表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/18

世界史B:イギリス・自由主義改革~アイルランド問題

【イギリス・自由主義改革】


19C前半、古典派経済学と功利主義(「最大多数の最大幸福」を説いたベンサムとか)を信奉するブルジョワが推進していた運動を自由主義運動と言います。地主階級は19世紀に政治指導力を得て、以後それを保持し続けたイギリスは他国とは一風変わった状態を多々見せます。




その運動の一部ですが、例えば19世紀と言えば産業革命真っ只中です。産業資本家という存在が出現し、都市に人口が集中してスラムとか、産業廃棄物と生活排水等で汚臭を放ち「一滴に百万匹の虫がいる」とか言われたテムズ川とか、スモッグとかでカオスなのは置いておいて、取り敢えず全体的に国民が政治に興味を示す様になった時代でした。産業資本家は金持ちなので選挙権を獲得(勿論金持ちじゃない労働者はもうちょい後)します。あとは腐敗選挙区(何で人口は都市に集中してるのに下院議員の選出数はそのまんまなんだい?都市部増やして田舎の選出数減らせよ)を廃止し、ちゃんと人口急増地に議席を回したりしてます。これは第一回選挙法改正(1832、ホイッグ党のグレイ内閣時代。因みにホイッグ党が政党実現したのはなんと70年振り)で行われました。


他には黒人奴隷貿易も禁止(1807)し、1833年にはグレイ内閣が奴隷制度そのものを廃止しました。これはウィルバーフォース等キリスト教福音主義者やクウェーカー教徒(キリスト教の派生みたいな宗教)が主張したものです。それに産業資本家が「重商主義支持の砂糖プランター共がウザイ!自由な貿易やらせろ!」という理由で奴隷制に反対した事で通りました。



さて、そんなイギリスは宗教差別が地味に根強い国でした。例えば審査法(1673~)。当時(名誉革命前位)王が「カトリック使って絶対王政築いてるフランスの真似したい!」と言う王が出て来た事にイラッと来たお偉いさん達が公職(国会議員・警察等)就任者は国教徒以外認めない!という方を作っていたのですが、この時代になって漸く撤廃されます。個人の信仰を規制するのは色々な事(主に政治とかストライキとか)で壁となっていた為に成されました。まぁこの辺りは後で説明入れます。





【イギリス・自由貿易主義の確立】


イギリスで貿易と言えばやはり東インド会社です。インドや中国等、最も儲かる場所を独占していた企業なのですが、1813年に中国貿易(=茶)を除く貿易独占権を廃止、そして33年には中国貿易すら独占権廃止する程になり、34年には商業活動を停止する程(ただしインド統治機関として会社自体は残る)にまで落ちました。これにより自由貿易の道が随分開けます。



おまけに46年には穀物法も廃止しました。これはナポレオン戦争後(1815年)に出来た法律なのですが、出来るまでの過程が少々面倒です。


まず、イギリスを敵視し大陸封鎖令なんて物を出していたナポ公が消え去った欧州では、貿易の自由を獲得しました。これにより大陸部からはガンガン穀物が安くイギリスへ流入して行きます。一方イギリスは今までナポ公のお陰で国内の穀物が高くても買うしかない、という状況だった為に地主や農業資本家がウッハウハな時代だったのですが、この安い穀物が再び入って来るようになった事で頭を抱える事になります。「儲からねぇ…」と嘆く地主さんを助ける為、国外からの穀物に高関税をかけ、自国のモノの方が安いように見せかける事になりました。すると物価は上昇します。


つまり原料の値段も上がります。労働者は「高い物買いたくない(´・ω・`)」と言いますし、産業資本家は「原料高いのヤダ」と言います。コレに味方したコブデン・ブライトらが反穀物法同盟を結成(1839。inマンチェスター)し、ジェントリや内閣と嫌味の応酬。


おまけに後に詳しくやりますが、46年にアイルランドでジャガイモ危機が起こる程温度が下がってしまい、これを乗り越える為にも46年にピール保守党内閣が廃止する事を決めました。が、廃止反対者も少なくなく、これ以後保守党内は分離していきます。




【イギリス・労働運動の展開】


1811~17年に技術革新の反動ととれる物が起こりました。熟練労働者が「良くも機械が俺たちの仕事を奪いやがったな」や賃上げ要求や、中世の徒弟制的な労働制度の維持などを理由機械打ちこわし(ラダイト)運動を起こします。が、運動は失敗(ちなみにイギリス政府はスパイで情報収集し、軍隊を投入。1816年頃までにようやく運動を鎮圧)。ですが団結禁止法が24年に廃止され、これが労働組合による運動へと転換するきっかけとなります。



