第七章:神のみぞ知る
眠い瞼を擦りながら、学校へ続く道を歩く。
休み明けの憂鬱な月曜日。
いつもより鞄が重く感じる。
見上げると空には黒い雲が浮かび、今にも雨が降りそうだ。
気温は落ち、昨日の夜は肌寒いくらいだった。
学校近くの道路には、まだちらほらとしか人の姿が見えない。
人であふれる道を歩くのは苦手なので、あえて早く家を出ていた。
周りを気にせず、大きく口を開けてあくびをする。
昨日は、いろいろと考えてよく眠ることができなかった。
頭を支配しているのは、言うまでもなく昨日の男の子だ。
私が持つマイクに手を添えて、顔を近づけてくる。
いや、それは実際の出来事とは違っていて、少し私の妄想が入っているのだが……。
そのまま、息がかかりそうなくらいに顔は近づき、そこで彼の姿が急に美少女に変わる。
そして、蠱惑的な表情を浮かべて言うのだ。
『女の子の方が良かった?』
と……。
そんな夢だが妄想だかよく分からないものによって、何度も目を覚まされた。
挙句の果てには、女装したあの子とカラオケで働く男の子が並んで、ギターセッションしていた。
それは悪夢か、それとも中二病という思春期に誰もが罹る病気から生まれた、夢想なのか。
ともかく、彼のことばかり考えていて良く眠れなかった。
ふらふらとした足取りで校舎に入っていく。
我ながら単純だと思う。
中性的で、言ってしまえばイケメンの男の子に近づかれ、ドキドキしてしまった。
それも、二回も褒められた。
一度目は顔を、そして二度目は歌を……。
褒められ慣れていない私にとって、それは未知の経験だ。
「おはよう……」
教室に入り、力なく挨拶をしながら、自分の席に向かう。
挨拶を返してきたクラスメートの一人は、私の顔を見てぎょっとしていた。
それほどまでに疲れた顔をしていたのだろう。
席について、鞄を机のフックに掛け、力尽きたように顔を伏せる。
襲い掛かってくる眠気。
このまま闇の中に意識を落とそうとする。
しかしその瞬間、頭に浮かぶのはあの美少女の笑顔。
「く……」
スポットライトを浴びてキラキラと輝くその姿。
彼を映し出すカメラはその顔をズームし、その綺麗な唇に吸い込まれる。
「なんでだ……」
やっぱり、そういう趣味があるのかと、自分を疑ってしまう。
真っ当に、男の子に惹かれているのならば何も問題はない。
少し気恥ずかしいけど、ちょっともじもじして終わる程度だ。
だけど、私の意識はあの子が女装した姿に引き寄せられている。
それも仕方がないのだろうか。
雨空の下、ギターを弾く姿は、本当に格好良かった。
私が世界にかけた、灰色のフィルターを壊してしまうほどの輝き。
羨ましい――
などと、思ったりしてみる。
「優子~」
と、私の名を呼ぶ声に、意識が揺り戻される。
前方から感じる気配。
どうやら、朱里さんが登校してきたらしい。
憂鬱に思いながらも、顔を上げる。
朱里さんはいつものように椅子をこちらに向けて、話しかけてくる。
寝ていようが勉強をしていようが、お構いなし。
「見てみて~、昨日上げた動画がバズったんだ」
機嫌よさそうに、手に持った最新のスマホをこちらに向けてくる。
そこに映し出されているのは、TikTokの縦長ショート動画。
朱里さんのアカウントには五千人を超えるフォロワーがいる。
私のアカウントの十倍以上の人が見ている。
そんな差を見せつけられると、いつもの悪癖が出てしまう。
「また自慢か」と、ため息を吐きながらその画面を見つめる。
「え……?」
そこに映し出された動画を見て、驚愕した。
「こ、これって……」
唖然として、画面に顔を近づける。
スマホの中で再生されているのは、雨空の下でギターを弾く女の子の姿。
「この前見掛けた美少女!! すごくかわいくない?」
朱里さんは声を弾ませながら、得意げに左手の拳を握る。
言葉を失いながらも、目を離すことはできない。
よく見ると、いいねの数は十万を超え、コメントも千件以上ついている。
カメラを向けている位置が少し離れているが、あの子であることは間違いない。
弾いている曲は、昔のアニメの曲『God Knows...』
ギターをやっていた時、弾いてみたいと思っていた。
だけどイントロから高速で、人差し指で12フレット周辺をキープしたまま、他の指を狂気的な速度で動かさなければいけない。
左手の指と、右手の激しい連打がどうしても同期できなくて、諦めた。
「フルピッキング、凄すぎる……」
左手は12フレットを縦横無尽に駆け巡り、右手は手首のスナップを使って、高速かつコンパクトにピッキングしている。
少しずつ近づいていくカメラ。
朱里さんは男の人と一緒にいるのか、二人の声がたまに入っている。
その子の指の動きに見惚れるが、ふと思ったことがあった。
「あの……朱里さん。これ、本人に撮影許可取ってます?」
「え、なにそれ?」
朱里さんは、きょとんとした顔でそう返してくる。
血の気が引いて、意識が一瞬遠くなる。
「初めて見た時、びびっときてカメラを回したけど、正解だったね」
悪びれることなく、勝ち誇ったように言う姿に、頭痛を覚えて額に手を当てた。
よく見ると、コメントの大半は演奏やこの子の容姿を褒めるものだが、それに混じって「盗撮ではないか」と指摘するコメントも見られる。
どうやら、この異様なコメント数はそれが原因でもあるようだ。
「だ、大丈夫? 荒れてるコメントもあるけど……」
「いいのいいの。顔は映ってないし、問題があったらもう消されてるでしょ?」
すがすがしいほどのモラルハザードっぷりに、胃が締め付けられる。
どうやら、朱里さんには自分にとって都合の悪いコメントは目に入ってないようだ。
正常性バイアスが強すぎる……。
「さ、流石に非公開にした方がいいんじゃ?」
自分がこれをやられたらと思うと、背筋が寒くなる。
当然だが、許可なく動画を上げるのはプライバシーの侵害。
朱里さんにもリスクは大きい。
「何、私がバズったからひがんでるの?」
「そ、そうじゃなくて……」
朱里さんが目を吊り上げ、声のトーンを落とす。
突然表情が変わったのを見て、焦った。
「朱里さんが心配で……」
どぎまぎして、視線を彷徨わせながら、慌ててフォローする。
「優子は心配性だな~。大丈夫だって」
そう言って、笑ったのを見てホッとする。
同時に、罪悪感のようなものが浮かび上がってきた。
盗撮された本人としては、あまり良い気分ではないんじゃなかろうか。
名前も知らないくらいの繋がりだけど、知ってる人が朱里さんの身勝手さに巻き込まれているのは心が痛む。
でも、私には朱里さんを咎めるだけの勇気はない。
「今度会ったら、ツーショット動画撮ってもらおっと」
朱里さんは前を向き、スマホをしまう。
その言葉を聞いて、不快な気持ちになった。
朱里さんなら、あの子に躊躇なく話しかけるだろう。
そうなったら、二人は仲良くなってしまうのだろうか。
そんな、醜いひがみのような気持ちが浮かび上がる。
「……」
私は、無言で首を振る。
そんなことより、これは本人に伝えてあげた方がいい。
同時に、あの輝きを奪われたくないという気持ちも浮かび上がってくる。
すっかり上機嫌になった朱里さんの後ろ姿を見ながら、そう考えた。




