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13 戦の中でしか

人は、同じ景色を見ていても、同じ場所に立っているとは限らないのでしょう。


 翌日には、義経は床の上に起きあがれるほどに回復した。月影をはじめ、ごく身近な郎等だけが、顔を見せた。その際、月影は言いづらそうに義経に切り出した。


「実は、御大将のご病気中に、鎌倉から梶原景季どのと義勝房成尋どのがみえられまして」


「景季……梶原景時の子息だな」


「はい」


「それで?」


「御大将がご病気のむね申しあげて、お引きとり願ったのですが……」


「信じていない……?」


「おそらく」


「今頃、九郎義経は仮病を使って面会を拒否したと、鎌倉に報告しているだろう」


 義経は、自嘲的な笑いを浮かべて言った。


「申しわけございません」


 月影が頭を下げた。


「おまえを責めているのではない。どういう状況でも、梶原景時の息子が、私のことをよく報告するはずがないのだ。月影が気にすることはない」


「しかし……」


 月影が言葉を濁していると、義経は続けた。


「まだ、京にいるのだろう?」


「はい」


「今日にでも会おう。すぐに、呼べ」


 昼過ぎに、梶原景季たちはやってきた。義経は、まだ動ける状態ではなかったので、静の小館で会った。

 静は席を外していたので、何の話だかはわからなかったが、後で月影が様子を教えてくれた。

 義経と頼朝の叔父にあたる源行家という人が、頼朝に翻意を表したのだそうだ。それで、義経に行家追討を命令に来たということらしい。


「それで、義経さまは?」


 静は心配になって訊いた。あれほどの大病をした後なのに、もう戦に出なくてはならないのだろうか。


「御大将は、こうおっしゃっていました」


 月影は言った。


「『強盗のようなものならともかく、源氏の家に生まれた人を追討するのに、郎等を代理に遣わすわけにはいかない。自分の病気が平癒し次第、計略を立てる』と」


「そうですか」


 静がほっとした様子を見せると、月影は困ったような顔をして言った。


「おそらく、景季は、『義経どのは、仮病をつかって行家を逃がそうとしている』と鎌倉に報告するでしょうね」


「そんな!」


 静は叫んだ。


「義経さまのあのご様子を見ても、まだ仮病だと言うのですか」


「景季にとって、真実はどうでもいいのです。ともかくも、御大将を悪く言うことさえできれば」


 静は言葉につまった。あんなに悩み、病気にまでなった義経が、哀れでならなかった。

 何故、このような悪意が、義経のまわりを取り囲んでいるのだろうか。そして、何故頼朝は、義経ではなく、悪意の人間の言うことを信じるのだろうか。それとも、誰かがそう仕向けている……そんなからくりでもあるのだろうか? 静には分からなくなっていた。


 景季の面会の後、義経は目に見えて回復していった。どういう心境の変化があったのか、静にもわからなかったが、食事もきちんととり、夜もよく寝ているようだった。

 やせた頬は元通りになり、体力は、馬に乗り野を駆けられるほどに戻っていた。以前のように、花鳥風月の話をして静と笑い合ったり、静の舞いを望んだりもした。


 義経が、以前の義経に戻ってくれたことは、静にとっては喜びのはずだった。

 けれども、世の中の状況が義経にとってよくなったわけではない。月影の話から察すると、むしろ悪くなる一方だった。それなのに、義経は悩む顔を見せなかった。それが何故なのかわからない静は、義経の明るさを手放しでは喜べないでいた。


 十月中頃、堀川館に来客があった。本館に訪れたので、それが誰だか、静は知らなかった。

 その夜、義経は静の小館へ月影を呼んだ。


「月影、土佐坊昌俊をどう思う?」


「……御大将のお考えになっている通りかと存じます」


 月影は答えた。二人の厳しい表情に静がとまどっていると、義経が言った。


「月影、静に説明してやってくれ」


 義経が、郎等を介してでも、戦や政事のことを静に伝えるのは初めてだった。

 静が月影にいろいろなことを聞いているのを、義経は知っているのかもしれない。月影が話すとは思えないから、義経が察したのだろう――そう静は思った。

 月影は静に説明した。


「土佐坊昌俊は、おそらく頼朝さまが義経さまの様子を探るために、京によこした討手でしょう。様子がおかしいので、昼間、呼んで問い詰めたのですが」


「昼間、本館にいらしてたのは、その人だったのですね」


「そうです。本人は、寺に参拝に来ただけだと言っていますが……」


「違うのですか?」


 静は不安になって尋ねた。

 月影は、表情一つ変えず、淡々と言った。


「たぶん今夜あたり、この堀川館を襲撃してくると思います」


「そんな……。お兄さまが弟を討つのですか?」


 驚く静に、義経は言った。


「不思議なもので、私たち源氏の血筋は、肉親が争うことが多いのだ。何故だかわからないが。……だが、私はまだ兄上を信じたい。だから、月影以外の郎等たちには何も言っていない」


