回想第十一話「ゆめの観察記録」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
すずの記録には、こう残っている。
「ゆめの記録。ななみとリリカが村を去った後より。記録者:すず。協力:もか」
そのすぐ下にもかが書き足していた。
「ゆめちゃんって、思ってたよりずっと、いろんなこと考えてた」
すずがそれに答えている。
「考えていた、というより、感じ続けていたようでした」
もかの文字が続く。
「それって同じことじゃないの?」
少し間が空いてから、すずの筆跡で短く返されていた。
「……似ているのかもしれません」
ななみとリリカが村を去ってから、村の空気は少し変わっていた。
静かになった、というだけではない。
残っているものの形が、前よりはっきりしたのだ。
焚き火の匂い。焼いたパンの名残。
戸口に残る人の体温。いおりの笑う声。
そして、その全部を受け止めたあとに残る、ゆめの静かな視線。
すずともかがその村に辿り着いたのは、二人が去ってから数日後のことだった。
村の入り口で、もかが胸いっぱいに空気を吸いこんで、満足そうに言った。
「やっぱりここだった。いおりちゃんの匂い、ずっと追ってたんだよね」
すずが隣で淡々と返す。
「追跡していた、ということですか」
「違うよ。追跡って、もっとこっそりするやつでしょ」
もかは肩をすくめた。
「私は気になったから、堂々と来たの」
「行動としては、ほぼ同じです」
「違うってば。気持ちが違うの」
すずが少しだけ沈黙して、それから記録の癖で小さく呟いた。
「……記録します」
その時、最初に二人を見つけたのはいおりだった。
庭先から顔を出し、知らない来訪者に目を丸くする。
それから、すぐそばにいたゆめの顔を見た。
ゆめが驚いていないことを確認して、いおりの表情もほんの少しだけやわらいだ。
「誰?」
「すずちゃんともかちゃんだよ」
ゆめがそう言うと、もかが大きく手を振った。
「こんにちは、いおりちゃん。来ちゃった」
いおりは目を瞬かせる。
「来ちゃった、で来たんですね」
「来たかったから」
もかはにっこり笑った。
まったく悪びれない笑顔だった。
「それだけですか?」
いおりが聞く。
「それだけだよ」
もかは一拍おいて、ゆめを見た。
「あと、ゆめちゃんにも会いたかった」
ゆめも、もかを見返した。
「久しぶり、もかちゃん」
「うん。久しぶり、ゆめちゃん」
それだけのやり取りだった。
けれど、二人のあいだでは、それで十分だった。
再会を大げさに言い立てなくてもいい相手がいる。
そのことを、すずは少し離れた場所から静かに見ていた。
すずともかは、その村に数日滞在することになった。
もかは、いおりが自分のことを覚えていないと分かっていながら、まるでそれをお構いなしに話しかけていた。
好きなお菓子の話。道中で見た変な形の雲の話。
前にも一緒にいたことがあるのだと、押しつけにならない程度に匂わせる話。
いおりは最初こそ不思議そうにしていたが、もかの距離感がどこか自然だったせいか、次第に笑って聞くようになっていった。
すずは多くを喋らなかった。
村の中を歩き、家の位置や風の向き、暮らしている人の癖、ゆめといおりの視線の動き方まで、静かに拾い集めていた。
ゆめは、二人が来たことで、胸の中に置いたままだった考えを、そろそろ形にしてもいいと思った。
誰かに話すべき時が来たのだと、感じた。
二日目の夜。
火が小さくなり、村の音もやわらいだ頃、ゆめはすずに声をかけた。
「すずちゃん、お願いがあります」
すずはすぐに顔を上げた。
「何ですか」
「記録してもらいたいことがあって」
その言い方に、すずはわずかに目を見開いた。
ゆめのほうから記録を頼まれるのは珍しかった。
すずは膝の上に記録帳を置き、丁寧に開く。
「何を記録しますか」
「ななみさんとリリカさんの観察記録を」
隣でもかが、ぱっと顔を輝かせた。
「観察記録? 面白そう。聞いていい?」
「もかちゃんにも、一緒に聞いてほしいです」
「やった」
すずがペン先を整えた。
「では、始めてください」
ゆめは少しだけ考え、それから、最初に匂いのことを話した。
「ななみさんの匂いは、金属と秋の空気が混ざった匂いです」
すずが書き始める。
もかは身を乗り出した。
「金属って、冷たい感じ?」
「冷たく見える匂いです」
ゆめは静かに続ける。
「でも、奥にちゃんと温かいものがある。触ると冷たそうなのに、中は熱を持っている感じです」
「へえ……」
「力が入っている時と、少し緩んでいる時で、匂いが変わります」
もかがすぐに聞く。
「どんな時に緩むの?」
「いおりを見ている時」
ゆめは迷わず答えた。
「あと、リリカさんに何か言われた時。自分一人で背負わなくていいと、少しだけ思えた瞬間に変わっていました」
「分かるんだ」
「分かります」
ゆめは頷く。
