表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

11 戦の人

英雄の物語は、いつも輝いて語られますが、けれど、その背後で、沈黙を強いられる心もあるのです。



「まことか!」


「はっ!」


 知らせを聞いたとたん、義経の目の色は変わった。昨夜までの穏やかな瞳の色は消え失せ、燃えるような光が宿った。


「して、その使者は?」


 義経は、静に着替えを手伝わせながら、忠信に聞いた。


「あちらに、待たせております」


「すぐ行く」


 着替えが終わった義経は、静のほうを振り向きもせずに、小館を出ていった。

 静は一人、とりのこされた思いで座りこんだ。


「ついに、その日が来てしまったのね」


 つぶやき、誰も見ていないことを知りながら、こっそりと涙をぬぐった。


 出陣の知らせが堀川の館に来てから、数日間、義経は昼夜問わず走り回っていたようだった。

 そして、数日後の夕刻――。

 疲れ果てて、けれども、目だけは異様に輝かせて、義経は静の小館へ戻ってきた。


「明日、未明に出陣だ」


 入ってくるなり、義経はそう言った。そうして、静をいきなり抱きしめた。

 義経に押し倒されながら、静は心の中で叫んでいた。


『どちらへ? 誰と戦うのですか? どのくらいの長さの戦になるのですか? それで、何人の人が死ぬのですか? 戦わずにすませる方法はないのですか?』


 けれど、口に出して言うことは出来なかった。静は、戦のことは話さない。それが二人の約束になっているような気がして、それが静をしばっていた。


『それは正しいことだったのかしら。自分の思っていることは何でも言えるのが、本当に愛し合っているってことではないの?』


 そう、静は考えた。

 もちろん、義経一人の責任ではない。強いて嫌なこと――戦や政事のかけひき――を見ようとしなかった自分の責任でもある。

 そんな静の物思いには気づかず、義経は静を強く抱きしめる。

 しばらく逢えなくなるという思いからか、それとも、戦の前の興奮がそうさせているのか……この夜の義経は、いつもに似ず激しかった。

 その激しさに翻弄され、静は、自分の考えを口にすることができない。


 未明、静がまどろみかけた頃、義経は起きて、出陣の支度を始めていた。静はあわてて起き、支度を手伝おうとした。


「寝ててもいいぞ。眠いだろう。一人で支度をするのには慣れているから、大丈夫だ」


 義経は言った。


「いいえ」


 とだけ静は言い、黙って義経の支度を手伝った。

 鎧兜を身に着けた義経は、やはり、静が愛している義経ではなかった。瞳の色が、あの静が思い出したくない夜のそれに変わっていた。

 姿は全然似ていないのに、静は信一の出征のときを思い出していた。信一は、出征するその日の朝も、いつもと変わらない表情をしていた。

 あれが最後となってしまった信一の姿と、義経の姿が静の脳裏で重なった。


「泣くな!」


 義経に言われ、静ははっとした。自分でも気づかないうちに泣いていたらしい。


「門出に涙は不吉だ」


「申し訳ありません……」


「私のいない間、淋しければ、北白河の母のもとに帰っていてもよいぞ」


 義経は、静の涙を義経がいなくなる淋しさからと思いこんだらしかった。


「いいえ。静はここで、義経さまをお待ちしています」


「そうか」


 義経はうなずいた。


「静も、門で見送るか?」


 小館を出るとき、義経はたずねた。静は、首を横に振った。


「いいえ。静はここで……」


 門には、正妻の美野が出るだろう。顔を合わせたくはないというよりは、そのくらいはゆずってあげなければならない、という気もしていた。

 それに、さっきのように泣いたりしてはまずいと思った。この時代、戦に旅立つ武士を涙で見送るのは、やはり不吉と思われるだろう。自分がそんな風に見送ったら、義経の立場に傷がつくだろう。


「わかった」


 静の気持ちをどこまで義経が理解していたかはわからないが、ともかく義経はうなずき出ていった。

 義経は一人で本館へ向かう。

 郎等たちは、静との別れを思って、遠慮しているのだろう。誰一人、姿を見せなかった。しかし、義経の戻ってくるのを、今か今かと待ち受けているに違いない。

 義経の背を見つめていた静は、突然走りだした。

 どうしても今、言わなければいけない! 

