第十話「砂場の約束」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
リリカには、よく繰り返す夢がある。
砂場の夢だ。
朝でも夕方でもない、いつも少し白っぽい光の中で、砂場だけが妙にくっきり見える。
そこは、リリカにとって王国だった。
山を作ったり、川を作ったり、トンネルを掘ったりする。
一人でやっていたこともあるし、誰かと一緒にやっていたこともある。
一番よく一緒にいたのは、いおりちゃんだった。
いおりちゃんは、砂場での作業が真剣だった。
山を作るなら、ちゃんとした山を作る。 川を作るなら、水が流れる川を作る。
リリカが途中で飽きて、適当に済ませようとすると、いおりちゃんは少しだけ眉を寄せて言った。
「もっとちゃんとやろう」
怒っているわけではなかった。
ただ、本気だった。
リリカはその言い方が好きだった。
小さいのに、何かをいい加減にしない子だった。
ある日、二人で「地球の反対側まで穴を掘る」という計画を立てた。
どこまで掘れば届くのか、二人で真剣に話し合った。
いおりちゃんは「きっと届く」と言い、リリカは「届くまでやってみよう」と言った。
結局、三十センチくらいで砂が崩れた。
穴は埋まり、手も服も泥だらけになった。
それでも二人は笑っていた。
失敗したのに、どうしてあんなに楽しかったのか、今でもよく分からない。
ただ、隣にいたのがいおりちゃんだったからだろうと思う。
夢の中で、いおりちゃんはいつも笑っている。
そして、目が覚める直前になると、決まって少しだけ遠くなる。
そのたびに、リリカは夢の中で手を伸ばす。
届かないまま、目が覚める。
宿の天井が見えた。
朝の光が、窓から斜めに差し込んでいた。
リリカはしばらく動かずにいた。夢の砂の感触が、まだ手のひらに残っている気がした。
昨日のことを思い出す。
路地での処理。泣いていた少女。
咄嗟に口をついて出た言葉。
痛いの、飛んでいけ。
その言葉を聞いた瞬間、ななみの顔色が変わった。
ほんの一瞬だったけれど、あれは見間違いではなかった。
リリカには、うっすらと分かっていた。
あの言葉は、たぶん偶然ではない。
ただの似た場面でもない。
でも昨夜は、あえて聞かなかった。
聞けば、何かが大きく動く気がした。
変わることが怖いわけではなかった。むしろ、変わるならきちんと変わる時がいいと思った。
今はまだ、その時ではない。
そう判断して、問いだけを二人の間に置いてきた。
答えは、たぶん近い。
近いからこそ、急がない方がいい気がした。
朝食を終えてから、リリカは一人で宿を出た。
次の任務まで少し時間がある。
ななみは報告書の整理があると言って、部屋に残っていた。
街はまだ完全には起ききっていなかった。店を開ける準備をする音。
遠くの荷車の軋み。朝の空気に混じる、薄いパンの匂い。
そのまま歩いていくと、街の外れに古い公園があった。
遊具は色が褪せていて、鉄柵には少し錆が浮いていた。
その隅に、小さな砂場があった。
リリカは、そこに近づいた。
朝が早すぎて、まだ子どもはいない。
誰もいない砂場は、使われていない舞台みたいに静かだった。
縁に腰を下ろし、しばらく砂を見る。
砂場を見ると、いおりちゃんを思い出す。
いつも思い出す。そして、思い出すたびに、会えないことも思い出す。
理由も分からないまま、ある日突然いなくなった。
大人たちは「施設に入った」とだけ言った。
それ以上は教えてくれなかった。
転校するわけでも、引っ越すわけでもなく、ただ生活の地図から消えた。
子どもの頃のリリカには、その消え方がいちばん不思議だった。
どこかにいるなら、会いに行けるはずだと思っていた。
でも、どこかが分からなかった。
もう少し大きくなったら探しに行こうと思っていた。
大きくなれば、大人より自由に動ける気がしていた。
