回想第二話「親戚の集まりの午後」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおりとゆめ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662171/
【02】ななみとリリカ
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3662784/
■前作「銀色の結晶」すずの記録室
※前作の登場キャラクター情報も含まれています。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/1/
すずの記録には、こう残っている。
「ななみという人物の記録。幼少期の記憶より抜粋。記録者:すず。協力:もか」
もかが付け加えた。
「この回を話してくれた時、ななみさん、最初だけちょっと笑ってた」
すずが訂正した。
「口元が、わずかに動いただけです」
もかが言った。
「それを笑うって言うんだよ」
ななみの記憶の中で、ゆめはいつもそこにいた。
いおりより先に知っていた。
まだ何も分からない頃から、親戚の家の庭には、いつも小さなチワワがいた。
クリーム色だけどどことなく白くて、小さくて、大人しい。
でも目だけは不思議なくらいきらきらしていて、撫でようとすると少し身を引くくせに、しばらくすると自分から近づいてくる。
大人たちは「ゆめは賢いね」とよく言っていた。
ななみが物心ついた頃には、もうその庭の風景の中に、ゆめは自然に混ざっていた。
縁側。 植木鉢。少し古い物干し台。 夏の濃い日差し。それから、庭を静かに歩く小さな犬。
だから、ななみにとって親戚の集まりを思い出す時、最初に浮かぶのは人の顔ではなく、ゆめの足音だった。
とことこと、短い足で庭を歩く音。
爪が石に当たる、軽い音。それが聞こえると、親戚の家に来たのだと分かった。
ゆめと仲良くなったのは、ななみが五歳の頃だったと思う。
その日も親戚の家は賑やかで、大人たちは居間で話し込み、子どもたちはそれぞれ好き勝手に動き回っていた。
ななみは少しだけそういう騒がしさが苦手で、庭の隅に逃げていた。
そこで、ゆめを見つけた。
植え込みのそばで、ひとりで座っていた。
日陰の境目にいて、じっとこちらを見ていた。
ななみはしゃがんで、そっと手を出した。
ゆめはすぐには近づかなかった。少しだけ首を傾げて、慎重に匂いを嗅いだ。
それから、ぺろりと手を舐めた。
「なめた」
ななみが言った。
隣に来た大人が笑った。
「好きってことだよ」
ななみは、もう一度ゆめを見た。
小さな黒い目が、まっすぐこちらを見ていた。しっぽが、ゆっくり揺れていた。
好き。
その言葉が本当かどうかは分からなかった。
でも、そうだとしたら少し嬉しいと思った。
だからその日、ななみはずっとゆめのそばにいた。
追いかけ回したりはしなかった。 隣に座って、歩けばついていって、ときどき名前を呼んだ。
「ゆめ」
ゆめは一度だけ振り返った。
それだけのことが、ななみには妙に大事だった。
いおりが生まれたのは、それから間もなくのことだった。
初めて会いに行った日のことを、ななみはよく覚えている。
赤ちゃんは、思っていたよりずっと小さかった。
白い布にくるまれて、静かに眠っていた。
顔も、手も、声も、全部が小さかった。
「小さいね」
ななみが言うと、大人たちが笑った。
「抱っこしてみる?」
「……いい」
「怖い?」
「怖くない。落としたら困るから」
そう言ったけれど、結局は大人に支えてもらいながら抱いた。
腕の中に、ずっしりと重さがあった。
見た目より、ちゃんと重かった。 温かかった。
いおりが、目を開けた。
まっすぐに、ななみを見た。
ななみは、その目を見た瞬間、何か言わなければと思った。
でも何を言えばいいのか分からなくて、結局いちばん普通の言葉しか出てこなかった。
「こんにちは」
いおりが、口をもごもごさせた。
大人たちが、また笑った。
「気に入られたみたいよ」
ななみは、なんとなくそうは思わなかった。
赤ちゃんは誰を見ても同じような顔をするものだろうと思った。
でも、悪い気はしなかった。
それから何度か集まりがあって、いおりは少しずつ大きくなった。
抱かれているだけだったのが、座るようになって、はいはいをして、やがて歩くようになった。
歩くと言っても、まっすぐではなかった。
危なっかしくて、すぐにふらついて、何もないところでも転んだ。
いおりが庭に出るようになると、親戚の集まりの景色は変わった。
誰かがいおりを見ている時間が増えた。
