回想第七話「銀糸と地図の旅」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
すずの記録には、こう残っている。
「リナとミナの記録。アムネシア崩壊後の旅より。記録者:すず。協力:もか」
その横に、もかが書き足していた。
「この二人の話、聞いてる間ずっと三輪車が頭から離れなかった」
すずは、淡々と注釈している。
「印象的な移動手段です」
もかはさらに続ける。
「なんで三輪車なんだろうね」
すずは、その問いに対するリナ本人の返答を、きちんと残していた。
「本人に確認したところ、『しっくりくるからです』とのことでした」
「それ以上の理由はないんだ」
「ないそうです」
もかはその一文を読んで、少し笑ったらしい。
「リナちゃん、そういうとこあるよね」
すずは、そこで少しだけ間を置いている。
「はい。ですが、右腕の状態を考えると、結果的には理にかなっているのかもしれません」
リナの右腕は、アムネシアで戦い続けた証として結晶化していた。
完全には動かないわけではない。
けれど、負荷のかけ方には偏りがある。
そのことを、リナ自身はあまり言葉にしなかった。
だから三輪車なのかもしれない。
もかはそう言い、すずも完全には否定しなかった。
リナの地図には、色の違う印がいくつもついていた。
赤は、綻びのある場所。青は、縫い終えた場所。
黒は、縫えなかった場所。
地図を広げると、まだ青より赤の方が多い。
そして黒い印は、その時点では一つだけだった。
その黒は、小さいのに異様に目立った。
「その黒い印、気になってるの?」
ミナが、横から地図を覗き込みながら言った。
「気になっています」
リナの答えは短い。
「縫いに行く?」
「今はまだ、力が足りません」
リナは地図から目を上げずに続けた。
「ですが、確認しに行くことはできます」
「いつ?」
「近いうちに。行けば、誰かが来た時のために、何か残せるかもしれません」
ミナはリナの横顔を見た。
「リナって、諦めないよね」
「縫えないだけです。諦めてはいません」
「同じじゃないの?」
「違います」
リナはそこでようやくミナの方を見た。
「縫えないのは、今日の話です。縫える日が来るかどうかは、これからの話です」
ミナは少しだけ黙ってから、頷いた。
「……そうだね」
二人が旅を始めたのは、アムネシアが崩壊してからだった。
帰る場所がなかった。止まる理由も、持てなかった。
だから動き続けることにした。
動いていれば、少なくとも何かに辿り着く。
止まってしまえば、失ったものの大きさだけを数えることになる。
リナは針を持ち、ミナはその隣にいた。
それだけだった。でも、それで十分だった。
移動手段は三輪車だった。
リナが前で漕ぐ。ミナが後ろに乗る。
必要なら降りて押す。必要がなければ、そのまま風に乗る。
それが、いつの間にか二人の旅の形になっていた。
今日は少し起伏のある道だった。
「リナ、上り坂です」
「見えています」
「大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「手伝いましょうか」
「乗っていてください」
ミナは、前で黙々と漕ぐリナの背中を見た。
細い背中だった。
けれど、止まらない背中だった。
右腕の結晶化した部分が、朝の光を受けて小さく反射している。
アムネシアで生き延びた証であり、今も消えていない戦いの名残でもある。
リナはそれを隠さなかった。
隠す必要がない、と以前に一度だけ言ったことがある。
だからミナも、もうそこに余計な言葉は添えなかった。
丘を越えた先の街に入ると、広場に子どもたちが集まっていた。
地面に、小さな亀裂が入っていた。
ハザードレイヤーの初期症状だった。
子どもたちはそれを怖がるでもなく、ただ珍しいものを見るみたいに囲んでいた。
その輪から少し離れたところに、一人だけじっと亀裂を見ている女の子がいた。
他の子より少し小さい。
けれど、いちばん真剣な目をしていた。
「あの子、一人だね」
ミナが言う。
「そうですね」
「なんか、気になる」
リナは三輪車を止めた。
ミナも一緒に降りる。
女の子は二人に気づくと、まずリナの右腕を見て、次にミナを見て、最後に三輪車を見た。
そして、不思議そうな顔のまま近づいてきた。
「おねえさんたち、何してるの?」
「綻びを見ています」
リナが答える。
「縫うの?」
「縫えるか確認しています」
「縫えそう?」
リナはしゃがみ込み、亀裂を近くで見た。
「この表面の亀裂なら縫えます」
そこで一度言葉を切る。
「でも、もっと深いところに別のものがあります。そちらは今日は難しいです」
「深いところ?」
「ここより奥に、大きな綻びがあります」
女の子は亀裂を見下ろした。
「ずっとあるんだよ、これ。前から。大人は気にしないけど、私は気になってた」
「なぜですか」
リナが訊く。
女の子は少し考えてから、素直に言った。
「なんか、悲しそうだから。見てると、誰かが泣いてるみたいで」
リナはその子を見た。
この子には、見えなくても感じ取れるものがあるのかもしれない。
「名前は?」
「みく」
「みく。私はリナです」
「ミナです」
みくは、今度はミナをじっと見た。
「ミナおねえさん、光ってる」
ミナが少しだけ困った顔をする。
「特別だから、だそうです」
その言い方に、みくが首を傾げる。
「リナおねえさんが言ったの?」
「はい。たぶん」
「たぶん、なんだ」
ミナは少し笑った。
みくの視線が、今度はミナの手に落ちる。
「触っていい?」
ミナは少しだけ間を置いてから、そっと手を差し出した。
みくが触れる。
小さな手が、ミナの手を包む。
「あったかい」
ミナが瞬く。
「……そうですか」
