第六話:初めての血戦
ガムテープで十字に補修された木製机の上に、一枚の古びた東京都内の広域地図が広げられていた。
まだ陽の落ちきらぬ夕暮れ時。四畳半の部屋には、ハイライトの重苦しい煙と、どこか緊張を孕んだ男たちの声が満ちている。
「――やはり、これで五件目だ。手口はすべて同じ。体内の血液を、文字通り一滴残らず吸い尽くされている」
そう言って、地図の数箇所に赤インクでバツ印をつけたのは、神主の装束を崩して着た大吾だった。その顔にいつもの飄々とした余裕はなく、無精髭の生えた顎を険しく引き締めている。
夜先生は手元に残ったハイライトの灰を静かに落とし、赤く染まった地図の点を死んだような目で見つめていた。ただのはぐれ怪異の犯行ではないことなど、男たちの重苦しい沈黙が雄べんに物語っている。
『蓮次、このバツ印の場所、何か共通点が見えませんか?』
机の上にちょこんと座った大福が、前足で赤インクの点を規則的に叩きながら念話を響かせた。
『現在の区画で見るとバラバラですが……ほら、ここです。かつてこの都心に流れていた、今は暗渠化されたり埋め立てられたりした“旧い川の跡”に沿っているのですよ』
大福の言葉に、夜先生の身体が微かに強張った。
先生は片手で前髪を粗暴に掻き上げ、地図のバツ印を凝視する。その視線は、目の前の紙面を見ているようで、もっと別の、遥か遠い過去の闇を見つめているようだった。
「……川の跡、だと」
先生の呟きは、ひどく冷気を含んでいた。
「かつて、あの橋があった場所の近くか」
「蓮次? どうかしたか」
大吾が怪訝そうに顔を覗き込むが、先生はそれに答えず、立ち上がって壁に掛けられたトレンチコートを乱暴に引っ掴んだ。
「大吾、大福。ちょっと確かめたい場所ができた。俺は一人でそこへ行く。お前たちはここで待っていろ」
「おい、待てよ蓮次! まだ方針も決まってねえだろ!」
大吾の制止を完全に無視し、先生は引き戸を荒々しく開けて部屋を飛び出していった。激しい閉鎖音が響き、あとに残されたのは、奇妙な静寂だけだった。
私は、割れた机の端で大人しくノートを抱えたまま、その一連のやり取りを交代で見送ることしかできなかった。
『……行ってしまいましたね。あの様子では、何を言っても無駄でしょう』
大福が小さくため息をつき、お座りの姿勢に戻る。
「夜先生、どうしちゃったんですか? 急に顔色を変えて……」
「……昔の未練さ」
大吾がどこか寂しげに笑い、ぽりぽりと頭を掻いた。「昔な、蓮次には雹一郎っていう古い眷属がいたんだ。だが、ある凄惨な事件をきっかけに、二人は完全に袂を分かつことになった。……蓮次が向かったのは、その事件の舞台になった、今はなき古い橋の跡地だろうよ」
夜先生の、昔の眷属。私と同じように、先生の血を分け合って生き、それから離れていった存在。胸の奥がちくりと痛んだが、私には感傷に浸っている時間さえ惜しかった。
「大吾さん、お仕事の打ち合わせは先生が帰ってからにしましょう。私……今のうちに、少しでもこの身体に慣れておきたいです。また先生の部屋の物を壊したら申し訳ないですし」
『それなら椎名、良い提案があります。神社の裏手で、あなたが全力を出した時にどれくらい動けるのか、その身体能力の限界値を確認しておきましょう。自分の最高速度や跳躍力を知っておくことは、力加減を覚える近道になります』
大福が頼もしく胸を張る。
私たちは神社の裏手にある、鬱蒼とした木々に囲まれた小さな空き地へと移動した。
夕闇が本格的に降り立ち、周囲は急速に夜の帳に包れていく。
「――よし、いくわよ」
