ep4.夜明け前
老人は、その後しばらく眠った。
浅く。
時折苦しそうに息を詰まらせながら。
モニカは寝台のそばへ椅子を寄せ、その呼吸を静かに聞いていた。
暖炉の火は小さく揺れている。
外ではまだ雪が降っていた。
夜が深いのか。
もう朝が近いのか。
分からなくなるような静けさだった。
老人の呼吸は、少しずつ弱くなっていた。
速さではなく、力そのものが薄れていく。
胸の動きが小さい。
吸う音も浅い。
その変化を、モニカは嫌というほど知っていた。
終わりへ向かう呼吸だった。
昔の記憶が、またぼんやりと浮かぶ。
夜勤の終盤。
消灯後の病室。
点滴ポンプの規則的な音。
疲れ切ったスタッフステーション。
誰かが小声で言う。
——「家族、間に合うかな」
モニカは小さく目を閉じた。
老人の指先へ触れる。
冷たい。
けれど、まだ少しだけ熱が残っている。
その時、老人がゆっくり目を開けた。
濁った瞳が、天井ではなくモニカを見る。
「……朝か」
掠れた声だった。
「まだ夜です」
老人は小さく笑った。
その笑い方が、不思議なくらい穏やかだった。
「そうか……」
少し沈黙が落ちる。
暖炉の薪が崩れ、赤い火の粉が静かに舞った。
老人は天井を見たまま呟く。
「昔な……娘がいた」
モニカは何も言わない。
老人は途切れ途切れに続ける。
「雪の日になると……よく熱を出してな」
呼吸が乱れる。
胸の奥で、また水の音が鳴る。
それでも老人は、小さく笑っていた。
「妻に怒られながら……夜中に薬を探しに行った」
モニカは静かに耳を傾けていた。
老人の声は、誰かに話しているというより、遠い昔へ向かって流れていくみたいだった。
「……もう、顔も曖昧だ」
その言葉のあと、部屋に静けさが落ちる。
モニカは、濡らした布をもう一度老人の額へ当てた。
老人は目を閉じる。
そして小さく呟いた。
「でもな」
呼吸の合間。
かすれる声。
「最後に人に触れてもらえるってのは……悪くない」
モニカの手が止まる。
暖炉の火が、静かに揺れた。
遠くで、夜明け前の鐘が鳴り始めていた。




