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第三話「考えます、では困ります」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおりとゆめ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/

【02】ななみとリリカ

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/


■前作「銀色の結晶」すずの記録室アーカイブ

※前作の登場キャラクター情報も含まれています。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/

その街で、二人は初めて出会った。


もっと穏やかな場所であればよかったのかもしれない。

けれど実際には、銀色の霧が路地を塞ぎ、人が息を潜めて遠巻きにしている、あまり出会い向きとは言えない状況だった。


ななみが現場に着いた時、すでに誰かが霧の中にいた。


珍しいことではない。

ハザードレイヤーの発生を察知して野次馬が近づくことはある。


でも霧の中に踏み込む人間は、ほとんどいない。

危険だと分かっているからだ。


だから、その人影を見た時、ななみは少し驚いた。


女だった。茶色の髪が霧の中でふわりと揺れている。

白いジャケットの裾には、乾ききっていない泥の跡。背格好からして、自分より少し年下だろう。


だが、ただの無謀な素人には見えなかった。


動きに迷いがない。

足の運びも、視線の配り方も、霧の濃淡を読むような間合いの取り方も、場数を踏んだ人間のそれだ。


それでも、見覚えはなかった。

少なくとも管理局の人間ではない。


そして何より、処理の仕方が違う。


制御ではなく、解放に近い。

外から押さえ込むのではなく、内側に触れて緩めていくような干渉。


ななみの知るどの執行官とも違うやり方だった。


「そこの人、出てください」


ななみは霧の外から声をかけた。


人影が振り返る。


明るい顔だった。

こんな状況で、なぜ笑っているのか。


「あ、管理局の人ですか? 良かった、手伝ってもらえますか、こっちにまだ——」


「出てください。今すぐ」


人影が一瞬、不満そうな顔をした。

だが、すぐに「分かりました」と言って霧の外に出てきた。


近くで見ると、予想通り若い。ななみより二、三歳下だろう。

茶色のウェーブした髪はところどころ湿っていて、白いジャケットにはあちこち泥がついている。

どう見ても現場向きの格好ではない。


それなのに、不思議と疲れて見えなかった。

むしろ、目だけは妙に生き生きとしている。


「まだ霧の中に人が残っています。早く——」


「分かっています。あなたはここにいてください」


ななみは霧の中に踏み込んだ。


処理は十分足らずで終わった。


霧は完全に消え、路地に残っていた二人を外へ誘導する。

軽い呼吸障害と足の痺れ。医療班へ引き渡せば十分に回復する程度だ。


処理を終えて振り返ると、あの女がまだその場にいた。


「すごいですね」


開口一番、そう言った。


「速いし、きれいに消える。私にはあの規模、無理です」


褒められること自体は珍しくない。

だが、妙にまっすぐ言われると反応に困る。


「なぜ霧の中に入っていたんですか」


賞賛には答えず、先に確認すべきことを聞く。


「中に人がいたので」


「管理局への連絡は」


「しました。でも来るまでの間に、もう少し薄くできると思って」


ななみは少し間を置いた。


「あなたの力量では、B2のレイヤーを薄くすることはできません」


「できましたよ。少しだけですけど」


「少しでは意味がない。飲み込まれるリスクの方が高い」


女はわずかに眉を寄せる。


「でも、中にいた人が少し楽になれたかもしれない」


「かもしれない、では困ります」


その言葉に、女はぱちりと目を瞬かせた。


叱責された、というより、予想していなかった返答を受けた顔だった。

不満そうではある。だが反発一辺倒ではない。ちゃんと聞いている。


ひとまず話が通じる相手だということは分かった。


「名前は」


「リリカです。フリーの調査員をしています」


「管理局への登録は」


「あります」


ならば完全な部外者ではない。

手続き上の問題はあるが、不法ではない。


ななみは短く名乗った。


「ななみです。管理局、特別執行官」


「ななみさん」


リリカがすぐに名前を呼んだ。

距離感のない呼び方だった。


ななみは少し戸惑ったが、表には出さなかった。


「今後、単独での霧への侵入は控えてください」


「……考えます」


「考えます、では困ります」


リリカが、少し目を見開いた。

自分の曖昧な返答を、そのまま切り返されるとは思っていなかったのだろう。

口元が少しだけ引きつる。


「じゃあ、努力します」


「努力ではなく、確実に控えてください」


「確実に、は難しいです」


「なぜですか」


「目の前で誰かが困っていたら、考える前に体が動いちゃうんですよね」


ななみは返答に詰まった。


それは感情の話だ。理屈ではなく、衝動の話。

そして自分はそういうものを、ずっと訓練で押し込めてきた。


危険だから。判断を鈍らせるから。

守るためには、まず自分がブレないことが必要だから。


正しい。そのはずだった。


「……気をつけてください」


結局、そう言うしかなかった。


リリカは少しだけ不満そうにしながらも、「はい」と返した。


その場では、そこで終わった。


挿絵(By みてみん)


