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第五章:世界は歌によって色付く

 一人取り残された部屋で、力なく俯く。

 壁越しに、誰かが歌う声がかすかに聞こえる。

 スピーカーから流れる音によって、地面が震えていた。


「歌うか……」


 憂鬱さに支配され、曇る視界。

 机の上に置かれたデンモクに手を伸ばす。

 膝の上に置き画面に触れると、それは鮮やかに光り輝く。

 朱里さんがいる間は、リクエストされる曲を力なく歌っていた。

 今なら、何も気にせず思いっきり歌える。


「よし……」


 晴れない気持ち。

 それを吹き飛ばすには、自分の心情にあった曲がいい。

 普段言えない暗い感情も、曲に乗せれば当たり前のように口に出せる。

 画面に表示される曲を、指でなぞっていく。

 そこに流れるタイトル全てが、魅力的に見える。

 ヨルシカの『だから僕は音楽を辞めた』はどうだろう。

 曲調は爽やかだけど、その中には登場人物の切実な想いが込められている。


「あった」


 曲の一覧から目当ての曲を見つけ、オプション設定のタブを押す。

 ガイドメロディは切って、エコーは下げる。

 代わりに、ミュージック音量を少しだけ上げておく。

 キーは原曲のままでいい。

 予約ボタンを押すと、部屋の奥に置かれたディスプレイにタイトルが映し出される。

 朱里さんが投げ出していったマイクを手にとる。

 キンと、一瞬だけ音がハウリングした。

 しばらくして、単調なバスドラムとピアノによって奏でられる、伴奏が流れる。

 その時点で歌詞が入り、私はすぐに口を開く。

 少しだけアンニュイな、優しい雰囲気の声を心掛ける。

 無気力な歌詞が心の中にスッと入ってくる。

 声を伸ばす部分で息の量を僅かに含ませて、囁くような声を出す。

 それだけで、歌詞に気持ちが入った。

 スピーカーから流れる声は、自分でも驚くほど堂々としていた。

 何度もどもり、口ごもるものとは違い、自尊心が感じられる。

 サビの直前でスネアドラムとフロアタムが同時に叩かれ、曲が跳ねた。

 それに合わせて声を強くする。


「――!!」


 歌詞の叫びと、気持ちが完全に同調する。

 その瞬間、私は全ての憂鬱さを投げ払って、声を出すことができた。

 跳ねるようなピアノの音と、打ち付けられるドラムの音が身体にしみこんでくる。

 早口気味な歌詞が、肺の中の酸素を奪っていく。

 だけど、捲し立てるように声を出していると気持ちがいい。

 喉が震え、世界が色付いて見える。

 後ろ向きな曲を歌っているのに、心の空は晴れ渡っていた。


「はぁ……!!」


 伴奏に入り、息を思いっきり吸った時「生きているんだ」という実感が持てる。

 歌はやっぱりいい――

 劣等感や自己嫌悪ですら、明るい気持ちで声に出せる。

 押し寄せてくる高揚感が、全てを忘れさせてくれる。

 この瞬間私は、間違いなく何者かになれていた。

 盛り上がるピアノの音が心を強く打ち付ける。


「――!!」


 すべてをかなぐり捨てて、歌うことに集中する。

 リズムが私を受け入れてくれる――


「はぁ……」


 歌い終わり、最後の主張と共にマイクを下げる。

 それと共に、スピーカーから流れる音はぴたりと止まった。

 全身を満たす快感。

 私は今、恍惚にも似た表情を浮かべている。

 やがて、画面にはファンファーレと共に96点という高得点が表示される。

 でも、まだまだ足りない。

 本気の私なら、もっと点が取れる。

 ランキング上位にだって食い込めるはずだ。

 全肯定する気持ちが溢れてくる。

 ああ、爽快だ――

 と、満たされて顔を上げた時、突然室内に音が鳴り響く。

 手を合わせる軽快な音。誰かを賞賛するための拍手。

 ハッとしてそちらに視線を向ける。

 部屋の入り口付近で、エプロンを付けた男の子がこちらを見て、手を叩いている。


「え、ええ!?」


 人がいるなどと思っていなかったので、私はびくついてソファの背もたれにのけぞる。

 店名が入った茶色いエプロンをつけているので、店員さんなのだろう。

 年齢は私と同じくらいに見える。

 パーマをかけ、羽のように軽く仕上げたマッシュスタイルに、襟足を長くしたウルフカット。

 大きいけど、横幅が広く切れ長の目。

 鼻筋は通っており、フェイスラインはシャープで、中性的な顔立ちだった。


「すみません。ノックもしたし声も掛けたけど、気付いてもらえなかったので」


 そう言って、男の子は机の上に置かれたドリンクを両手で示す。

 バニラアイスが乗ったピンク色のフロートは、朱里さんが頼んだもののようだ。

 と言うか私、店員さんが来ていたのに、本気で歌っていたのか……。

 高揚感が引っ込み、代わりにそれとは違う熱が顔に上がってくる。


「す、すみません……」


 耳の先まで真っ赤にして、マイクを膝の上に置いたまま、俯く。

 全然気付かなかったなんて、曲に完全に入り込んでいたようだ。

 歌う姿を誰かに見られるなんて、恥ずかしすぎる……。


「ふふ……」


 きゅっとスカートを掴んでいると、柔らかい声が聞こえる。

 顔を上げると、その子が口元に手を当てて静かに笑っていた。

 この場所にはよく来るけど、この店員さんは初めて見たと思う。

 歌っていると、周りが見えなくなってしまうので、確実には言えないけれど……。

 ただ、なぜだろう。その柔和な仕草には、既視感のようなものを覚える。

 陰キャな私に、男の子の知り合いなどほとんどいない。


「昨日と、同じだね」


 名札に目を向けようとすると、その子は手を下げてそう続ける。


「え?」


 私は慌てて、視線を彼の顔へと戻した。

 その顔を見ても、すぐに思い浮かぶものはない。

 こんなに印象的な子なら、覚えていてもおかしくはないはずなのに……


「あ……」


 そこまで考えた時、思い当たることがある。

 ダークブラウンの瞳に、聞き覚えのある重厚感のある声。

 きめの細かい綺麗な肌……


「ま、まさか」


 私が声を漏らすと、彼は目を細めてにこりと笑う。

 中性的な顔も相まって、その表情は女の子のように見えた。

 ギターを弾いていたあの子の姿が、頭の中で重なる。


「はい、昨日の美少女です」


 声のトーンを上げて、女の子のような抑揚をつけ、小さく首を傾げる。


「え、ええ!?」


 それは、まぎれもなくあの美少女と同じものだった。

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