第七話「同じ傷の形」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
リリカは、料理が得意ではなかった。
得意ではない、という言い方も少し違うのかもしれない。
本人は毎回、ちゃんと作っているつもりなのだ。
レシピも見ている。手順も守っている。
それなのに、なぜか最後には想定と違うものが出来上がる。
本人にも理由が分からない。
それがいちばんの問題だった。
その夜は野営だった。
次の現場が山間部にあり、街へ戻るより途中で一泊した方が効率的だった。
ななみは特に文句を言わなかったし、リリカも野営そのものは嫌いではなかった。
二人とも、こういう状況には慣れている。
問題があるとすれば、食事の準備をリリカが引き受けたことだけだった。
「私、作りますよ。ちょうど材料もありますし」
「私がやります」
「ななみさんはいつも全部自分でやろうとするじゃないですか。今日は私がやります」
言い方が妙にきっぱりしていたので、ななみはそこで引いた。
それが間違いだったと気づいたのは、三十分後だった。
「リリカさん、それは入れすぎでは」
「大丈夫です。多い方が味が出る気がして」
「味が出るという話ではなく、規定量を超えています」
「あ、でもちょっと焦げてきた」
「だから言ったんです」
「でも芯はまだ生です」
「外が焦げて中が生なのは、大丈夫とは言いません」
「難しいですね、料理って」
ななみは無言で鍋を受け取り、火加減を調整した。
すでにかなり危うい状態ではあったが、まだ完全には手遅れではない。
少なくとも、そう信じたい段階ではあった。
焚き火のそばに、少し焦げた匂いが漂う。
リリカはその匂いを気にした様子もなく、隣で次の食材を切っていた。
切り方も、見ていて少し不安になる切り方だった。
「包丁の持ち方が危ないです」
「えっ、そうですか?」
「指を切ります」
「でもまだ切ってません」
「まだ、です」
「ななみさんって、料理にも厳しいですね」
「厳しいのではなく、危険管理です」
「同じことでは?」
「違います」
やがて完成したものを、二人でしばらく無言で見下ろした。
見た目は、かろうじて食べ物だった。
ただし、名前を訊かれると少し困る。
「食べられますよ、たぶん」
リリカが言った。
「たぶん、という表現が気になります」
「じゃあ、確実に食べられます」
「確実、という根拠は」
「食べてみないと分かりませんけど」
ななみは小さく息をつき、ひと口分をすくった。
味は——複雑だった。
まずくはない。だが、おいしいとも言いにくい。
焦げる一歩手前の香ばしさと、少し足りない火の通り方と、、
なぜ入れたのか分からない香草の主張が、三者三様に競り合っていた。
「どうですか」
リリカが期待に満ちた目で見てくる。
ななみは、慎重に言葉を選んだ。
「……食べられます」
リリカの顔がぱっと明るくなった。
「よかった」
その顔を見ていると、もう少し正確な感想を言う気にはなれなかった。
ななみも黙って自分の分を食べ始める。
思ったより、悪くはなかった。
食事が終わったあと、二人は焚き火を挟んで座っていた。
空は晴れていた。
山の夜気は冷たく、焚き火の熱がちょうどいい。
頭上には星が出ている。
街の明かりが届かないぶん、空は近かった。
しばらく無言だった。
けれど、その沈黙は特に不自然ではない。
最初の頃なら、こういう静けさは少し居心地が悪かったかもしれない。
でも今は、そうでもなかった。
無理に話さなくてもいい。
そういう距離になっていることに、ななみは遅れて気づいていた。
やがて、リリカが火を見つめたまま言った。
「ななみさんは、昔から管理局に入ろうと思ってたんですか」
「いいえ」
「じゃあ、どうして」
ななみは揺れる炎を見た。
「力がほしかったから」
「守るための力?」
「そうです」
リリカは少し考えたあと、さらに聞いた。
「守りたい誰かが、いたんですか」
ななみはすぐには答えなかった。
焚き火の音が、ぱち、と小さく鳴る。
「いました」
「過去形なんですね」
「今もいます」
ななみは静かに続けた。
「ただ、どこにいるかが分からない」
リリカが黙った。
ななみも、それ以上は何も言わなかった。
言い過ぎたかもしれないと思った。
だが、今さら取り消せる種類の言葉でもなかった。
焚き火の向こうで、リリカが膝を抱えるように少し姿勢を変えた。
「私も、似てます」
その声は、さっきまでより少しだけ低かった。
「似てる?」
「守りたい、というより……一緒にいたかった人がいて。でも、ある日いなくなったんです」
ななみは視線を上げた。
「いなくなった?」
「はい。突然でした。理由も教えてもらえなくて」
ななみの胸の奥で、何かがかすかに動いた。
突然いなくなる。理由が分からない。
残される側だけが、空白を抱える。
それは、あまりにもよく知っている感覚だった。
「後になって、施設に入ったって聞きました」
リリカがポケットに手を入れ、小石を取り出す。
あの琥珀色の石だった。
焚き火の光を受けて、その表面がやわらかく揺れる。