けれど、いざ大きくなってみると、世界は思っていたより広くて、手がかりは思っていたより少なかった。
だから、動き続けることにした。
ハザードレイヤーを追って、街から街へ移る。
関係があるかなんて分からない。でも、何もせずに止まっているよりはましだった。
いつかどこかで、何かにつながるかもしれない。
その「かもしれない」を、リリカは信じることにした。
いおりちゃんも、そういう曖昧なものを簡単には笑わない子だったから。
ポケットから小石を取り出す。
琥珀色の、小さな石。
川原で拾った石だった。
光に透かすと、内側に薄い蜂蜜みたいな色がある。
いおりちゃんが「きれい」と言ったから、あげようとした。そうしたら、いおりちゃんは少し考えてから言ったのだ。
「リリちゃんが持ってて」
どうしてそんなことを言ったのか、今でも分からない。
ただの気まぐれだったのかもしれない。
でも、あの時のいおりちゃんは、妙に真剣な顔をしていた。
だからリリカは、ずっと持っている。
なぜそこまで探し続けるのか、と聞かれたら、うまく言えない。
幼稚園の頃からの友達だから、というだけではたぶん足りない。
一人っ子だったリリカにとって、いおりちゃんは初めて「自分より少し小さいのに、自分よりちゃんとしている子」だった。
守りたくなるのに、守るだけでは足りない気がする子だった。
誰かの痛みを見つけるのが早い子だった。
自分より先に、他人の困りごとに気づく子だった。
そういう子が、理由も分からないまま消えた。
残ったのは、この石だけだ。
「いおりちゃん」
誰もいない公園で、リリカは小さく呟いた。
「私、近づいてる気がするんだよね」
風が吹いた。 砂が少しだけ舞った。
「何に近づいてるのか、まだ分かんないけど」
小石を親指で撫でる。
「でも、昨日ので、ちょっとだけ形が見えた気がする」
ななみの顔を思い出す。 あの静かな人が、あの言葉ひとつで足を止めた。
「ななみさん、あなたに少し似てるよ」
リリカは、苦笑するみたいに言った。
「真面目で、ちゃんとしすぎてて、たぶん損してるところとか」
「優しいのに、自分ではあんまり認めなさそうなところとか」
小石は何も答えない。 当然だ。
それでも、言葉にしてみたかった。
「もしさ」
少しだけ息を止める。
「もし、同じいおりちゃんに近づいてるんだとしたら――私、今度はちゃんと行くから」
返事はない。
でも、握った石は少しだけ温かく感じた。
それで十分だった。
宿に戻ると、ななみは机に向かっていた。
書類はほとんど片づいていて、最後の確認をしているところらしかった。
ペン先の動きは正確で、迷いがなかった。
リリカが扉を閉める音に、ななみが顔を上げる。
「散歩してきたんですか」
「はい。街の外れまで。古い公園がありました」
「そうですか」
「砂場がありました」
その瞬間、ななみの手が止まった。
本当に短い停止だった。
気づかなければ流れてしまうくらいの、小さなものだった。
でも、リリカは見逃さなかった。
「……懐かしかったです。そういう場所を見ると、昔のことを思い出します」
ななみはすぐには答えなかった。
リリカは机の前まで歩いて、椅子の背に軽く手を置いた。
「昨日のこと、少し考えてました」
「昨日のこと、とは」
「『痛いの、飛んでいけ』って言った時のことです」
ななみの視線が、紙の上に落ちる。表情は大きく変わらない。
でも、閉じたはずの扉の向こうに、何かがまだいるような沈黙だった。
「すみません。無理に聞くつもりはないです」
リリカは続けた。
「ただ、あれ、私にとっては昔から知ってる言葉なんです」
ななみが、静かに顔を上げた。
「知っている?」
「はい。いおりちゃんが、よくそういう子だったから」
その名前を出したあと、部屋の空気が少し変わった気がした。
リリカは、急がずに言葉を選んだ。
「痛いって言ってる子がいたら、放っておけない子でした。
たぶん、自分が痛い時より、誰かが痛い時の方が困るタイプで。