「みんな、館の外へ行ってしまっています。恋人のもとへ……」


 月影が言った。


「これが、私が兄上に対する最後の賭けだ。土佐坊が襲ってこなければ、もう一度兄上を信じてみる。襲ってきて……もし私が死んだら、それまでのこと。生きのびられたら、そのときは、こちらから兄上と兄弟の縁を切る」


 そう言う義経の瞳は、またあの光が宿っていた。その瞳を見て、静は悲しかった。義経が明るくなったわけがわかったような気がしたから。

 義経は、悩むのをやめ、頼朝の出方を待つことに腹を決めてしまったのだろう。そして、最悪の場合は、兄に対する思慕を、自ら断ち切る決心をしていたのだ。


 静には、頼朝という人がどうしても分からなかった。兄を慕う弟を、弟と思わずに切り捨てようとしている――。その理由が分からない。月影は「義経さまをおそれている」と言っていたが、義経に反旗を翻す気持ちはない。誤解を解こうとしている弟を、どうしてそこまで拒むのだろう。


 静の中に、頼朝を憎いと思う感情が芽吹き始めていた。それでも、血のつながった兄弟が戦をすることだけは、避けてほしかった。

 けれども、その思いを口にすることは、静にはできなかった。あんなに悩み、苦しんで義経が出した結論なのだ。自分の感傷から、異論をはさむことはできない。

 今の静には、土佐坊が襲撃してこないことを祈ることしかできなかった。

「これが最後の賭け」と度胸を決めてしまったせいか、義経はかえって落ち着いてしまったらしい。いつものように静を愛したあと、ぐっすりと眠ってしまった。


 一方、静は不安で眠ることができなかった。今、館にいるのは月影と、下働きの者くらいだ。力のある郎等たちは、館の外にいる恋人のもとに出かけてしまっている。襲われたら戦う人間がいないのだ。

 義経は死ぬことはおそれていない。静としても、義経とともに死ねるなら……とも思うが、こんな所でこんな風に死ぬのは、本意ではない気もしていた。

 できることなら、土佐坊が襲ってこないで、頼朝と義経の不和が解けて、平穏に暮らしたい。静は、何事もなく夜が明けてくれるのを本当に心から祈った。


 床の中でひたすら平和を祈りながら、どのくらいの時がたったのか。静にとっては永久に夜が続くように感じ始めた頃、戸を激しくたたく者がいた。

 静は飛び起きた。


「御大将! 静さま! 起きてください!」


 戸をたたきながら、大声で呼んでいるのは、月影だった。静が戸を開けると、月影は飛び込んで来て言った。


「静さま! 夜討ちです! 土佐坊昌俊が襲ってきました!」


 耳をすますと、武士の声や、馬のいななきが聞こえる。


「すぐに、義経さまを起こします!」


 静が言うと、月影は、


「お願いします。私は、館の外に出ている者を集める算段をいたします」


 と言い残し出ていった。

 義経は、そんな騒ぎにも気づかず、寝入っている。静は義経をゆり起こした。


「義経さま! 起きてください! 夜討ちでございます! 土佐坊の夜討ちです!」


 義経は、ようやく身を起こした。


「やはり、来たか……」


 そう言う義経は、不思議なほど落ち着いていた。武士の叫び声や馬のひづめの音は、いっそう激しくなっている。

 静はあわてた。隣の部屋にかけてあった義経の鎧を、寝所に運び、義経に手渡そうとした。けれど、鎧は大変重かったので、義経に投げかけるような形になってしまった。

 起きたばかりで、まだぼんやりとしていた義経は、驚きの声をあげた。


「あぶないな」


 義経はゆっくりと立ち上がり、鎧を身に着け始め、静はそれを手伝った。


「こんな重いもの、よく運んだな」


「急いでいましたから……」


「そんなにあわてなくても大丈夫だ。けれど……静に似合わないことをするものだ」


 義経は、微笑を浮かべて言った。


「私に似合わない?」


「ああ。戦嫌いの静らしくない。鎧を投げかけるとはな……」


 静は黙っていた。確かに戦は嫌いだ。けれど、やはり、義経には生きていてほしかった。だから鎧を投げかけたのだ。平和を望む心より、義経への愛が強かったのだろう。そう考えながらも、静は、何故かひどく悲しかった。


