第十章:少しの罪悪感と、踊る心
次の日の放課後。
一度家に帰り、着替えてから近くの駅にやってくる。
自動改札が一つあるだけの小さな駅。
古めかしい、昭和レトロな雰囲気が漂う駅舎には、オレンジ色の四人掛けの椅子がぽつんと置かれている。
窓口はあるが、既に駅員さんはおらず、カーテンが閉められていた。
誰も座っていない椅子に腰掛け、一息つく。
夕方に私服姿で駅に居るのは、久々かもしれない。
たまに朱里さんに強引に連れ出され、街中に行く時くらいだ。
期末テストが近いこともあり、家を出る時「遅くなるかもしれない」と告げると、母親は難色を示した。
友達と図書館に行くと言ったら、一応は納得してくれた。
「お母さんごめん……」
今更ながらに、嘘をついたことに罪悪感が湧き上がってくる。
それでも、スタジオに行くことをやめようとは思わなかった。
これからのことを考えると、わくわくしてくる。
こんな気持ちは、どれくらいぶりだろう。
「こんな格好でよかったかな」
ゆったりめのロンTに、ショートパンツというカジュアルな格好。
こっそりと持ってきたベレー帽を被っているので、おかしくはないと思う。
思えば、男の子と出掛けるなんて、小学校以来じゃないだろうか。
青春を謳歌している友達もいたけど、恋人なんて私には縁遠い存在だ。
デートというわけでもないのに、少しだけ意識してしまう。
窓口のガラスに映った自分の姿を見て、髪を整える。
親に怪しまれるけど、少しくらいメイクしてきても良かっただろうか。
そわそわとしていると、駅の入り口から人が入ってくる。
「おまたせ」
「え……?」
こちらに近づき、声を掛けてきた人物を見て、驚愕する。
待っていた人物には間違いないのだが、予想外の格好をしていた。
白いフリルギャザーブラウスに、黒のミニフレアスカート。
顔の横で揺れる、毛先に赤いグラデーションが入ったツインテール。
背中には、ギターケースを背負っている。
空音くんは、あの日と同じ女装した姿でやってきた。
「そ、それで行くの?」
「うん。変?」
小さく首を傾げて口元に右手を当てる、あざといポーズ。
そうする彼の姿は、女の子にしか見えず、とてもかわいらしい。
背は高いはずなのに、ガーリーなファッションのせいで、違和感がない。
声はもちろん低いのだけど、喋らなければ誰も男性とは思えないだろう。
瑞々しい肌に、吸い込まれそうなほどに綺麗な、ダークブラウンの瞳。
背負っているスカイブルーのギターケースも、とても似合っている。
「変じゃないし、かわいすぎるくらいだよ……」
かわいらしさと洗練された雰囲気を併せ持つその姿に、本音が漏れる。
「えへへ、ありがと」
歯を見せて笑う顔に、ドキリとする。
「それじゃ、時間もないし行こうか」
ぴょんと飛んで、空音くんが隣に並ぶ。
肩が触れそうなくらい近い距離。
ふわりと良い香りがして、顔が少しだけ熱くなる。
「ここからは『しー』だね」
彼はそう言って、口の前で右手の人差し指を立てて、ウインクする。
小悪魔的なその仕草が、驚くほどに似合っていて、つい見惚れてしまう。
男なのにかわいいというちぐはぐさが、脳をバグらせる。
ふわふわとする足元。
並んで歩くと、互いの服がこすれ合う。
叫んでしまいそうな衝動を抑えながら、交通系ICカードを改札に当てる。
プラットホームに行くと、空音くんは宣言通り静かにしていた。
すぐに二両編成の電車が来て、乗り込む。
学校が終わる時間なので、中には制服姿の同年代の子がたくさんいた。
席はいっぱいなので、吊革につかまって目的地を目指す。
周りに目を向けると、ちらほらと視線を感じる。
みな、空音くんを見ているのだろう。
はっきりと「かわいい子がいる」という言葉も聞こえた。
話題の中心に入る空音くんは、特に気にする様子もなく、静かに立っている。
