第八章:その存在が眩しすぎて
昼休み、考え事をしながら廊下を歩いている。
みな昼食を終えた時間、廊下に出ている人はそこまで多くない。
相変わらず眠気は消えておらず、気を抜くとあくびが出る。
教室で寝ていたかったが、朱里さんが話しかけてくるので、そうもいかない。
今はクラスの男子と楽しそうに話しているので、その隙に抜け出してきた。
特にあてもなく、校舎の二階を歩く。
この学校は私立で、多くの専門学科がある。
IT系の学科はもちろん、美容系や調理系など、幅広い学科が設置されている。
全校生徒は1,200人を超えており、こうやって歩いていると知らない顔ばかり。
ちなみに、私は特別進学科だ。
国公立大学を目指す科というだけあって、偏差値はそこそこ高い。
成績は、そのなかで中の下辺り。
朱里さんはああ見えて頭がよく、クラスではトップ。
私が朱里さんを嫌いになれないのは、そういうところにある。
自己主張が強く、実力も兼ね備えたあの人には、憧れることもある。
一方私は、本当はITか美容のコースに行きたかったが、親を説得することすらできなかった。
言われるがままに今の科に入り、毎日苦労している。
「はぁ……」
辛い現実が肩に圧し掛かり、猫背になって息を吐く。
両親のことは嫌いではないが、勉強についてはそれなりに厳しい。
就職で苦労したらしく、良い学校に入って欲しいらしい。
元々勉強は得意ではなく、だからこそ親の期待が重く感じてしまう。
特進科に入れたこと自体が奇跡で、今の成績でも頑張っている方だと思う。
当然、親からすれば足りないようで、小言はよく言われる。
二人の主張は間違っていないので、反論はしない。
だけど、時折疲れることはある。
勉強に対して厳しいだけで、プライベートを制限されているわけではないので、まだましなのだろうが……。
視界が、色あせて見える。
教室から出てくる、青い髪色をした女子生徒。
扉の上部に取り付けられたプレートには『美容師コース』と書かれている。
その中にいる人たちが、急に輝いて見えた。
羨ましい――
と、ひがんでしまう自分が、嫌になる。
憂さ晴らしに、カラオケに行こうかと考える。
一時間だけなら料金も安いし、なにより、あの子に動画のことを伝えたい。
なるべく朱里さんと接触する前に会いたいけど、出勤しているだろうか。
そう考えた時、肩をとんとんと叩かれる。
突然のことに驚き、背筋が伸びた。
朱里さんかと緊張するけど、その割には優しい叩き方。
不思議に思いながら、振り返る。
「どうも」
すると、男子生徒が右手を上げて答える。
微かに茶色を帯びたウルフカットに、ダークブラウンの瞳。
半袖の白いシャツに、紺色のベスト。チェック柄のスラックス。
第一ボタンを開け、ネクタイも少しだけ緩ませているけど、皺のない服装には清潔感がある。
それは、今まさに考えていたあの男の子だった。
「ひえっ!?」
予想していなかった相手に、遅れてそんな声が漏れる。
思わず身を引いて、半歩下がった。
「ひえって……おばけみたいで傷つくなぁ……」
彼は頬を掻きながら、呆れた表情を浮かべる。
幻を見ているのではないかと思い、ジッとその顔を見つめ返す。
どうやら、本人らしい。
あのカラオケで働いているのなら、家が近い可能性は十分にあったけど、まさか学校が同じとは……。
驚きすぎて、失礼な態度をとってしまった……。
落ち着くために一度だけ目を閉じて、短く息を吐く。
「お、同じ学校だったんだね」
どきどき鳴っている胸に手を当て、おずおずと言葉を返す。
「みたいだね」
にこりと目を細めて笑う表情に、あの美少女の面影がある。
昨日とは違い、敬語じゃないのは仕事中じゃないからだろうか。
このままでは通行人の邪魔になるので、廊下の窓側に寄る。
窓からは曇った空が見え、視線を下げると、校庭で過ごす生徒の姿がちらほらと窺えた。
改めて、彼へと視線を向ける。
男子生徒の制服を着ていると、改めて男の子なんだと思う。
顔は中性的で、清潔感があって、柔和な雰囲気。
このままスラックスがスカートに変われば、女の子に見えるかもしれない。
でも背は高く、声は低音。
アイドルグループのかわいい担当、と言えばしっくりくる。
ふと、近くを通り過ぎた女子生徒が、チラリと視線を向けてくる。
恐らく、彼を見ていたのだろう。
見掛けは決して派手ではないけど、人気はあるんだろうなと思う。
「あ、ぼくの名前は空音結弦、ITビジネスコースの一年。よろしくね」
屈託のない笑顔で、自己紹介される。
そのコミュ力の高さにたじろぎつつも、素敵な名前だなと思った。
ギターを弾いている彼には、ぴったりの名前だ。
「わ、私は橙田優子、特進科の一年……です」
自信なさげに、自己紹介をする。
何の特徴もない名前。
