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姉ちゃん、ごめんな。俺やっぱ帰れねえわ。
でも安心してくれ。結婚資金は俺名義で神様が届けてくれるらしい。
だからどうか今まで苦労した分、いっぱい幸せになってくれよな。
俺は二度と日本に帰れないかもしれない。それでも俺はここで、まだやらなきゃいけないことが出来たんだ。
この一事のために、全ての帰るチャンスを失っても構わない。
この一瞬を逃したら一生後悔すると思うから。
俺が見捨てたらもう誰も彼女を助けられない。
やるしかない。一人で命を張ろうとしているのを見過ごすわけにはいかない。
それに姉ちゃんの性格なら、ここで俺が帰ったりしたら逆に怒りそうだもんな。
セナは本当に優しい少女だ。ただの馬でしかない俺に誰よりも良くしてくれた。彼女のお陰で待遇も改善された。
だからどこだって運んでやるよ。世界の反対側だって構わないぜ。
※ ※ ※
セナを背に乗せて子爵家を出た俺は、まるで地上スレスレを飛ぶ戦闘機のように疾駆した。
馬車を引いてないのでかなりのスピードが出せている。
まるで筆で横一直線を引くように加速していく。幾つもの見えない空気の壁をブチ破ってトップスピードに到達する。
みるみる景色が飛び消えていく中、前方に暗い森が近付いてきた。
昼間だというのに森全体が黒く静まっており、まるで生き物の息吹を感じられない。
道はある。ここは上級冒険者にとって良い稼ぎ場所でもあるため、辺境伯領に繋がる一本道が整備されているのだ。
「よし、入るぞ。しっかり掴まってろよ」
伝わるわけではないのだが、俺は一度甲高く嘶いた。セナが手綱を強く握り締める。
森に入った瞬間空気が変わった。
真昼だが日の入り前のような暗さ。十分な視界が確保できず、俺は思わず減速した。
三分の一くらいのスピードになっている。
先ほどまで死んでいるようだった森に、生き物の脈動する気配が強く、濃い。
森自体が蠢いているようだ。
無数の視線がまとわりつき、どれだけ走っても振り切れない気さえする。
その時突如として、まるで猿のような金切り声が、両側から聞こえ始めた。思わず耳をふさぎたくなるような奇声が束になって押し寄せてくる。
お出ましだ。
馬の視野は広い。連中が両側から、俺たちを追尾してきているのが分かった。
この森にはローペンと呼ばれる、人を襲う猿の化け物が群れを成している。
知能が高く、集団での狩猟に特化している。人間の武器さえ使うという。
にわかに不気味な風切り音。
おびただしい数の何かが、超速で迫ってくる。
俺は前方に大きく飛び出した。その僅かコンマ数秒後、土を抉る矢の音が雨音のように響く。
まだ一回回避しただけ。次も来るぞ!
俺は蛇行しつつ、加速と減速を繰り返し、矢の雨をかわして行く。残念だったな。そんな射掛じゃ、生き馬の目を抜くことは出来ないぜ。
我ながら器用だなと思う。動体視力が人間の時の比ではないのに加え、やはり舞台装置としての力が働いているのだろう。
突如、致死性の熱が間近に迫った。
背後で炎が一気に膨らむ気配。
加速が間に合い、どうにか逃れる。
セナが後ろを振り返って何事か確認している。
「ヴィート、上だわ! 小型のワイバーンが炎を吐いてきてる!」
ワイバーンは竜型モンスターのはず。
現在高速で走っているため上を向くことは出来ないが、尋常じゃない羽音と風圧により、かなり近くに居ることが分かる。
エサ認定されているようだ。
俺の神経はかつてないほど昂っていた。僅かなミスが死に直結する状況で、集中力が極限まで高まっている。
俺は少しづつ、少しづつ、走りをトップスピードに近づけていく。目が暗闇に慣れてきていた。
結果、徐々にだが、ローペンやワイバーンと距離を離しつつあった。
気配が遠ざかっている。
このままいけば振り切れる。その時。
「ヴィート、前!」
