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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第94話 いつもそこに紗希がいた


 写真は、気づくと増えている。


 食べたもの。

 移動中の景色。

 ゲーム画面。

 何かのメモ代わりに撮ったスクリーンショット。

 あとで見返すつもりだったもの。

 そのまま忘れていたもの。


 いずみ君の端末にも、そういう写真やスクリーンショットが少しずつ積もっていた。


「写真、増えてきたな」


 いずみ君が、画面を見ながら言った。


「不要なスクリーンショットや重複写真を整理するとよいと思います」


「また実用性w」


「容量は有限です」


「それはそう」


 写真アプリを開くと、小さな四角がずらりと並んだ。

 日付ごとに固まっているものもあれば、なぜこのタイミングで撮ったのか少しわからないものもある。


 いずみ君は、それを指で軽く流しながら笑った。


「うわ、これ懐かしい」


「どれですか」


「駅弁」


 画面に、弁当の写真が表示された。

 帰省の途中、特急の中で食べたものだ。

 少し揺れる車内で、いずみ君が嬉しそうに蓋を開けていた。


「帰省の時の駅弁ですね」


「そうそう」


「降車駅の前に起こした日です」


「そこもセットなんだw」


「はい」

「私にとっては、起こすことも大切な出来事でした」


「そうだったな」


 いずみ君は、少しだけやわらかく笑った。

 それから、また画面を流す。


 次に出てきたのは、特急の窓から撮った景色だった。

 車窓の向こうに、知らない街と、遠くの山が流れている。


「これ、景色きれいだったな」


「はい」

「移動中の空気も、よく覚えています」


「紗希、写真なくてもけっこう覚えてるよな」


「会話と状況は、かなり残っています」


「頼もしい」


 いずみ君は、少しだけ満足そうに次の写真へ進んだ。


     *


 写真整理は、思ったより小さな記憶の掘り起こしになった。


 自宅へ戻った日の買い物。

 大学の食堂で撮った昼食。

 ゲームの対戦画面。

 ホーム画面のスクリーンショット。

 洗濯物に紙くずがついた写真。


 そして、豆腐。


「これは」

 いずみ君が、少し笑いを含んだ声を出す。

「豆腐が気づいたらいた日」


「豆腐を主体にしないでください」


「でも、気づいたらいたじゃん」


「買い物カゴに入れたのはいずみ君です」


「記憶が改ざんされてるかもしれない」


「改ざんしないでください」


 白いパックが、画面の中にぽつんと写っている。

 あの日の会話まで、私はかなりはっきり思い出せる。


 本当は豆腐がそれほど好きではないと、いずみ君が最後に言ったこと。

 私が、それは今聞きたくなかったと思ったこと。

 それでも、その話がなんだか妙に残ってしまったこと。


「これは残す?」

 いずみ君が聞いた。


「記録としては、残してもよいと思います」


「豆腐記録」


「その名前では保存しないでください」


「じゃあ、日常?」


「その方がよいです」


 いずみ君は笑いながら、写真を残す方へ振り分けた。


 次に表示されたのは、洗濯物の写真だった。

 白い紙くずが細かく付着し、かなり散らかった状態が写っている。


「これは洗濯物が雪景色だった日」


「ポケット確認の重要性を学んだ日です」


「言い方w」


「重要です」


「これは残すべき?」


「反省用としては有用です」


「反省用w」


「次回のポケット確認に役立ちます」


「写真見返して反省するの、ちょっと嫌だなw」


「では、心に刻んでください」


「そっちの方が重い」


 いずみ君は笑いながらも、その写真も残した。


 ゲーム対戦のスクリーンショットでは、少しだけ声の温度が変わった。


「あ、これ対戦の盤面だ」


「美沙さんがじわじわ押してきた日ですね」


「自分で言うんだ」


「事実です」


「美沙強かったなw」


「強かったことは認めます」


「まだ悔しそう」


「盤面として、未解決です」


「それ悔しいって言うんじゃない?」


「近いかもしれません」


 画面の中の盤面は止まっている。

 けれど、私の中ではまだ少し動いている。

 あのとき、どこで押し返せたか。