私は大福の指示に従い、まずは全力の走りがどんなものか、軽く地を蹴ってみることにした。
だが、ほんの少し踏み込んだその刹那、景色が猛烈な速度で後ろへと吹き飛んだ。一瞬で空き地の端から端まで到達し、危うく大木に激突しかけて急ブレーキをかける。地面の土が私の靴底で大きく削れ、激しく舞い上がった。
「な、何これ……! ほんの少し走ろうとしただけなのに、自動車みたいな速度が出ちゃう……!」
『素晴らしい脚力です。では椎名、次は思い切り真上へ跳んでみなさい。あなたの肉体なら、着地は問題ありません』
大福の言葉に頷き、私は膝を曲げて地面を力強く蹴り上げた。
だが、またしても出力の加減が分からなかった。重力を置き去りにした私の身体は、一瞬にして境内の木々の高さを遥かに超えて、むき出しの夜空のど真ん中へと跳ね上がってしまった。
さっきまで見上げていた大木のてっぺんが、一瞬で足元のはるか下に沈んでいる。視界を遮るものが何もない虚空に放り出され、私は自分が信じられない高さまで飛んでしまったことに気づいた。
「いやあああああ!? 嘘、高すぎる、高すぎるわよおおかあさーん!!」
恐怖で頭の芯が真っ白になった。想定を遥かに超えたバケモノじみた跳躍力に怯える間もなく、頂点に達した身体が今度は猛烈な速度で落下を始める。落ちる、死ぬ、絶対に死ぬ! 私は空中でもがきながら、文字通りボロ泣きして涙を撒き散らした。
生きた心地がしないまま、引き寄せられるように神社の地面へと着地する。
足元から全身の骨を震わせるような激しい衝撃が突き抜けた。土煙が周囲に盛大に舞い上がる。吸血鬼の頑丈な肉体のおかげで骨折こそしなかったものの、私はそのまま地面にへたり込み、恐怖のあまり完全に腰を抜かしてガタガタと震え出した。
「うぅ……、ひぐっ……、もう無理, 死んじゃう……っ」
『……やれやれ、やはり出力の蛇口がガバガバですね。まあ、無傷なのは流石ですが――』
大福の念話が、唐突に途切れた。
可愛い黒ポメの耳が鋭く逆立ち、周囲の闇を警戒するように低く地響きのような唸り声を上げる。
同時に、私の鼻腔を、冷たい鉄のような嫌な匂いがかすめた。昨夜、あのコインパーキングで嗅いだ、死と怪異の匂いだ。
草むらを踏みしめる足音が、境内の闇のあちこちから湧き上がるように響き始める。
「……ちっ。蓮次を誘い出すための罠だったってわけかよ。本命は、留守になったこっちか」
いつの間にか裏手に回ってきていた大吾が、苦々しく吐き捨てた。彼の手に武器はなく、その身体は戦うための出力を一切持たない、ただの「人間」のままだ。
闇の中から姿を現したのは、無地の黒いワークウェアを纏った、異様なほど生気のない男たちだった。その服装は、昨夜あのコインパーキングで私の命を奪いかけた男と全く同じものだ。その目は濁り、口元からは鋭い犬歯が覗いている。冷徹な統制を感じさせる「知識持ちの鬼人」が、総勢五人――完全にこちらを包囲していた。
不気味な化け物たちのプレッシャーを前に、私は息を呑むことしかできない。つい数十秒前の空中大号泣の恐怖で足の震えが止まらず、ただただ硬直していた。
『椎名、私が前衛を務めます、あなたは私のサポートを!』
大福が黒い影のような速度で地を蹴り、敵の懐へと飛び込んでいった。
「え……あ、でも……あ……う……っ」
サポートと言われても、何をどうすればいいのか完全に頭が真っ白だった。
五人の鬼人は、人間の限界を超えた反射神経で大福を取り囲む。その戦闘は、あまりにも容赦がなかった。