「ななみさんは、誰かを守ろうとする時、匂いが強くなります。でも、今回村に来たばかりの頃と、帰る前では、変わり方が違いました」
すずが顔を上げる。
「どう違いましたか」
「最初は、守らなきゃいけない、という匂いでした」
ゆめは言葉を選ぶように少し間を置く。
「途中からは、そばにいたい、という匂いになっていました。力んでいる感じが減って、やわらかくなったんです」
もかが小さく息をのむ。
「守る、から、そばにいる、になったってこと?」
「たぶん」
ゆめは頷いた。
「同じようで、少し違います。前のほうが、自分を固くしていた。後のほうが、ちゃんと相手を見ていました」
すずが書き留めながら言う。
「重要な変化ですね」
「そう思ったので、残しておきたかったです」
火の音が小さく弾けた。
そのあと、ゆめは今度はリリカのことを話し始めた。
「リリカさんの匂いは、焼いたパンと春の土の匂いです」
もかが嬉しそうに笑う。
「なんか分かる気がする」
「いつでも前を向いている匂いです」
ゆめは続けた。
「疲れていても、悲しくても、その匂いの向きはあまり変わらない。落ち込んでも、止まらない人の匂いです」
「変わらないんだ?」
「ほとんど」
ゆめの声が少しだけやわらぐ。
「でも、一度だけ大きく変わりました」
「いつ?」
「いおりと初めてちゃんと話した時です」
その場の空気が少し静かになる。
「その時だけ、リリカさんの匂いが、泣きそうな匂いになりました」
もかが、先ほどまでの弾んだ調子を少し落として尋ねる。
「泣きそうな匂いって、どんな匂い?」
ゆめはすぐには答えなかった。
言葉にしづらいものを、丁寧に探すように、少し考える。
「温かいのに、痛い匂いです」
ゆめはそう言った。
「大事なものを見つけた時と、なくしたものを思い出した時の匂いが、いっしょに来る感じ」
もかが小さく頷く。
「……そっか」
「でも、すぐにいつもの匂いに戻りました」
ゆめの目は火を見ていた。
「リリカさんは、痛いままでも前を向ける人です。つらいから止まるんじゃなくて、つらいまま進む」
すずは、書きながら静かに問いを重ねた。
「ゆめさんは、二人のことが好きですか」
ゆめは少し考えた。
「好きです」
短く、でもはっきりと言う。
「いおりが大切にしていた人たちだから、というのもあります」
「というのも、ということは」
「それだけじゃないです」
ゆめは顔を上げた。
「二人とも、いおりのことを本当に大切にしているのが、分かったから」
すずが尋ねる。
「匂いで、ですか」
「匂いで分かります」
ゆめは迷いなく答える。
「人は、大切な人のことを考えている時、少し変わるから。隠そうとしても、完全には隠れないです」
もかが身を乗り出した。
「それって、ずっとだったの?」
「ほとんどずっとです。村にいた間、二人とも」
ゆめは静かに言った。
「言葉にしていない時も、匂いは変わっていました」
もかはゆめをじっと見た。
「ゆめちゃん、それ気づいてて、何も言わなかったの?」
「言うタイミングではなかったので」
「タイミングって、いつ?」
「いおりが、自分で気づいた時です」
即答だった。
すずが記録帳に追記を加える。
そして、珍しく確認を取った。
「記録者注を入れてもいいですか」
「どうぞ」
すずは書きながら、ゆっくり読み上げるように言った。
「ゆめは、全部知っていて、全部待っていた。それが、ゆめのやり方だと思います」
ゆめは、その言葉をまっすぐ受け止めた。
「正確な記録です」
「ありがとうございます」
記録はいったんそこで区切られた。
もかが焚き火越しにゆめを見る。
「ゆめちゃんって、ほんとに静かに全部見てるんだね」
「そうかもしれません」
「疲れない?」
「疲れません」
ゆめは少しだけ首を傾けた。
「見ていることが、好きなので」
「いおりちゃんのことを?」
「いおりのことも」
ゆめは頷く。
「でも、今はもう少し広くなりました」
「広く?」
「いおりの大切な人たちのことも、見たいと思うようになりました」
言いながら、ゆめ自身もその変化を確かめているようだった。
「前は、いおりだけ見ていればよかった。でも今は、いおりの周りにいる人たちも知りたいと思うんです。
いおりが何を大事にしてきたのか、そこまで見たい」
もかが嬉しそうに笑う。
「それって、ゆめちゃんが変わったってことだよね」
「変わったのかもしれません」
ゆめは少し考えてから続けた。
「でも、変わっていないのかもしれない」
「どっち?」
「いおりのために見ていたのが、いおりと一緒に見るようになった感じです」
もかがぱっと顔を明るくする。
「それ、すごくいい」
「そうですか」
「うん。すごくいい感じ」
もかは楽しそうに何度も頷く。
「なんか、ひとりで抱えてる見方じゃなくなった感じがする」
ゆめは少しだけ目を伏せた。
自分でも、その言葉はしっくりきた。
「もかちゃん」
「なに?」
