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17 夜の決断

静が母となった夜の話です。


 静は舞い散る桜の花を見ていた。風に吹かれ、躍り狂う桜の花びらは、吉野山の雪を思い出させた。


 ここは鎌倉。

 頼朝の御家人・安達新三郎の館だった。

 何も言おうとしない静に、時政が音を上げたのか、頼朝自身が静に会いたいと望んだのか、静と磯禅尼は鎌倉に呼び出されたのだった。

 二人が鎌倉に到着したのは、静が吉野山で義経と別れた翌年三月のことだった。

 鎌倉についてすぐ、静は、何度か取り調べを受けた。頼朝や政子本人が取り調べるのではなく、御家人の誰かだったが、誰に何を聞かれても、静は時政に言った以上のことは言わなかった。

 それであきらめたのか、その後、半月ばかりは全く音沙汰なしだった。世話になっている安達とその妻・(かえで)は、親切だった。はっきりとは言わなかったが、二人とも義経に同情していたようだ。


 静は何不自由なく暮らしていた。ただ妊娠をさとられまいと、それだけが気がかりだった。

 磯禅尼には鎌倉に来る前に打ち明けた。もう五か月になるので、そろそろ目立ち始める。静は、あまりおなかが目立つ方ではなかったが、それでも経験のある女の目には分かってしまうかもしれないと心配していた。

 楓は気づいているのかもしれない。おそらく、気づかないふりをしてくれているのだろう。


 ある日、安達と楓が静の部屋を訪れ、言いにくそうに切りだした。


「静御前は、もう義経どののことは何もご存じではないのだろうと頼朝さまは判断なされまして、京へお帰りになってかまわないとの仰せです」


「まあ、よかったこと!」


 真っ先に言ったのは磯禅尼だった。静を心配しての言葉だろうが、鎌倉での暮らしにあきあきしている本音が見え隠れしていた。


「何か条件があるのでしょう?」


 静は言った。それだけなら、安達や楓があんなに苦しそうに言うわけがない。


「はい……実は……」


 安達は言いよどんでいる。


「かまいません。何を言われても驚きませんから、言ってください」


 静はうながした。


「静御前は、都一の舞上手と聞く、一度、是非、舞を見てみたいと。鶴が岡八幡宮に舞を奉納せよと」


「いやです……とは言えないのでしょうね」


 静は言った。断れば、安達の立場がなくなるのだろう。


「静……」


 磯禅尼が心配そうに声をかける。


「わかりました。一度だけなら、舞いましょう」


「ありがとうございます」


 楓がほっとした表情で言った。


「忘れないでください。頼朝さまの命だから舞うのではありません。安達さまと楓さまにお世話になった恩返しです」


「静御前……」


 安達と楓は顔を見合わせた。


 静が、鶴が岡八幡宮に舞を奉納する日がやってきた。

 静が仕度部屋にいると、二人の武士が訪れた。彼らは、それぞれ、


「畠山重忠です。銅拍子をいたします」


「工藤祐経(すけつね)です。鼓をつとめます」


と、自己紹介をした。


「静です。よろしくお願いいたします」


 と、静も頭を下げた。だが、彼らは立ち去ろうとはしない。静がいぶかっていると、重忠が小声で切り出した。


「私どもは、屋島、壇ノ浦の戦では、義経どのの配下におりました」


 静がどう答えようか迷っていると、祐経が言った。


「畠山は、もともとは範頼どのの軍にいたのですが、自分から進んで義経どのの軍へ移ったのです」


「あんな、凡庸な大将の下で働けるか!」


 重忠の声は、少し強くなっていた。


「私は、義経どののような大将のもとで戦ができたことを幸運と思っております。あの方は、戦の戦略がたけているだけではない。純粋で、心があたたかい。……できることなら、義経どののもとにはせ参じ、お力になりたかったのですが……」


「申し訳ない……と思っているのです」


 祐経が頭を下げた。


「ありがとうございます」


 静は言った。重忠たちの言いたいことはわかった。心情的には、義経に同情していても、気持ちのままに行動できないこともあるのだろう。たくさんの郎等をかかえる武士の頭領は、自分の意のままにならないこともあるのだということを、静は月影に聞いて知っていた。

 それでも、今こうして、自分を励ましに来てくれた。それだけでも、この二人は誠実なのだと思う。


「お気持ちはうれしく思います。もし、義経さまにお逢いすることができたら、お伝えしておきます」


 重忠と祐経は顔を見合わせた。静が、まだ義経と会える望みを失っていないことが、二人にとっては意外でもあり、また、静が哀れに思えてならないようだった。


 静は、鶴が岡八幡宮の舞殿に姿を現した。

 舞殿の周りには、信じられないくらい大勢の人間が集まっていた。

 都一の白拍子――そして、今は追われる身の源義経の想い者――静御前を一目見ようと集まったのだろう。

 静はふと、鶴が岡八幡宮について、以前義経が話していたことを思い出した。


 それは、義経がまだ戦に出る前、鎌倉で暮らしていた頃のことだという。

 鶴が岡八幡宮の上棟式で、頼朝は大工の棟梁に馬を送ることにした。そのとき、義経は馬を引くように頼朝に命令されたのだ。その仕事は、大将と呼ばれる人のやることではない。義経は一度は断った。しかし、頼朝に叱責され、結局、二頭の馬を引いたのだという。


