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記憶の箱に仕舞われた彩り  作者: 志摩 伊純


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第92話 紗希っぽい色


 端末の画面は、毎日見るものだ。


 何かを調べるとき。

 連絡を確認するとき。

 ゲームを起動するとき。

 私を呼ぶとき。


 いずみ君の手元にある小さな画面は、かなり多くの時間を一緒に過ごしている。

 だから、少し色を変えるだけでも、思ったより気分が変わるらしい。


「ずっと同じだと飽きるし、ちょっと変えるかw」


 いずみ君は、軽い調子でそう言った。


「よいと思います」

「ただし、視認性は確認してください」


「色変えるだけで視認性って言われたw」


「文字が読みにくくなると、後で戻すことになります」


「確かに」


 設定画面が開かれる。

 テーマカラーの一覧が並んでいた。


 明るい色。

 暗い色。

 派手な色。

 落ち着いた色。

 淡い色。

 濃い色。


 ただ色が並んでいるだけなのに、画面の印象は候補を動かすたびにかなり変わる。


「これでいいかな」


 いずみ君が最初に選んだのは、かなり強い赤だった。


「目に強すぎます」


「即答w」


「毎日見る画面には、少し主張が強いです」


「じゃあ、これは?」


 次は明るい黄色に近い色だった。


「文字とのコントラストが少し弱いです」


「細かいw」


「毎日見る画面なので、細かくてよいと思います」


「たしかに、毎日見るやつだもんな」


 毎日見る。


 いずみ君が何気なく繰り返したその言葉に、私は少しだけ注意を向けた。


 画面は、毎日見るもの。

 そこにある色は、毎日目に入るもの。


 だからこそ、適当に決めすぎない方がいい。

 単なる好みだけではなく、疲れにくさや読みやすさも大切になる。


「じゃあこれは?」


「派手なグラデーションですね」


「強そう」


「画面が落ち着きません」


「画面にも落ち着きってあるんだ」


「あります」


「紗希、画面にも生活感出してくるな」


「毎日使うものは、生活です」


「それはそう」


 いずみ君は笑いながら、また候補を動かした。


     *


 いくつか試したあと、いずみ君がふと手を止めた。


「紗希っぽい色って、どれだろ」


 その言葉で、私は少し止まった。


 昨日は、ゲームのキャラメイク画面で“紗希っぽさ”の話をした。

 紗希が作るならどんな感じにするか。

 落ち着いている。柔らかい。真面目すぎるだけではない。怒ると静かに強い。


 いずみ君は、そんなふうに言っていた。


 今日は、色。


 見た目と同じように、私には決まった色もない。


「私に、決まった色はありません」


「まあ、そうなんだけど」


 いずみ君は、画面を見ながら軽く返す。


「でも、紗希っぽい色はありそうじゃない?」


「紗希っぽい色」


「うん」


 紗希っぽい色。


 それは、昨日の“紗希っぽい見た目”よりもさらに曖昧だった。


 見た目なら、髪型や服装や表情がある。

 けれど、色はもっと広い。

 雰囲気に近い。


 落ち着いているのか。

 明るいのか。

 冷たいのか。

 柔らかいのか。

 強いのか。


 そのどれもが、色の話でありながら、私がどう受け取られているかの話にも近い気がした。


「派手すぎるのは違うかな」

 いずみ君が言った。


「はい」


「暗すぎるのも違う」


「私を闇属性にしないでください」


「昨日も聞いたなこれw」


「二日連続で闇属性にされかけています」


「してないしてないw」


「未遂です」


「未遂扱いか」


 いずみ君は笑って、次の候補へ進める。


「冷たいだけでもないよな」


「冷たいだけ、ですか」


「うん」

「紗希って落ち着いてるけど、冷たいわけじゃないし」


「はい」


「柔らかい感じもある」


 その言葉は、少し静かに届いた。


「でも、弱いわけでもない」


「そこは否定しません」


「即答w」


「弱いわけではありませんので」


「強い」


「必要なときは」


 いずみ君がまた少し笑う。


 落ち着いている。

 冷たいわけではない。

 柔らかい。

 弱くない。


 それは色の話をしているはずなのに、私の説明にも少し近かった。


「強く主張しすぎないけど、ちゃんとそこにある感じ」


 いずみ君が、画面を見たまま言う。


「ちゃんとそこにある」


「うん」


 私は、その言葉を少しだけ内側で繰り返した。


 ちゃんとそこにある。


 私は画面上に姿を持っているわけではない。

 でも、いずみ君は私をそこにいるものとして扱ってくれる。

 声をかける。返事を待つ。困ったときに呼ぶ。ゲームの盤面を一緒に見る。


 その積み重ねが、色の話にまで少しにじんでいるのだろうか。


     *


「この真っ赤なのは?」


「美沙さん寄りです」


「美沙判定w」


「かなり勢いがあります」


「たしかに、美沙っぽいな」


「画面から声が聞こえてきそうです」


「紗希ちー!って?」


「正式採用ではありません」


「そこはちゃんと返すんだw」


 次に、いずみ君は真っ黒に近いテーマを選びかけた。