一人が大福の軌道を遮るようにして、自分の腕を盾として差し出す。大福の鋭い爪がその腕を肉ごと深く引き裂き、白黒とした骨が露出するが、男は痛みに顔を歪めながらも退かない。それどころか、肉が削ぎ落とされる不快な抵抗感と激痛を無理やりねじ伏せて、残った手で大福の小さな身体を力任せに掴み、その動きを完全に封じ込めた。
残る四人の鬼人が、連動して一斉に爪を突き立てる。大福は身をよじって致命傷を避けるが、布地を強引に引き裂く音とともに、血の混じった生々しい肉飛沫が夜の闇に飛び散った。大福の皮膚がめくれ、そこから溢れ出た赤い液体が地面の乾いた土に吸われていく。数の暴力と、激痛に耐えながら冷徹に動く男たちの機械的な連携の前に、大福の小さな肉体は確実にすり潰されようとしていた。
『椎名! 突っ立っていないで闘いなさい! あなたの力が必要です!』
脳内に大福の、血を吐くような悲痛な叫びが響く。
「え、あ、でも……っ!」
闘う。その言葉の重みに、私の足は完全にすくんでいた。相手は昨日、自分の命を奪いかけた本物のバケモノたちだ。押し寄せる恐怖に私はその場から一歩も動けなくなってしまった。
その隙を、一人の鬼人が見逃さなかった。
濁った瞳が私を捉え、衣服の繊維を断ち切り、肉を引き裂くための凶悪な爪が、私の喉元めがけて一直線に振り下ろされる。
『椎名――っ!!』
脳内に響き渡ったのは、大福の引き裂かれそうな絶叫だった。
肉と皮が激しく断裂する、湿った嫌な音が響いた。
直撃の寸前、拘束を強引に引きちぎって跳んだ小さな黒い身体が私の前に割り込み、その爪を身代わりに受け止めていた。
大福の身体が、肉を引きちぎられる衝撃とともに激しく吹き飛び、神社の地面を何度も転がる。柔らかな黒い毛並みが、粘り気のある鮮血で赤黒く染まり、地面の泥を吸って無残に汚れていく。
『くっ……あ、あう……っ』
大福は折れた前足を震わせ、関節が異常な方向に曲がったまま、血を流して立ち上がろうとする。骨が皮膚の内側から肉を押し上げているのが外からでも分かった。かなりの重傷だ。
敵の鬼人たちが、じりじりと距離を詰めてくる。彼らの靴底が、撒き散らされた血と泥を吸って、ねっとりとした不快な足音を立てる。大福は動けない。大吾さんは戦えない。
このままじゃ、全員死ぬ。私のせいで、みんな死んでしまう。
(私が……やらなきゃ……!)
恐怖の奥底から、ドロリとした熱い感情がせり上がってきた。私は自分の両手を見つめ、泥を握りしめて立ち上がった。先ほどの訓練で、この身体の速度と跳躍力は嫌というほど脳に焼き付いている。大福の声を信じて、その指示通りに動けば、きっと届く。
腹を括れ、真壁椎名。お前はもう、ただ守られるだけの人間じゃない。
「大福……っ! 闘い方はわからないけれど、あなたの言う通りに動くわ! 指示を頂戴!」
ボロボロの大福の目が、執念深く鋭い輝きを取り戻した。
『了解です……! 私の声を信じて身体を委ねなさい! 左に三歩移動!』
大福の念話と同時に、私は左へ地を蹴った。先ほど確認した驚異的な脚力が、私を風のように移動させる。
直後、私がさっきまでいた地面を、鬼人の爪が凄まじい衝撃とともに爆裂させた。割れた石の鋭利な破片が私の頬を深くかすめ、熱い血が滲む。
『そこ、真上へ跳べ!』
膝を曲げ、全力で跳躍する。私の身体は一瞬で境内の木々の高さまで到達した。眼下で、空振りに終わった二人の鬼人が驚愕の表情で見上げている。
『着地と同時に反転! 振り向いて、右の男を思い切り殴れ!』
落下する速度のまま、私は地面を力強く踏みしめ、大福の指示通りに身体を独楽のように回転させた。視界の端に映った鬼人の顔面めがけて、私は右拳を突き出した。
狙うは、あの加減の感覚。
当たる瞬間に、人外の出力を乗せて――叩きつける!