「そのとき、わかったのだ。兄上にとって、私は弟ではないのだ。あくまでも御家人の一人にすぎない。しかし、私は今でも、つい頼朝どのを兄と思ってしまう。そこが、私の甘い所なのかもしれないが。この世に肉親はもう頼朝どのと、範頼どの、阿野全成どのしかいないのだ。……兄と慕ってはいけないのだろうか」


 そう義経は言っていた。

 頼朝は、義経を弟ではなく単なる御家人の一人としてあつかった。

 そして今、静も同じようにあつかわれている。弟の妻ではなく、ただの京の白拍子として、舞えと言われたのだ。

 それならば……と静は思う。決してひるむまい。

 たとえ頼朝がどう思おうとも、自分は、義経が愛した妻なのだ。二人の想いがどんなものであったのか、頼朝に思い知らせてやりたい。そんな挑戦的な気持ちを静は頼朝に抱いていた。


 静は、目を閉じた。

 浮かんでくるのは、吉野山を舞っていた白い雪。吉野の山の雪は、もう解けているだろう。

 しかし、静の心の中の雪は止まない。もし、雪が止むときがあったのなら、それは、ふたたび義経とめぐり逢えたとき。……静の心の中に、一つの歌が浮かんだ。


『義経さま、お聞き下さい。静の気持ちを』


 心の中で、義経に向かってそう言うと、静は立った。

 即興で今様を作り、それを得意とする白拍子もたくさんいたが、静は、それをしたことがない。数ある古歌の中から、常に適切な今様を選び出すのが、静のやり方だった。

 しかし、今日は違う。

 いま、静は、生まれて初めての自作の今様を謡おうとしていた。

 静は、前へ進みでて、舞い始めた。静の心をそのまま表した今様は、自然に口に出た。


 吉野山、峰の白雪踏み分けて

 入りにし人の、跡ぞ恋しき


 観衆はどよめいた。

 義経を恋する歌だと、誰にでも分かる。

 浅縹色の水干は、風のようにひるがえった。

 静は今日も、自分の一番好きな衣装を身に着けていた。浅縹色の水干に白い袴……義経が一番好きだと言っていた白。

 五か月のおなかが目立たないようにと、腹帯を少しきつめに締めていた。だが身が重いとは感じない。静にとって舞は、呼吸をするのと同じくらい自然なことだった。

 静は続けた。


 しずやしず、しずのおだまき繰り返し

 昔を今に、なすよしもがな


 静は舞い収め、舞殿の裾に戻った。


「けしからん!」


 頼朝は叫んだ。


「ここは鎌倉。ここで、追われる身の義経をなつかしむ歌なぞ! 許せん!」


 立ち上がり大声で叫んでいた。しかし、静は何も感じなかった。


「やはり、この人には分からないのだ」


 悲しいとも、恐ろしいとも思わなかった。ただ哀れな人……とだけ思った。

 そのとき政子が頼朝に何か言った。すると頼朝は、しぶしぶ座った。そして、


「静御前に、ほうびをとらせよ」


 それだけ言うと、さっさと引っ込んでしまった。政子も後を追った。

 頼朝の姿が見えなくなると、観衆は声を上げた。それは静への賞賛の声だった。

 その声につつまれながら、静は自分の想いが観衆に通じたこと、そしてこの鎌倉の地でさえ、義経のことをなつかしんでくれる人がたくさんいることを、感じていた。


「何故なのです? 舞い終われば、いつでも京に帰ってよいとおっしゃっていたではありませんか?」


 磯禅尼が、安達にくってかかっていた。静に舞のほうびを届けた使者が、しばらく、静は鎌倉にとどまるようにとの頼朝の命令を伝えたというのだ。

 楓はつらそうに言った。


「政子さまが、気づかれてしまったのです。静御前の……その……御懐妊に……」


 磯禅尼は青ざめた。


「子どもが生まれるまでは、鎌倉にとどまれ……と?」


 静は穏やかに尋ねた。半分は予想していたことだった。安達はうなずいた。


「……生まれた子は?」


 突然、楓は泣きだした。


「殺されるのですか?」


 静は訊いた。

 泣いてしまっている楓の代わりに、安達が言った。


「女の子なら、京に連れて帰ってかまわないと」


「男の子なら?」


 磯禅尼が尋ねる。


「……生かしてはおけない、と」


 安達は苦しそうに言った。

 静は、意外なほど驚かなかった。なかば、予測していたことだった。

 母が違うとはいえ、実の弟に刺客を差し向け、殺そうとした兄なのだ。弟の子どもの命など、何とも思わなくて当然だろう。

 ただ、静にも心づもりはあった。女であれ、男であれ、産まれてくる子を手放すつもりなど、少しもなかった。


『信夫の二の舞はさせない』


 静は、心秘かに思った。

 静が、取り乱しも、泣くことさえしないのを、安達も、楓も、そして当然磯禅尼も不思議そうに見ていた。


「頼朝さまなら、そうおっしゃると思っていました」


 静は言った。そして、すっとその場を立つと、与えられた自室に引きこもってしまった。