それと37~58年頃にはチャーティスト運動が起こりました。第一回選挙法改正の際に選挙権を貰えなかった労働者たちが男性普通選挙・無記名選挙等6カ条を記した人民憲章(ピープルズ=チャーター)を掲げたのですが、イギリスは他国に比べ比較的市民層が裕福な国でした。なので「うん、まぁ満足とは言わないけど酷いとは思って無いよなぁ」という空気で、あまり盛り上がらない運動だったようです。が、二月革命(1848)後に最高潮となりました。これが世界初の組織的労働運動です。が、失敗し、労働組合主義へ転換します。


おまけに当時は上記のように労働者が満足する状態で無い上、子供や女性含む勤務労働に多々問題がありました(低賃金・長時間労働とか)。具体的には↓


「活況の時期には、少女たちは朝のなん時に工場に行ったか」

「活況の時期には、それは6週間ばかりの期間ですが、少女たちは朝の3時には工場に行き、仕事を終えるのは夜の10時から10時半近くでした」

「19時間の労働の間に休息あるいは休養のためにどれだけの休憩時間が与えられたか」

「朝食に15分間、昼食に30分間、そして飲料をとる時間に15分間です」

「その休憩時間のうちのいくらかが機械の掃除にとられたか」

「ときにはこの仕事が朝食の時間、あるいは飲料をとる時間をまるまるとってしまいました」

「このように極端な労働をする子供たちを、朝、目をさまさせるのに大変苦労しなかったか」

「そうです、早出のときには、彼女たちを仕事に送り出すまえに、身仕度させるために床の上におろすとき、眠ったままでいるのをかかえあげ、ゆすぶらなければなりませんでした・・・」

「もしも彼女たちが僅かに遅刻したとして、この長時間のあいだにその影響はどうなったか」

「彼女たちは労働時間が最も長いときでも、最も短いときと同様にクォータされました」

「クオータとはなんのことか」

「賃金を4分の1減らされることです」

「どのくらい遅れたらクォータされるのか」

「5分間です」

「この長期間労働の期間に、彼女たちが寝床に入っていられる時間の長さはどれだけだったか」

「わずかな食事をとったあとで11時近くなってやっと彼女たちを床につかせることができました」

「それではこの場合には彼女たちは4時間以上の睡眠をとらなかったのだね」

「そうです。とりませんでした」

「それはどのくらいの期間継続したのか」

「6週間ばかり継続しました」

「普通の労働時間は朝の6時から夜の8時半までだったのだね」

「そうです」 (平凡社『西洋史料集成』より)


そりゃ不満も出るさ…と、いう環境に見るに見かねた善人のロバート=オーウェン等が工場法の制定を主張した結果33年に一般工場法が制定されました。尚、オーウェンは社会主義思想の持ち主です。産業革命期に資本主義の矛盾が生じて来たのを目の当たりにし、皆平等を説く社会主義(共産主義の手前的な思想)が人気になったのです。


しかも社会主義には二パターンありまして、片や割と夢見がちな願望を抱く空想的社会主義(英のオーウェン、仏のサン=シモン、フーリエ、国立作業所を提唱したルイ=ブラン等)。もう片方は割と現実的な考えの科学的社会主義(独のマルクス、エンゲルス等。この二人は弁証法的唯物論による唯物史観から階級闘争を重視しました。『共産党宣言』(1848)では「万国の労働者よ、団結せよ」なんて言ってたり)です。




【イギリスの繁栄】


ヴィクトリア女王(位1837~1901)にイギリスは「世界の工場」として繁栄しました。ロンドン万国博覧会(1851)、つまり第一回万博ではクリスタルパレスなど近代的工業力を他国へ誇示した程です。そんなイギリスは世界の銀行でもありました。地主階級と都市の金融資本が融合して、海運や保険などの制度を取り入れウッハウハです。



更に二大政党政治が実現された事で政治的にも安定してました。片やディズレーリ首相(任1868、74~80)で有名な保守党(トーリ党から発展)。別に保守だからといって、「法律そのまんまでいーよなー。てか変えたくねぇ」とかはありません。ちゃんと認める所は認めて法を変えたりもします。とは言え基本こちらは保守的な政策で、尚且つ対外膨張政策に勤しんでいきます。


対外膨張政策とは、「植民地をこの調子で増やして行こうぜ!」的な考え方で、いい例がスエズ運河株買収とか、インド帝国の建設(どちらも後で詳しい説明入れます)ですね。このインド帝国、皇帝はなんとイギリス女王のヴィクトリアさん。帝国主義の時代を築きました。


