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14 分かち合う哀しみ

戦と舞、違う生きがいを持つふたりは、初めて「同じ哀しみ」を見つめることになります。


 義経は、自分の気持ちを静の舞に対する気持ちにたとえている。しかし、静は違うと思う。


「確かに舞は生きがいです。舞わない静は静ではないというお考えも、その通りだと思います。けれど、静が舞に生きがいを感じるのは、見ていてくださる方々がいらっしゃるからこそ。静の舞で、皆様に夢を与えることができれば……」


 そこまで言って、静は言葉を切った。それは、花雪歌劇団の方針だ。この時代の武士の心には響かないだろう。


「人は皆、哀しみや辛いことを抱えています。それでも、静の舞を見たときには微笑んでくださる。一時でも、哀しみや辛さを忘れられたり、心が慰められたりする人がいるからこそ、静は、舞い続けてきたのです」


 義経は、驚いた顔をして静を見ていた。こんな話をすることが、意外だったのだろう。静は話を続けた。


「たかが舞くらいのことで、大げさに思われるかもしれません。けれど、ほんの一時であっても、静の舞を見た人が幸せを感じてくれれば……」


「義経の戦は、人を幸せにはしない……と?」


 義経は、静の言葉をさえぎった。静は、首を横に振った。


「義経さまは、京の人々に乱暴をはたらいていた木曽義仲を討って、京に平穏を取り戻しして下さいました。その後も、検非違使として、争いごとをおさめたり、強盗や謀反人を退治したりして、京の人の生活を守って下さったではありませんか」


「そんな風に思ってやっていたわけではない。それが、私に命じられた仕事だったから……」


 義経は、珍しく静から視線を外して、そう言った。


「そうでしょうか? 私には、そうは見えませんでした。京の人たちは、皆、義経さまに感謝しています。長い間の不安から開放されたと。義経さまのおかげで、幸せになったのです」


「今度の戦は、人々を幸せにしない……と言いたいのか?」


 静はうなずいた。


「それでも、私は戦をしないわけにはいかない」


 義経は言った。しかし、以前ほど確信にあふれている言い方ではなかった。


「わかってくれ、静……」


 義経の声には、悲しみの気持ちが加わっているようだった。


『京で戦をすることは、義経さまにとっても本意ではないのかもしれない』


 静は、あることを思い出していた。そのとき、義経が言った。


「私が、静が考えていたような立派な人間でなくて、がっかりしたか?」


「そんな風には思っていません」


 静が思い出したのは、壇ノ浦の戦が終わって、京に凱旋したばかりの頃のことだ。

 戦のことは語らない義経が、ひとつだけ静に告げたことがあった。


「……佐藤継信が、死んだ」


 静は、義経の郎等と深く関わることはなかったが、佐藤継信・忠信兄弟のことはよく知っていた。義経が奥州平泉にいた時代の話をする時に、二人の名前はよく出てきたし、磯禅尼と示し合わせて、義経と静をふたりきりにするはかりごとを企てたのも、この兄弟だった。

 義経が、最も信頼している郎等だったはずだ。


「継信さまが……」


 慰める言葉も見つからない静に、義経は激しい怒りを抑える口調で言った。


「私をかばって……私のために死んだのだ!」


 その後の言葉は続かなかった。必死で涙を堪えている様子の義経の背を撫でながら、静は、低い声で謡った。その今様は、自然に静の心に浮かんできた。


 ほとけは常にいませども

 うつつならぬぞあはれなる

 人のおとせぬあかつきに

 ほのかに夢に見えたまふ


 その謡は、義経の堰を切った。声を上げて泣き続け、静はそんな義経に寄り添い続けた。


 あんな風に、身近な人の死を悲しむことのできる義経が、たくさんの人の命を奪う行為を喜んでいるとは思えない。

 それでも、戦わなければならないのなら、その哀しみを、自分も背負っていこう。静はそう心に決めた。


「義経さまは、楽しいこと、美しいことを私と分かち合ってくださいました。これからは、哀しみも心の痛みも、静と分かち合ってください。一人では負えない哀しみも、二人なら、きっと」


 義経は顔を上げ、静を見つめた。


「分かち合って、くれるのか?」


 涙が頬を伝うのを感じた。


「静は……おそばを離れません。離れられないことは……義経さまが一番よくわかっていらっしゃるはずです……」


 義経は静を自分の胸に抱き寄せた。


「……すまない……と思う。静の言うようにひっそりと平穏に暮らせたらどんなにいいかとも思う。だが、できないのだ。私を許してくれ」


 そう言うと、義経は静の唇に自分の唇を重ねた。


 小鳥の啼き声に静が目覚めると、義経はもうすでに起きていた。


「静、庭を歩かないか?」


 義経にうながされ、静も起きて身支度をした。

 庭に流れる水を見つめながら、義経は言った。


「京を戦火にさらすことはやめる」


「義経さま……」


「戦をやめたわけではない。ただ、静の言うとおり、ここで戦っても、罪のない人々を苦しめるだけだ。だから、私は京を退こうと思う。私がここにいれば、結局、兄の軍が戦をしかけてくるだろうから」