 そう感じたのだった。


「義経さま!」


 静の叫び声に、義経は足を止めた。静は、義経をじっと見つめた。

 たとえ、怒られても、嫌われても、これだけは言わなければいけない。それでだめになる恋なら、それまでだったのだと静は決心した。


「静は、武門の出ではありません。御武運をお祈りします、とは申せません」


 義経は黙っている。


「御無事を……御無事をお祈りしています。どうか、生きて……生きてお帰りください。お命を、ご自身のお命を、どうか……お守りください」


 義経は、ふっと微笑んだ。出陣の知らせを聞いてから、初めて見せる優しい微笑だった。


「……約束する。必ず、生きて帰る」


 そう言うと、静の頬の涙を手でぬぐい、かすかに微笑んで、歩き始めた。

 静はその後ろ姿を、いつまでも見つめていた。

 義経は歩きながら、心の中でつぶやいていた。


「必ず、生きて帰る。そして、必ず、勝ってみせる」


 静は、息をつめるようにして毎日を過ごしていた。一番好きだった春も、楽しくなく、桜の花の咲いたのも気づかない三か月を過ごした。

 衝撃的であったにもかかわらず、静は、鎧兜姿の、異様に目を光らせた義経を思い出すことができなくなっていた。

 静が思い出すのは、神泉苑で自分をかばってくれた、涼やかな声。

 信夫のことを思い出して泣いた自分の肩を、そっと抱きしめてくれた優しい腕。

 他愛のない話をしながら、声を立てて笑う義経の白い歯。

 真剣な顔をして吹く笛の音。

 ――そんなものばかりだった。

 そして、自分自身が思っている以上に義経を深く愛してしまっていることを思い知らされる。――そんな毎日だった。


 そして四月三日。

 義経の率いる源氏軍の勝利の知らせが、京にもたらされた。

 知らせを聞いて、堀川の館へは次々と祝い客が駆けつけた。そういう客は、正妻の美野が相手をしていたから、静の小館は変わらずにひっそりとしていた。

 静は、やっと楽に息ができる――そんな気がしていた。

 戦は終わったのだ。義経は生きて帰ってくる。このとき初めて、静は春を感じた。


 数日後、静の館にやってきたのは、磯禅尼だった。


「義経さまは、大したご活躍だったそうじゃないか」


 磯禅尼は、満面に喜色をたたえて言った。


「そう」


 静は気のない返事をした。


「京じゃ、大変な騒ぎさ。うわさを聞かないのかい?」


「いいえ」


「扇の的の話は知っているだろう?」


「いいえ」


「弓流しは? 八艘飛びは?」


 静は黙って首を横に振った。磯禅尼はあきれはてたという風に言った。


「まったく、小さな子だって知っていることを、義経さまの想い者のあんたが知らないなんて……。どういう了見だい」


「義経さまは、静は戦のことは知らなくていいとおっしゃってくださいます」


 それは真実だ。けれど、静はそう言ったのは、磯禅尼から戦の話を聞きたくなかったから。人と人とが殺し合う様子など、聞きたくない。

 けれど、静のそんな思いにまるで気づかない磯禅尼は、


「そんなこと言ったって、静が自分の活躍を知っていると分かれば、義経さまだってお喜びになるはずだよ」


 と、うれしそうに、立て板に水とばかりに、戦の話をしはじめた。


 渡辺津に着いた義経は、そこで頼朝から派遣された軍奉行の梶原景時の反対を押しきって、嵐の中船出する。景時の賛成が得られなかったため、わずか五艘の船、総勢百五十騎ばかりで。

 嵐の中を渡りきり、阿波へ上陸。その後は夜を徹しての強行軍で、平氏の陣地の裏面に到着。

 まず民家に火をかけた。平氏軍は義経の奇襲に狼狽し、陣地を捨てて海上へと逃れた。


「一ノ谷の戦で、義経さまの名前は知れ渡っていただろう? だから、平氏の奴らは、義経さまのお名前を聞いただけで、震え上がっちまったそうだよ」


 まるで自分の手柄のように話す磯禅尼を、静は醒めた目で見ていたのだが、話に夢中の磯禅尼は、気づかない。

 やがて、海上の平氏軍と陸上の源氏軍との間で矢の射合いとなったが、日が西に傾き、ひとまず休戦となった。


「そのときに、扇の的だったんだよ」


 磯禅尼は頬を紅潮させて言う。


「扇の的?」


「そうさ!」


 日が暮れはじめ、矢の射合いがおさまった頃、平氏軍から小舟が一艘漕ぎ出されてきた。

 それには、紅の袴をはいた美しい女が乗っていて、日の丸をつけた扇を高くかざして手招きをしている。あれは、あの扇を射落とせという意味だろうと義経は考えた。そこで、


「誰か、あの扇を射抜ける者はいないか?」


 と、武士たちに声をかけた。そして、那須与一という武士が選ばれた。

 与一は、馬にまたがり弓矢をとって海に乗りいれた。源氏も平氏も息をつめて見守る中、与一は矢を放った。

 矢はうなりを立てて飛び、扇の要に当たった。扇は空へ舞いあがり、二転三転しながら海へ落ちていった。平氏も源氏も与一の技には、感じ入ったという。


「どうだい? すごいもんだろう?」


 磯禅尼は言ったが、静は醒めた気持ちのまま、


「ええ。でもそれは義経さまのお力ではなく、その那須与一という方のお手柄でしょう」


 と言った。磯禅尼は少し不機嫌な顔をしたが、すぐにまた話を続けた。

 その後、遅れてきた景時率いる主力軍が到着したとき、平氏の敗北は決定的となった。

 平氏は屋島を捨て、海上はるか長門国を目指して敗走した。


「一ケ月後、ついに壇ノ浦の戦いだよ」


 静は好きではない戦の話に疲れてしまっていた。しかし、磯禅尼はまったく気がつかない様子で話を続ける。

 壇ノ浦は、潮位の差の激しい海だから、勝敗の行方は、潮流をいかに巧みに利用するかにかかっていた。平氏はここを本拠としていただけに、潮流の変化を知っていて、源氏軍の敗色は濃くなっていた。

