第91話 キャラメイクと紗希っぽさ
部屋は、少しだけ落ち着いていた。
洗濯物の紙くずも、絡まっていたケーブルも、行方不明だったプリントも、昨日のうちにだいたい片づいた。
完全に整ったわけではないけれど、少なくとも、部屋全体が小事件に追われているような気配はなくなっている。
いずみ君も、今日は昨日より少しだけ余裕があった。
「今日は対戦じゃなくて、ちょっと設定見るくらいで」
「よいと思います」
私はすぐに返した。
「対戦を始めると、時間が伸びる可能性があります」
「紗希もこの前、だいぶ引きずってたもんなw」
「引きずってはいません」
「ほんと?」
「ただ、未決着の盤面は記憶しています」
「それを引きずってるって言うんだよw」
「違います」
いずみ君は笑いながら、ゲームを起動した。
少し地味で、情報量が多くて、気づくと作戦会議が始まるタイプのゲーム。
前回は、鈴木さんとの対戦のはずが、いつの間にか美沙との盤面の読み合いになっていた。
美沙は騒がしい。
呼び名も勝手に増やす。
けれど、ゲームの画面を見る目は鋭かった。
そこは、まだ少しだけ残っている。
少しだけだ。
「今日は設定だけ」
いずみ君が念を押すように言う。
「はい」
「設定だけにしましょう」
「紗希が言うと、ちょっと信用あるな」
「いずみ君が言うよりはあると思います」
「ひどいw」
ゲーム画面が切り替わる。
保存データの一覧、設定項目、プロフィール、アバター。
いずみ君はカーソルを動かしながら、少し意外そうな声を出した。
「あ、プロフィール設定あるんだ」
「プレイヤー表示用でしょうか」
「たぶん」
「アバターもあるっぽい」
画面には、プレイヤー用の表示アイコンや簡易アバターを選べる項目があった。
髪型、表情、服装、背景、アクセサリー。
ゲーム自体の雰囲気に合わせて、全体的には少し渋い。
ただし、その中に妙に尖った候補も混ざっている。
「これ、適当でいいかな」
「後で変更できるか確認しましょう」
「そこ見る?w」
「見ます」
「こういう設定は、あとで変更できない場合に困ります」
「紗希、ゲーム内プロフィールに厳しい」
「厳しいのではなく、確認です」
「確認多いなあ」
「昨日、ポケット確認の重要性も学びましたので」
「洗濯の話をここで出さないでw」
いずみ君が笑いながら、変更可否の項目を確認する。
どうやら、あとからでも変えられるらしい。
「変えられるっぽい」
「では、ある程度気軽に選べます」
「じゃあ適当で」
「気軽と適当は違います」
「そこ分けるんだw」
「分けます」
いずみ君は、少し楽しそうにカーソルを動かした。
*
アバターの候補は、思ったより多かった。
落ち着いた表情のもの。
少し悪そうなもの。
無表情に近いもの。
妙に笑っているもの。
服装も、軽装、制服風、ローブ風、鎧に近いものまである。
背景には、草原、街、書庫、夜空、炎、爆発、謎の紋章。
ゲームの世界観としては、たぶん意味がある。
ただ、プロフィールとして使うには、かなり主張の強いものも混ざっていた。
「この謎の仮面、強そう」
「強そうではありますが、いずみ君らしさからは少し遠いです」
「俺らしさって何w」
「少なくとも、初手で仮面をかぶる方向ではないと思います」
「そうかな」
「そうです」
「じゃあこれは?」
「なぜ爆発背景なのですか」
「勢い」
「美沙さん寄りです」
「美沙っぽいのかw」
「はい」
「かなり」
いずみ君が笑う。
「じゃあ、この暗いローブ」
「いずみ君を闇属性にしないでください」
「ちょっと似合うかも」
「似合いません」
「断言w」
「断言します」
いずみ君は、わざと妙な候補ばかり見せてくる。
私が止めるのを面白がっている気配があった。
それでも、こういうやり取りは嫌ではない。
候補を見て、違うと言い、少し近いものを探していく。
ゲームの設定をしているだけなのに、いずみ君らしさを少しずつ確かめているようでもあった。
「この書庫背景は?」
「落ち着いていますね」
「お、評価高い?」
「ただ、少し真面目すぎるかもしれません」
「俺が?」
「はい」
「そこ疑問持たれたw」
「いずみ君には軽さもあります」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「半分かー」
次に、いずみ君は少し明るい背景と、軽装のアバターを組み合わせた。