骨が原型を留めずに粉砕される、鈍く重い感触が私の拳を通して脳裏に直接響いた。
人間の頭部大の石を砕くほどの衝撃が敵の顎を直撃し、下顎の骨が完全に砕け、肉を突き破って異常な角度に変形する。鬼人の身体はまるで丸太で殴られたかのように水平に吹き飛び、神社の頑丈な石灯籠に激突してそれを真二つに叩き割った。ぐにゃりと歪んだ首のまま、男はピクリとも動かない。一撃のもとに、一人が沈んだ。
『次は後方! 二人同時に来ます! 体を深く沈めて、右手を地面につきなさい! そのまま左足を、背後の空間へ向けて大きく円を描くように振り回すのです!』
大福のその、あまりにも具体的で、けれど意図の分からない奇妙な動作指示が脳内に直接突き刺さった。私は考えるよりも先に、ただ言われた通りに身体を動かした。
頭上を鋭い爪がかすめ、本殿の柱の表面を深く削り取る木屑が激しく顔に舞い散る。
身を沈めながら右手を冷たい石畳についた瞬間、私の左足は、人外の凶暴な出力を伴って背後の闇へと薙ぎ払われた。それは戦いを知らない私の意志ではなく、大福の言葉によって強制的に駆動させられた、ただの肉体の回転運動だった。
遠心力を乗せて虚空を回った私の左の踵が、背後から肉薄していた二人の足首をまとめて捉えた。
生木が中からへし折れるような嫌な音がして、二人の足首の骨が同時に皮膚を突き破って外側へと飛び出した。
彼らは激痛に顔を凄惨に歪め、喉から血の混じった絶叫をあげる。しかし、彼らは退かなかった。知識を持ち、理性を有しているはずの彼らは、その激痛に脳を焼き切られながらも、命令への絶対的な服従のままに、折れてぶらぶらになった足を引きずり、肉を引き裂く摩擦の激痛に狂いながら、なおも引き攣った顔で私に掴みかかろうとしてくる。その、痛みを知りながらも痛みを無視して迫る執念深さと、血と脂に塗れた顔に、私は生理的な嫌悪感で胸がむかついた。
『怯んではいけません! 目の前にある彼らの髪を両手で掴み、そのまま全力で腕を下に振り下ろしなさい!』
視界に迫る、苦悶に満ちた二人の顔。私はパニックのまま、差し出された彼らの髪を両手で掴み、狂暴な出力をそのまま乗せて、割れた石畳へと垂直に叩きつけた。
頭蓋が激しく激突して亀裂が入るような不快な衝撃が手のひらを通して腕に伝わり、ようやく二人の動きが完全に停止した。周囲に赤黒い液体が円状に広がっていく。これで三人。
『次、正面! 怯まず突っ込んできた四人目です。右膝を胸元まで引き上げ、そのまま足の裏で前方を押すようにまっすぐ突き出しなさい!』
大福の鋭いナビゲーションが途切れることなく脳裏を走る。私は一歩踏み込み、言われた通りに右膝を跳ね上げ、襲いかかる男の胸板を目がけて全力で足を突き出した。
私の足が四人目の胸元を捉えた瞬間、複数の肋骨がまとめて内側へと陥没し、肺を完全に押し潰す肉の不快な感触が足の裏にありありと伝わってきた。男は激痛に口から大量の血を吐き出しながら数メートル後方へ吹き飛び、太い木の幹に背骨を強打して、そのまま崩れ落ちた。
息を荒くしながらも、なんとか目の前の敵をすべて撃破した。私の服は、自分のものではない血と泥でひどく汚れていた。
「やった……やったわ、大福……っ!」
勝利の喜びが胸に湧き上がった、その瞬間だった。
背後の茂みから、気配を完全に消していた、包囲網の最後の一人である「五人目」の鬼人が、狂い咲いた刃のように飛び出してきた。その狙いは、指示を出していた大福の首元だった。
「大福、危ない――!」
声は届かなかった。鬼人の爪が、満身創痍の大福の頭部を冷酷に強打する。
肉と骨がまともにぶつかる重い鈍音が響き、大福の小さな身体は力なく地面に転がり、そのまま動かなくなった。気絶したのだ。
『大福の声』という羅針盤を、一瞬にして失ってしまった。
「あ……」