 義経は、土佐坊昌俊が勝てる相手ではなかった。始めのうちこそ、館の人手が足りなくて、義経は苦戦したが、月影が上げた狼煙を見た郎等が一人、二人と帰ってくるにつれ挽回した。そして、土佐坊は義経暗殺をあきらめ逃げていった。

 義経は、月影や静に話していたように、土佐坊の襲撃を受けて、頼朝と兄弟の縁を切ることを決心したらしい。その夜のうちに、院を訪れ、法皇に会った。そして翌日には「頼朝追討」の院宣を手にしていたと、静は後に月影から知らされた。

 その行動の早さに、静は驚き、空恐ろしいものも感じていた。


 頼朝追討に関して、義経は何一つ静に相談しなかったし、結果を話しもしなかった。静はすべてを、月影に知らせてもらった。

 義経は昼は兵を集めるために走りまわり、夜は黙々と静を抱き寝てしまう――そんな毎日をくりかえしていた。


「それで、兵は集まったのですか?」


 義経のいない昼間、静は月影に訊いた。月影は首を横に振った。


「むずかしいですね。公家の人たちは御大将に味方なさるつもりはあっても、戦力にはなりませんし。武士たちは、心情的には御大将に同情していても、頼朝さまに逆らうだけの気力はないようです」


「では、義経さまはこれからどうなさるおつもりなのでしょう」


「最悪の場合は、法皇さまを盾として、京に立てこもるか……」


「立てこもるって。……京が戦場になるのですか?」


「頼朝さまの軍が、襲ってくれば」


「そんな……」


 静は悲しかった。

 そんなことをしたら、京に住む女子どもまで戦火にまきこまれてしまう。それだけはしてほしくなかった。

 木曽義仲は、京の町で乱暴をはたらいたけれど、義経が来てからは、平和を保っている……磯禅尼はそう言っていた。

 そんな義経だからこそ、静は心惹かれたのだ。たとえ戦に居場所を求めていても、何の罪もない女子どもを巻き込むような人ではない。……静はそう思っていた。


 その夜、静は意を決して義経に話かけた。

 静は戦の話はしない。それが二人の暗黙の了解であることは、わかっていた。静がそうすることで、義経の心の平穏が保てている――ということも十分承知していた。

 しかし、今回だけは目をつぶるわけにはいかなかった。山や海で武士同士が戦うことはなんとか許せるかもしれない。

 でも、庶民を戦に巻き込み、町を焦土と化す――そんな戦をすることだけは、どうしても耐えられない。自分は目の当たりにはしなかったけれど、空襲を受けた神戸を見に行った義父の「何も残っていなかった」と言った時の、喪心したかのような虚ろな表情がよみがえる。

 この自分の気持ちだけは、義経に言わなければならない。たとえ、それが二人の間を壊すことになっても。静は、悲痛なまでの決意をして、義経に話しかけた。


「義経さま」


「何だ?」


 義経は眠そうな声で答えた。


「これから、どうなさるおつもりなのですか? 京で戦をなさるのですか?」


「静が心配することはない」


「いいえ。困ります」


 穏やかだが、きっぱりとした言い方だった。

 横になっていた義経は起き上がり、静をじっと見つめた。


「どういうことだ?」


「京を戦火にさらさないでください。たくさんの人が死んでしまいます」


「……そうする以外、兄に勝つ方法はない」


「それならば、負けてもいいではありませんか」


「何だと!」


 義経にしてはめずらしい、激しい口調だった。


「この義経に、戦わずして死ねと言うのか?」


「死ねと言っているのではありません。頼朝さまは義経さまの力をおそれていると、月影さまから聞きました。義経さまが静かに、ひっそりと暮らしていらっしゃれば、討とうとはなさらないのではありませんか? お願いでございます。静と二人で、どこかの山奥ででも、ひっそりと、花鳥風月を愛でながら、心穏やかに暮らしましょう」


 静にしてみれば、これは昨日今日思いついたことではなかった。義経が屋島や壇ノ浦で戦っている間中、心密かに思っていたことだった。

 義経は、しばらくの間黙ってじっと静を見つめていたが、やがてぽつりと言った。


「そんな暮らしに憧れる気持ちもある。……それでも、戦の中でしか生きられぬ」


 激しさは微塵もない、淡々としていて、どこか悲しげな口調だった。


「静にとって、舞が生きがいであろう? 舞わない静が静でないように、戦をしない義経は、義経ではないのだ。戦って、勝ってこその源九郎義経なのだ」

義経は、戦を選んだのではなく、戦の中でしか生きられなかったのだと思います。


それを理解することと、受け入れることは、きっと別なのですが。

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