「どんな施設かは教えてもらえなくて。連絡も取れなくて。だから、その子が元気なのかどうかも分からなくて」
ななみは、ほとんど反射的に口を開いていた。
「その子の名前は」
リリカが一瞬だけ目を上げる。
ななみは、自分で自分の問いに驚いた。
なぜ今、それを聞いたのか分からない。聞くべきことではなかったかもしれない。
「……すみません。余計なことを」
引こうとした瞬間、リリカが小さく首を振った。
「いおりっていうんです」
焚き火の音が、そこで一度大きく鳴った。
ななみは動かなかった。
いおり。
その名前を、ななみも知っていた。
小さくて。すぐ転んで。
転ぶたびに笑っていた子。
記憶の中にいるその姿が、驚くほど鮮明に立ち上がる。
「幼稚園の頃からの友達で」
リリカは石を見つめたまま続ける。
「小さくて、すぐ転んで、でも全然泣かなくて。転ぶたびに笑ってて。なんでそんなに笑うのって思うくらい、いつも笑ってた」
ななみは何も言えなかった。
炎が揺れる。風が吹いたのかもしれない。
でも、そういう物理的な理由だけではない気がした。
焚き火の向こうにいるリリカの言葉が、記憶の奥へまっすぐ差し込んでくる。
同じだ。
そう思った。
同じ子のことを話している。
けれど、確認できていないことを断定してはいけない。
それはななみの流儀ではなかった。
だから、ななみは一度だけ息を整えて、言った。
「……私の知っている子にも、似た名前の子がいます」
声は思ったより平静だった。
リリカが少し驚いた顔をする。
それから、何かを察したように目を細めた。
「そうなんですか」
「ええ」
「会えなくなった?」
「理由も分からないまま」
短いやり取りだった。
でも、それだけで十分だった。
二人はしばらく、焚き火を見ていた。
炎は変わらず揺れているのに、さっきまでとは少し違って見える。
そこにある熱の色が、急に現実味を持った気がした。
「変ですよね」
リリカが言った。
「何がですか」
「私たち、こんなに似てるのに、最初に会った時はあんなに言い合いしてたんですね」
「言い合いではありません」
ななみは即座に訂正した。
「方針の相違です」
「同じことだと思いますけど」
「違います」
リリカがくすっと笑う。
「ななみさんって、そういうところ頑固ですよね」
「頑固ではありません。正確なんです」
「それが頑固なんだと思います」
ななみは返答しなかった。
焚き火の向こうで、リリカがまた空を見上げる。
手のひらには、まだあの小石が乗っていた。
「いおりちゃん、元気かな」
それは、独り言に近い声だった。
ななみは少しだけ視線を落とし、それから言った。
「きっと」
根拠はなかった。でも、言いたかった。
リリカが小さく笑う。
「そうですよね。きっと元気ですよね」
その目は少しだけ光っていた。
泣いてはいない。でも、泣きそうではあった。
ななみは焚き火を見たまま、小さく頷いた。
同じ傷の形をしている。
その言葉が、ふいに頭に浮かんだ。
失った相手は同じかもしれない。
会えなくなった理由も、空白のまま残された時間も、きっと似ている。
だから、最初からあれほど食い違ったのかもしれない。
似ているものほど、ぶつかることがある。
翌朝、二人は何事もなかったように支度を始めた。
昨夜の話を、改めて掘り下げることはしなかった。
しなかったというより、しなくてもよい気がした。
言うべきことは、もう言った。
全部ではなくても、必要なだけは。
「今日の現場、気をつけましょう」
ななみが荷物をまとめながら言う。
「はい」
「レイヤーの深度が高いと聞いています」
「分かりました。ちゃんと三メートル後ろにいます」
「場合によっては、もっと離れてもらいます」
「場合によっては、私が前に出ることもありますよ」
「ありません」
「場合によっては」
ななみは小さくため息をついた。
リリカが笑いながら荷物を背負う。
その笑い方が、昨夜より少しだけ近く感じた。
出発しながら、ななみは昨夜のことを反芻していた。
リリカが言った名前。
いおり。
幼稚園の頃からの友達。
突然会えなくなった。理由も分からないまま。
ななみが会えなくなった子と、同じかもしれない。
同じかもしれない、という考えを、ななみは今は保留にした。
確認できていないことを、事実として扱うわけにはいかない。
それが自分のやり方だ。
でも。
昨夜、リリカが「いおり」と言った瞬間の、あの炎の揺れ方だけは、どうしても頭から離れなかった。
風のせいだったのかもしれない。
ただの偶然だったのかもしれない。
それでも、何かが動き始めた気がしてならなかった。
二人は山道を進んでいく。
朝の空気は冷たく、木々のあいだから差し込む光はまだ薄い。
けれど、足元には確かに次の現場へ続く道があった。
そしてその先で、自分たちが何に辿り着くのかを、まだ誰も知らなかった。
第七話:同じ傷の形――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■専用Xアカウント
https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21