残された最後の一人が、返り血と泥で汚れた顔で、粘り気のある唾液を口元から垂らしながら私を睨みつける。
指示がなければ、私はただの戦い方も動き方も分からない素人だ。敵の鋭い踏み込みに対し、私は完全に反応が遅れた。鬼人の爪が私のスーツの肩口を深く引き裂き、そこから鋭い刃が肉に食い込む。
「う、あぐっ……!」
じわりと熱い痛みが走り、自分の皮膚が裂かれ、肉が左右に分かれる生々しい感触が伝わる。防戦一方に追い込まれ、じりじりと後退し、背中が本殿の木壁に当たった。逃げ場はない。
残された一人の鬼人は、一切の言葉を排除した冷酷な瞳で、私の心臓を貫こうとその長い腕を槍のように鋭く突き出してきた。
死を覚悟して目を瞑った私の耳に、肉が深く貫通する、湿った鈍い音が聞こえた。
痛みが来ない。恐る恐る目を開けると、私の目の前には、見慣れた神主の背中があった。
「ガはっ……、げほっ……!」
大吾さんが、私の身代わりになってその身体を突き出されていた。
鬼人の容赦のない爪が大吾さんの右胸の上あたりを深く貫いており、腕が引き抜かれると、そこにはぽっかりと深い刺し傷が残された。大吾さんの身体は糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちる。その傷口から、大量の鮮烈な赤が溢れ出し、神社の古い土をどくどくと濡らしていく。生きるか死ぬかの重傷だ。
そして、その瞬間。
夜の境内の空気が、一変した。
「あ……大吾、さん……?」
大吾さんの傷口から立ち上る、濃厚で、あまりにも甘美な、人間の「生の血」の匂い。
それが、私の鼻腔を、脳を、全身の細胞をダイレクトに貫いた。
心臓が内側から爆発したかのような衝撃が走る。
頭の芯が、真っ白な熱に塗りつぶされていく。喉の奥が、さっきの布団の時とは比べ物にならないほど猛烈に、火を放たれたかのようにチリチリと焼けつき始めた。
激しい吸血衝動。お腹の底から、底なしのブラックホールが口を開けたかのような、凄まじい餓えが身体中を支配する。これが、本物の「大食漢」の渇き。
「あ、あ、あああああああああああああああ!!」
理性の堤防が、木っ端微塵に決壊した。
私は獣のような咆哮を上げ、地面を爆破するかのような勢いで地を蹴った。
残された最後の一人の鬼人が、私の速度を視認することさえできなかった。
気づいた時には、私はその鬼人の胸ぐらを手繰り寄せ、神社の地面へと全力で叩きつけていた。
激しい衝撃とともに、境内の石畳が蜘蛛の巣状に大きく割れる。鬼人は悲鳴を上げることすら許されず、私の圧倒的な暴力の前に、ただの肉塊へと変えられていった。
理性を失った私は、馬乗りになって拳を叩きつけ続けた。当たるたびに肉が潰れ、骨が粉々に砕ける生々しい感触が拳を通して伝わってくる。泥と血が混ざり合ったものが私の顔や口の中にまで飛び散るが、それすら気にならないほど、脳が飢餓感で狂っていた。敵が完全に息絶え、肉の形を失ったあとも、私の腕は止まらなかった。
「はぁ……っ、はぁ……っ、あ、あ……っ」
敵をすべて肉肉しい沈黙へと追い込んだものの、私の飢餓感は、一向に収まる気配を見せなかった。
むしろ、周囲を漂う大吾さんの血の匂いが、理性をさらに激しく削り取っていく。
脳の意識が、暗い淵へと失われかけていく。
私はふらふらとした足取りで、地面に横たわる大吾さんのもとへと歩み寄っていた。
だめ。吸っちゃだめ。この人は味方。私を助けてくれた人。
頭では分かっているのに、吸血鬼としての本能が、私の首を大吾さんの傷口へと強制的に近づけさせていく。大吾さんの溢れる血が、脈打つ音が、私の耳元で恐ろしいほど鮮明に聞こえる。
(だめ……だめよ、誰か……誰か止めて……っ!)
涙が溢れ、大吾さんの血に濡れた胸元に落ちる。私の牙が、彼の白い皮膚に触れようとした――。
その瞬間、私の視界は、真っ黒な闇へと完全に塗りつぶされた。




