。


「何も知らないようで、難しい言葉を使うんだね、あんたは。平氏を(みやこ)から追い出したのは、木曽義仲だけど、あれはひどかった」


「ひどかった?」


「ああ。物は盗むわ、壊すわ、女は手込めにするわ……乱暴者の集まりだったよ。その前の平氏だって傲慢だったが、あんなに粗野じゃなかったからね」


「今は、その平氏も、木曽という人も、京にはいないんですね?」


「ああ。義経さまが、木曽義仲を追い出したんだ。同じ源氏でも、義経さまと木曽義仲は、月とすっぽんってとこさ。義経さまは、ご郎等に厳しく言い渡していらっしゃるんだろうね。乱暴なことは、いっさいしないからね」


「源氏……」


 静には、今一つピンとこなかった。

 静にとって「源氏」と言われて、すぐに思い浮かぶのは、「源氏物語」の光源氏だった。「紫の上」は静の当たり役で、信一も「一番好きだ」と言っていた。


 ともかく磯禅尼の話から、京に居座り荒らしていた木曽義仲という人を、源義経が倒して、平和が戻ったということだけは分かった。


「それじゃあ、戦争――(いくさ)は終わったんですね」


 静は、念を押すように訊いた。


「さあ、どうだろう」


 磯禅尼は、あっさりと言い放った。


「平氏は、今は屋島辺りにいるらしいけど、それを源氏方が放っておくとは思えないね」


「じゃあ、また戦が繰り返されるのですか?」


「ああ」


 磯禅尼の言葉は無情に響いた。


「そんな……」


 静は涙を浮かべた。


「もう、戦だけは、いや」


 急に泣き出してしまった静に、磯禅尼は戸惑い、言った。


「そんなに心配しなくても、京はもう戦場にはならないさ。あるとしたら、平氏のいる、屋島辺りだろ」


 そして、少しためらったあと、つけ加えた。


「あんたの死んだ夫って言うのは、武士だったのかい?」


 静は、涙をふいて答えた。


「戦で死にました。けれど、武士ではありません」


「よく、わからないね」


 磯禅尼は納得したわけではないようだったが、あまり興味もないらしく、それ以上は訊かなかった。

 静にも、わかりかけてきた。この時代の「戦」は、鉄砲もないし、戦闘機もない。戦に参加する武士ならともかく、そうでない人間が戦死することは、まれなのだろう。


 それにしても……と静は思う。

 もう、戦争だけはいやだ。新しい世界に来てまでも、戦争で人生を狂わせられるかもしれないという思いは、静にとって、恐怖に近かった。

 静は、ときおり夢を見るように想像した。あの戦争さえなければ、自分はもう少し長く舞台に立っていただろう。

 だが、一生を舞台に捧げるつもりは、最初からなかった。娘役は、若くてかわいいうちが花だから。ある程度の年齢に達したら、舞台を降りるつもりだった。

 そうしたら、きっと信一は求婚してくれただろう。信一の妻になり、呉服屋の仕事を手伝い、やがて信夫が生まれる。

 信夫の弟や妹も生まれ、幸せに年をとっている。そんな自分を想像し、何度、枕を涙で濡らしたことだろうか……。


 元気になった静は、磯禅尼の家の家事などを手伝って過ごしていた。磯禅尼の家には、若い女――白拍子と言うらしい――が二十人近くいて、その世話をしている下働きの男と女が何人かいた。


