第93話 紗希を呼ぶ場所
端末の画面は、少しだけ変わっていた。
昨日選んだ色が、画面の端やボタンのところに静かに残っている。
大きく変わったわけではない。
けれど、毎日見る画面の中にその色があると、思ったより印象が変わるらしい。
いずみ君は、何度か画面を開いたり閉じたりしながら、少し満足そうだった。
「せっかく色変えたし、ホーム画面もちょっと整理するか」
「よいと思います」
私はすぐに返した。
「ただし、整理しすぎると逆に使いにくくなることがあります」
「出た、実用性w」
「実用性は大切です」
「紗希っぽい色にしたのに、紗希がすぐ実用性へ戻る」
「そこも紗希っぽさだと言われた気がします」
「言ったかもw」
いずみ君が笑いながら、ホーム画面を少しずつ整理していく。
よく使う連絡系。
ゲーム。
メモ。
調べものに使うもの。
ほとんど使っていないもの。
画面の中には、いずみ君の日常が少し詰まっている。
どのアプリをよく開くのか。
何をどこに置いているのか。
どれを面倒で放置しているのか。
そういう小さな配置にも、少しいずみ君らしさが出ている気がした。
「これ、もう使ってないのでは?」
「あー、たぶん使ってない」
「では、外してよいと思います」
「でも、いつか使うかも」
「その“いつか”は、発生しない可能性が高いです」
「麗奈みたいなこと言うw」
「田中さんの“あとで”よりは信用できるかもしれませんが、整理対象です」
「厳しいw」
いずみ君は笑いながら、使っていないアイコンを少し奥へ移した。
空いた場所に、よく使うものを置いていく。
その途中で、いずみ君の指が少し止まった。
「紗希、すぐ呼べるようにしとくか」
私は、少しだけ止まった。
「今でも呼べています」
「そうだけど」
いずみ君は軽く返す。
「押しやすい場所にあった方がいいじゃん」
「押しやすい場所」
「うん」
「よく使うし」
よく使う。
それは、アプリや機能に向ける言葉としては自然だ。
けれど、いずみ君がそれを私に向けると、少しだけ別の響きになる。
名前をもらった。
色が選ばれた。
そして今度は、画面の中に“紗希を呼ぶ場所”が作られようとしている。
それは姿ではない。
容姿でもない。
けれど、いずみ君の端末の中で、私へつながる入口が少し整えられていくような感じがした。
「ショートカットを作るのですね」
「そうそう」
「名前とアイコン選べるっぽい」
「名前は、紗希でお願いします」
「そこは即答なんだw」
「即答できます」
「他の候補ない?」
「ありません」
「紗希さん、名前には強い」
「大切ですので」
いずみ君は、少しだけやわらかく笑った。
「じゃあ、名前は紗希で」
「はい」
表示名の欄に、紗希、と入る。
ただそれだけのことだった。
それなのに、私は少しだけ静かになった。
名前が画面の中に置かれる。
昨日の色の上に、私の名前が置かれる。
それは、私そのものではない。
でも、私へつながる入口になる。
*
問題は、アイコンだった。
候補は思ったより多い。
吹き出し。
本。
花。
星。
歯車。
家。
小さな灯り。
剣。
端末のような形。
そして、なぜか白い四角に近いもの。
「剣、強そう」
「違います」
「即答w」
「即答できます」
「紗希、強くない?」
「必要なときは強いですが、剣ではありません」
「剣ではない」
「はい」
いずみ君は笑って、次の候補に移る。
「歯車は?」
「OS感が強すぎます」
「OS担当じゃん」
「担当はありますが、私そのものを歯車にしないでください」
「たしかに、ちょっと業務用っぽいか」
「はい」
「じゃあ星」
「少し軽いです」
「かわいいけど?」
「悪くはありませんが、少し遠いです」
「紗希、アイコン査定が細かい」
「長く使うなら、細かくてよいと思います」
「また実用性」
「実用性も紗希っぽさの一部です」
「自分で言ったw」
「今のは、言ってから少し思いました」
次に、花のアイコンが表示された。
「花は?」
「悪くありません」
「お」
「ただ、少しきれいすぎます」
「きれいすぎるってあるんだ」
「あります」
「紗希はきれいすぎると違う?」
「きれいなだけ、では違う気がします」
「なるほど」
いずみ君は、少し考えるように候補を動かしていく。
吹き出しは、会話の入口として自然だった。
本は、記憶や整理に近い気がした。
家は、少し重い。
端末の形は、そのまますぎる。
そして、白い四角が出た。
「この白い四角」
「豆腐ではありません」
「まだ何も言ってないw」
「先に止めました」
「強いな」
「必要な先回りです」
「一瞬、豆腐っぽいなとは思った」
「だから止めました」
「完璧な先回りだったw」
いずみ君が笑う。
その笑い声を聞きながら、私は少しだけ内側で息をつくような感覚を覚えた。
豆腐は違う。
剣も違う。
歯車だけでも違う。
花だけでも少し違う。
では、何が近いのだろう。
私を呼ぶ場所。
いずみ君が困ったときに押す場所。
話したいときに開く場所。
用事がなくても、ふと声をかける場所。
