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第十三章:色付く未来

 補習が終わり、重い鞄を肩に掛けて帰り道を歩く。

 来週は期末テストなので、放課後に試験対策が始まっている。

 本来なら休みの土曜日も、午前中に来なければならない。

 あくまで参加は自由。なので、朱里さんは一切参加していない。

 どうしてそんなに成績が良いのかと、尋ねたことがある。

 朱里さんはきょとんとした表情を浮かべて「これくらい楽勝でしょ?」と答えた。

 中学も進学校だった朱里さんは、頭の出来が違うのだろうか。

 授業態度は悪いわけではないし、家でも勉強はしているのだと思う。

 課題の提出率は悪いけど、先生たちからの信頼はある。

 生まれながらに、才能も美貌も度胸も持った人間というのは存在しているらしい。

 朱里さんは、持っている側の人間なのだ。

 雨上がりの、蒸し暑い道を歩いていると、肌に汗が浮かんでくる。

 見上げると、空には層雲が浮かび、その隙間から夕陽が差し込んでいた。

 もう十八時半を過ぎているのに、辺りは明るい。

 駅前に差し掛かり、赤い信号を見て立ち止まる。

 反対側の信号が、ぴよぴよとかわいらしい音を奏でていた。

 私は、左手側に見える文化センターへ続く階段に目を向ける。

 今日は、結弦くんのアルバイトが休みの日。

 耳を澄ましてみるが、アコギの音は聞こえない。

 それでも、なんとなくそちらに足を向けたくなる。

 信号が青に変わり、横断歩道を渡る。

 本来ならまっすぐ進めば家にたどり着くが、左に曲がる。

 こっちから行っても、家までの距離はそう変わらない。

 階段と坂を登らないといけないので、大変ではあるが、山の上から見る景色は好きだ。

 だから、きまぐれにこちらを通ることもある。

 それに、今は淡い期待を持っていたりした。

 階段を踏みしめる度、肩に掛けた鞄が、肩に食い込む。

 それでも、頑張って前に進んでいく。

 登りきる頃には、息がすっかり上がっていた。

 開ける視界――

 神社を通り過ぎ、駐輪場とトイレを通り過ぎて、広場に出る。

 期待した音はやはり聞こえない。


「あ……」


 だけど、その姿を見つけることができた。

 水色のブラウスに、短めのベージュのスカート。

 毛先が赤いツインテールを揺らすその子が、屈んでギターをケースに仕舞っている。

 昨日とは違う、黒いケースを肩に掛けると、立ち上がった。


「優子ちゃん!!」


 こちらに気付いた彼女……ではなく彼は、顔を綻ばせて、にっこりと笑う。

 胸元に右手を当て、内股で歩く姿は、女の子にしか見えない。

 初めて聞いた時は違和感を覚えたけど、男の子らしい声で、柔和に話すのにもすっかり慣れた。

 それすらもかわいいと思えてしまい、女の子と話していると錯覚してしまう。


「今、学校の帰り?」


 小さく首を傾げると、スカートがふわりと揺れる。


「うん。期末テストが近いから、補習があって」

「そうなんだ。大変だね」


 実は結弦くんに会うのは二日ぶりだ。

 特進科と専門コースは校舎が別なので、学校で見掛けることはあまりない。

 昨日は結弦くんがアルバイトの日だし、忙しかったはず。

 だからこそ、今日なら会えるかもしれないと思った。


「ギターの練習してたの?」

「うん。雨上がりの日は、人が少ないから。その時だけここに来てる」


 広場の隅に二人で立って、話をする。

 結弦くんが言った通り、周りに人の姿はない。

 晴れた日はここで遊んでいる人も多いけど、湿った芝生では足を取られてしまう。

 近くには解放された公民館もあるので、子供たちはそちらに行くのだろう。


「それより、この前はスタジオに来てくれてありがとう」


 結弦くんはそう言って頭を下げる。

 お互いにLINEを交換し、そこでもお礼を言っていたのに、律義な子だ。


「こちらこそありがとう。あの日は本当に楽しかった」


 重い鞄を肩に掛け直して、私も頭を下げる。

 LINEは交換したものの、挨拶以外の言葉は交わしていない。

 何度もメッセージを送信しようと思ったけど、勇気が持てなかった。


「ぼくも楽しかった。また一緒に行ってくれる?」


 体の前で両手を合わせて、首を傾げるあざといポーズ。

 綺麗な瞳で見つめられて、胸がきゅんと鳴る。

 そんな風に言われたら、断ることなんてできない。


「も、もちろん!!」


 顔が熱くなるのを覚えながら、何度も頷く。


「できれば、文化祭のことも考えてくれたら嬉しいな。エントリーは夏休み前までだから」

「う、うん」


 きゅるんとした目で言われて、肯定しそうになるが、理性で抑え込む。

 出てみたいという気持ちは強くなったけど、まだ決心はつかない。

 ただ、気持ちが変わったのは確かだ。

 胸に手を当てて、息を吸う。

 少しだけ胸に引っかかる感情。

 それでも、顔を上げて相手の目をしっかりと見つめ返す。


「えっと、期末テストが終わったら、返事するね。成績が上がれば、夏期講習に行かなくて済むから、時間が取れるかも……」


 言いながら、緊張によってどきどきと胸が鳴る。

 漠然とした答えではあるけど、自分からすれば前向きな答え。


「それって……」


 結弦くんが目を丸くして、声を漏らす。


「練習できるなら、出てみてもいいかも……」


