ー倭国争乱ー わこくそうらん
店内の空気が変わった。
「マップは何とか埋めた。高台、森、落石地点、逃げ道も見えてる。だが兵糧が足りねぇ。こっちは二十パーセントのペナルティだ」
「二十パーセントって、かなりまずいんじゃないですか?」
思わず聞くと、さっきのランドセルが画面から目を離さず答えた。
「かなりまずいです」
小学生が淡々と続ける。
「相手は四桁順位の邑です。向こうは二十パーセント前後の補正。実質の戦力差は最低でも一・五倍。装備差を除いて、です」
「装備差は?」
店長が聞く。
「全員、鉄装備の可能性が高いです」
「だそうだ」
店長は笑った。
「正面からやったら死ぬ。だから正面からはやらねぇ」
地図の左、高台を指す。
「榊。まず高台へ上がれ。敵の数、装備、進路。見えるものは全部拾え」
「了解しました」
さっきの御曹司――榊さんが眼鏡を押し上げる。
「たまきは榊の補佐。高台を取られたら終わる」
「分かった」
東野さんも短く答えた。
「俺とランドセルは、敵の中で一番弱そうなやつを全力で殴る。」
「弱そうなやつ、ですか?」
「強いやつに勝てるか。弱そうなやつを二人で一気に全力で叩く。これだ。」
悪びれる様子は一切ない。
「モブは工作兵。NPCは森に残せ。落とし穴のアイテム入れとけ。ツタは現地で調達、足止めに使え。お前は一人で抜けて、NPCを狙う敵の補給路を切れ。運よく一部隊落とせたら、装備を奪って逃げろ」
店長が視線だけを横へ向ける。
「分かってんな?」
「……はい」
店の端にいた若い男が、小さく答えた。
店長の言葉を、僕は頭の中でもう一度たどる。
――落とし穴の道具は持ってけ。ツタは現地で拾え。
――倒せなくていい。足を止められりゃ、それでいい。
落とし穴。
ツタ。
ゲームの作戦会議を聞いているはずなのに、山賊の相談にしか聞こえない。
「奪ったら逃げる。持ったやつを全員で逃がす。俺たちは鉄という文化をいただく。それが今回の目的だ。」
画面では、まだ誰も動いていない。
けれど店の中だけは、もう戦場だった。
コントローラーを持って座っているだけなのに、全員の顔つきは歴戦の兵そのものだった。
店長が全員を見回し、にやりと笑う。
「野郎ども!」
そこで一瞬、東野さんを見た。
「あ、娘もな」
「雑」
「やるぜえぃ!」
誰も笑わなかった。
いや、笑わなかったけれど、全員の体が少しだけ前へ出た。
午後五時四十分。
重低音の太鼓が鳴った。
画面の中だけではない。
店内の空気まで、その音に沈み込んだ気がした。
大型モニターには榊さんの画面が映る。
画面の中にいたのは、五人の兵士だった。
片手剣と盾を持った前衛が三人。左後方に弓兵。そして中央に、榊さんの操作する人物。
五人は少しずつ前後にずれ、上から見るとアルファベットのWのように並んでいる。
装備は、正直かなりひどい。
まるで原始人だった。
獣の皮で大事な部分だけを何とか隠している。
服というより、最低限の布切れに近い。
隣で東野さんが、画面を見ながら小さくぼやいた。
「早く服、着たいなぁ。貫頭衣でいいから」
貫頭衣でいいんだ。
いや、貫頭衣が何かもよく分からないけど。
画面右下の地図には、三本の道。
中央は敵の拠点へまっすぐ。左右は迂回路。中央の左に森、右に高台がある。
榊さんと東野さんの部隊は、まず高台へ向かった。
「メガネ、高台だ」
「榊です。作戦どおり行軍中。すでに、うっすら見えます」
榊さんはいつもの調子で訂正しながら答える。
「あたしも見えてきた。あの灰色いの?」
「鉄です」
榊さんの声が少しだけ低くなった。
「鉄の盾を持った部隊が二つ、こちらへ進んでいます。鉄で固めている分、移動速度はこちらの半分程度です」
ランドセルが口を開く。
「黒曜石の槍なら、一発十ダメージくらい。突進しても前衛に四十入るかどうか。向こうの鉄武器で殴られたら、こっちは三回でオーバーキルです」
小学生が言う言葉じゃない。
「突進が当たっても、体力を同じにするだけかよ。メガネ、奴らは無視だ。ただし見張っとけ」
