回想第十話「通信の夜」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
すずの記録には、こう残っている。
「ユウリの記録。アムネシア崩壊後より。記録者:すず。協力:もか」
もかが、すぐ横に追記していた。
「ユウリちゃん、話してるあいだ、ずっとラスク食べてた」
すずが答えている。
「記録中にお菓子を食べているのは、もかだけかと思っていました」
もかが言った。
「類は友を呼ぶってやつだよ」
すずが少し間を置いた形跡があり、そのあとに短く記されている。
「記録します」
ユウリがリリカへ通信を送る前の夜、部屋には機械の待機音だけがあった。
灯りの届く机の上に、小さな再生装置が置かれている。
その中には、ステラの音声ログが入っていた。
アムネシアが崩壊したあと、ユウリが持ち出した数少ないものの一つだった。
捨てられなかったのではない。置いていく理由を、最後まで見つけられなかったのだ。
ユウリは椅子に座ったまま、しばらく装置を見ていた。
それから、静かに再生ボタンを押した。
流れてきたのは、ステラの声だった。
明るくて、少し早口で、話している途中ですぐ笑う声。
聞き慣れているはずなのに、そのたび胸の奥のどこかが小さく揺れる声だった。
内容は、ひどく他愛のないものだった。
いつかピザを食べてみたいこと。どんな種類があるのか調べたこと。
マルゲリータが気になること。ペパロニも食べてみたいこと。
世界の終わりにも救済にも関係のない話だった。
だからこそ、ユウリは最後まで聞いた。
聞き終えたあとも、すぐには止めなかった。
装置の向こうが無音になってからも、そのままじっとしていた。
手にはラスクが一枚あった。
途中で口に運ぶつもりだったのに、気づけば食べるのを忘れていた。
ステラがいなくなってから、ユウリは変わった。
何がどう変わったのかを、ひとつずつ説明するのは難しい。
けれど、中心にあるものなら分かっていた。
自分は、ステラが言いたかったことを、せめて少しでも代わりに言える人間になりたいのだと。
ステラは、正しいことを、正しい言葉で、逃げずに言える人だった。
ユウリにはそれができなかった。
言葉を選びすぎて遅れることもあったし、分かっていても黙ることのほうが多かった。
それでも今は、言わなければならない場面で、黙らないくらいにはなりたいと思っていた。
そう思ってきた時間が、今のユウリを作っていた。
もう一つ、変わったことがある。
ユウリは最近、歌うことがあった。
誰かに聞かせるためではない。
自分でも、なぜ歌うのかうまく説明はできなかった。
ただ、ステラの声を何度も聞いているうちに、言葉を声にしたくなった。
意味だけでは足りないと感じることが増えた。
伝えたいものは、時々、音のほうが近くまで運んでくれる気がした。
ステラが残そうとしたものを、別の形で持ち運びたいのかもしれない。
それが歌になっているのかどうかは、まだ分からない。
分からないままでも、ユウリは続けていた。
それが今の、自分なりの引き継ぎ方だった。
再生装置を止め、ユウリはそっとケースに戻した。
明日の通信で何を言うかは、もう決まっている。
セシリアが言葉にしたものを、そのままなぞるのではなく、自分の声で届ける。
それが今回の役目だった。
いおりを取り戻したいのか。
それとも、いおりが愛した今を守りたいのか。
その二つは似て見えて、まったく同じではない。
前者には、失ったものを取り返したいという願いが混じる。
後者には、いおり自身が選んだ時間を尊重する覚悟がいる。
どちらがきれいで、どちらが汚いという話ではない。
けれど、その違いを曖昧にしたまま手を伸ばせば、きっとまた、いおりではなく自分たちのための願いになる。
そこだけは、間違えずに伝えなければならなかった。
通信が終わったあと、ユウリはセシリアのもとへ戻った。
「伝えました」
セシリアが顔を上げる。
「どうでしたか」
「届いたと思います。少なくとも、逃げずに受け取ってくれる聞き方でした」
「良かったです」
「リリカさんの声は、思っていたより静かでした。でも、静かなまま止まってる感じじゃなかった」
ユウリは少し考えてから続けた。
「ななみという方も、たぶん近くで聞いていました。言葉を挟まなくても分かるくらい、空気が真っすぐでした」