そして、その「誰か」は、いつの間にかななみになっていた。
決めたわけではなかった。 言われたわけでもなかった。
ただ、そうしているのが自然だった。
いおりが外に出る。ゆめがそのあとをついていく。
ななみが、その二人を見ながら後ろを歩く。
それが、集まりの日のいつもの形になった。
いおりはよく転んだ。
ある日も、庭の真ん中で何もないところにつまずいて、ぺたんと座り込んだ。
「転んだ」
ななみが言った。
「見てたよ」
いおりが口を尖らせた。
「痛い」
「うん、痛いよね」
「ななちゃんも痛い?」
「私は転んでないから痛くない」
「ずるい」
「転ばなければいいんだよ」
「むずかしい」
ななみは、少しだけ笑った。
いおりが、転んだまま見上げてきた。
「笑った」
「笑ってない」
「笑ったよ。見た」
「見間違い」
「笑ったもん」
ななみは、しゃがんでいおりを起こした。
膝に少しだけ土がついていた。
「転んだところ、痛いの飛んでいけって言ってあげる」
「ほんとに飛んでいく?」
「飛んでいくかどうかは分からないけど、言う」
「言って」
ななみは、いおりの膝を見た。
小さな擦り傷もない。
でも、泣きそうな顔は本物だった。
だから、ちゃんと言った。
「痛いの、飛んでいけ」
いおりが、しばらく考えた。
「……ちょっと飛んでった気がする」
「良かった」
「ななちゃんが言うと、飛んでくんだね」
「そうかもしれない」
いおりが、嬉しそうに笑った。
その顔を見て、ななみも笑った。
今度は、いおりに見られても否定しなかった。
ゆめも、よく一緒にいた。
いおりがよちよち歩きで進んでいく。
ゆめが少し先を歩いたり、立ち止まって振り返ったりする。ななみが後ろから見ている。
三人で庭を一周するだけのことが、なぜかひどく整った時間に思えた。
いおりが何かを見つけて立ち止まる。
ゆめも止まる。 ななみも止まる。
いおりが笑う。ゆめがしっぽを振る。
ななみは、その二つを見ているだけでよかった。
「あそこに何かいる」
ある日、いおりが池を指さした。
「カエルじゃないかな」
「見に行く」
「気をつけてね。滑るから」
「大丈夫」
大丈夫ではなかった。
いおりは池の縁の苔で足を滑らせて、ぐらりと体を傾けた。
その瞬間、ななみは反射みたいに手を伸ばしていた。
肩をつかんで、引き戻す。
いおりは驚いた顔で、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、ななみを見て言った。
「ななちゃん」
「言ったでしょ」
「うん」
「滑るって」
「うん」
「じゃあ、ちゃんと聞いて」
いおりは少しだけ黙っていた。
怒られると思ったのかもしれないと、ななみは思った。
でも、いおりが言ったのは違うことだった。
「ななちゃんが支えてくれると思ってた」
ななみは、一瞬、言葉を失った。
「……思ってたの?」
「うん」
いおりは当然みたいな顔でうなずいた。
「ななちゃんは、いつも支えてくれるから」
池の水面が、午後の光を揺らしていた。
どこかで大人が笑っていた。 風が吹いて、木の葉が鳴った。
そういう音が全部あるのに、その言葉だけが妙にはっきり残った。
いつも支えてくれるから。
その時のななみには、まだその重さは分からなかった。
でも、その言葉は胸の奥の、柔らかいところに静かに残った。
ある日、ゆめがいおりの膝に顎を乗せて眠っていた。
縁側のそばの日陰で、いおりは足を投げ出して座っていた。
ゆめは安心しきった顔で目を閉じていて、ときどき耳だけが小さく動いた。
ななみはその横に座って、その様子を見ていた。
「ゆめって、いおりが一番好きなのかな」
ななみが聞くと、いおりはすぐに言った。
「そうだと思う」
「なんで分かるの」
「だって、いつも一緒にいるもん」
「一緒にいるから好き、ってことになるの?」
いおりは少し考えた。
それから、ゆっくり言った。
「一緒にいたいから、一緒にいるんじゃないかな。好きだから」
ななみは、その言葉を少しの間そのまま受け取れなかった。
一緒にいたいから、一緒にいる。
好きだから。
いおりの言うことは時々単純すぎて、でも、だからこそまっすぐだった。
「そっか」
「ななちゃんは、ゆめのこと好き?」
「好き」
「ゆめも、ななちゃんのこと好きだと思う」
「なんで分かるの」
「だって、ななちゃんが来ると、必ずしっぽ振るもん」
ななみは、眠っているゆめを見た。
その時、名前を呼んだわけでもないのに、ゆめのしっぽが小さく揺れた。
本当に、ゆっくりと。 でも確かに動いた。
「……そうかもしれない」
「ぜったいそう」