 静は何も言えなかった。感謝の気持ちを伝えるべきなのだろうが、その言葉がどうしても出てこない。

 義経が京を退くと決めた理由に気づいてしまったから。

 おそらくは、自分――静のためだ。静が、哀しみも心の痛みも分かち合うといったから。静に、ほんの少しの哀しみも与えたくない――義経はそう考えたのではないか。

 うぬぼれかもしれない。けれども、どうしても、そう思ってしまう。

 だとしたら、自分は義経のそばにいるべきではないのでは? そんなことを考えてしまう。


 そんな静の物思いを、義経の笑い声が途切れさせた。


「静はうそつきだな」


 義経は笑みを浮かべながら、静を見ている。


「戦や政事はわからない、などと言っていた」


「本当にわかりません。嘘など……」


 静がむきになって言うのをさえぎって、義経は言った。


「怒ったり、責めたりしているのではない。ただ、昨日の静は、今まで言いたくても言わずに我慢していたことを、言ったという風に見えた」


 その通りだが、うなずくことはできなかった。けれども、義経はそれを肯定と受け取った。


「昨日ので全てか?」


「え?」


「思っていることは、全て私に言ったか?」


「はい」


 今度はきちんと返事をすると、義経は、悲しげな微笑みを見せた。


「これからは、隠さずに、言いたいことは全て、義経に言ってくれ」


 そう言うと、静の返事を待たずに、義経は本館の方へ去っていってしまった。

 義経の背中を見送る静の心に、悔悟の情が沸き上がってきた。義経の矜持を傷つけてしまったのかもしれない……と。


 その日の昼間、庭で出会った月影が、静に尋ねた。


「御大将に、何かおっしゃいましたか?」


 月影に問われ、静は昨夜自分が言ったことを話した。


「でも、後悔しているのです。義経さまは、私のために無理をなさっているのではないかと」


「いいえ。静さまがおっしゃって下さって、よかったのです。そうでなければ、私から言っていたでしょうから」


 静は、驚いた。


「月影さまも、この戦に反対だったのですか?」


「はい」


「御郎等は、戦う気でいるものとばかり思っていました」


「そのつもりの者の方が多いですが。……ただ、私が反対なのは、静さまとは理由が違います」


「違う?」


「はい。私が反対なのは、京で戦っても、勝ち目がないからです」

 

「そんなに、状況が悪いの?」


 月影はうなずいた。


「先日も申し上げたように、兵は全然集まりません。一方、鎌倉を出られた頼朝さまの軍勢は、途中、東海道、東山道、北陸道の武士も巻き込んで、かなりな数になっているものと思われます」


 義経は、完全に孤立してしまったのだろうか。そんな義経を、自分は突き放してしまったのではないか……と、静はますます不安になった。


「それで、義経さまはどうなさるおつもりなのでしょうか?」


「今、法皇さまにお会いになっています。山陽道、西海道の荘園を支配する権利をいただけるように」


「西へ……向かうのですか?」


「そうなるでしょう」


 月影の瞳はどこか悲しげだった。その悲しさの意味を考えようとした時――。


「月影」


 少し離れた場所から、佐藤忠信が月影を呼んでいた。

 忠信は、静の姿を認めると、深々と頭を下げた。

 兄・継信のための御魂鎮(みたましず)めの舞をした時、忠信は涙を流して感謝してくれた。それ以来、静に出会うたびに、こうして頭を下げてくれる。その生真面目なところを好もしく思っていたし、こんな人が義経のそばにいてくれることをありがたいとも思っていた。


 その時――。


「今行く」


 月影が、忠信に向かって微笑んだ瞬間……静は、気づいてしまった。

 その微笑みが、いつもの頼れる郎等のものと違って華やかで、そして何故か「かわいい」と思えたから。


 この人は、七重と同じだ――。


 その夜、義経は静に言った。


「私は、西へ行こうと思う。西国ならば、兵を集められるかもしれない。そこで、兄に反旗をひるがえすか、あるいは、そのまま西国に住み続けるか。……とにかく行ってから考えるつもりだ」