セシリアがわずかに目を細めた。
「あの子は、そういう子です」
ユウリは窓の外を見た。
夜の向こうに、薄く銀色の霧が漂っていた。
世界から消えきらず、どこかにまだ層の残滓が息をしている。
「セシリアさん」
「何ですか」
「いおりは、元気にしていると思いますか」
問いかけたあとで、ずいぶん遠い聞き方をしたと思った。
けれど、セシリアは笑わなかった。
少しだけ間を置いて、言う。
「元気にしていると思います」
「根拠は」
「ゆめがそばにいるので」
ユウリは、小さく頷いた。
「……そうですね」
その答えに、説明以上の確かさがあることを、もう知っていた。
二人はしばらく黙って窓の外を見た。
銀色の霧は風にほどけるように揺れながら、それでも完全には消えなかった。
ユウリが口を開く。
「セシリアさん」
「何ですか」
「あの霧の根源を、もう少し追ってみたいです」
「一人でですか」
「いいえ」
ユウリは、少しだけ口元を緩めた。
「セシリアさんと一緒に」
セシリアは息をつく。
「危険かもしれません」
「たぶん、そうですね」
「それでも行きたいのですか」
「はい。気になったままにしておくほうが、たぶん落ち着かないので」
「危険は嫌いではない、と」
「嫌いじゃないです」
セシリアはまた小さくため息をついた。
けれど、そのため息には諦めよりも、仕方がないという優しさのほうが多く含まれていた。
「行きましょう」
二人がその廃墟に辿り着いたのは、翌日のことだった。
リナが黒い印を残した場所。
地図の上では一点のしるしにすぎないそこは、近づくほどに輪郭より重さを持っていた。
廃墟の前で、セシリアの足がわずかに止まる。
ユウリがそれに気づいた。
「懐かしいですか」
セシリアは、すぐには頷かなかった。
「懐かしい、というより」
「というより?」
「重い、と思いました」
セシリアの視線は、崩れた壁の奥を見ていた。
「リナが印をつけた時より、さらに積み重なっています」
「リナも、ここに来たんですね」
「来たはずです。あの子は、縫えないと分かっていても、確かめずにはいられない子ですから」
「……リナでも、縫えなかった」
「縫えなかったのだと思います」
セシリアは静かに続ける。
「でも、残した。来る人のために。自分が解けなくても、次の誰かが見落とさないように」
ユウリは廃墟を見上げた。
そこには壊れた建物以上のものがあった。
見えないまま折り重なった願いと、失敗と、置いていかれた感情が、空気の密度を変えている。
「セシリアさんは、縫えますか」
「縫えません」
返答は迷いなく短かった。
「じゃあ、どうするんですか」
「待ちます」
「何を」
「縫える人が来るのを」
ユウリは、少し黙った。
「それは、いつですか」
「あの二人が、いおりに会って、自分たちなりの答えを出したあとだと思っています」
「根拠は」
「感じるので」
ユウリの口元が、かすかに動いた。
「またそれですか」
「大事なことは、感じるものです」
「さっきも聞いた気がします」
「何度でも言います」
そのやり取りが、少しだけ可笑しくて、少しだけ救いだった。
ユウリは廃墟に近づき、壁に指先で触れた。
触れた瞬間、ぞくりとしたものが手のひらを這い上がってきて、すぐに手を離した。
「……重い」
セシリアが聞く。
「どんな重さですか」
ユウリは自分の手を見る。
皮膚に何かが残ったわけではないのに、感覚だけが貼りついて離れない。
「昨日、リナの地図の話をしていたから、そう感じるのかもしれません。でも」
言葉を選ぶように息を整える。
「たくさんの人が、ここに来てしまった感じがします。来て、何かを置いて、帰れなくなったみたいな重さです」
「そうです」
「アムネシアの人たちですか」
「全員ではないと思います。ですが、多くは」
ユウリは少し後ろへ下がった。
重い、という感覚の意味が分かってしまう。
これは場所の傷だけではない。
人がここに託してしまったものの重さだ。
どうにかしてほしい。戻してほしい。
消してほしい。なかったことにしてほしい。
そういう願いが、たぶん何層にも溜まっている。
「セシリアさん」
「何ですか」
「いおりに、早く会ってほしいですね」
「そうですね」
「あの二人が来れば、変わりますか」
「変わると思います」
「根拠は」
「感じるので」
ユウリは今度こそ、はっきり笑った。
「もういいです」
「何がですか」
