地底の蹈鞴、黒鉄の亡者
洞窟の傾斜は急で、湿った岩肌を伝う地下水が足元を濡らしていた。
銀華が指先に灯した青白い狐火が、湿潤な闇を淡く照らし出す。下へ下へと進むにつれ、周囲の空気が異様な変貌を遂げていった。洞窟の入口で感じた凍てつくような冷気の底から、肌をじりじりと焼くような生温かい熱気が立ち上り始め、相反する二つの気が渦を巻いて肌にまとわりついてくる。
通路を抜け切ると、頭上が不意に抜けて広大な地底の空洞が現れた。
見上げるほど高い天井からは無数の鍾乳石が牙のように突き出し、空間の中央には、巨石を精巧に組み上げた太古の製鉄遺構がそびえ立っていた。地上で見られる土壁の蹈鞴炉とは比べものにならぬほど巨大な石の炉であり、その周囲には山のように積み上がった黒光りする鉄滓が、鈍い燐光を放っている。
空洞全体に、規則正しい金属音が反響していた。
かん、かん、かん。
音の出所は、石の炉の足元であった。
銀華の灯火がその一角を照らし出した瞬間、異様な光景が露わになった。
炉の周囲に群がる十数人の人影。しかし、それは生きた人間ではなかった。痩せこけた四肢の皮膚は黒い鉱石と融合してひび割れ、指先は鉄の鑿や槌と完全に癒着していた。眼窩の奥には生気のない濁った赤い光が灯り、誰も一言も発することなく、虚ろな動作で赤熱した鉄の塊を打ち続けている。
『あれは』
アルスが息を呑み、歩みを止めた。
『神代の昔、この禁域で神の鉄を掘り、炉に火を入れ続けた者たちの成れの果てだよ。黄泉の国の瘴気に呑まれ、死ぬことすら許されずに、何百年もこの暗闇で鉄を打ち続ける呪縛に囚われているのさ』
銀華の静かな声が、洞内の金属音の合間に滑り込んだ。
その言葉と同時に、亡者たちの動きが一斉に止まった。
首が軋むような乾いた音を立てて、十数対の赤い眼球が一斉にアルスと銀華の方へと向けられた。生者の気配を察知した亡者たちの喉から、地を這うような唸り声が漏れ出す。
彼らは手にした巨大な鉄槌や鑿を振り上げ、鉱石と化した重い足取りで一斉に間合いを詰めてきた。踏みしめる足元の鉄滓が擦れ合い、じゃらり、じゃらりと不吉な音が響く。
先頭の亡者が、丸太のような太さの鉄槌を頭上から振り下ろしてきた。風を切り裂く重厚な一撃。まともに受ければ岩すら粉々に砕け散る質量であった。
アルスは大太刀を抜かず、半身に開いてその軌道を紙一重でかわした。
轟音とともに鉄槌が足元の岩盤を叩き割り、破片が激しく飛び散る。その隙を見逃さず、アルスは右の掌底を亡者の胸元へと鋭く打ち込んだ。
ごう、と鋼鉄同士が激突するような鈍い衝撃が走る。
並の武者ならば吹き飛ぶはずの威力を叩き込まれながら、亡者はわずかに後退しただけであった。鉱物化した肉体はアルスの剛力を吸収し、傷口から黒い瘴気を吹き出しながら、何事もなかったかのように再び鉄槌を持ち上げてくる。
『アルス、力任せに打ち砕いても無駄だよ。奴らの命脈は、胸の奥深くに埋め込まれた黄泉の呪核に繋がれている。それを浄化しない限り、大地の鉄を取り込んで何度でも再生する』
銀華が白き衣を翻し、空中に躍り出た。
銀華の両手から放たれた九筋の青白い霊火が、宙で細い光の縄となって編み上げられ、襲いかかる亡者たちの四肢を一瞬で縛り上げた。鉱石の腕が軋み、亡者たちが激しく暴れ回るが、神獣の霊威で編まれた光の縛めを解くことはできない。
『核を狙いなさい、アルス。あんたの清らかな気で、その呪縛を断ち切るんだ』
『分かりました』
アルスは深く息を整え、両の拳に意識を集中させた。
古代の血脈から引き出された純粋な生命の気が、拳の周囲に黄金の微光となって揺らめく。
縛られた亡者の胸元、黒い鉱石の皮膚がひび割れた中心部に、微かに脈打つ漆黒の結晶が見えた。黄泉の瘴気が凝縮した呪核であった。
アルスは鋭く踏み込み、黄金の光を纏った手刀を亡者の胸元へと突き入れた。
硬い鉄の皮膚をすり抜けるように、アルスの気が黒い結晶を捉えた。
パリン、と硝子が割れるような清らかな音が洞内に響き渡った。
呪核を砕かれた亡者の身体から、どす黒い瘴気が白い煙となって抜け出ていく。赤く濁っていた瞳の光が消え、鉱石と化していた肉体がさらさらとした清らかな灰へと変わり、地底の岩肌へと崩れ落ちていった。
灰の中から立ち上った微かな光の粒が、アルスと銀華の周囲を感謝するように一度旋回し、頭上の闇へと消え去っていく。
『一人、救われましたね』
アルスが拳を引き、残る亡者たちを見据えた。
その瞳には迷いはなく、苦痛に囚われ続けた古の魂を解放するための、静かで力強い決意が満ちていた。