「うん。なんか、ほっとする。焼き芋みたい」
「焼き芋」
その言葉に、ミナが思わずリナを見る。
リナは前を向いたまま、落ち着いた声で言った。
「焼き芋、焼けると思います」
「え、ほんとに?」
みくの目が一気に輝いた。
「ミナさんの力なら、可能です」
「やって!」
ミナは一瞬だけ黙ったが、断らなかった。
「……やります」
少し離れた場所で、小石を一つ拾う。
手の中で意識を集中させると、石がじんわりと熱を帯びていった。
みくが、息を呑む。
「すごい」
「芋があれば、焼き芋に近いことはできます」
「ほんとに焼けるの?」
「焼けます。ただ」
リナがさらりと続ける。
「三輪車に乗せて運ぶのは少し難しいですね」
「三輪車に焼き芋は乗りません」
ミナが真顔で返した。
「私の分だけなら乗りますが」
「リナさんの分だけですか」
「私は食べませんので」
「じゃあ、ミナおねえさんの分は?」
「ミナさんが持てば解決します」
みくが、くすくす笑った。
ミナも少しだけ笑った。
かつてミナの熱は、触れるものを壊し、石に変えてしまう地獄の熱だった。
近づかれることも、触れられることもなかった。
今、その手を「あったかい」と言われる。
それが、ミナにはまだ少しだけ不思議だった。
嬉しいと認めるには、まだ少し照れくさい種類の不思議だった。
表面の亀裂を縫い終えたあと、二人はみくに別れを告げた。
「またここに来る?」
みくが訊く。
「来ます」
リナが答える。
「約束?」
「約束です」
「縫いに来るの?」
「縫いに来ます」
そこで少しだけ、リナの声が和らぐ。
「それと、みくに会いに」
みくがぱっと笑って、他の子どもたちの方へ走っていった。
リナは地図を取り出し、この街に青い印をつけた。
表面の亀裂は縫えた。
けれど深いところにあるものは、まだ赤いままだった。
街を出てから、二人はしばらく三輪車を押して歩いた。
三輪車を押しながら歩くのは、リナの習慣だった。
「乗り続けると足が鈍るので」と、以前一度だけ説明されたことがある。
ミナはその理屈が正しいのかは分からなかったが、特に反対する理由もなかった。
しばらくして、ミナが口を開く。
「深いところの綻び」
「どうでしたか」
「さっき、少しだけ触れたんだけど」
ミナは前を見たまま続けた。
「重かった。すごく重かった」
リナが足を止める。
「ラヴァだった頃と比べて、どうですか」
ミナはすぐには答えなかった。
昔の自分と比べる言葉を選ぶように、一拍置いてから言う。
「比べものにならないくらい重かった。あの頃の私でも、たぶん太刀打ちできなかった」
「それほどですか」
「うん。一つの場所から生まれた感じじゃない。色んなところから、行き場をなくしたものが集まってきてる感じがする」
リナが、地図の黒い印を見る。
「行き場のない想いが、集まっている」
「アムネシアと関係あるのかもしれない」
その言葉に、リナは否定しなかった。
「可能性はあります」
「いつか、誰かが来るかな」
「来ます」
「縫える人が?」
「縫える人が」
「根拠は?」
ミナが訊く。
リナは、黒い印から目を離さずに答えた。
「あれほどのものが、このままでいるはずがないからです。必ず、誰かが気づきます」
ミナは空を見上げる。
「早く来るといいね」
「来ます」
その言い方は、願いというより確認に近かった。
帰り道は下り坂だった。
三輪車は自然に速度を上げる。
「リナ、速いです」
「下り坂なので」
「止まれますか」
「止まれます」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん、はやめてください」
ミナが言い終えるより少し早く、三輪車は道の端の草むらへ突っ込んだ。
がさり、と大きな音がした。
二人とも草むらの中で止まる。
しばらく沈黙があった。
先に口を開いたのはリナだった。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。リナは?」
「大丈夫です」
また少し沈黙が落ちる。
「リナ」
「何ですか」
「たぶん、はやめてください」
「次からは確実に止まります」
「確実に?」
「……たぶん」
ミナが、草を払いながら起き上がる。
「今、言いましたよね」
「言っていません」
「言いました」
「言っていません」
ミナがじっと見ると、リナは前を向いたままだった。
でも、耳だけが少し赤い。
「……言いましたよね」
「言っていません」
その頑なさがおかしくて、ミナはとうとう笑った。
リナは三輪車を起こし、何事もなかったみたいに言う。
「行きましょう」
「はい」
地図の黒い印は、もう遠くなかった。
明日行けば、何があるのか分かる。
縫えるかどうかも、その時に確かめられる。
リナは地図を静かにしまった。
すずの記録には、最後にこう残っている。
「リナはこの翌日、ミナと一緒に黒い印の場所へ向かっています。
草むらに突っ込んだ話より、そちらの方を詳しく話してくれました。
記録者注:どちらも、二人にとって大事な記録だと判断した」
もかが、その横に付け加えていた。
「ミナが焼き芋焼けるの、初めて聞いた時ちょっとびっくりした」
すずは簡潔に答えている。
「役立つ力です」
もかはさらに書き足す。
「食べてみたい」
その一言のあと、すずの記録は次へ繋がっていた。
「次の記録は、黒い印の場所に向かった日の話になる」
回想第七話:銀糸と地図の旅――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■専用Xアカウント
https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21