小さいのに妙に真剣で、ちゃんとしてて。適当に済ませるのを嫌がって。
でも、ただ厳しいんじゃなくて、ちゃんと優しかった」
ななみは何も言わない。
けれど、その無言は拒絶ではなかった。
むしろ、ひとつひとつの言葉を確かめているように見えた。
「私の知っているいおりちゃんは、そういう子でした」
しばらくして、ななみが口を開いた。
「……私の知っているいおりも」
短い言葉だった。
でも、そこにあった静けさは、軽い相槌ではなかった。
リリカの胸がゆっくり高鳴る。
ななみは、続けた。
「誰かの不安に、すぐ気づく子でした。自分のことより先に、そちらを見るような」
その言い方に、リリカは確信に近いものを覚えた。
「やっぱり」
思わずそう漏らすと、ななみはわずかに眉を寄せた。
「何がですか。似てる、じゃないです。同じです」
ななみはすぐにはうなずかなかった。
机の上の書類を見て、それから窓の外を見た。最後に、またリリカを見る。
「可能性は高い、とは思います」
あくまでその言い方だった。まだ断定しない。
それが、ななみのやり方だった。
でも、リリカにはそれで十分だった。
「会いに行きませんか」
今度は、はっきり言った。
ななみの目が少し細くなる。
「どこにいるか分かりません」
「分かります」
「根拠は」
「感じてるから、です」
即答すると、ななみが小さく息をついた。
「それは根拠とは言いません」
「でも、今までもそれで外してないんですよ」
「精度に個人差のある感覚情報を、経路選定の主材料にはできません」
「補助材料なら?」
ななみが少し黙る。
その沈黙のあいだに、リリカはもうひとつ言葉を重ねた。
「それに、私だけの勘じゃない気もするんです。
昨日からずっと、何かが北西を向いてる感じがしてて。風の匂いも、そっちから来てる気がする」
「気がする、が多いですね」
「多いです。でも、ゼロではないです」
ななみは、その言葉に少しだけ口元を緩めた。
笑ったというほどではない。けれど、完全な無表情でもなかった。
「……北西ですか」
「はい」
「どの程度の距離感です」
「そこまでは分かりません。でも、遠すぎる感じはしません」
ななみは報告書を閉じた。
紙の端を揃え、きちんと重ねる。いつものような几帳面な仕草だった。
「次の任務まで、どのくらい猶予がありましたか」
「二日です」
「二日だけです」
リリカは、答えを待つように黙った。
「寄り道、という扱いなら可能です」
その一言で、胸の奥が強く鳴った。
「じゃあ――」
「ただし、確認が目的です」
ななみの声は静かだったが、はっきりしていた。
「感情だけで走らない。手がかりがなければ、戻る。危険度が高ければ、そちらを優先する」
「はい」
「勝手に先行しない」
リリカは一瞬だけ目を逸らした。
「……善処します」
「善処ではなく」
「守ります」
「本当に?」
「たぶん、かなり」
ななみがため息をつく。
けれど、そのため息はいつもより少し柔らかかった。
「“かなり”では困ります」
「じゃあ、守ります。ちゃんと」
「最初からそう言ってください」
リリカは笑った。
ななみは立ち上がって、荷物の確認を始めた。
動きに迷いはない。一度決めたら速いのは、この人の長所だとリリカは思う。
「準備してください」
「はい」
「一時間後に出発します」
リリカは大きくうなずいた。
ポケットの中で、小石を握り直す。
琥珀色の感触が、指の中で確かだった。
いおりちゃん、と心の中で呟く。
昔、砂場で途中になった約束がある。
あの日は三十センチで崩れたけれど、今度は違う。
今度は、ちゃんと行く。
部屋の窓の外では、風が北西へ流れていた。
第十話:砂場の約束--完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
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