「榊です。一部隊は本陣方向。一部隊は高台の裏へ。もう一部隊、森の奥へ消えました」
「そっちは看破持ちかもしれねぇな。ランドセル、ついてこい。高台の裏へ回る。モブ、予定どおりNPCを森へ置け。お前はそのまま抜けろ!」
店主の声で部隊が一斉に動く。
カウンター奥の大画面に映っているのは、榊さんの視点だ。
森に入ったモブ君の姿は見えない。
ただ、画面右下の地図上で、モブ君の位置を示す印が森の中をもぞもぞ動いている。
店長の指示どおりなら、今ごろ四人のNPCを森に残し、ツタを集め、落とし穴を仕掛けているのだろう。
モブ君が生きている限り、残されたNPCは近づく敵を迎撃する。
工作が終われば、一人で森を抜け、敵の補給路を潰しに向かう。
それが今回のモブ君の任務だ。
大画面の中で、榊さんの部隊が動く。
その後ろに、青い線が伸びていった。
「あれ、何?」
「補給路」
東野さんが短く教えてくれた。
聞いたことはある。
でもゲームで見るのは初めてだ。
青い線を敵の色で塗り替えられると、兵糧が届かなくなり、体力まで減っていくらしい。
つまり、ただ前へ進んでいるのではない。
自分たちの命綱を、後ろへ伸ばしながら進んでいる。
その時、ランドセルが何かに気づいた。
「敵本陣のプレイヤー、動いてないよ」
全員の視線が画面の奥へ向く。
「回線落ち?」
少し間を置いて、ランドセルは真顔で続けた。
「トイレかも」
戦場って、そういう理由で止まることもあるんだ。
「うんこだったらいいな」
店長が言った。
「さいってい!」
東野さんが即座に反応する。
「みんな願ってるだろ?」
誰も返事をしなかった。
店長の冗談は、戦場には届かなかったらしい。
「確認する。モブ、そのまま敵本陣へ行け。補給路を絶て!」
返事はない。
でも、なぜか分かった。
行ってきます。
そんな空気だけが、店内の端からすっと消えた。
「たまきさんは私の後ろで回復を。まず一分。一分耐えてください」
「はい」
遊びじゃない。
いや、遊んでいるはずだ。
これはゲームだ。
なのに、誰の顔も遊び半分には見えなかった。
画面の奥で、銀色の点が少しずつ大きくなる。
こちらは坂の上。
それでも相手は、確実に近づいてくる。
獣の皮をまとったこちらの兵士の背中越しに、鉄の盾、鉄の槍、布の服を着た敵兵が登ってくる。
全身鎧ではない。
それでも、こちらとはまるで違った。
三回殴られるとオーバーキル。
一分で、何回殴れるんだろう。
「反撃するな! とにかく防御だ。たまきはメガネの背後を取らせるな!」
ヴオン。
敵の槍が突き出される。
ヴオン。
前衛は盾を構えていた。
それでも、攻撃を受けた瞬間、頭上の緑のバーが半分近くまで縮んだ。
「防御してもこれかよ」
榊さんの代わりに、店長が愚痴をこぼす。
「もう一部隊、来ます」
榊さんが言った直後、味方の兵士が二人倒れた。
だが、背後から迫っていた鉄装備の動きが、わずかに鈍る。
「敵の体力、減ってる……誰も殴ってないのに」
「補給路だ」
店長が顎で画面の奥を指した。
敵本陣の周りを、小さな何かが動いている。
いや、動いているというより――転がっている。
「米俵が、敵本陣で動いてるんですけど……」
「あれはモブだ」
店長は当然のように言った。
当然じゃない。
「あれ、米俵ですよね?」
「米俵のかぶりもんだ。隠蔽と表示遮断を持ってる。ああいう格好の方が紛れやすい」
敵本陣の目の前を米俵がころころ転がっているのに?
「ちなみに、合戦勝利報酬の米俵だ」
「そんな大事そうなものを、かぶってるんですか」
「使い道が見つかってよかっただろ」
よくないと思う。
画面の奥で米俵が、敵の補給路を赤から青へ塗り替えていく。
たぶん、ものすごく大事な仕事をしている。
でも見た目は、完全に米俵だった。
「鳥が寄ってくるんだよな、あれ」
店長がぼそっと言った。
「鳥?」
「ツンツンされて、体力が減る」
「欠点あるじゃないですか!」
「だから急いでんだよ」
そんな米俵が、敵本陣の周りを必死に転がっていた。