 安達夫妻は、静が自らの命を絶つのではないかと心配したらしい。一日中、どちらかが静を見張っているような感じだった。

 だが、静にはそのつもりはないことが、次第に二人にはわかり始めた。静は、驚くほど心おだやかに毎日を過ごしていた。

 静は、いつも、小さな声で何か謡っていた。

それは、


遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけん

遊ぶ子どもの声きけば

わが身さへこそゆるがるれ


 などという今様のこともあれば、安達たちの聞いたことのない歌の時もあった。

 どうやら、安達夫妻は、静は悲しみのあまり気がふれたのではないか? と心配した時もあったようで、不意に、当たり前のことを訊いてきたりした。そして、静がしっかりとした受け答えをすると、ほっと息をつくのだった。

 そんな中、静は、生まれてくる子のための産着や襁褓などを一心に縫っていた。


「女の子が産まれてくると、信じていらっしゃるのではないかしら」


 ある時、楓が夫の安達に言っているのが聞こえた。


「そうかもしれないが……。静御前には、なにかもっと、強い意志を感じるのだ」


 安達がそんなふうに答えるのを聞いて、さすがに武士は勘がいいな、と静は思った。


 一方、磯禅尼は、毎日神仏に祈っていた。


「何をそんなに祈っているの?」


 静は、ある日尋ねた。


「決まっているじゃないか」


 磯禅尼は、怒ったように言った。


「おまえのおなかの子を、女の子にして下さいと祈っているのさ。おまえも、少しはお願いしたらどうなんだい」


「女の子だったらいいと、思っているの?」


 静の返事は、磯禅尼には意外だったらしい。


「当たり前じゃないか! 男の子だったら殺されてしまうんだよ! 女の子なら……」


「女の子なら……お母さんはどうするつもりなの?」


 静の問いに、磯禅尼は目を輝かせてとうとうとしゃべった。


「女の子だったら、京に連れて帰って、小さいうちから、舞と今様を仕込むのさ。磯禅尼が小さい頃から仕込むんだからね、すごい白拍子になるよ。静と義経さまの子なんだから、美しい子に違いないしね」


 静は、腹を立てる気にもならなかった。磯禅尼の考えることは、この程度なのだ。

 所詮、自分と磯禅尼では、住む世界が違うのかもしれない。

 死を選んだ静を助けてくれて、白拍子として生活できるように育ててくれたことに対しては、確かに恩を感じていた。だからこそ、磯禅尼の言うことには、いままで従ってきた。

 だが、それもこれまで……と静は思った。――もう、この義理の母と離れてもいい頃だと。

 それでも、静は、磯禅尼に一言だけ言った。


「そうやって、大きくなったら、また、身分の高い人の想い者にするの?」


「ああ。もちろんさ」


 磯禅尼は、静の皮肉にまったく気づいていなかった。


「その子だけじゃない。静だって、まだ若いし、また白拍子として出れば、きっと……」


 だが、それ以上は静が言わせなかった。


「私はもう、白拍子に戻るつもりはありません」


 七月、安達の館で、静は出産の日を迎えた。


 生まれた子は、男の子だった。


 磯禅尼は、その子を見て声を上げて泣いた。

 静はその姿を見ながら『悪い人ではないのだわ』と思った。

 磯禅尼は、権力を持つ人間に追従し、その人生を生きてきた。女が一人、生きていくには、そうしなくてはならなかったのだろう。

 だから、産まれた子が男だとわかれば、悲しみ、哀れだとは思っても、鎌倉の役人に差し出す以外のことは、考えつきもしない。

 そんな磯禅尼に対して、静はもう腹は立てていなかった。むしろ、哀れだと思うだけで……。


 男の子だとわかったときから、静のとる道は、一つしかなかった。

 それは、「生まれるまでこの館にとどまれ」という頼朝の命を聞いたときから、決めていたことだった。

 準備は、もうできている。

 一日とて猶予はない。

 静は出産のその夜、準備してあった旅支度を取り出した。

 まだ出血もひどく、ふらふらしていたが、そんなことにかまっていられなかった。

 静は、生まれたばかりの、本当に小さい、柔らかく頼りない赤ん坊をふところに入れた。

 隣の部屋の磯禅尼は、泣きながら、眠ってしまったらしい。静は、ふっと微笑み、そっと部屋を抜け出した。


 音を立てないように、注意をはらいながら、庭を歩き、やっと、館の門まで来たときだった。


「静御前!」


 と呼ぶ声がした。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

呼び止めた声の主は、誰なのか。

静は立ち止まるのか、それとも――。


次話、最終回となります。

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