激しく電車が動いても、微動だにしない姿を「格好いいな」と思いながら横目に見やる。
今この場で、この子を男だと知っているのは、私だけ。
隣に立っているというだけで、誇らしい気持ちになれた。
三駅目が近づいたところで、とんとんと肩を叩かれる。
「……」
空音くんは何も言わず、代わりに出口を指し示す。
どうやら、目的地についたらしい。
電車が停止し、扉が開いて、降り立った駅は中心市街地の一つ手前。
駅を出ると、片側二車線の大きな道が街に向かって伸びている。
大きいビルはちらほらと見えるが、この辺りはまだ住宅街。
近くには大きな神社があり、道の反対側に鳥居が見える。
私たちは信号を渡り、その鳥居をくぐった。
しばらく行くと、雑居ビルがいくつか建っている。
空音くんは迷うことなく、その中で一番綺麗なビルに進んでいく。
「ここだよ」
一階がガラス張りになった、五階建ての白いビル。
入口の上部には看板がついており『レンタルスタジオ&音楽スクール』と書かれている。
こういう所に来るのは初めてなので、少し緊張した。
「行こう」
慣れた様子の空音くんが、心強い。
誘われるがままに、中に入っていく。
扉を抜けるとすぐに受付カウンターがあり、スーツ姿のお姉さんが対応してくれる。
どうやら、カラオケと同じで借りるスタジオを指定し、時間を告げるらしい。
アルバイトをしていない学生の身としては、金額が気になった。
カウンターに置かれた料金表を見ると、平日なら小部屋で一時間千五百円。個人練習なら半額と書かれている。
カラオケに比べれば高いが、思ったよりは安い。
あらかじめ予約していたようで、受付はあっという間に終わる。
階段を登って指定された部屋に向かう。
建物はまだ新しいようで、新築の匂いがした。
二階に着くと、楽器の音が微かに聞こえる。
防音がしっかりされているのか、気になるほどのものではない。
「入ろう」
空音くんが部屋の前で止まり、扉を開けてくれる。
言われるがままに中に入る。
「わぁ……」
その先に広がる光景を見て、私は感嘆の声を上げた。
白いフローリングの床に、紺色の壁。天井は白く、とてもおしゃれな色使い。
小部屋と聞いたが、広さは十畳はある。
部屋の奥にはドラムが置かれ、隅にはアンプやスピーカーなどの機材が置かれていた。
壁には姿見の鏡と、ホワイトボード。天井で灯る照明は明るい。
「気に入ってくれた?」
背負っていたギターケースを床に置いて、空音くんが笑顔で話しかけてくる。
私はひとしきり周りを見回した後、無言で何度も頷く。
部屋に置かれたスタンド式のマイクに、心が躍った。
「嬉しそうだね、優子ちゃん」
「う、うん!!」
空音くんがいなければ、こんなところに来る機会はなかった。
お母さんに嘘をついたという罪悪感はあるけど、来て良かった……。
「ん……?」
と、そこで違和感に気付く。
今、名前で呼ばれたような……。
「あ、ごめん!! 馴れ馴れしかったね。この格好で居ると、変にスイッチ入っちゃって……」
空音くんが慌てた表情を浮かべ、女の子らしい仕草で胸元に手を当てる。
苦笑いするその姿が、なんだか新鮮だ。
「あ、いや……別に嫌なわけじゃなくて……ちょっと驚いただけで」
気分が高揚しているせいだろうか、名前で呼ばれることを不快には思わない。
むしろ、今の姿だとそう呼ばれる方がしっくりくる。
「えっと……じゃあ、名前で呼んでもいい?」
おずおずと小首を傾げ、顔を覗き込むように見てくる空音くん。
その姿がかわいすぎて、胸がきゅんとなる。
これは、愛らしいものに対して覚える感情。
「うん。もちろん」
「ありがとう。ぼくのことも、よかったら名前で呼んで」
申し訳なさそうに頬を掻き、苦笑いする。
彼にもこんな一面があるのだと、少しだけ親近感を覚えた。




