01.馴染むということ(母)
ある日、あの家に嫁いだ。
町の人たちは皆、「いい縁談だ」と言った。
古くから続く家で、土地もあり、家名もある。
嫁ぎ先としては申し分ない、と。
けれど本当のところ、その縁談は少し奇妙な経緯で決まったらしい。
「町の娘ではだめよ」
大奥様が、そう言ったのだと後から聞いた。
町の娘は、気が強い。
近所の目もある。
あれこれ口を出す。
「山のほうの家の子がいいわ。
素直で、家に従うもの」
それで、白羽の矢が立ったのが、私だった。
山のほうの、古びた家。
畑と林ばかりの土地で、女学校まで通わせてもらえたのが精一杯。
それでも両親は「立派なご縁だ」と喜んだ。
だから私は、嬉しいふりをした。
山の家とはいえ、私の実家もそこそこ大きな家だった。
田畑もあり、人の出入りも多い。
子どもの頃から、家の帳面をつける手伝いをしていた。
珠算も習わせてもらった。
村の子どもたちが集まると、
私は年下の子に算盤の使い方を教える役目をしていた。
「お前は気が利く子だ」
そう言われるのが、少し誇らしかった。
だから、あの家に嫁ぐと聞いたとき、
不安はあったが、なんとかやっていけると思っていた。
けれど、あの家は少し違った。
作法は覚えられる。
順番も、叱られながら覚えた。
けれど、家の中の会話だけは、どうしても掴めなかった。
あの家には、最初から「空気」があった。
夫の弟妹たちは、町の学校に通っていた。
新聞の話や、本の話をする。
私は、聞いているだけだった。
言葉が分からないわけではない。
ただ、どこから話に入ればいいのかが分からない。
口を開くと、空気が少しだけ止まる。
誰も笑わない。
誰も怒らない。
それが、余計に居心地が悪かった。
自分だけ、どこか場違いな場所に立っているような気がした。
笑われたわけじゃない。
馬鹿にされた言葉も、聞いたことはない。
けれど――
ああ、この人たちは、
私を「同じ場所」に置いていない。
そんな気がしてしまった。
……どうせ女学校しか出でねえバガけだどって思ってらんだべ……
……大学出の人だぢだがら、おれは話さ混じれねって思ってらなだべ……
この思いはどこにも出すことはなかった。
夫は優しい人だった。
けれど、家のことには口を出さない人でもあった。
家の中での私の役目は「嫁」だ。
この家に、馴染まなければならない。
この家の形を、崩してはいけない。
それが分かった頃…嫁いで二年目。
長男が生まれた。
皆が喜んだ。
大奥様も、珍しく機嫌がよかった。
「まずは安心だね」
そう言われた。
私はほっとした。
これで、この家の役に立てる。
三年後、次男が生まれた。
家の中は賑やかになった。
子どもがいると、時間はあっという間に過ぎる。
けれど、時々、
ふとした瞬間に静けさが戻る。
子どもが昼寝をしているとき。
夜、皆が寝たあと。
その静けさの中で、私は思う。
私は、この家の人間になれただろうか。
嫁としては、認められている。
子どもも二人いる。
それでも、どこかに小さな空洞が残っている。
その空洞の形は、だんだんとはっきりしてきた。
女の子が欲しい。
理由はうまく説明できない。
ただ、どうしても、欲しかった。
男の子たちは、いずれこの家の人間になる。
父親の側へ行く。
けれど、娘なら——
娘なら、私のそばにいてくれるかもしれない。
その願いは、口には出さなかった。
出せば、きっと笑われる。
それでも、心のどこかで、私はずっと祈っていた。
十五年が過ぎた。
もう無理だろうと、半分諦めていた頃だった。
三人目の子が生まれた。
女の子だった。
小さな顔を見た瞬間、胸の奥の何かが、ほどけた。
ああ、これでいい。
この子がいれば、私はもう大丈夫だ。
この子は、私の子だ。
きっと、私のことを分かってくれる。
そう思った。
そのとき私は。
その願いがどれほど重たいものになるのか、まだ知らなかった。