「静もよかったらおいで」


 ある日、磯禅尼に声をかけられて、静は、白拍子たちが舞の稽古をしているところへ顔を出した。

 そのとき、静は白拍子は舞を舞う女のことを指すのだと、やっと気づいた。

 何人もの白拍子たちが稽古をしていた。伴奏は鼓と銅拍子。自ら歌いながら舞う。

 後の世の複雑な日舞を知っている静にとっては、一見簡単なように見えた。しかし、よく見てみると、簡単なようでいて、奥が深いということも分かった。


 自分もやってみたい……そういう思いが静の胸によみがえった。歌劇団をやめてから、二度と舞うことはないだろう、と思っていたのだが。

 静が、燃えるような瞳で舞を見ているのに気づくと、磯禅尼は、言った。


「静、あんたもやってみるかい?」


 白拍子たちは、軽蔑のまなざしをまじえて静を見ている。『できるわけはないわ』と。その視線を感じた瞬間、静は磯禅尼の差し出した扇を受け取っていた。


「歌は歌えませんので、誰か歌ってください」


 しかし、白拍子たちはみんな黙っている。


「あたしが歌ってやるよ。やってみてごらん」


 磯禅尼が言った。静はうなずくと、扇を持って、中央に立った。

 わずか何人かの白拍子の舞を見ただけで、静はその所作を憶えてしまっていた。最後の舞台からは二年以上もたっていたが、舞踊のカンは衰えてはいなかったらしい。


 静が舞い始めると、周りの白拍子たちの目は軽蔑から驚きへ、そして嫉妬へと変わっていった。

 磯禅尼は、歌いながら静の舞をくいいるように見つめていたが、静が舞い終わると、するどい目をして言った。


「誰に教わったんだい?」


「ずっと昔に……」


 後は言葉を濁してしまった。子供の頃、日舞を習っていた師匠の名前を言っても通じないだろうし、「花雪音楽学校で習いました」では、ますますわからないだろう。

 幸い、磯禅尼は深くは追及しなかった。


「まあ、いい。もう一度、白拍子としてやる気はあるのかい?」


 静は自分でも知らず知らずのうちにうなずいていた。


「もう一度舞うことができるなら、やりたいです」


「よし、分かった。明日から稽古だよ。歌だってすぐに憶えられるさ」


 磯禅尼の言葉通り、静は舞も謡もすぐに憶えた。そして磯禅尼の白拍子たちの中では一番の舞い手になっていた。白拍子たちは、もう嫉妬もしなくなっていた。静の舞があまりにも上手で、自分たちには及びもつかないと悟ったからだった。

 しかし、彼女たちが嫉妬しなくなった理由はもう一つあった。


 白拍子というのは、基本的には舞踊家だったが、反面、遊女でもあった。公家や武士の家に呼ばれ、酒の相手をし、舞を舞う。そして、望まれれば、そのまま夜の相手をすることもある。

 そのことを知ったとき、静は背筋に怖気が走るのを感じた。しかし、それを聞いてもなお、舞を辞めようとは思わなかった。


 有力な公家や、武士に見染められれば、白拍子としては出世だというし、この時代の遊女は、静が生きていた時代ほど蔑まれてもいない。

 平氏が全盛だった頃、平清盛に愛された祇王・祇女姉妹、仏御前などは有名だと、磯禅尼に教わった。そして、そういう白拍子は、「御前」という尊称がつけられるとも……。


 良い庇護者を持つという面でも、彼女たちはお互いに争っているのだ。

 けれど、静は舞以外に全く興味を示さなかった。酒の席に出ても舞を舞うだけ。酌もよほど言われなければしようとしない。まして、夜の相手などは、徹底して断っていた。

 そんな静を、外の白拍子たちは不思議そうに眺め……。そして、嫉妬することを辞めた。――あれは、競う相手ではないと悟ったのだ。


 白拍子たちのわがままは許さない磯禅尼も、なぜかそのことに関しては、静を責めることは一度もなかった。

 静自身は、白拍子が遊女でもあることを知ったとき、心に冷たいものを感じながらも覚悟を決めていた。そして、磯禅尼に言ったのだ。


「本当はいやですけれど……どうしてもどなたかの相手をしなければならないのなら、私はかまいません。あなたには、一生かけても返せないくらいの恩があるのですから」


 すると、磯禅尼は笑いながら言った。


「静は今のままでいいんだよ。かえってその方がいい。京でどんな評判が立っているか知っているかい?」


「さあ……」


「静御前は、京で一番の舞上手」


 磯禅尼の言葉に、静は驚いた。


「私、静御前と呼ばれているのですか?」


 すると、磯禅尼はクスクス笑いながら言った。


「ああ。言われてるね。あたしは、当然の成り行きだと思うけどね。何しろ、舞がずば抜けて上手だからね。その上、美しい。けれど、誰にもなびかぬ北白河の名花……そんな風さ。簡単に男の相手をしないことが、かえって静の評判を上げているのさ」


