回想第六話「覚えていなくても」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
すずの記録には、こう残っている。
「いおりとゆめの記録。アムネシア崩壊後、旅の後半より。記録者:すず。協力:もか」
もかが、その横に書き足していた。
「この回は、二人の口調が前より少し変わってた。たぶん、距離が縮まってたんだと思う」
すずは、その感想を否定しなかった。
「そうですね。最初から近かったものが、表に出てきた時期だと判断しています」
旅を続けるうちに、いおりとゆめのあいだにあったものは、静かに形を変えていた。
急に仲良くなった、という感じではなかった。
むしろ最初からそこにあった親しさが、ようやく言葉や仕草に滲み始めた、という方が近い。
いおりは相変わらず多くを覚えていなかった。
でも、覚えていないことに怯える時間は、少しずつ減っていた。
ゆめが隣にいる限り、自分は完全には空っぽではない。
そう身体が先に理解し始めていたからだ。
ある夜、焚き火の前で、いおりがふいに口を開いた。
「ゆめ、私たちって、どのくらい一緒にいるの?」
火の向こうで、ゆめが顔を上げる。
「長い間だよ」
「どのくらい長い間?」
「いおりが覚えていない頃からかな」
いおりは、少しだけ目を丸くした。
「私が覚えていない頃から、ずっといてくれたの?」
「うん」
「それって、すごいね」
ゆめは、きょとんとしたように瞬きをしてから言った。
「すごくないよ。当然だから」
いおりが笑う。
「また当然って言う」
「だって、当然だもん」
「その言い方、すごくゆめっぽい」
「そうかな」
いおりは焚き火へ視線を戻し、しばらく揺れる火を見ていた。
それから、ひどく何気ない声で言った。
「なんか、ありがとう」
「何が?」
「ずっといてくれて」
ゆめは少しだけ黙った。
言葉を探したわけではない。ただ、その一言をまっすぐ受け取っていた。
「お礼はあとで」
いおりが、くすっと笑う。
「また言う」
「いつも本気だよ」
その返しに、いおりはまた笑った。
ゆめも、ほんの少しだけ笑った。
旅の後半には、そんなふうに笑い合う時間が増えていた。
荒野を歩いていた日のことだった。
乾いた道がいくつにも分かれ、目印らしい目印もなくなった頃、いおりが立ち止まる。
「ゆめ、どっちだっけ?」
「右だよ」
「本当に?」
「本当に」
「なんで分かるの?」
「人の匂いがするから。あっちに小さい集落か、休める場所があると思う」
いおりは感心したように口笛を吹く真似をした。
「ゆめの鼻って、やっぱりすごいな」
「当然だよ」
「また言った」
「だって、事実だもん」
いおりが横から覗き込むように、ゆめの顔を見る。
「ゆめって、自分のことを褒める時だけ、すごく自信あるよね」
「自信じゃなくて、事実を言ってるだけだよ」
「それを自信があるって言うんだよ」
ゆめは少し考えてから、小さく頷いた。
「……そうかもしれない」
「かわいい」
「かわいくないよ」
「かわいいって。悩んで認めるところが、特に」
ゆめはすっと前を向いた。
「行こう」
「あ、照れてる」
「照れてないから」
「照れてるよ」
「……もう、行こう!」
歩く速度が少しだけ上がる。
いおりは声を立てて笑いながら、そのあとを追いかけた。
ある街の市場では、いおりが派手に転んだ。
石畳のわずかな段差につまずき、膝を擦りむく。
転んだ本人より、見ていたゆめの方がよほど驚いた顔で駆け寄ってきた。
「いおり」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない。血が出てる」
「少しだけだよ」
「少しでも血は血だよ」
ゆめはしゃがみ込み、いおりの膝をそっと見た。
それから、まるで身体が覚えている動作みたいに、迷いなくその膝に手を当てる。
「痛いの、飛んでいけ」
いおりが、はっとしたように息を止めた。
「……今、何て言ったの?」
「痛いの、飛んでいけ」
「それ、知ってる言葉だ」
ゆめは静かに頷く。
「そうだよ」
「どこで聞いたんだっけ」
ほんの少しだけ間が空いた。
けれど、ゆめは逃げるような言い方をしなかった。
「いおりが、昔よく言ってた言葉だよ」
「私が?」
「うん。誰かが転んだら、すぐそう言ってた」
いおりは、記憶の奥を探るように目を細めた。けれど、像にはならない。
誰に言ったのかも、どんな場面だったのかも、何ひとつ思い出せない。
「覚えてない」
その言葉に、悔しさは少しだけ混じっていた。
でも、ゆめは首を振る。
「覚えてなくていいよ」
「でも、知ってる感じがする。言葉の意味じゃなくて、もっと……温かい感じがする」
「うん」
「ゆめは知ってるんだ。その頃のこと」
「知ってる。全部、とは言えないかもしれないけど、大事なことは知ってるよ」
いおりが、ゆめを見つめる。
「教えてくれる? 少しずつでいいから」
「教えるよ。少しずつね」
「ありがとう」
「お礼はあとで」
「また言う」
「いつも本気だよ」
それを聞いて、いおりはまた笑った。
膝の痛みはまだあるはずなのに、不思議とさっきより遠くなっていた。
村へ辿り着く前の夜、二人は小さな丘の上で休んだ。
