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第十一章:その先に広がる、なないろ

「時間がもったいないから、始めようか」


 空音……結弦くんがそう言って、ギターケースの前で屈む。

 スカートから覗く太腿が健康的で、羨ましいなと思う。

 スカイブルーのギターケースには、いくつかのポケットがついている。

 そのチャックを全て開けて、中から機械やコードを取り出していく。

 ちらりと譜面が入ったファイルも見えた。


「よいしょっと」


 結弦くんは慣れた様子でセッティングをしていく。

 屈んで機器を弄る姿を、興味深く見つめる。

 部屋の隅に置かれた、私の腰と同じくらいの高さがありそうな、大きなスピーカー。

 上に置かれた、つまみがついた直方体の箱が、ギターアンプなんだと思う。

 私が使っていたミニアンプと比べると、明らかにでかい。

 結弦くんはつまみを確認してから、赤いボタンを押す。


「真空管アンプは、温まるまで待たなきゃいけないんだ」

「へー……」


 詳しくはないけど、真空管は昔の技術だったはず。


「こっちの方が、わくわくする音が鳴るんだよね」


 アンプに取り付けられたつまみを調整しながら、嬉しそうな声を上げる。

 音の良さではなく、感情を優先した感想。

 新しいおもちゃを手にした、少年のような表情を見て、本当にギターが好きなんだなと思う。

 アンプから伸びるコードに繋がれるのは、マルチエフェクター。

 複数のボタンとつまみで構成され、小さなディスプレイがついている。

 長さは三十センチほどで、端には黒いフットペダルが取り付けられていた。

 演奏中に足で踏んで、音色や質感を切り替えるためのもの。

 エフェクターとギターは既に繋がっているので、セッティング完了だ。


「おっけー」


 結弦くんがギターについたストラップを肩にかけ、アンプの黒いボタンを押す。

 ギターを構える姿は様になっており、私は静かに拍手をした。

 手に持っているのは、アコギではなく、エレキギター。

 アニメの影響でギターに憧れた私には分かる。

 あれは、ストラトキャスターと呼ばれるモデル。

 世界で最も使われている、と言われるくらい王道なギター。

 ひょうたんのような、温かみのある形をしたアコギとは違い、先が尖った形をしている。

 本体の色は、アクアマリンのような爽やかな色。それも相まって、ボディーは波のようにも見えた。

 ロックに強いレスポールもいいけど、女装している結弦くんには、こちらの方が合っている。

 私が好きなアニメのキャラが使っていて、値段は七万を超えていた。


「気になる?」


 羨ましさにじっと見ていると、結弦くんはヘッドを持ち上げて、それを示す。

 よだれが出そうなくらい、締まりのない顔をしていたことに気付き、こほんと喉を鳴らした。


「優子ちゃんって、よく手元見てるよね。もしかして、ギターやってた?」

「え……あーうん。ちょっとだけ」


 その質問には、目を泳がせながら答える。


「得意な曲は?」

「す、スタンドバイミーと……あいみょんのマリーゴールド?」


 自信なさげに答えると、結弦くんは何かを察したように「あー」と呻く。

 『スタンド・バイ・ミー』は有名な映画の曲で、ギター初心者向けの曲だと言われている。

 四つの簡単なコードだけで構成され、曲の展開が変わっても、同じコード進行を繰り返すので、覚えるが楽だった。

 『マリーゴールド』はそれに比べれば難しいけど、難所は少ない。


「マリーゴールドいいよね。ぼくもギター始めた時は良く弾いてたなー」


 言いながら、結弦くんが指を動かす。

 スピーカーから流れる、弦を弾く軽快な音。

 アップテンポではあるけど、指を動かしやすい配置なので、弾いていて疲れなかったのを思い出す。

 結弦くんの奏でる音は、私と比べてメリハリがあり、明らかにうまい。

 聞いていると心地よさに飲まれて、歌い出してしまいそうだ。

 あんな女の子みたいに細い指で、力強く弾けるなんてすごい。


「文化祭でやるかはともかく、一度歌ってみない?」


 頬に掛かるツインテールを手で避けながら、そんなことを提案される。

 人前で歌うのは、正直に言えば恥ずかしい。

 でも、広いスタジオでギターの生演奏付き。

 歌ってみたいという気持ちが、こみあげてくる。


「ごくり……」

「乗り気みたいだねー」


 笑顔で言われて、頬を掻く。

 正直に言えば、今すぐにでも歌いたい。


「何かリクエストある?」

「え? 何でも弾けるの?」

「もちろん全部弾けるわけじゃないけど、ある程度なら」


 その言葉に感心する。

 結弦くんのチャンネルには、新しい曲から古い曲まで、いろんな曲がアップされていた。

 YouTubeで初めて聴く曲をアドリブで叩く、ドラマーの人を見たことがある。

 知らない曲でも、少し聞けば弾けてしまったりするのだろうか。

 ともかく、歌ってみたい曲を考える。

 好きな曲はたくさんあるけど……


「そうだね……BUMP OF CHICKENとか?」


 恐らく、誰もが一度は聞いたことがあるであろうロックバンド。


「バンプ? 男性シンガーだけど……」

「ロ、ロックバンド好きなので……」


 身体の前で手を合わせ、もじもじと答える。

 好きな女性アーティストもいっぱいいるけど、2000年代のロックバンドが特に好きだ。


「ミセスはもちろんだけど、amazarashiとか、GLAYとか、ラルクとか、アジカンとか、RADWIMPSとか……あ、pillowsも好き。ハチ……じゃなくて米津玄師も。女性ならEast Of Edenも好きだし、椎名林檎とか、Aimerとか……tukiも好きだなぁ。バンドリとか学マスの曲とかも良い曲が多いし……」