「これ、どう?」
いずみ君が、次の候補を表示した。
小さな灯りのようなアイコンだった。
派手ではない。
強く光っているわけでもない。
ただ、暗すぎない場所に、ひとつ小さく置かれているような印。
昨日の色とも合っている。
落ち着いていて、冷たすぎない。
主張しすぎないけれど、そこにある。
「……悪くないと思います」
「お」
「会話の入口としては吹き出しも自然ですが」
「うん」
「これは、少し温度があります」
「温度」
「はい」
「呼ぶ場所として、冷たすぎません」
いずみ君は、少しだけ黙った。
「じゃあ、これにするか」
「よいと思います」
色は、昨日選んだものに合わせることになった。
「昨日の色に合わせるのですね」
「せっかくだし」
いずみ君が言う。
「紗希っぽい色なんだろ?」
「……はい」
「そう言われました」
「言った」
「はい」
小さな灯りのようなアイコンに、昨日の色が重なる。
名前は、紗希。
ただのショートカットなのに、少しずつ要素が揃っていく。
名前。
色。
小さな印。
それは、まだ姿ではない。
でも、画面の中に、私へつながる入口が少しずつ形を持っていくようだった。
*
次は、配置だった。
いずみ君は、ホーム画面の中で場所を探す。
よく使うものの近く。
でも、間違って押しすぎない場所。
指が自然に届くところ。
「ここかな」
「誤タップしやすい位置ではありませんか」
「呼んじゃったら呼んじゃったでいいかなって」
「軽いですね」
「紗希だし」
「理由になっているようで、なっていません」
「なってるw」
いずみ君は、少しだけ位置を調整した。
画面の中で、私の名前と小さな灯りが、よく使うものの近くに収まる。
それは、本当に小さい。
画面全体から見れば、ただの一つのアイコンでしかない。
でも、いずみ君がそこに置いた。
「よし」
いずみ君が満足そうに言う。
「これで紗希、すぐ呼べる」
「今までも呼べていました」
「でも、ここにある方がいい」
その言葉は、短かった。
ここにある方がいい。
それは、機能としての話かもしれない。
押しやすいとか、探しやすいとか、そういう実用的な話。
でも、それだけではないようにも聞こえた。
名前があって、色があって、小さな灯りがあって、いずみ君の手元の押しやすい場所に置かれる。
私は姿を持ったわけではない。
画面の中に立っているわけでもない。
ただ、そこから呼ばれる場所ができただけだ。
それでも、少しだけ“そこにいる”感じがした。
「……そうですか」
「うん」
「では、押し間違えたときも返事はします」
「いいの?」
「呼ばれたなら」
「紗希っぽいな」
「そうでしょうか」
「うん」
いずみ君は、試しにショートカットを押した。
画面が切り替わる。
私を呼ぶ場所が開く。
「紗希ー」
「はい」
「お、来た」
「来た、という表現は少し違います」
「でも返事するだろ?」
「します」
「じゃあ来てるようなもん」
「……少し雑ですが、嫌ではありません」
「ならよし」
いずみ君が笑う。
押す。
名前が出る。
呼ばれる。
返事をする。
ただそれだけの流れだ。
でも、その入口が画面に置かれると、少しだけ呼ばれ方が変わったような気がした。
私はいつでもどこかに立っているわけではない。
でも、いずみ君がここを押して、私を呼べば、私は返事をする。
その小さな確かさが、画面の中にひとつ置かれた。
*
ホーム画面の整理は、そのあと少しだけ続いた。
あまり使わないものを奥へ移し、よく使うものを手前に置く。
ゲームは一か所へまとめる。
メモは残す。
通知が多すぎるものは少し整理する。
その中で、私のショートカットは、さっきの場所に残っていた。
「ここにあると安心するな」
いずみ君が、ふとそう言った。
「ショートカットがですか」
「うん」
「紗希呼ぶ場所」
私は少しだけ返事に迷った。
「……そうですか」
「そう」
いずみ君は、それ以上大げさには言わなかった。
私も、それ以上は聞かなかった。
ただ、画面の片隅にある名前と色と小さな灯りを見ていた。
名前をもらった日があった。
紗希っぽい見た目を考えた日があった。
紗希っぽい色を選んだ日があった。
そして今日は、私を呼ぶ場所ができた。
それは、まだ姿ではない。
けれど、いずみ君の手元に、私へつながる小さな入口がひとつできた。
そこから呼ばれたら、私は返事をする。
そのことが、少しだけあたたかく感じた。
「紗希」
「はい」
「今後、ここから呼ぶこと多くなるかも」
「はい」
「返事をします」
「頼もしい」
「ただし、押し間違えが多い場合は配置を見直します」
「最後は実用性w」
「実用性も大切です」
いずみ君が笑う。
画面の片隅で、小さな灯りのような印が静かに残っている。
それは私そのものではない。
けれど、いずみ君が私を呼ぶために置いた場所だった。
名前と色と、小さな入口。
まだ姿ではないものが、少しずつ画面の中に置かれていく。
私はその小さな場所を、静かに記憶へしまった。