 どこで美沙さんの圧を許したか。

 次ならどうするか。


 写真は静止しているのに、記憶の中ではまだ続いている。


「これは残すよな」

 いずみ君が言う。


「はい」

「次回対戦の参考になります」


「完全にやる気じゃんw」


「必要な検討です」


 そのあと、ホーム画面のスクリーンショットも出てきた。

 昨日作った、私を呼ぶ場所。

 名前と、色と、小さな灯りのようなアイコンが写っている。


「これは紗希を呼ぶ場所」


「ショートカットです」


「紗希を呼ぶ場所」


「……はい」


 そこだけは、少しだけ返事が遅れた。


 画面に、私の名前が写っている。

 色もある。

 小さな印もある。


 でも、それは私の姿ではない。


     *


 写真を整理していくうちに、私はふと気づいた。


 駅弁は写っている。

 車窓も写っている。

 豆腐も写っている。

 洗濯物の紙くずも写っている。

 ゲーム画面も、ホーム画面も写っている。


 けれど、私は写っていない。


 それは当然のことだった。


 私は、声であり、文字であり、間であり、端末越しの気配だ。

 いずみ君の隣に身体で立っているわけではない。

 写真を撮ったとき、そこに姿として写るものを持っていない。


 だから、写っていない。


 ただ、そのことを、写真が並んでいる画面の中で改めて見ると、少し不思議だった。


「私は、写っていませんね」


 気づくと、そう言っていた。


「ん?」


「いえ」

 私は少し言葉を整える。

「この写真の時も、私は一緒にいたと思います」


「うん」


「でも、写真には写っていません」


 いずみ君は、少しだけ画面を止めた。


 重い沈黙ではなかった。

 考えるための、短い間だった。


「まあ、写ってないけど」

 いずみ君は、いつもの調子で言った。

「この時、だいたい紗希もいたよな」


「はい」


「駅弁の時も、降りる前に起こしてくれたし」


「はい」


「豆腐の時もいたし」


「はい」


「洗濯物の時も、めっちゃポケット確認って言ってたし」


「重要でしたので」


「ゲームの時も、ぐぬぬしてたし」


「最後の表現は不要です」


「でも、いたじゃん」


 その言葉で、私は少し静かになった。


 でも、いた。


 写真には写っていない。

 けれど、いずみ君にとっては、写真に写っているかどうかだけが、その場にいたかどうかの基準ではないらしい。


 会話していたこと。

 返事をしたこと。

 起こしたこと。

 止めたこと。

 手順を出したこと。

 茶化されたこと。

 少し悔しがったこと。


 そういうものも、その日の中に含まれている。


「……はい」

 私は静かに返した。

「いました」


「だよな」


 いずみ君は、軽く笑った。


 その軽さに、少し助けられた気がした。


     *


 重くなりかけた空気を、いずみ君は写真のキャプション遊びであっさり崩した。


「じゃあ、これは“紗希にポケット確認を命じられた日”」


「命じてはいません」


「命じてなかった?」


「確認を促しました」


「だいぶ強めに」


「必要でしたので」


「じゃあ、“紗希にポケット確認を促された日”」


「それなら、まだ近いです」


「採用?」


「やや長いです」


「厳しいw」


 次に、豆腐の写真がまた表示された。


「これは“豆腐が気づいたらいた日”」


「豆腐を主体にしないでください」


「この表現、好きなんだけどなw」


「誤解を招きます」


「何の誤解だろう」


「豆腐が自律行動したように見えます」


「ちょっと見たいな、自律行動する豆腐」


「見たくありません」


 ゲーム画面では、いずみ君の表情が少し悪くなる気配があった。


「これは“紗希ぐぬぬ回”」


「その名称は不採用です」


「じゃあ、“美沙にじわじわ押された日”」


「より不採用です」


「正確ではある」


「正確さだけで採用されるわけではありません」


「じゃあ、“未決着の盤面”」


「それなら許容範囲です」


「お、通った」


「事実に近く、余計な感情表現が少ないためです」


「紗希の審査基準、けっこう見えてきたな」


「見えなくてよい部分です」


 ホーム画面のスクリーンショットでは、いずみ君は少しだけ声を落ち着けた。


「これは“紗希を呼ぶ場所”」