 このとき義経は、劣勢を挽回する奇策を思いつく。今まで、敵の武士をねらっていた矢を、船を操る水手(かこ)梶取(かんどり)めがけて射させたのである。

 ぼんやりと聞いていた静の心に、なにかが引っかかった。


「それは……武士ではない人に矢を放ったということですか?」


「そう言ってるだろ。全く、何を聞いているんだか……」


 ぶつぶつ言いながら、磯禅尼は話を続ける。

 漕ぎ手を失った船は潮に流され、潮流が源氏軍に有利に変化し始めた頃、両軍の優劣は逆になっていたのだった。

 静は自分の手が細かく震えているのに気づいた。

 戦闘員ではない漕ぎ手を射る。静には人道に外れている行為としか思えない。いや、この時代であっても、それは、掟に反することではないのだろうか?

 それを口に出そうとしたが、うまく舌が動かなかった。


「陸には源氏軍が待ち構えていたからね、平氏は逃げ場がなくなって……ついに、滅亡したってわけさ」


 「滅亡」という恐ろしい言葉を楽しそうに語る磯禅尼の表情が、静には残酷そのものに見える。


「まったく、義経さまは大した武将だよ」


 磯禅尼は同意を求めるように静を見たが、静には何も言えなかった。ちっとも嬉しそうでない静を見て、磯禅尼は不思議そうな顔で尋ねる。


「本当に変な娘だねぇ。義経さまの活躍が、嬉しくないのかい?」


「私がお慕いしているのは、武将の義経さまではなくて、神泉苑で私を助けてくださった、優しい義経さまですから……」


 そう言ったとき、静はふと気になることを思いつき、磯禅尼にたずねた。


「それで……敗れた平氏の人たちは、どうなりましたの?」


「安徳天皇さまをはじめ、ほとんどの人が海に身を投じたそうだよ」


「全員、亡くなってしまったのですか?」


「何人かは死にきれなくて、捕虜となったらしいけどね」


「まだ、お若い人たちばかりだったんでしょうに……」


 静の脳裏に信一の姿が浮かんだ。


「安徳天皇さまは、八つだよ」


「……かわいそうに」


 静はしばらく絶句した。そんなに幼い子が、どうして死ななければならなかったのだろうか……。

 戦の話を聞いても少しも喜ばない静に拍子抜けしたのか、磯禅尼は早々に堀川館を去っていった。


 だが、静に戦の話をするのは、磯禅尼ばかりではなかった。

 最初の頃は、正妻の美野に遠慮してか小館に訪れなかった人々も、次第に静の小館の方へやってくるようになっていた。

 様々な人が訪れ、静にお祝いを言っていった。静はいやがおうでも、戦の話を聞かされることになった。もう聞きたくないと思っても、祝い客を追い返すわけにはいかない。そんなことをすれば、義経の面目を失わせることになる。だから、作り笑顔で、聞いていたのだが――。


 義経のどんな活躍を聞いても、静の胸は躍らなかった。かえって、平氏の最期を聞くたびに、静の心は沈んでいった。


 戦勝報告が京都に届いた二十日後、義経は京に凱旋してきた。

 圧倒的勝利をおさめた堂々の凱旋だった。京の人たちは、大騒ぎで義経を出迎えたが、静は館から一歩も出なかった。鎧兜姿の義経はもう見たくなかった。


 夜遅く、義経は静のもとに戻ってきた。もちろん鎧兜姿ではなく、瞳のあの燃えるような光も消えていた。静はほっとした気持ちで義経を迎えいれた。


「約束どおり、生きて帰ってきたぞ」


 義経に抱きしめられて、静は泣いた。ただ義経の無事を喜ぶ涙なのか、戦で失われた数多くの命を思っての涙なのか、自分でも分からなかった。


 朝、静が目覚めたとき、義経は隣にいなかった。あわてて起き上がり、外へ出てみると、義経は庭に立ち、ぼんやりと景色をながめていた。


「義経さま」


 静が声をかけると、義経は振り向かずに言った。


「静かだな。何の音もしない」


「……戦は終わりましたから」


 そう静が答えると、義経は振り返った。


「……そうだな。戦は終わりだ……」


 その瞳の色は、静が驚くほど淋しげだった。静は悟った。


『この人は、戦でしか生きられない人なのだ。けれど、戦乱を好んでいるのではない。戦場に居場所を見出して……。戦に勝つことで、自分の価値を確かめている』


 それは、義経が戦に発つ前からうすうすは感じていたことだった。けれど、静は認めたくなかった。だから、今まで気づかないふりをしてきた。けれど、今朝の義経の様子をみれば、もう気づかないふりもできない。


『それでも……私はこの人を愛している』


 静は、心の中でつぶやいた。


静は、義経を理想の姿のまま愛し続けることを選びませんでした。

それでもなお、この人を愛している――

次回から、二人の関係は、少し違う景色を見はじめます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