風は弱く、空には星が出ていた。
遠くに人の灯りはなく、夜の静けさだけが広がっている。
いおりは寝転がるように空を見上げながら言った。
「ゆめって、どんな夢を見る?」
「夢、あまり覚えてないなあ」
「私は、最近よく分からない夢を見るよ」
「どんな夢?」
「知らない場所にいるの。知らない人がたくさんいて、でも全然怖くなくて」
「うん」
「顔は見えないのに、懐かしい感じがする。温かい人たちが、そこにいる気がするんだ」
ゆめは黙って、いおりを見た。
「怖くない?」
「うん。むしろ、また見たいって思う」
「そっか」
「ゆめは、その人たちが誰か分かる?」
ゆめは、すぐには答えなかった。
夜風が髪を揺らし、その沈黙だけが二人のあいだに置かれる。
やがて、ゆめは静かに言った。
「分かるよ」
「誰?」
「いおりの大切な人たち」
いおりは空を見たまま、その言葉を受け止めた。
「大切な人たち……」
「うん」
「会えるかな、いつか」
ゆめは今度こそ迷わなかった。
「会えると思う」
「根拠は?」
いおりが少し笑いながら聞く。
ゆめも、少しだけ口元を緩める。
「感じるから」
「やっぱりそれ言うんだ」
「大事なことは、感じるものだと思ってるから」
いおりは、星を見たまま言った。
「なんか、好きだな。そういうとこ」
ゆめが、いおりを見る。
それは何気ない声だった。
けれど、何気ないからこそ本心なのだと分かる声だった。
「ゆめも、いおりのそういうとこ好きだよ」
いおりが少しだけ首を傾ける。
「どういうとこ?」
「大事なことを、自然に言えるとこ」
「そうかな」
「そうだよ」
二人はしばらく、何も言わずに星を見ていた。
沈黙が気まずくならないこと自体が、もう答えのようだった。
村へ辿り着いた日のことを、いおりは後になってもよく覚えていた。
小さな村だった。
風がやわらかくて、土の匂いがして、焼きたてのパンの匂いがどこかから流れてきた。
何より、人の気配が穏やかだった。
「ここ、いい感じがする」
いおりが言う。
「匂いも、いいよ」
ゆめが答える。
「どんな匂い?」
「パンと、土と……あと、安心する匂い」
「安心する匂いって、どんな匂い?」
ゆめは少し考えたあと、うまく言葉にしきれないまま答えた。
「ここにいていい、って思える匂い」
いおりは村を見渡した。
井戸があって、畑があって、どこにでもありそうで、でも今の二人には奇跡みたいに見える場所だった。
「じゃあ、ここにいよう」
ゆめが振り向く。
「ここに?」
「しばらく」
いおりは、自分でも理由が分からないまま続ける。
「なんか、ここで待ってたら、何かある気がする」
「待つって、誰を?」
「分からない。でも、待ってたら来る気がする」
その言葉に、ゆめの胸の奥が静かに揺れた。
いおりは覚えていない。
でも、感じている。
夢の中の温かい人たち。言葉にならない懐かしさ。
そして、この村で待てば会えるかもしれないという直感。
それは、失われた記憶の代わりではない。
もっと深いところで残っている、いおり自身の確かさだった。
「じゃあ、待とう」
ゆめが言う。
「うん」
「一緒に」
いおりが笑う。
「一緒に」
その夜、いおりが眠ったあとで、ゆめは一人、外へ出た。
星を見上げる。
いおりが言っていた。
温かい感じのする人たちが、夢に出てくると。
ゆめには分かっていた。
その人たちが、誰のことなのか。
でも、今はまだ言わない。
いおりが「待ってたら来る気がする」と言った、その感覚も正しい。
来る。必ず来る。
だから、それまで自分がそばにいる。
いおりが忘れてしまった時間を、いおりの代わりに抱えながら。
いおりがまた誰かと会うその日まで、今のいおりの隣に立ち続ける。
それが、ゆめにできることだった。
眠っているいおりのいる部屋の方を見て、小さく呼ぶ。
「いおり」
返事はない。
規則正しい寝息だけが、静かに夜へ溶けている。
「覚えていなくても、大丈夫。私が覚えてるからね」
風が吹いた。
南東から、誰かの匂いが来る。
まだ遠い。けれど、確かに近づいてきていた。
すずの記録には、この後こう続いている。
「いおりとゆめが村に辿り着くまでが、ここまでの記録の終わりとなる。
次の記録は、別の場所を旅していた二人の話になる」
もかが、そこで顔を上げた。
「別の二人って、リナちゃんとミナちゃんのこと?」
「はい」
「あの二人、今どこにいるんだろうね」
すずは少しだけ考えてから答えた。
「今も、旅の途中だと思います」
もかが、お菓子をひとつ口に入れる。
「ハザードレイヤーの根っこを、縫って回ってるんだっけ」
「正確には、綻びを縫っています」
すずは淡々と訂正し、それから少しだけ言葉を足した。
「でも、根っこに近い場所にいるのは事実です」
もかは少し黙ったあと、ぽつりと言う。
「なんか、すごい話だね」
「はい」
すずは記録帳を閉じかけて、最後に一行だけ書き加えた。
「続きは、次の記録で」
回想第六話:覚えていなくても――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
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