困惑
昨日……僕は東野さんのいろんな表情をもらった。
で、今日。僕はかなり早く学校へ来ている。
人がいない朝の教室はやけにひんやりしていた。
会いたいのか? いや、むしろ逆だ。
僕の席は教室の後ろ。廊下側。
東野さんの席は窓側の中央。
下駄箱から教室へ向かえば、後ろの扉が一番近い。その扉のすぐそばに僕の席はある。
天気予報の言葉を借りるなら、東野さんの予想進路は僕の真後ろを通過する。
「知らなかったなら最初から言ってよ。今度一緒に遊んで教えるから」
昨日の東野さんの言葉だ。
昨日は自分の部屋で、どうゲーム機を配置するか、どうすれば両親にバレないかを考えた。
東野さんの言葉を胸に、完璧に仕上げた。
終わったのは二十二時。当然、ゲームをする暇はない。
そのときから、頭の中は明日のことでいっぱいだった。
挨拶、どうしよう?
僕から話しかけていいのかな?
東野さんって、学校でゲームの話をしてたっけ?
で、今朝早くから机に伏して台風の通過を待っているところだ。
逃げてるわけじゃない。心を温めているだけだ。
ホームルーム三十分前。一人、また一人とクラスメイトが入ってきて、教室も少しずつ温まってきた気がする。
東野さんは、その見た目からか、女子に取り囲まれていることが多い。
近づけば周囲のにぎやかな声が届くはずだ。
まだ台風通過までは時間がある。
一人ずっと伏しているので「大丈夫か?」と声をかけてくる男子もいる。
この席じゃなければ自然に教室に入って席に着けたのに。
俺のチキン野郎……。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、暴風域に入ったことを告げる声が聞こえた。
「たまき~、おっはよ。」
「たまき、今日は遅いね。」
いつもは何とも感じない上履きの音が、今日はスピーカーでも付いているのかと思うほど響いてくる。
いやいや、これは僕の心臓の音も交じってるからだ。
「誰? 具合でも悪いのかな?」
取り巻きの一人が僕を見てる。
台風の中心が一瞬、止まった気がしたが、そのまま通り過ぎて行った。
やっと呼吸ができた。
僕はホームルームまで伏したままの姿勢を貫いた。
授業が始まると、新たな地獄が襲ってくる。
どうやっても体が窓際に落ちていく。
引力って地面に向かうものじゃないのか? ニュートンよ。
そういえば、万有引力だった。
どうあらがっても体が、顔が、右足の小指までもが窓際に向かう。
僕は午前中いっぱい、全身に力を込めて抗った。
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
当たり前だけど、今日だって時間は有限だ。
その音に急かされるように、僕は考えた。
一体、いつまであの笑顔を僕に向けてくれるのだろう。
昨日の「今度一緒に」は、まだ有効なんだろうか。
明日には期限切れになってしまうかもしれない。
今日、何か話しかけなければ、このままずっと何も変わらない。
ところが、昼休みに入るや否や、どこにでもいる苗字三人組に囲まれ、階段下へ連行された。
「なぁ、西野殿?」
出っ歯がチャームポイントの鈴木Aが聞いてきた。
「殿?」
「西野殿は昨日、十六時頃どこにいらっしゃいました?」
変な日本語で聞いてきた。……昨日のことがバレてる?
指をこすり合わせ、手の汗を誤魔化す。
「誰を推す?」
太めの体で、ズボンから大胆にシャツをはみ出させた田中Bが僕に圧をかける。
「もちろんトモちゃんだよね。でも、被っても困るなぁ。」
野球部で体ががっちりしている佐藤Cだが、なぜか身を小さくして困っている。
「何の話?」
本当に何を言ってるんだ、この馬鹿どもは。
「昨日、メイドインヘブンに行ったのは調査済み。さぁ、正直に答えるんだぞ。」
ますます何を喋っているのか分からない鈴木Aがまくしたてる。
「やっぱり、小さくてかわいい。グヒ、それでも付いてるところにはちゃんと付いてる、チナミちゃんだよね」
田中Bの鼻息がこっちまで届く。できれば離れてほしい。
「『気に入ったらビンタしてやるよ』と言い放つ、男気あふれるトモちゃんだよね? ああ、ぶたれたい」
佐藤Cの野球部とは思えない体のくねりが気持ち悪い。
「出会いは突然。階段の下から見えたあのおみ足、あの恥じらい。カノンちゃんに運命を感じずにはいられない!」
出っ歯で言うな鈴木A。
ん? どこかで似た風景が……気のせいか。
「一番大事な話を忘れてござった。」
もはや時代劇だな鈴木A。
「東野氏はメイドインヘブンにいらしましたか? 超重要案件ですぞ。」
背筋が凍った。目の前の茶番に一瞬気が緩んだせいか、またも手に汗がにじむ。
「東野さんはいなかった。メイドインヘブンの中には入ってない。恥ずかしくて逃げちゃった」
左手を後頭部にやり、わざと申し訳ないふりをする。
嘘はついていない。僕は店には入っていないし、東野さんのメイド姿も見ていない。彼女がいたのは二階のAZITOだ。
目の前の三人が、がっくりと肩を落とす。
「やっぱりガセでござったか。」
いまだに時代劇を続けるのか? こいつらは。
容疑者二十六人に聞いて、全員シロだったらしい。
ほどなく、東野さんの噂は消えることとなった。