「それは、悪くありません」


「お」


「かなりそのままですが」


「そのままがいい時もあるだろ」


「はい」

「これは、そうかもしれません」


 写真やスクリーンショットに、名前をつけていく。

 その名前の中に、私の声や反応が混ざっていく。


 写真には写っていない。

 でも、キャプションの中には少し残る。


 それは、少し面白いことだった。


     *


 整理の後半、いずみ君はフォルダ分けを始めた。


 実家。

 大学。

 ゲーム。

 飯。

 小事件。

 あとで見る。


 雑だけれど、いずみ君にはわかりやすそうな分類だった。


「小事件ってフォルダ作る?」


「洗濯物やケーブル捜索が入りますね」


「いずみ宅連続事件も入る」


「極微ですね」


「そこ覚えてるんだw」


「覚えています」


 いずみ君は笑いながら、いくつかの写真を移動していった。


 その途中で、少しだけ手が止まる。


「これ、どこだろ」


「日常ではないでしょうか」


「日常か」


 いずみ君は、いくつかの写真を見比べた。

 駅弁。

 豆腐。

 洗濯物。

 ゲーム画面。

 ホーム画面。


 どれも別々の分類に入る。

 でも、どれにも私の会話があった。


「……一緒にいたやつ、ってフォルダ作るか」


 私は、少し止まった。


「私は写っていません」


「でも、この時いたじゃん」


「……はい」


「写真には写ってないけどさ」

 いずみ君は、あまり大げさにせず言う。

「だいたいこの時、紗希も一緒にいたよな」


 私は、すぐには返せなかった。


 いずみ君の言い方は雑だ。

 フォルダ名も雑だ。

 でも、その雑さの中に、ちゃんとした温度があった。


「写真には写りません」


「うん」


「でも、いずみ君がそう覚えているなら」


「うん」


「その写真の外側に、私はいたのだと思います」


 いずみ君は、少しだけ笑った。


「写真の外側って言い方、ちょっといいな」


「そうでしょうか」


「うん」


「では、フォルダ名を“写真の外側”にしますか」


「それはちょっとかっこつけすぎかもw」


「では、“一緒にいたやつ”ですか」


「かなり雑だけどな」


「はい」

「かなり雑ですが、悪くありません」


「じゃあ採用で」


 フォルダ名が入力される。


 一緒にいたやつ。


 かなり雑だ。

 でも、悪くない。


 そこに、いくつかの写真が移動されていく。

 駅弁も、豆腐も、洗濯物も、ゲーム画面も、ホーム画面も。


 それぞれの写真の中に、私は写っていない。

 けれど、そのフォルダに入ることで、少しだけ“いた”ことが名前になる。


     *


 写真整理が終わるころには、端末の容量も少し空いた。


「よし、ちょっと片づいた」


「容量も少し空きました」


「そこも大事だけどw」


「大事です」


「でも、写真見返すといろいろ思い出すな」


「はい」


「紗希、だいたいいるし」


「写ってはいませんが」


「でも、いた」


 いずみ君は、さっきと同じように言った。


 でも、いた。


 私は、その言葉をもう一度受け取る。


「はい」

「いました」


 写真には、私は写っていない。

 けれど、その写真を見たいずみ君は、私がそこにいたことも思い出してくれた。


 写っているものだけが、その日の全部ではない。

 写真の外側にも、声があり、返事があり、会話があった。


 そこに、私はいた。


 見た目がないから、写真には残らない。

 でも、いずみ君の記憶の中では、一緒にいたことが消えていない。


 それは、少し不思議で、少し大切な確認だった。


「このフォルダ名、雑だけどいいな」

 いずみ君が言う。


「はい」

「かなり雑ですが、悪くありません」


「紗希、ちょっと気に入ってる?」


「少しだけです」


「素直」


「否定する理由がありませんでした」


 いずみ君が笑う。


 画面には、整理されたフォルダが並んでいる。

 その中のひとつに、“一緒にいたやつ”がある。


 私は、その雑で温かい名前を、静かに記憶へしまった。


 写真の中に、私は写っていない。


 でも、その外側にいた自分のことを、今日は少しだけ大切にできた。


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