そしてもう片方がパーマストン外相(任1830~34、35~41、46~51。積極的に対外進出した人。国内固めつつ他国へは強気な姿勢を見せる)やグラッドストン首相(任1868~74、80~85、86、92~94。自由主義的諸改革を推進した人)で有名な自由党(ホイッグ党の発展形)。グラッドストンさんは主に国内の改革を目指しました。植民地に対しても基本は平和的外交を目指し、そんなに増やそうとはしませんでした。代わりに国内をよりよくする方へ動きます。例えば教育法(1870)。8~13歳の義務教育を整備・普及しました。あとは労働組合法(1871)で労働組合を法律として合法化します。


この時代辺りでは選挙法の改正も進みます。第二回選挙法改正(1867。ダービー保守党内閣)では都市労働者に選挙権を付与。第三回(1884。グラッドストン自由党内閣)では農村労働者などに選挙権付与。チャーティスト運動の結果が実っていく時代です。




【アイルランド問題】


これは3つの問題の総称で、今尚続くものでもあります。


一つは民族問題で、イングランド(イギリス本土)はアングロ=サクソン人なのに対し、アイルランドはケルト人である、という差です。


二つ目は宗教問題。イギリス人は基本プロテスタント(というか国教徒)なのに対し、アイルランド人はカトリックです。


三つ目は土地問題で、ピューリタン革命時にクロムウェルによって95%の土地を没収され(1649)、アイルランド人農民はイギリス人に搾取される小作人になってしまったという問題です。おまけに彼等はアイルランドに居ない地主(=ブリテン島の方に居る。不在地主)に麦を輸出しなければいけませんでした。



又、イギリスに征服されたあとも、アイルランドには形だけの議会があったのですが、これが1801年にイギリス議会に併合されます。これ以降イギリスの正式国名は、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となりました。略して連合王国・U.K.です。これらの理由でイギリス人はアイルランド人を差別しまくっていました。


が、これは勿論不満です。23年にオコンネルらアイルランド人の参政権要求運動が高まりました。そこで出て来るのが審査法禁止(1828)です。これには罠がありまして‘カトリックを除く’非国教徒に公職(国会議員・警察等)を解放する、という法律だったのです。要は何処までもアイルランドを下に見ていた訳です。翌年にはカトリック教徒解放法が出て宗教的差別は廃止されますが、その他は残されたままです。



さて、ここで大問題が起きます。それはアイルランドでジャガイモ大凶作(1845)が起きた事。イギリスは地味に寒い国なので作物が育ちにくい国です。よって実はドイツと並ぶ芋々しい(しかも飯マズ)国です。が、ここで大飢饉が発生してしまい、アメリカへの移住民が大量発生しました。41年には850万人居た人口が51年には640万人、1911年には410万人にまで減ってしまいました。今は450万位らしいです。


こんな状況なので48年に青年アイルランド党が蜂起を起こしたり、50年に小作人同盟作ってイギリス政府に「ねぇねぇどうにかしてくんない?」とネバネバ時間をかけた要求を繰り返します。それが実たのは70年、グラッドストン内閣がアイルランド土地法を制定した為です。ここではアイルランド人の小作権の安定、適正な地代、小作権販売が認められ、以後自由党とアイルランド国民党が提携してこの運動を推進(1881、85、1903)していきます。


が、そう次々上手くはいきません。86年にグラッドストン内閣がアイルランド自治法案を提出するのですが、保守党の反対にあい否決されてしまいました。93年にもう一度やっても結果はおなじです。



そこで05年にシン=フェイン党が結成され、「俺達完全に独立するからな!」と主張します。そして14年にアスキス自由内閣等がアイルランド自治法を成立させ――たのですが、第一次世界大戦(WW1)で延期されてしまいました。これに怒り16年にイースター蜂起起こして抗議活動したりもしますが、18年にWW1が終わった後、無事に22年にアイルランド自由国(自治領)が成立します。が、北アイルランドのアルスター地方だけは「俺達基本プロテスタントなんで」と、イギリスの止まります。だからイギリスの今の正式名称はグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国な訳です。37年にはエールと改称して完全独立し、49年にはアイルランド共和国としてイギリス連邦から離脱します。


が、69年頃から北アイルランド紛争(旧教徒VS新教徒)が勃発し、一時はIRA(カトリック側のアイルランド共和軍)が停戦を結びます(1994)が、96年に再発。98年にブレア労働党内閣が停戦協定を結んで以後、今の状態が維持されてます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