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日曜日だけの婚約者候補でしたが、王太子殿下が私を婚約者だと言い張りはじめました  作者: 木風


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第八話 私の価値とは何だろう

 朝食のあと、レオナルトは帰らなかった。

 窓辺に簡易の執務机を運ばせ、そこに書類を置かせる。


「殿下。こちらで、お仕事をなさるのですか?」


 思わず声をかけてしまった


「ああ」

「ですが、王太子殿下のお仕事は、執務室でなさるものでは」

「重要なものは執務室で片付けてきた。ここで済ませられるものだけ持ってきている」


 当然のように言われ、返す言葉を探す。


「私に、気を遣わなくても」

「気を遣っているわけではない」


 ペンを取ったレオナルトは、書類へ視線を落とした。


「俺が、ここにいたい」

「……」

「辛くなったら、いつでも横になるといい」

「……はい」


 胸の奥が音を立てたように熱くなり、慌てて視線を膝元へ落とした。


 嘘だと思わなければならない。

 少なくとも、今のこの状況は嘘の上にある。記憶がない婚約者として扱われているだけだ。

 それなのに、言葉だけはあまりにも欲しかったものに近い。


 午前中、レオナルトは本当に客室で執務をした。

 紙をめくる音。ペン先が走る音。時折、侍従が扉の外から書簡を届け、彼が短く指示を出す声。

 日曜日のガゼボで聞いていた紙の音とは、違って聞こえた。


 あのときは、彼の書類が私との間に壁を作っていた。

 今は、同じ部屋の中にいるための理由になっている。


 不思議な変化だった。

 そして、とても危うい変化だった。


 昼近くになると、宮廷医が診察に来た。

 レオナルトは席を外そうとしたが、医師が怪我の状態を報告すると、扉の近くで足を止める。


「熱は」

「昨夜より下がっております」

「頭痛は」

「まだ残っているようですが、悪化はしておりません」

「記憶は?」


 私の背中が強張った。

 宮廷医は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「今朝も、ご自身の家名やご家族については曖昧でいらっしゃいます」


 曖昧。

 便利な言葉だと思った。

 全部覚えているのに、曖昧という布で隠される。

 レオナルトはこちらを見た。


「焦らなくていい」


 また、その優しい形をした言葉。


「思い出せなくても、お前の価値は変わらない」


 王太子妃教育を忘れても。

 家名を忘れたふりをしても。

 日曜日の候補だった自分を失ったことにしても。

 価値は変わらないと言われた。


 私の価値とは何だろう……?


 今までの私は、王太子妃にふさわしいから価値があるのだと思っていた。

 正しく振る舞い、失敗せず、日曜日を与えられているから、候補として見られているのだと。

 けれど今のレオナルトは、そのすべてを失ったふりの私に向かって、価値は変わらないと言う。


 ずるい。

 胸の奥で、言葉にならない感情が滲んだ。


「……ありがとうございます」


 声が震えなかったことだけが、救いだった。


 その日から、レオナルトは毎日客室へ来た。

 朝は、花か本を持ってくる。

 昼には、宮廷医の報告を聞く。

 夕方には、執務の合間に顔を出し、痛みが強くないか、眠れそうかと尋ねる。


 月曜日も、火曜日も、水曜日も。

 日曜日ではない日にも、彼はお見舞いと称して現れた。


 候補として決められた一日だけではない。

 王太子妃教育の予定表にも、社交界の噂にも書かれていない時間が、毎日増えていく。


 彼の姿を見る、そのたびに自分を戒めた。

 喜んではいけない。

 期待してはいけない。

 この優しさは、嘘から始まったものだ。


 けれど、朝の花瓶に花が増えるたび。

 湯気の立つ食事を見守られるたび。

 夜、眠る前に「また明日来る」と言われるたび。


 胸の奥の固いものが、少しずつほどけていくのを止められなかった。


 そして四日目の夕方。

 レオナルトがいつものように書類を閉じたあと、思いきって尋ねた。


「殿下」

「何だ」

「私は、以前もこのように、殿下と毎日お会いしていたのでしょうか?」


 記憶のない婚約者なら、自然な問いだ。

 けれど私にとっては、刃に触れるような質問だった。


 レオナルトは、すぐには答えなかった。


 その沈黙だけで、答えはわかる。

 毎日など、会っていなかった。

 日曜日だけだった。

 しかも、その日曜日でさえ、彼の心は遠かった。


「以前は」


 レオナルトが、静かに口を開く。


「俺が、間違えていた。今は、それを正している」


 間違えていた……彼が、それを認めたことに、息を止めた。


 窓の外で、夕方の鐘が鳴った。

 遠く、王宮の庭園から風が入る。白い花の淡い香りが、部屋の中を静かに流れた。


 間違えていた。

 正している。


 それは、何を指しているのだろう。

 五年間の冷たさか。日曜日だけだったことか。婚約者だと嘘をついたことか。


 尋ねたい。

 けれど、聞けば記憶のないふりが崩れるかもしれない。

 言葉を飲み込んでいると、レオナルトは椅子から立ち上がった。


「明日も来る」


 そう言って、彼は部屋を出ていった。

 扉が閉まったあとも、しばらく動けなかった。


 日曜日だけだった王太子が、明日も来る。

 その約束が、今の私には何より怖かった。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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