「もかちゃんも、匂いで人のことが分かるんだよね」
「うん。分かるよ」
「私と、似ていますね」
もかは少しだけ考えて、首を横に振るでもなく、縦に振るでもなく曖昧に笑った。
「似てる。けど、ちょっと違うかな」
「どう違うんですか」
「私はね、匂いで名前をつけるんだ」
もかは指先で空中に丸を描くようにしながら言う。
「この人はこういう匂い、この感じ、って。見つけたものに印をつけるみたいに」
「私は?」
「ゆめちゃんは、匂いで人を待ってる」
その言葉に、ゆめは少し黙った。
待つ。
その響きを、心の中で何度か転がす。
たしかに自分は、いつも何かを待っていたのかもしれない。
いおりがこちらを見る瞬間を。誰かが戻ってくる足音を。
まだ来ていない答えが、形になる時を。
「待つ、か」
「うん」
もかは笑う。
「そうじゃない?」
ゆめはゆっくり頷いた。
「そうかもしれません。待つのが、好きなのかもしれないです」
「なんで?」
「待った先に、来てくれる人がいるから」
もかが、ぱっと笑った。
「それ、すごくゆめちゃんらしい」
ゆめは少し首を傾げる。
「そうかな?」
「うん。たぶん、ゆめちゃんにしか言えない言葉」
すずは、そのやり取りを静かに記録し終えて、帳面を閉じた。
「記録、いったん終わりです」
「ありがとうございました」
「いえ」
すずは淡々と答える。
「ゆめさんに頼まれたのは初めてだったので、少し嬉しかったです」
ゆめがすずを見る。
「また頼んでもいいですか」
「いつでも」
その答えに、もかが満足そうにうんうんと頷いたあと、突然お菓子の袋を取り出した。
「じゃあ、三人でお菓子食べよう」
「私は」
「食べてよ、ゆめちゃん。記録のお礼」
ゆめは少し考えた。
断る理由を探したわけではなく、受け取っていいものか確かめるような間だった。
「じゃあ、少しだけ」
「やった」
もかが嬉しそうに袋を開けて分ける。
すずも、勧められるまま、珍しく何も言わずに受け取った。
三人で、しばらくそのままでいた。
火の音がして、甘い匂いがして、誰も急いで何かを言おうとしない。
何も言わなくても、ここにいることが分かる時間だった。
翌朝、すずともかが村を出る前、ゆめはいおりに昨夜のことを話した。
「すずちゃんともかちゃんに、記録してもらいました」
「何を?」
「ななみさんとリリカさんの観察記録を」
いおりが目を丸くする。
「観察記録?」
「匂いで分かったことを、少し」
「それ、聞いていい?」
「いつか、話すね」
「いつか?」
「いおりが聞きたい時に」
いおりは不思議そうに眉を寄せた。
「今、聞きたいけど」
「今は、まだ早いと思う」
「なんで?」
ゆめは窓の外を見た。
南東の方角だった。
「また来てくれます」
その言い方は願望というより予感に近かった。
「その時の方が、きっと意味があるから」
いおりがゆめを見る。
「ゆめって、本当にいろいろ知ってるんだね」
「全部ではないけど」
ゆめは少しだけ笑った。
「いおりに関することは、だいたい」
「それって、すごいことだと思う」
「当然のことだよ」
「当然じゃないよ」
ゆめがいおりを見返す。
「いおりにとっては当然じゃないかもしれない。でも、私にとっては当然だよ」
いおりは、それを聞いてふっと笑った。
「ゆめって、いつもそう言うよね」
「いつも本気だよ」
「知ってる」
二人は並んで窓の外を見た。
南東の空は、その日少しだけ明るかった。
見えない道の先に、またいつか誰かが現れる。
ゆめはそれを、疑っていなかった。
もかとすずが出発する直前、ゆめはもう一度すずに声をかけた。
「もう一つだけ、記録してもらえますか」
すずは荷物を置き、すぐに記録帳を開いた。
「何ですか」
「いおりのことを」
もかが顔を上げる。
「いおりちゃんの?」
「はい」
ゆめは頷いた。
「私が見てきた、いおりの話を残したいです」
すずは少しだけ考えた。
そして、すぐに答えた。
「今日の出発は遅らせます」
「いいんですか?」
「大事な記録は、急ぎません」
もかもすぐにお菓子の袋を抱え直す。
「私も聞きたい」
ゆめは窓の外を見た。
朝の光が少しずつ庭を広げていく。
いおりは今、庭の向こうにいて、まだこちらの話を知らない。
「長い話になるかもしれません」
「大丈夫」
もかが言う。
「聞くよ」
すずは新しい頁を開いた。
何かが始まる時の、いつもの静かな動作だった。
「では、始めてください」
ゆめは一度だけ、庭のほうにいるいおりへ視線を向けた。
それから、すずへ戻す。
「アムネシアのことから、話します」
すずが新しい頁の最初に、そう書きつけた。
回想第十一話:ゆめの観察記録――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
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