 静はうれしかった。義経の選択肢の中に、「そのまま西国に住み続ける」というものが入っていることが。

 義経は静を抱いていた手をはなし、居住まいを正した。


「静もついてきてくれるか」


「静は、義経さまのおそばを離れません。そう昨夜も申し上げたはずです」


 義経は微笑んだ。


「しかし、京と違い、西国は寂しいぞ。舞を舞う機会もなくなるだろう」


「それは違います」


 静は言った。


「最初に堀川館を訪れた時、おっしゃってくださったではありませんか。『見せる相手が、法皇さまを始めとするたくさんの人々でなく、ただの武士だけでも、場所が、神泉苑でなく、この堀川の館であっても、決して手を抜いたりしない』と。あの言葉に、静は救われたのです。どんな所でも、ただ一人でも、静の舞を望んでくださる方がいらっしゃれば、静は舞います」


 静が微笑むと、義経も微笑み返してくれた。それは、透き通るくらいに儚げな微笑みだった。


 新しい院宣――頼朝追討ではなく、西国の支配権限を与える――を願い出て、義経は西国に渡る船の手配を始めた。

 しかし、その手配も順調とは言えなかった。乗船の準備のための先発隊は、だまし討ちに遭った。そして、落ち目になった義経を襲って、鎌倉からの報償を得ようとする武士は日に日に増えていった。

 もはや一刻の猶予もないと義経も悟ったのだろう。院宣を得た翌日に、京を退いた。


 それは、冷たい冬の風の吹く日だった。

 二百騎あまりの兵を率いた義経が京の街を進むとき、街の人々は街を荒らされるのではないかとおそれたという。

 けれども義経は院の御所へあいさつに行き――それも武装しているからと、直接法皇にも会わずに平穏に京を退出していったのだった。

 その様子を見て、京の人々はあらためて義経を好ましく思い、同情したという。


 すでに、鎌倉を発っていた義経追討軍は、入れ違いに京に入った。

 義経は、大物浦をめざして進んでいたが、途中、摂津源氏に襲撃された。

 それを、ようやくの思いで破り、大物浦にたどり着いた。

 船出は夜だった。


「御大将。このまま船出をすれば、嵐は避けられません。明日の朝まで、お待ちになった方が……」


 月影が義経に言っているのが聞こえた。


「月影らしくないことを言う」


 義経は答えた。


「京からここまでの間でさえ、襲われたのだ。こんな所でもたもたしていたら、また、誰に襲われるかわからない。一刻も早く、出発せねば」


「はい」


 月影はそう答えた。しかし、その顔に、以前の時と同じような悲しげな色があるのを、静は感じた。

 しかし、月影のそんな表情に、義経は気づかなかったらしい。というより、そんな暇はなかったのだろう。次々と郎等に指示を出し、忙しく動いていた。

 義経の指示で、そこまで一緒についてきた正妻の美野は、故郷の川越に帰された。

 義経は静へ言った。


「海は荒れそうだ。船が転覆し、波の泡と消えるかもしれない。それでもついてくるか?」


 静は微笑むだけの返事をし、義経も同様に微笑んだ。そして、静の手をひいて船へ入った。


 月影の不安は的中し、嵐はやってきて、それほど大きくない船は木の葉のようにゆれた。

 けれども、静の微笑みは消えなかった。義経は言った。


「不思議な女だ。こわくはないのか?」


「静がこわいのは戦だけ。人が人を殺すことだけです。自然ならば、たとえそれが嵐でも、こわくはありません」


「死ぬかもしれないぞ」


「義経さまと御一緒なら、私はそれだけで……もし船が海に沈んだら、海の底で、二人で仲良く暮らしましょう」


「まるで、美しいものを語るように、死を語るんだな、静は」


「人間は、いつかは死ぬものですから」


「……女とは、不思議な生き物だな、弱いのか強いのかわからない。……いや、強いんだろうな」


 やがて嵐はますます激しくなってきた。月影がかけ寄ってきて、


「御大将! 静さま! ここは危険です! 甲板へお上がりください」


 と叫んだ。


 義経は静の手を握り、甲板へ上がった。

 静は荒れ狂う暗黒の海を見つめた。自分でも不思議なほど、こわくはなかった。

 船に乗っている郎等たちの大きなどよめきが聞こえた。彼らが指す方向を見ると、ひときわ大きな波が船に向かって押し寄せてきていた。


「あれが来れば、駄目かもしれないな」


 義経がつぶやいた。


「静、私の手をはなすな」


 そう義経が言い、静を強く抱きしめたとき、大波は船を襲い、船は波にのまれていた。



船は、西へ。

嵐の待つ海へと向かいます。

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