 遠慮がちに好きなアーティストを羅列していく。

 まだまだたくさんあって、語り切れない。


「あ……」


 と、そこまで言って気付く。

 もしかして今、オタク特有の早口で喋っていなかっただろうか……。

 慌てて結弦くんに視線を向けると、ジッとこちらの話を聞いている。


「いいね。その辺りはぼくも好きだよ。流石に詳しいね」


 同調してくれることに、感動する。

 朱里さんとカラオケに行っても、ほとんど通じないので、この辺りは全然歌えない。

 こんなに嬉しいことってあるんだ。


「BUMP OF CHICKENなら、最近は『なないろ』を弾いてるけど」

「え……めっちゃ好きです!! やりたい!!」

「お、おお……そっか」


 食い気味に迫ると、流石に引かれてしまった……。

 オタクの悪い習性だ……。


「じゃあ、弾いてみようか。キーはどれくらいあげる?」

「あ、原曲キーで大丈夫」

「え? かなり低くなるけど」


 男性アーティストの曲を、原曲のまま歌うのは確かにきつい。

 カラオケに行った時、自分の歌いやすいようにキーを変える。

 だけど、好きな曲はどうしても原曲で歌いたいという欲求がある。

 そのための練習は、してきた。


「だめですか?」

「んーん、やってはみるけど……」


 戸惑いながらも、結弦くんはギターを構えて、ピックを握る。

 否定せずに、受け入れてくれる優しさが、ありがたい。

 私はマイクスタンドを持ってきて、自分の前に置く。

 高さを調整して、マイクの先がちょうど口元に来るようにする。

 こうしてるだけで、アーティストになった気分だ。


「行くよ」


 結弦くんが私の隣に立ち、短く呟く。

 初めてのセッション。

 少しだけ緊張する。

 私は一度だけ深く息を吐き、目の前のマイクに向き直る。

 しんと静まり返る室内。

 そこに、軽快な馴染みのフレーズが鳴り響く。

 弾いているのは、本来ならアコギで弾かれる、優しくて爽やかなリフ。

 イヤホン越しに何度も聴いたフレーズ。

 だけど、生のギターはまるで別物だった。


「……」


 結弦くんがエフェクターのフットペダルを踏む。

 すると、突然エレキギターらしい激しくて歪んだ音が鳴った。

 『愛しのレイラ』の時と同じ、本来なら二人で弾くパートを、一人用にアレンジしたもの。

 メロディラインもなく、ベースもドラムもない演奏に、厚みが生まれる。

 すごい――

 それに驚きながらも、私は口を開く。


「――」


 明らかに低いキー。

 落ち着いて、肩の力を抜く。

 喉を締め付けないように気をつけながら、声を胸元に向かって響かせる。

 マイクに乗ってスピーカーから出た声は、リラックスした落ち着いた声だった。

 低い声を無理に出そうとすると、無意識に力が入ってしまうので、あくびをするように喉を開く。

 力まずに、低音のハスキーボイスを出すような雰囲気で。

 女子の私にとっては、地声の底を這うような低さ。

 だけど声は出ているし、キーも合っている。

 普段の自分の声とは違い、深みも感じられた。

 自分を慰めるような歌詞を、軽快なギターの音が鼓舞してくれる。

 お腹に響くほどの迫力。

 だけど、それはとても優しく感じられる。

 結弦くんが、ちらりとこちらを見る。

 一瞬だけ、目が合った――

 それだけで、なんとなく二人の気持ちが通じ合った気がする。

 サビに入る直前。

 ふっと、結弦くんがその口元を緩める。

 歌詞が途切れ、サビに入る少しの間で、息を吸う。

 刹那、勢いよくフットペダルが踏まれたのが分かった。

 高揚する気持ちに乗せて、サビを力強く口にする。

 同時に、ギターの音がやまびこのように重なって、遅れて響く。

 音が、なないろに広がった――

 音を何倍にも膨らませる『ディレイ』のエフェクト。

 たぶん、この曲でそんな大げさなエフェクトは掛けない。

 私を鼓舞してくれたのだろうか。

 目の前がキラキラと輝く。

 サビに入り、キーが高くなったことで、声が出しやすくなる。

 それに合わせて、我慢してきた気持ちを吐き出すように、声量を少しだけ上げる。

 歌詞に込められた肯定感と、ギターの音が、私の背中を押してくれる。

 目の前に広がる空間が、どこまでも続く広大な青空のように感じられた。

 跳ねるようなギターの音だけが、私を導いてくれる。

 ただ激しいだけじゃない。楽しませようという優しさ。

 楽しいし、気持ちいい――

 今心にあるのは、そんな輝くような純粋な気持ちだ。

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