明らかに名前負けしている自分の名を見ていると、両親に申し訳ない気持ちになってくる。
「え、特進科なんだ。すごい!!」
「ま、まぁ……一応」
目を輝かせながら彼、空音くんは褒めてくれる。
この学校の受験難易度は低いが、特進科だけは別だ。
有名な大学への進学率も高く、授業の内容も大学受験を意識したものになっている。
私の成績は、全ての教科で平均80点以上はキープしている。
それでも、特進科では中の下になってしまう。
「そ、空音くんは、IT業界目指してるの?」
「うん。資格とって、クラウドエンジニア目指そうかなーって」
聞いたことがない言葉が出てきて、面食らう。
インターネットのサービスというのはなんとなく分かるけど、その程度の知識。
私は親に言われるがままに、なんとなく通っているだけなのに、彼は一年生でしっかりとした目標を持っている。
その差に、情けなさを覚えてしまう。
思わずため息を吐きそうになり、口を閉じる。
どうしてこうも、他人と自分を比べてしまうのだろう……。
自分の悪癖にうんざりしながら、俯く。
それより、彼には伝えないといけないことがあったはずだ。
「あ、あの……」
「何?」
私とは違い、はきはきとした声を上げる彼。
コミュニケーションにおいて、失敗なんてないんだろうなと思う。
一応周りを確認して、半歩前に出る。
「迷惑な人が、空音くんがギターを弾いてる動画、上げてるみたいだけど……」
周りに聞かれてはまずいかなと思い、ぼそぼそとそう告げた。
友達の仕業とは言えず、ふわふわとした伝え方になってしまう。
どんな顔をするのだろうかと、ちらりと視線を向ける。
「ああ、うん。知ってる」
驚かれるかと思いきや、彼の反応は淡白なものだった。
「ちょっと驚いちゃったよ。TikTok見たら、自分がトップページにいるんだもの」
「あー……」
あれだけバズっていれば、確かにそうなるか。
自分がやったことではないけど、申し訳ない気持ちになる。
ただ、驚いたとは言っているものの、困った様子は見られない。
「まぁでも、別にいいかな」
「え、いいの!?」
そして、驚くほど簡単に受け入れてしまった……。
私だったら、動画サイトのトップに自分の動画があったら、慌てふためく。
どうしてそんなに、落ち着いていられるのだろう。
「YouTubeには動画載せてるし、これだけバズっていれば流入があるかも」
「そ、そうなの?」
疑問に思っていると、空音くんはズボンのポケットからスマホを取り出す。
明るい色をした、最新型のiPhone。
それを操作して、画面をこちらに向ける。
「ほら」
差し出されたスマホを見ると、そこには自身のものと思われるチャンネルが表示されている。
アイコンは、女装した姿で顎から下だけが映されている。
登録者は一万二千人。朱里さんの倍だ……。
どうやらギターの演奏動画を上げているようで、顔は出さずに手元を映している。
「す、すごい」
「頑張ってるからね」
あれだけのギターテクがあれば、人を集めるのも納得だ。
女装しているのは、戦略的に見てもらうための工夫だろうか。
女装であることは公開していないみたいだし、あの動画も空音くんを女の子と勘違いしている人ばかりだった。
空音くんも朱里さんも、配信者として成功している。
一方私は、動画をやってみたいと思っても、その一歩すら踏み出せない。
その差が悔しいとも思えるけど、二人のことは純粋に尊敬できる。
特に空音くんの場合、練習が形になっているんだろうなぁと、納得できた。
「そうだ。次、いつカラオケに来てくれる?」
スマホを真剣に見つめていると、そう聞かれる。
私は慌てて顔を上げ、口を開く。
「えっと、分からないけど……数日中には?」
もやもやが溜まると、カラオケに行きたくなる。
でも、勉強もしないといけないので、頻繁にはいけない。
「じゃあ、火・木・土のどこかで来てくれると嬉しいな。その日に働いてるから」
「う、うん」
純粋すぎる笑顔を見て、目を逸らしてしまう。
輝く存在を直視できないのは、その輝きによって身を焼かれてしまいそうだから。
空音くんも朱里さんも、私には眩しすぎる。
「もっと話したいけど、先生に用事を頼まれてるから、行くね」
「あ……うん、また」
手を上げて去っていく彼に、頭を下げる。
階段に消えていく姿を見送って「ふぅ」と息を吐いた。
思わず了承してしまったが、私に何か用があるのだろうか。
空音くんはコミュ力高そうだし、誰にでもこんな感じなのかもしれない。
ちょっと人と話しただけなのに、妙に疲れた。
陰キャの私には、親しくない人と話すのは辛すぎる。
自分の中に生まれた、身勝手な劣等感が、顔に出ていなければよいのだが……。
壁に背をついて、意味もなく天井を見つめる。
そのまましばらく考えていたら、授業開始五分前の予鈴が鳴った。




