第3話:仕組まれた婚約
あの衝撃的な夜会から、わずか三日後のことでした。
私がいつものように離れの図書室で静かに本を読んでいると、息を切らせたレイラが血相を変えて飛び込んできたのです。
「お、お嬢様! 大変です! 今、本邸の応接間に、あのヴァルハイト公爵閣下からの使者がいらしています! しかも……お嬢様との婚約を申し込むという、正式な書状を持って!」
「えっ……!?」
私は驚きのあまり、手に持っていた本を危うく落としそうになりました。
夜会でのあの一幕は、ただの偶然か、あるいは公爵様の気まぐれに過ぎないと思い込もうとしていたのです。それなのに、まさか本当に私のような無能と蔑まれる令嬢に、国屈指の権力者である公爵家から婚約の申し込みが届くなんて。
すぐに本邸へと呼び出された私は、張り詰めた空気の流れる応接間へと足を踏み入れました。
そこには、酷く青ざめた顔で冷や汗を流している父と、不機嫌さを隠そうともしない義母、そして唇を噛み締めて拳を握りしめているジュリアンの姿がありました。
「……エルリア、お前、夜会で公爵閣下に一体どんな不敬を働いたのだ」
父が震える声で私を咎めるように言いました。
「私は何も不敬なことなど……」
「嘘を言うな! 閣下がお前のような無能をまともに娶るはずがないだろう! ヴァルハイト公爵家は新興の魔導技術を良しとしない、恐るべき革新派の怪物だ。きっと、我がローゼンブラウ家を政治的に揺さぶるため、お前を人質として要求しているに違いない!」
ジュリアンが苛立ちを爆発させるように怒鳴りました。彼らにとって、自分たちが散々見下してきた私が、雲の上の存在である公爵閣下に見初められた事実は、プライドが到底許さないのでしょう。
「しかし……断ればヴァルハイト公爵家を敵に回すことになる。我が家の体裁のためにも、エルリア、お前が公爵邸へ行くんだ。これは決定だ」
父は私の方を一度も見ようとせず、事務的にそう告げました。
実の娘を厄介払いし、かつトカゲの尻尾切りとして差し出す──それが父親の出した結論でした。
こうして私は、拒否権など一切与えられないまま、わずかな荷物とレイラだけを連れて、王都の郊外にそびえ立つヴァルハイト公爵邸へと移ることになったのです。
黒い石造りの、重厚でどこか威圧感のある公爵邸。
馬車を降りた私を待っていたのは、冷徹な噂に違わぬ、鋭い眼差しをしたアルカイド様その人でした。
「よく来たな、エルリア」
執務室で対面した彼は、書類から目を離し、あの凍てつくような銀色の瞳で私を見つめました。
「お前をここに呼んだ理由を、単刀直入に説明しよう。これは、愛や恋といった生ぬるいものではない。私とお前の『契約』だ」
「……契約、でございますか」
私は背筋を伸ばし、彼の言葉を待ちました。
「そうだ。私は生まれつき、過剰なまでの『闇と氷の魔力』を宿している。だが、近年その力が強まりすぎ、時折、己の意志に関わらず魔力が暴走しそうになるのだ。我が身を苛むその冷気は、いずれ私自身を内側から凍りつかせる呪いでもある」
アルカイド様は自らの手を見つめ、苦々しく吐き捨てました。
「だが、先日の夜会でお前が私の手に触れた瞬間、その暴走しかけていた魔力が、完全に静まり返った。長年、あらゆる魔導具や高位の治癒魔術を試しても効果がなかったというのにだ」
彼は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきました。
「お前には、私の魔力を完全に抑え込む、未知の抑止力がある。だから私はお前を欲した。ヴァルハイト公爵夫人の座と、不自由のない暮らし、そして実家からの完全な庇護を保証しよう。その代わりに、私の側にいて、この呪いを抑える盾となれ」
冷徹極まりない、打算に満ちたプロポーズ。
しかし、私を「無能」と切り捨てた実家とは違い、彼は私の中にある、私自身すら正体を知らない「力」を明確に必要としてくれている。その事実が、私の傷ついた心に不思議な温かさを灯しました。
「分かりました、アルカイド様。私にそのお役目が果たせるのでしたら……その契約、喜んでお受けいたしますわ」
私が恐れずに彼の瞳を見つめ返して微笑むと、アルカイド様はわずかに目を見開きました。そして、不器用そうにフイと視線を逸らし、「……物分かりが良いのは助かる」とだけ低く呟いたのです。
こうして、周囲からは「仕組まれた生贄のような婚約」と噂される、私たちの奇妙な共同生活が幕を開けたのでした。