 恥ずかしさに堪えられず、目を何度も逸らしながら、そう答える。

 暗に、夏休みにも会ってみたいという気持ちも含んでいる。

 少しわがまま過ぎるだろうかと心配に思いながら、相手の顔をチラチラと窺う。


「ほんと!? やったー!!」


 結弦くんは体の前で手を合わせて、にこりと微笑む。

 かわいらしいその反応に、やっぱりどきりとする。

 女であっても、かわいらしい女の子に胸が高鳴るのは、おかしいことではないはず。

 いや、彼は男なのだけど……。


「優子ちゃんとスタジオデートだー」

「ででででで、デート!?」


 無邪気な顔で言うその言葉に、つい反応してしまう。


「ふふ……変な意味じゃないよ。でも、嬉しくて」


 一瞬だけ蠱惑的な笑みを浮かべて、いつものように明るい表情を見せる。

 結弦くん自身が言っていたけど、この格好をすると「女の子らしく振る舞うための」スイッチが入るんだと思う。

 だから、デートと言うのも女の子が同性に言う、じゃれ合いみたいなもの。

 だとは思うのだけど、耐性がない陰キャの私は、ドキドキしてしまう。


「優子ちゃんとまたセッションできるなんて、嬉しいなー」


 ぴょんぴょんと跳ねながら言う姿は子供のようで、純粋にそれを楽しみにしてるのだと思った。

 高スペックな結弦くんが、私なんかを好きになるはずがない。

 それでもどぎまぎしながら、落ち着くために息を吐く。


「じゃあ、ぼくはそろそろ帰るね。家の手伝いしなきゃだから」

「うん。って、そのまま帰るの?」


 別れの挨拶をしようとした時、ふとそれが気になる。

 あの時も女装していたが、どこで着替えているんだろう。


「もちろん、このまま家に帰るよ」

「ええ!?」


 まさかの、自宅でだった。


「お母さんは喜んでくれてるよ?」


 驚いた表情を向けると、彼はこちらの言いたいことを察したようで、そう答える。


「で、でもお父さんは?」

「うち、シングルマザーだから」


 その答えに「しまった」と思う。


「ご、ごめん!!」

「別にいいよ。もうずっとそうだし、それで困ってるわけじゃないから」


 自分の無神経さに血の気が引くが、結弦くんは明るい声で答えてくれる。


「お母さんは仕事ができてお金持ちだし、苦労したこともないよ。あ、ちなみにあのスタジオが入っているビルのオーナーが、ぼくのお母さんね」

「ええ!?」


 当然のように言われた真実に、驚愕の声を上げる。

 中心都市から少し離れているとはいえ、真新しい五階建てのビル。

 駐車場もあったし、建てるとするとそれなりのお金がかかるはずだ。


「じゃ、またねー」


 急いでいるのか、結弦くんは手を振り、くるりと背を向ける。

 そのまま図書館の方向に駆け足で行ってしまった。

 手を振り返しながら、その後ろ姿を呆然と見送る。

 朱里さんと一緒で、嵐みたいな人だ。

 こちらの心をかき乱して、あっという間に居なくなってしまう。

 ただ、心に残る気持ちは、悪いものじゃない。

 遠くから、豆腐屋さんのラッパの音が聞こえる。

 肌の熱を奪う風が、優しく吹いた。

 私は胸に温かい感情を抱きながら、彼の姿が見えなくなるまで、その場に佇む。


「あれ、優子?」


 そんな時、背後から声を掛けられた。

 聞き覚えのある声に、体が反応する。

 無意識的に身構えてしまうこの声は……


「あ、朱里さん……」


 隣に並ぶ女の子を見て、躊躇いながら声を掛ける。

 前に帰り道で見かけた時と同じ、流行りの服に身を包み、ハイブランドのバッグを抱えるその姿。

 雲間から覗く光に照らされて、艶を出す髪が眩しい。

 恐らく、また誰かと一緒に出掛けていたのだろう。

 声を掛けてみたものの、朱里さんの視線はこちらではなく、前方に向けられている。

 不思議に思い、その先を追ってみる。


「あ……」


 そこには、今まさに図書館を通り過ぎて、道の角で曲がる結弦くんの姿があった。

 朱里さんの口元が、二ッと吊り上がる。


「あれって、噂の美少女じゃん!! 優子、もしかして知り合いなの!?」


 嬉々とした顔を向けられ、たじろぐ。


「知り合いってほどのものじゃ……たまたま見掛けただけで」


 なんとなく本当のことを言うのがはばられ、中途半端な嘘を吐く。


「ふーん。まぁあんな美少女、優子の友達って感じじゃないもんね」

「う、うん」


 頷いてみるが、なかなかに酷いことを言われている気がする。

 その目はこちらではなく、手元のスマホに向けられていた。

 朱里さんが、私をどう見ているのか、よく分かる発言だ。


「そっか、ここに来ればあの子に会えるんだ」


 結弦くんが消えた方向を見つめる彼女の呟きに、ドキリとする。

 折角温かくなった心が、冷たいつららに貫かれたような気持ちになる。

 朱里さんを結弦くんに会わせたくないというのは、私のわがままだ。

 あの純粋な存在を、汚してほしくないという願望。

 そして、朱里さん程の人なら、簡単に彼と仲良くなれてしまうのではないかという嫉妬。

 そんな気持ちを抱く自分自身が、嫌になる。

 色付いた視界を覆うように、灰色のフィルターがかかっていく。

 夏休みが近づいている――

 期末テストの結果によって、運命は大きく変わる。

 私はぎゅっと鞄の肩紐を握り締めた。

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