 磯禅尼はうれしくてたまらない、と言う口調で言った。静はふと思い出して、


「そう言えば、何人もの人に聞かれました。静は、磯禅尼の娘なのか? って」


 と言った。


「ああ。白拍子たちには厳しいあたしが、静にだけはわがままを許しているからだろ。……うん、それもいいかもしれないねぇ。まあ、利用できるものは、利用しなきゃ損だからね」


 最後のほうは独り言めいた口調で言い、その後、磯禅尼は、真顔で静にたずねた。


「どうだい? いっそ、本当にあたしの娘ということにしちゃ……いやかい?」


「……いやではありません」


 それは本音だった。この少々荒っぽい物言いをする磯禅尼のかくれた優しさを、静は感じていたから。


「じゃあ、決まりだ。他の白拍子の手前も、そのほうが都合がいい。明日、いや、今日から、あたしのことは『お母さん』と呼んでおくれ」


「わかりました」


 静が言うと、磯禅尼は、満足そうに笑った。


 静が、白拍子として表に出るようになったのは、春先のまだ肌寒い頃だった。けれども、桜の散る頃には、静の名は京では知らないものはいない、というくらいになっていた。

 その年、春も終わり、梅雨の季節になったのに、一向に雨が降らなかった。町の者は、おそれおののいた。


「四年前にひどい飢饉があったのさ。そりゃあ、ひどかった。都中、死体だらけでさ。もう、あんなのは御免だよ」


 楽天的な磯禅尼でさえ、青ざめた顔で言った。

 町の人々が、毎日毎日続く青空を恨めしそうにながめて暮らすある日、出かけていた磯禅尼は、戻ってくるなり大声で言った。


「雨乞いだよ! 雨乞いの舞さ!」


 磯禅尼は白拍子を集めると、目を輝かせて言った。


「法皇さまがおっしゃるには、このまま雨が降らなければ、四年前の二の舞になる。だから、雨乞いの舞をしようと言うのさ。神泉苑に百人の白拍子を集めて、神へ雨乞いの舞を奉納するというわけさ」


 とたんに、白拍子たちはざわめきあった。


「私たちも、舞うんですね」


「いつですか?」


 口々にたずねる白拍子たちを制して、磯禅尼は言った。


「雨乞いの舞は三日後。磯禅尼のところからは、十人の白拍子を出せとおっしゃった」


 白拍子たちは、一斉に顔を見合わせた。全員で二十人いる。出られない者も半分いるのだ。

 彼女たちには分かっていた。これは神に捧げる雨乞いの舞ではあるが、自分たちにとっても、絶好の機会であると。

 神泉苑には、後白河法皇をはじめ、数多くの公家や武士たちが集まるだろう。

 上手に舞い、そこで誰かの目に止まるという可能性もあるのだ。有力な公家や武士の想い者になれれば、白拍子としては、出世となる。


 そんな中、静一人冷静だった。

 日照りで作物ができず、餓死者が出るなどということは、考えただけでもおそろしい。だからといって、自分にはどうすることもできない。

 そして、この時代の人間でない静は、雨乞いの舞で、雨が降ると信じられるほど、単純ではない。


 上に立つ人は、もっと他にすることがあるのじゃないかしらと静は考えていた。日照りに備えて、干ばつでも育つ作物を作るとか……。しかし、舞台のことしかわからない静に、いい知恵は浮かばなかった。