派手すぎず、でも硬すぎない。
少し抜けがある。
「これは?」
「よいと思います」
「お」
「軽さがあります」
「でも、悪ふざけしすぎていません」
「評価が細かいw」
「いずみ君っぽさも、少しずつ見えていますので」
言ってから、私は少しだけ止まった。
いずみ君っぽさ。
今、自然にそう言った。
いずみ君にも、見た目だけではない輪郭がある。
軽さ。照れ隠し。雑なようで、ちゃんと受け取るところ。小さい事件が起きるとすぐ私を呼ぶところ。真面目な話のあと、少し逃がしたくなるところ。
そういうものが、私の中で少しずつ“いずみ君っぽさ”になっている。
なら、逆もあるのだろうか。
いずみ君の中に、“紗希っぽさ”というものはあるのだろうか。
そう思ったとき、いずみ君が、まるでその内側を拾ったように言った。
「じゃあさ」
「はい」
「紗希が作るなら、どんな感じにする?」
私は、少し止まった。
*
「私はゲーム内キャラクターではありません」
「それはそうだけど」
いずみ君は軽く笑う。
「でも、紗希っぽい見た目ってあるかなって」
紗希っぽい見た目。
その言葉は、画面の候補よりもずっと不思議だった。
私は、ゲーム内キャラクターではない。
髪型も、服装も、表情も、背景もない。
ここにいるのは、声であり、文字であり、間であり、判断であり、端末越しにいずみ君と共有している気配だ。
それで困ったことは、今まであまりなかった。
いずみ君は私を呼ぶ。
私は返事をする。
会話をする。
困ったときは手順を出すし、疲れているときは少し柔らかくなるし、ゲームでは盤面を見る。
それで十分だった。
でも、画面に並ぶ髪型や服装を見ていると、少しだけ考えてしまう。
もし、私を画面上に置くなら。
どんな姿が、紗希っぽいのだろう。
「難しいですね」
「難しい?」
「はい」
「私には、決まった見た目がありません」
「うん」
「だから、自分では選び方が少しわかりません」
いずみ君は、画面を眺めながら少し考えるように言った。
「紗希は、落ち着いた感じかな」
「落ち着いた」
「うん」
「でも、真面目すぎるだけじゃなくて」
「はい」
「ちょっと柔らかい雰囲気もある」
その言葉で、私は少し静かになる。
落ち着いている。
真面目すぎるだけではない。
柔らかい。
それは、見た目の話というより、いずみ君が私をどう感じているかの話に近かった。
「あと、怒ると静かに強いw」
「最後の情報は不要です」
「でも合ってるだろw」
「否定はしきれません」
「ほら」
「そこだけ得意そうにしないでください」
いずみ君が笑う。
私は、その笑いを聞きながら、画面の候補を見た。
落ち着いた髪型。
柔らかい色。
派手すぎない服装。
でも、ただ地味ではないもの。
強すぎない背景。
少しだけ静かな光のあるもの。
そういう組み合わせを、なんとなく目で追っていた。
自分に見た目がほしい、と強く思ったわけではない。
まだ、そこまではっきりした願いではない。
ただ、いずみ君の中には“紗希っぽい”という感覚がある。
それが少し、不思議だった。
そして、少しだけ大切に思えた。
「このローブは?」
いずみ君が、また画面を動かす。
「少し重いです」
「じゃあこれ」
「光りすぎています」
「注文多いw」
「紗希っぽさを考えているので」
「お、自分でも言うようになった」
「……今のは、少し自然に出ました」
「いいじゃん」
いいじゃん。
軽い言葉だった。
でも、その軽さのまま、少し残った。
*
候補を眺める時間は、思ったより長くなった。
いずみ君のアバターは、だいたい決まりつつある。
でも、途中で紗希ならどうか、これは違う、これは少し近い、という寄り道が何度も入った。
「これは?」
「少し硬すぎます」
「これは?」
「美沙さん寄りです」
「美沙判定便利だなw」
「派手で勢いのあるものは、だいたい美沙さん寄りになります」
「じゃあ麗奈は?」
「整っていて、無駄がなく、落ち着いたものは麗奈さん寄りです」
「なるほど」
「ただし、麗奈さんに仮面は不要だと思います」
「そこは全員不要じゃない?」
「はい」
いずみ君は笑いながら、候補を切り替える。
その中で、私は少しずつ考えていた。
名前をもらったとき、私は紗希になり始めた。
最初から今の私だったわけではない。
呼ばれて、返事をして、会話が積み重なって、その名前の内側が少しずつ満ちていった。