それは俺にも見えていた。かなり離れた場所を、何かが左方から道に出てこようとしている。近づくにつれ、その巨大さが絶望的であると思い知る。
あれは何だ。
デカすぎる。空を覆う巨木と同じほどの体高がある。
俺はせっかく上乗せしたスピードを緩め、減速に転じる。
バキバキ、と、あたかも木の枝を折るように、大木をへし折りながら出てくるのは人型の魔物。
ずしりと地に根を張った体型。ギョロリと巨大な一つ目がこちらを向く。
サイクロプスだ。
その巨木のような太腕を、風切り音と共に天高く振り上げた。
俺たちを狙っている。
身体中の危険信号が全て灯る。
まるで視界が赤く縁どられたかのように錯覚する。
どうする。
スピードを下げたせいでワイバーンたちも追いついて来ている。
進んでも地獄。戻っても地獄。
やけに視界がゆっくり流れ始めた。
焦っていた気持ちが凪いで、冷静になっていく。
やるしかねえ。
俺は急減速した。
全ての時間が逆流するかのような感覚。
後方の魔物たちがにわかに迫る。
賭けだった。
前の人生最後に下手を打った大博打、ここで全部取り返す。
サイクロプスの拳が、隕石のように激しく地面に衝突した。寸前で、当たらなかった。回避できた。
急減速した分、サイクロプスの攻撃タイミングが狂ったのだ。
今だ!
飛び散る土や石の破片の間を縫いながら、俺は稲妻のように加速した。
トップスピードまでぶち上げる。
そして地面に刺さったサイクロプスの腕を一気に駆け上がり、頭を蹴って、前方へ彗星のように飛んだ。
本当に空を飛んでいるような感覚だった。
バタバタと、旗のようにセナの衣服がはためいている。
とーん、とーん、と、バネのように跳ねながら着地すると、そこからは出せる限界の速さで一目散に駆け抜けた。
モンスターたちの気配が遠ざかっていく。
俺は前だけを見て、そのまま弾丸のように魔の森を突っ切った。
◆
俺たちが辺境伯邸に到着した時、確かにランドルフは死にかけていたようだ。
だがセナが必死の治療を続けることにより、ついに三日目、意識が回復するに至った。
ランドルフが回復した直ぐ後、セナは俺の所に飛んできて、抱き着いて泣きながら報告してきた。
ホッとした。セナの嬉しそうな顔が見れただけで、俺は満足だった。
そして「侯爵邸で酷い事を言ってごめんなさい」と謝られた。俺はそんなことすっかり忘れていたので、歯をむき出しにして笑って見せた。
辺境伯邸に来て二週間。ランドルフはまだ全快とはいかないが、一人で立って歩けるほどになっているらしい。
そしてセナとランドルフは何だか良い感じになっているようだ。それを知っているのは、毎日ブラッシングに来てくれるセナがご機嫌で語るからだ。
セナは親の決めたことだからと、シモンと結婚する覚悟していたが、やはり心のどこかでランドルフを思っていたのでは、と感じる。
俺はというと辺境伯邸で神のように崇められていて、毎日バナナやリンゴなど、好物を沢山食わせて貰っていた。
こんな生活も良いよね。セナがランドルフと結婚したら、俺も今度こそお役御免だろうよ。悠々自適に日本へ帰るチャンスでも待とうかな。
「大変だぁ!」
俺がリンゴを食っていた時、馬房に走って来たのは意外な人物だった。
白い神秘的な長髪をなびかせながら、神が俺の前に現れた。
「おう、何か久しぶりだな。リンゴならやらんぞ」
「いらないよ! それより大変なんだ!」
「大変って?」
しゃくしゃく音を立てつつ聞いてみる。
「シモンの死亡ルートを回避したと思ったら、また新たに死亡ルートが出現したみたいなんだ! しかも5個も!」
「は、はあ?」
俺は口を大きく開けていた。
神は俺のフェイスの両サイドをガッチリつかんだ。完全に余裕を失った目をしている。
「ヴィート、君には彼女の死亡フラグを全て回避してもらうからね」
「……マジかよ」
どうやら当分、俺に平穏な日々は訪れないようだ。
おわり




