第二章 モニカと少年
雪は、まだ降り続いていた。
老人が亡くなってから数日。
街は何事もなかったみたいに朝を迎え、広場には焼きたてのパンの匂いが流れている。
教会の鐘も、いつも通り鳴っていた。
人がひとり死んでも、街は止まらない。
モニカは外套の襟を寄せながら、白く煙る坂道を歩いていた。
吐く息が冷たい。
石畳には新しい雪が積もり、人々の足跡だけが細く続いている。
あの日から時折、モニカは無意識に周囲の呼吸音を探してしまうようになっていた。
咳。
痰の絡む音。
浅い息。
そんなものが耳へ入るたび、胸の奥が小さく疼く。
その時だった。
路地裏の奥で、荒い咳が響いた。
短く。
苦しそうな咳だった。
モニカの足が止まる。
暗い石壁の隙間。
積もった雪の向こうに、小さな影がうずくまっていた。
少年だった。
年は十歳くらいだろうか。
薄い上着を抱き寄せ、肩を震わせている。
呼吸は速い。
顔色も悪い。
咳をするたび、胸の奥で濡れた音が鳴っていた。
モニカが近づこうとすると、少年は反射みたいに身体を引いた。
鋭い目だった。
怯えているのに、噛みつきそうな目。
「来るな」
掠れた声で言う。
その直後、また激しく咳き込んだ。
小さな身体が折れ曲がる。
モニカはしゃがみ込み、静かに少年を見る。
熱がある。
唇も乾いていた。
雪の冷たさとは違う熱。
その熱を見た瞬間、また記憶が揺れる。
夜勤帯。
熱に浮かされた子ども。
氷枕。
慌ただしい足音。
『SpO₂、92です』
誰かの声。
モニカは小さく息を呑んだ。
少年はそんな彼女を睨みつける。
「金なら持ってねぇぞ」
その言葉に、モニカは少しだけ目を瞬いた。
そして、小さく首を振る。
「知ってます」
少年は眉をひそめる。
モニカは静かに言った。
「でも、あなた熱があります」
少年は何も答えなかった。
ただ、呼吸だけが苦しそうに上下している。
雪は静かに降り続いていた。