いおりが嬉しそうに言って、ゆめの頭を撫でた。
ゆめが目を開けないまま、小さく鼻を鳴らした。
ななみは、その場面を見ていた。
ずっと見ていたいと思った。
このまま時間が止まればいいのに、と、その時初めて思った。
何度か季節が巡るうちに、二人の間には小さな習慣が増えていった。
いおりが転んだら、ななみが起こす。いおりが不安そうにしたら、ななみがそばにいる。
いおりが何かをやりたがったら、ななみが手を貸す。
それはもう、特別なことではなかった。
自然にそうなるから、そうしているだけだった。
でも、ある集まりの帰り際。
日が傾いて、大人たちがそろそろ帰る支度を始めた頃。
いおりが、ななみの服の裾を引いた。
「ねえ、ななちゃん」
「何」
「ななちゃんって、なんでいつも助けてくれるの」
ななみは、少しだけ考えた。
「転んだら起こすのは当然でしょ」
「でも、みんながやってくれるわけじゃないよ」
その言葉に、ななみはまた黙った。
確かに、そうかもしれなかった。誰も冷たいわけではない。
でも、いつでもすぐに手が伸びるわけではない。
自分は、どうしてそうするのか。
考えたのは、ほんの数秒だったと思う。
でも、その時のななみには、ちゃんと考えなければいけないことのように思えた。
そして、出てきた言葉は、思っていたよりずっと簡単だった。
「いおりが大事だから」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
こんなにはっきり言うつもりではなかった。
でも、言ってしまったものは戻らない。
いおりが、じっとななみを見た。
そのあと、ふわっと笑った。
「私も、ななちゃんが大事」
ななみは、何も言えなくなった。
夕方の光が、庭の端に長い影を作っていた。
どこかで食器の触れ合う音がした。ゆめが二人の足元に来て、当然みたいに座った。
その全部が、静かに胸の中へ入ってきた。
大事、という言葉の意味を、その時のななみがどこまで分かっていたかは分からない。
でも、その瞬間のことだけは、長い時間が経っても薄れなかった。
集まりの終わりに、いおりがななみに言った。
「また来てね」
「来るよ」
「絶対ね」
「絶対来る」
「約束ね」
「約束」
いおりが、ななみの手を握った。
小さな手だった。
まだ頼りないのに、なぜか強く残る温かさがあった。
ななみは、その手をしっかり握り返した。
次の集まりまで、どのくらいあるのだろう。
一か月か、二か月か、それ以上かもしれない。
そう思っただけで、少し残念だった。
こんなふうに、次を待つのが待ち遠しいと思ったことは、それまで一度もなかった。
帰り道、ななみは考えた。
いおりが笑うと、自分も笑いたくなる。いおりが転ぶと、すぐに動きたくなる。
いおりがいない時間が、少しだけ寂しい。
これが何なのか、その頃のななみにはまだ言葉がなかった。
でも、とても大事なものだということだけは分かった。
だから、次の集まりが来るのを指折り数えて待った。
そんなことをしたのは、生まれて初めてだった。
すずの記録には、このあとこう続いている。
「ななみという人物は、この記憶を語る時、表情がほとんど変わらない。
しかし声の速度が、わずかに落ちる。
また、『いおりが大事だから』という発言の箇所では、一度だけ視線を伏せた。
記録者注。
この記憶は、失われたものとしてではなく、今も本人の内部で形を持ち続けているものと判断する」
もかが付け加えた。
「ななみさん、この頃は今より全然あったかい感じがする」
すずが少しだけ間を置いた。
「今も、なくなったわけではないと思います」
もかが言った。
「じゃあ、閉じちゃったんだ」
すずは答えなかった。 少ししてから、静かに言った。
「次の記録で、その理由に近いものが出てきます」
もかは小さくうなずいた。
「じゃあ、ここ大事な回だ」
「はい」
「失う前の話って、大事だもんね」
すずは、最後にそう記した。
「記録者注。
この午後の記憶は、後のななみという人物の行動原理を考えるうえで重要である。
本人は多くを説明しない。
だが、繰り返し誰かを支えようとする癖は、すでにこの頃には始まっていたと見られる」
回想第二話:親戚の集まりの午後――完
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、前作『銀色の結晶』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
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