けれど支局に戻って報告書を書き始めたあとも、ななみの頭にはリリカの動きが残っていた。


フリーの調査員。

管理局の手が届かない小規模なレイヤーを、各地で処理して回っているということだろう。


力量はB2に単独で入れるレベルではない。

でも確かに、霧をわずかに薄くする処理は見えた。


あのやり方は、管理局の訓練で習うものとは根本的に違う。


管理局では、ハザードレイヤーへの干渉技術を「人願にんがん」と呼ぶ。


民間ではその名が広まっているが、管理局内では使用者の特性に応じて

プレア型 と キュア型 に分類している。


プレア型は霧を外側から制御して収束させる方式で、ななみの力はこれに当たる。


キュア型は霧の内側に働きかけて解放させる方式で、習得が難しく不安定とされている。


だからキュア型の使い手は少ない。


あの動きは、キュア型に近かった。


ペンが止まった。


キュア型。

訓練で習った時、ほとんどの人間が途中で諦める。

制御が難しいから、成果が見えにくいから。


でも実際の現場では、プレア型だけでは届かない部分がある。


ななみはそれを知っていたが、認めたくなかった。


認める必要がなかった。

一人でこなせていたから。


ペンを動かし直し、報告書の続きを埋めた。


フリー調査員との遭遇、連携の可否について。

管理局内部では「人願使用者の分類と連携」という議論がある。


プレア型とキュア型、両方が揃えば補完関係になり得るという研究もある。


でも今日のことを、そういう文脈で報告書に書く気にはなれなかった。


数日後。

別の街でレイヤー発生の通知を受けたななみは、現場に着くなり小さく息を吐いた。


見覚えのある白いジャケットが、霧の外に立っていたからだ。


「あ、ななみさん」


リリカが手を振る。


今日も泥がついている。

もはやそういう制服なのではないかと思うほどだった。


「また来ていたんですか」


「この辺りを回っていたので。今回はちゃんと外で待ってます」


言いながら、リリカは少し肩をすくめた。

前回の注意を気にしているらしい。


ちゃんと学習はしている。

そこは評価していいのかもしれない。


「中の状況は」


「住人二名。動けなくなってる様子です。あと、霧がちょっと変なんですよね」


「変?」


「質が違うというか。前より重いです。悲しみの密度が高い感じ、って言えばいいのかな」


ななみは眉をひそめた。


あまりにも感覚的な表現だった。

報告書にはまず使えない。


けれど、リリカは曖昧に言いっぱなしにはしなかった。


「あと、西に向かうほど質が変わってる気がして。こっち側だけ妙に濃いんです。誰かをすごく求めてるみたいな、引っぱる感じがあるというか」


ななみは霧を見た。


感覚的な表現だが、まったく外れてもいない。

確かにこのレイヤーは通常より浸食速度が速い。


「どういう意味ですか、悲しみの密度が高いというのは」


「うまく言えないんですけど……霧に触れると、中にいる人の気持ちが少し分かるんです。私の場合。今回は特に、誰かがすごく誰かを求めている感じがして」


ななみは少し考えた。


感覚的な情報だが、浸食速度の速さと一致している。


「処理に入ります。外にいてください」


「分かりました」


霧の中に踏み込みながら、ななみはリリカの言葉を頭の中で転がした。


悲しみの密度。

誰かを求めている感じ。


管理局の訓練では、そういう表現をしない。

レイヤーは数値で計測し、処理効率で評価する。


感情的な表現は報告書に書けない。


でも。


霧に触れながら、ななみは思った。


確かに、重い。


数値では表せない何かが、この霧の中にある。


処理を終えて外に出ると、リリカが待っていた。


「どうでしたか」


待っていたリリカがすぐに尋ねてくる。


「通常より浸食速度が高かった。原因は調査します」


「やっぱり」


リリカは少し眉を下げた。


「あの霧、なんか寂しかったですよね」


ななみは返答しなかった。


寂しい、という表現を、報告書に書く方法が思いつかなかった。


その日の帰り道、二人は同じ方向に向かっていた。


別に示し合わせたわけではない。

ただ、宿のある方向が同じだっただけだ。


しばらく無言が続いたあと、先に口を開いたのはリリカだった。


「ななみさんは、なんで管理局に入ったんですか」


「守るためです」


即答だった。

リリカは少しだけ首を傾げる。


「何を」


「誰かを」


それだけでは足りなかったのか、リリカはさらに見てくる。

真っすぐで、遠慮のない視線だった。


ななみは前を向いたまま言葉を継いだ。


「今は、守れる誰かを、守り続けるために」


リリカは黙った。

軽く流すでもなく、妙に茶化すでもなく、その言葉をちゃんと受け取った顔をした。


だから今度は、ななみが聞く番だった。


「あなたはなぜ、フリーで動いているんですか」


「え?」


「管理局に入れば、もっと大きなレイヤーにも対処できる。単独で危険を冒す必要もない」


リリカは少し考えてから答えた。


「管理局だと、行けない場所があるから」


「どういう意味ですか」


「管理局って、発生規模が一定以上じゃないと正式対応しないですよね。小さい綻びは後回しになる。自然消滅することも多いから」


「事実です。優先度をつけるのは合理的です」