 そんな静の物思いを破って、磯禅尼は白拍子たちに言い渡した。


「誰が出るかは私が決める。明日、それぞれ、自分で考えた雨乞いの舞を私に見せておくれ。その上で決める。今様は自分で作ってもよいし、昔ながらのものでもよい」


 その言葉が合図になったように、白拍子たちは引き上げていった。それぞれ、思い思いの場所で、明日に備えて練習するのだろう。

 静も、その場所を去ろうとすると、磯禅尼が呼び止めた。


「静、お待ち」


 静がふりかえると、磯禅尼は言った。


「雨乞いの舞、一緒に考えてやるよ。まだ、今様には慣れてないだろ?」


 白拍子は、今様という歌を歌いながら、舞を舞う。

 今様は、和歌を長くしたようなもので、昔から伝えられているものもあれば、白拍子がそれぞれ、自分で新しく考えて歌うときもある。

 今様を上手に即興で作れるということも、白拍子の実力のうちなのだ。

 静は、舞はうまかったが、今様を作ったことはない。いつも古歌ばかりを歌っていた。

 今度の場合、古歌の方が、不利になるのかもしれない。だから、磯禅尼は一緒に考えようと言ってくれたのだろう。

 しかし、静は首を横に振った。


「一人で考えます。お母さんの手を借りたら、他の白拍子に対して、不公平ですから」


 それだけ言うと、磯禅尼の返事を待たず、静はその場を離れた。

 一人になると、静は自分の知っている今様の歌をひとつひとつ思い出していた。

 初めから、今様を作るつもりはなかった。自分には、その才能はないと静は思っていた。

 下手な自分が無理をして作るより、昔から言い伝えられているいい歌を歌った方がいい……そう静は考えたのだ。

 古歌ならば、かなりな数を憶えている。もともと、台詞憶えの速いことで有名だった。今様は、五七調で流れがよいので、台詞よりもずっと憶えやすかった。


 翌日、二十人の白拍子たちは、一人一人、磯禅尼の前で雨乞いの舞を披露した。

 自分で考えた今様を舞う者もいたし、古来伝わる今様を舞う者もいた。皆一様に真剣だった。神泉苑の雨乞いの舞は、白拍子にとって千載一遇の好機なのだろう。


 静は、自分が神泉苑に選ばれてもいいものだろうか……と悩みはじめた。自分は、他の白拍子たちのように、有力者の目にとまりたいという望みはない。「雨乞い」に関しても、それで雨が降ると信じているわけでもない。

 そんな自分が舞うよりも、出たいと望んでいる仲間の白拍子に譲ってやった方がいいのではないか……そんなことを考えていた。


 神泉苑で舞いたくないと思っていたわけではない。いや、むしろ、静はそれを望んでいた。それは、舞台に立ちたいという望みだった。舞を舞うことは好きだし、今の暮らしに不満はない。しかし、静にとっては、観客が少なすぎた。

 以前の静が立っていた花雪大劇場は、千人近い観客が入った。今は、多くても二十人というところだろう。

 神泉苑の雨乞いの舞なら、千人とはいかないまでも、ずっと多くの人の前で踊れるのに違いない。


「次は、静だよ」


 磯禅尼の声が、静の物思いを破った。


「はい」


 静は立ち上がり、中央に進み出た。

 どんなに観客が少なくてもそして、それが、自分の仲間の白拍子たちであっても、静は、舞に手を抜くということはできなかった。

 大勢の観客の前で舞いたいという気持ちは、もちろん強い。しかし、それが、少ない人数の前では、力を抜くということに、静の場合は、つながらない。

『他の白拍子に譲るべきではないか』と悩んでいる今でさえ、舞をいい加減にすることだけは、できなかった。


 静は、昨日のうちから決めていた、今様を謡いはじめた。


「静御前」という呼び名が、ここから少しずつ重みを持ちはじめます。

次話では、静の存在が、さらに外の世界へと知られていきます。

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