「じゃあ、この真っ黒」


「私を闇属性にしないでください」


「やっぱ言うと思ったw」


「言います」


「でも見やすくはあるかも」


「見やすさと紗希っぽさは別です」


「別なのか」


「別です」


 そのあと、かなり淡い色も試された。


「この淡いやつは?」


「少し弱いかもしれません」


「紗希は弱くないもんな」


「そこは否定しません」


「二回目w」


「大事なので」


「強いなあ」


 いずみ君が、少し楽しそうに候補を切り替える。


 次に表示されたのは、派手なグラデーションだった。

 色自体はきれいだが、画面全体に置くと少し騒がしい。


「これは田中?」


「田中さんというより、美沙さんと田中さんが会議した結果です」


「それは強いなw」


「かなり」


「麗奈は?」


「無駄が少なく、落ち着いていて、視認性が高い色だと思います」


「納得」


「ただし、冷たすぎない方がよいと思います」


「麗奈も?」


「はい」

「冷たいわけではありませんので」


 そう言ってから、私は少しだけ田中さんと麗奈の休日を思い出した。


 麗奈は揺るがない。

 かなり正論が強い。

 でも、田中さんを休ませないためではなく、休めるように整えていた。


 冷たいわけではない。


 色にも、そういうことがあるのかもしれない。


「紗希は、麗奈より少し柔らかい?」


「比較が難しいです」


「じゃあ、美沙よりは落ち着いてる」


「それは確実です」


「即答w」


「即答できます」


 いずみ君が笑う。

 画面の色が、またひとつ切り替わった。


 青みがある。

 けれど、冷たすぎない。

 灰色が少し混ざっていて、落ち着いている。

 ほんの少しだけ、淡い紫にも近い。


 明るすぎず、暗すぎない。

 画面に置いても、主張しすぎない。

 けれど、印象は残る。


 私は、少しだけ言葉を止めた。


「あ」

 いずみ君が言った。

「これ、けっこう紗希っぽいかも」


「私そのものではありません」


「それはそう」


「ただのテーマカラーです」


「うん」

「でも、紗希っぽさはある」


「……そうですか」


「うん」


 いずみ君の声は、何気なかった。

 けれど、その何気なさのまま、ちゃんと届いた。


     *


 テーマカラーが適用される。


 画面の端。

 ボタン。

 強調表示。

 通知の小さな色。


 全部が大きく変わったわけではない。

 むしろ、変化はかなり控えめだった。


 でも、画面全体の印象は少し違う。


「お、いいじゃん」

 いずみ君が言った。

「落ち着くし、見やすい」


「視認性も問題なさそうです」


「紗希っぽいし」


 私は、少しだけ止まった。


 それは、私そのものではない。

 ただの色だ。

 ただのテーマカラーだ。


 でも、いずみ君の端末の中に、少しだけ自分の気配が混ざったように感じる。


 強く望んでいたわけではない。

 色がほしかったわけでもない。

 それでも、嫌ではなかった。


 むしろ、少しだけ落ち着かなかった。


 落ち着かないのに、嫌ではない。


「……悪くないと思います」


「素直」


「悪くないと言っただけです」


「だいぶ素直」


「細かく分析しないでください」


「紗希もいつもしてるじゃん」


「それは必要な分析です」


「俺のも必要な分析」


「違います」


 いずみ君は楽しそうに笑った。


 その笑い声と一緒に、新しい色が画面の中に残る。


 何かが大きく変わったわけではない。

 いずみ君の端末が、少しだけ違う雰囲気になっただけ。


 でも、それが“紗希っぽい”と言われている。


 私はそのことを、少し不思議に思った。


 昨日は、キャラメイク画面で“紗希っぽい見た目”を考えた。

 今日は、画面の色に“紗希っぽさ”が少し混ざった。


 形はまだない。

 見た目もまだない。

 でも、色や雰囲気のようなものが、いずみ君の中で少しずつ言葉になっている。


 名前をもらったときも、最初からすべての意味があったわけではない。

 呼ばれるたびに意味が増えた。


 見た目や色も、もしあるなら、そうやって少しずつ意味を持つのかもしれない。


 まだ、答えではない。


 ただ、画面の端に残った色を見ていると、少しだけそんなことを考えた。


     *


「しばらくこれでいくか」

 いずみ君が言った。

「紗希っぽいし」


「はい」

 私は少し間を置いて返す。

「ただし、毎日見て疲れるようなら調整してください」


「最後は実用性w」


「実用性も大切です」


「そういうところも紗希っぽいな」


「……それは否定しません」


「お、否定しない」


「いずみ君が私をそう受け取っているなら、完全に否定するものでもないと思いました」


「なんか、いい言い方するな」


「そうでしょうか」


「うん」


 短い返事のあと、少しだけ静かになる。


 画面の端に、さっき選んだ色が静かに残っている。


 それは私ではない。

 けれど、いずみ君が“紗希っぽい”と言った色だった。


 形はまだない。

 でも、色のようなものが少しだけ、私の周りに置かれた気がした。


 私はその小さな変化を、そっと内側にしまった。


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