「でも、小さい綻びの中にも困ってる人がいます」


ななみは反射的に言い返した。


「小規模レイヤーの多くは自然に消えます」


「消えないものもあります」


「稀なケースです」


「その稀なケースで、困る人がいます」


ななみは口を閉じた。


論理としては、自分の方が正しい。

少なくとも管理局の基準ではそうだ。


けれど目の前のリリカは、論理で喋っていなかった。

現場で見た顔と声と、泣いていた子供と、届かなかったら困るという感覚で喋っている。


「ただ」


リリカが続けた。


「今日みたいな大きなレイヤーを、私一人では処理できない。ななみさんみたいな人が必要だと思う」


「だから何ですか」


「一緒に動いたら、もっとうまくいくと思いませんか」


ななみは足を止めた。


リリカも止まって、こちらを見ている。真剣な顔だった。

さっきまでの明るさとは少し違う、芯のある表情だった。


「管理と解放を、両方できたら。私にはできないことを、ななみさんはできる。

ななみさんにはできないことを、私ができるかもしれない」


「あなたに、私にできないことがあるとは思えない」


「霧の中の人の気持ちを読むこと、できますか」


ななみは黙った。


できないわけではない。

でもリリカほど自然にはできない。


キュア型の適性が低いのではなく、

そういう感覚的な処理を意図的に遮断してきたからかもしれなかった。


リリカは小さく笑った。


「たぶん、私の方が得意です」


根拠のない自信には聞こえなかった。

今日の現場での感覚も、前回の読みも、少なくとも完全な思いつきではなかったからだ。


ななみは少し考えた。


そして、言った。


「考えます」


言った瞬間、リリカがじとっとした目を向けてきた。


「それ、だめなやつですよね」


「……何がですか」


「私が前に“考えます”って言ったとき、ななみさん、“考えます、では困ります”って言いました」


ななみはわずかに視線を逸らした。


「……言いました」


「じゃあ、考えますでは困ります」


まったく同じ言葉を、今度はそっくり返された。


ななみは、数秒だけ黙った。


言い返そうと思えば言えた。

けれど、言い返したところで意味がない気がした。


「……次の現場で、試してみましょう」


リリカの顔が、一気に明るくなった。


「本当ですか」


「ただし、私の指示には従ってもらいます」


「もちろんです」


「単独での霧への侵入は禁止です」


リリカの笑顔が少しだけ曇る。


「……それは場合によります」


「場合によっては、ではありません」


「場合によります」


「リリカさん」


「はい」


「今の返事は、反省していない人の返事です」


リリカは一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。


「ななみさん、思ったより厳しいですね」


「思ったより、で済む話ではありません」


「でも、思ったより優しいです」


ななみは眉をひそめた。


「なぜそうなるんですか」


「だって、本当に嫌なら試してみようなんて言わないでしょう」


言われて、ななみは少しだけ返答に困った。


たしかに、その通りだった。


完全に切り捨てることはできた。

管理局の立場だけを優先するなら、そうする方が正しかったかもしれない。


それでもしなかった。

なぜか、と問われれば、まだ自分でもうまく答えられない。


挿絵(By みてみん)


歩き出す。リリカも隣に並んだ。


しばらく沈黙が続いたあと、不意にリリカが言った。


「ななみさんって、誰かに似てる気がするんですよね」


「誰に」


「昔知ってた子に」


リリカは少し目を細める。

懐かしいものを見るみたいな顔だった。


「すごく生真面目で、面倒見がよくて、でも本当は優しい人」


ななみは前を向いたまま、何も言わなかった。


「名前、いお——」


そこでリリカは、はっとしたように口をつぐんだ。


言いかけて、やめた。ななみは横目でその表情だけを見た。

さっきまでの明るさとは違う、わずかな戸惑いがそこにあった。


「……ごめんなさい。たぶん、気のせいです」


「そうですか」


ななみは淡々と答えた。


だが、胸の奥で何かが小さく引っかかった。


心当たりは、ない。

少なくとも、そう思っていた。


二人はそのまま歩き続けた。


夕暮れの街に長い影が伸びる。

並んだ足音が、石畳の上で静かに重なっていた。


第三話:考えます、では困ります--完

キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。


もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。


■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


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https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21

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