「根拠を聞くの、やめます」
「なぜですか」
「答えが決まっているので」
ユウリはセシリアを見た。
「そう言う時のセシリアさん、たぶん外れないから」
セシリアも、ほんの少しだけ笑った。
二人はしばらく廃墟の前に立っていた。
風が抜け、ひび割れた壁が静かに軋む。
待つしかできない場所がある。
けれど、ただ待つだけではなく、次に渡すために見ておくことはできる。
それはきっと、セシリアのやり方だったし、今のユウリにも少し分かるやり方になっていた。
「帰りましょう」
セシリアが言った。
「はい」
歩き出してから、セシリアがふと思い出したように口を開く。
「ラスク、まだ残っていましたね」
ユウリが目を瞬かせる。
「よく覚えていましたね」
「気になっていました」
「そういうところ、あるんですね」
「どういうところですか」
「細かいことを覚えているところです」
セシリアは前を向いたまま答えた。
「あなたが大事そうに持っていたので」
ユウリは、すぐには返事をしなかった。
それから鞄を開け、ラスクの袋を取り出す。
一枚抜いて、セシリアに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
セシリアは受け取った。
割らないように丁寧に持つ手つきが、少しだけおかしかった。
二人は廃墟を後にする。
遠くには村の方角があった。
セシリアは一度だけ、そちらを見た。
その視線の先にいるのが、まだ見ぬ再会なのか、それとも待たれている答えなのか、ユウリには分からない。
ただ、隣を歩く足取りは止まらなかった。
その夜、ユウリはもう一度だけ再生装置を取り出した。
ステラの音声ログを、最初から最後まで聞く。
昼間よりも、声が近く感じた。
もしかすると、今日は自分の中に話すべきことが増えていたからかもしれない。
ログが終わる。無音になる。
今度はユウリが、黙りきらなかった。
「ピザ、食べたよ」
再生装置に向かって言う。
「焦げてたけど、美味しかった」
返事はない。
そんなことは最初から分かっている。
それでも、ユウリは続けた。
「あなたが言ってたみたいに、みんなで食べた。チーズもちゃんと伸びた。形は少し歪だったけど、みんな、美味しいって言ってた」
静かな再生装置は何も答えない。
けれど、黙っているからこそ、言えることもあった。
「次は、ちゃんとしたピザを食べたい」
ユウリは少し笑う。
「ステラが気にしてたやつ。マルゲリータでも、ペパロニでも。ちゃんと選んで、ちゃんと食べたい」
装置をそっとしまう。
窓の外には星が出ていた。
遠い街の、知らない店の灯りまで想像できそうな夜だった。
いつか、ステラが食べたがっていたピザを食べに行こうと、ユウリは思った。
どこかの街で、どこかの店で。
一人でもいい。
でも、できれば一人じゃないほうがいい。
できれば、セシリアと一緒に。
そう思いながら、ユウリはラスクをもう一枚取り出した。
口に入れる。
甘かった。
ステラが好きだったのは、こういう甘さだったのかもしれない。
すぐに消えるのに、少しだけ残る甘さだった。
すずの記録には、最後にこう残っている。
「ユウリという人物は、記録中に何度かステラという名前を出した。
その時だけ、声の速度が変わった。
記録者注:ゆめさん、ななみさん、セシリアさんの記録でも同様の変化があった。
大切な人のことを話す時、人は声の速さや置き方が変わる。
これは感情の揺れではなく、関係の深さが発話に表れる例として重要だと思う」
もかが、そこに付け加えている。
「すずちゃん、だんだん記録者の注が長くなってるよ」
すずが答えた。
「必要なことが、増えてきているので」
もかが笑った。
「それって、すずちゃんが前よりいっぱい感じるようになってるってことだよ」
すずは少し間を置いた。
「……そうかもしれません」
「あはは、すずちゃん可愛い。で、次は誰の記録?」
「ゆめさんの記録です」
「ゆめちゃんの? どんなこと書いてるの」
「観察したことを、ゆめさんなりの言葉で残していました」
「ゆめちゃんらしいね」
「はい」
回想第十話:通信の夜――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
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