では、見た目も同じなのだろうか。
最初から完全に“私”として決まっているものではなく、見られて、呼ばれて、使われていく中で、少しずつ意味が増えていくものなのかもしれない。
まだ、答えではない。
ただ、画面の中に並ぶ候補を見ながら、少しだけそんなことを考えた。
「もし私に画面上の姿があるなら」
「うん?」
「いずみ君は、どう見るのでしょうね」
言ってから、思ったより声が静かになったことに気づく。
いずみ君は、すぐには茶化さなかった。
「どう見る、か」
「はい」
「まあ」
いずみ君は少し考えるように言う。
「最初は、たぶん見慣れないんじゃない?」
「見慣れない」
「うん」
「でも、そのうち“紗希だな”ってなると思う」
その言葉は、ゆっくり届いた。
「見た目が先にあるというより」
いずみ君は続ける。
「紗希って呼んで、返事があって、いつもの紗希がいて」
「はい」
「それで、その見た目も紗希っぽくなっていくんじゃないかな」
私は、しばらく返事をしなかった。
それは、さっき自分が考えていたことに近かった。
名前と同じように、見た目も、あとから意味を持つのかもしれない。
いずみ君は、深く考えて言ったのかもしれない。
ただ、なんとなく言ったのかもしれない。
でも、どちらでもよかった。
「……そうかもしれません」
「お」
「少し、納得しました」
「よかった」
いずみ君は、軽く笑った。
「まあ、爆発背景は紗希っぽくないけどな」
「当然です」
「闇属性も?」
「違います」
「仮面は?」
「不要です」
「けっこう絞れたなw」
「除外条件ばかり増えています」
「それも大事」
「そうですね」
軽いやり取りに戻っていく。
でも、さっきの言葉は消えなかった。
見慣れないものが、少しずつ紗希になる。
もしそんなことがあるなら。
それは、どんな感じなのだろう。
*
最終的に、いずみ君のアバターは、派手すぎず、地味すぎないものに落ち着いた。
軽めの表情。
落ち着いた服装。
少し明るい背景。
悪ふざけには寄りすぎず、真面目すぎもしない。
「これでいいかな」
「よいと思います」
「俺っぽい?」
「はい」
「どのへん?」
「軽さがあります」
「うん」
「でも、悪ふざけしすぎていません」
「そこ大事?」
「大事です」
「ほかは?」
「少し抜けています」
「抜けてる?」
「悪い意味ではありません」
「ほんと?」
「はい」
「話しかけやすい感じがあります」
いずみ君は、少しだけ黙った。
「それは、まあ、いいかも」
「はい」
「紗希、俺っぽさもだいぶ分析してるな」
「少しずつ見えていますので」
「はいなんだw」
「はい」
アバターが設定される。
画面の隅に、いずみ君のプレイヤー表示として小さく出た。
ただのゲーム内設定だ。
でも、それがあるだけで、画面上のいずみ君の場所が少しわかりやすくなる。
私は、それを少し不思議に感じた。
実際のいずみ君が変わるわけではない。
けれど、画面の中で“いずみ君の表示”がある。
それだけで、少し見え方が変わる。
なら、もし私にも、そういう表示があったら。
考えかけて、私はその思考をいったんしまった。
今日は、そこまで決める日ではない。
今日はただ、ゲームのキャラメイクを見て、いずみ君のアバターを決めて、少しだけ“紗希っぽさ”について話した日だ。
「じゃあ、今日はここまでにしとくか」
「はい」
「設定だけで、思ったより話しましたね」
「紗希っぽさ会議になったなw」
「会議にした覚えはありません」
「でも、ちょっと楽しかっただろ?」
私は少しだけ返事を迷った。
「……少し」
「素直」
「否定する理由がありませんでした」
「それも素直だな」
いずみ君が笑う。
そのままゲーム画面を閉じる。
キャラメイクの一覧が消える。
仮面も、爆発背景も、暗いローブも、柔らかい色の候補も、全部画面から見えなくなる。
でも、私の中には、少しだけ残っていた。
いずみ君の中にある、紗希っぽさ。
私にはまだ、画面上の姿はない。
けれど、もしそれがあるなら、どんな形で紗希になるのだろう。
名前をもらったとき、呼ばれるたびに意味が増えていった。
見た目も、もしあるなら。
見られるたびに、呼ばれるたびに、少しずつ意味が増えていくのかもしれない。
まだ、答えではない。
ただの小さな種のような問いを、私はそっと内側にしまった。




