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日曜日だけの婚約者候補でしたが、王太子殿下が私を婚約者だと言い張りはじめました  作者: 木風


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第五話 嘘だ。怖いことばかりだ。

 知らないふりをして尋ねると、父はすぐに表情を戻した。


「お前は階段から落ちた。今は、それだけを知っていればよい」


 階段から落ちた。

 その言い方は、事故とも事件とも断じていなかった。


「公爵。学園での状況は、こちらでも確認を進める。候補令嬢たちの所在と証言も必要になる」

「承知しております。ベルクハイム家も、独自に確認を進めます」

「勝手な動きは避けてもらう。噂が先に広がれば、フィオナが傷つく」


 私が傷つく……その言葉が静かに部屋の中へ落ちた。

 そのことを、レオナルトが口にした。

 昨日までは、私が何に傷ついているのかも知らないような顔をしていたのに。


 父は、少しだけ目を伏せた。


「……承知いたしました」


 今度の返事は、先ほどよりわずかに硬かった。


 しばらくして、宮廷医が診察の続きのため、面会を切り上げるよう促した。

 父は私の枕元に立ち、短く息を吸う。


「フィオナ」

「はい」

「焦らなくてよい。今は身体を治すことを優先しなさい」


 普段の父なら、王太子妃候補としての責務を説いただろう。

 学園での振る舞いについて、隙を見せるなと言ったかもしれない。

 けれど今日は違った。


 それが事故のせいなのか、記憶を失ったふりのせいなのか……もう私にはわからない。


「ありがとうございます」


 そう返すと、父は何か言いたげに唇を動かしかけた。

 けれど、結局言わずに、深く一礼すると、背を向けて部屋を出ていく。


 扉が閉まる音がした。

 残された部屋には、薬草の匂いと、雨上がりに似た湿った沈黙があった。


 ゆっくりと目を閉じる。

 父は訂正しなかった。

 婚約者ではないと、言わなかった。

 それどころか、王宮で療養しろと告げた。


 もし父が気づいているのなら、なぜ何も言わなかったのだろう。

 もし気づいていないのなら、私の嘘は思ったより深く通ってしまったことになる。

 どちらにしても、もう簡単には戻れない。


「疲れたか」


 レオナルトの声がして、目を開ける。


「……少し」

「なら、休め」


 彼は、寝台のそばの椅子へ腰を下ろした。

 まるで、そこにいるのが当然だというように。


「殿下も、お忙しいのではありませんか」

「今はここにいる」


 短い言葉。

 それなのに、昨日までの短さとは違って聞こえる。


 返事を探すけれど、疲労と痛みが身体を重くしていた。まぶたが下がる。

 眠ってはいけない気がした。嘘をついている相手の前で眠るなど、あまりにも無防備。

 けれど身体は限界だった。


「フィオナ」


 眠りに沈む直前、レオナルトが名前を呼んだ。


「怖いことは、何もない」


 嘘だ。怖いことばかりだ。

 そう返すことはできないまま、痛む手を寝具の下へ隠し、静かに意識を手放した。




 目を覚ますと、窓の外は夕暮れだった。


 淡青のカーテンの隙間から、薄い橙色の光が差し込んでいる。

 王宮の客室は広く、静かで、どこかよそよそしい。

 寝台の脇の小卓には薬湯の器が置かれ、乾いた薬草の匂いがまだ部屋に残っていた。


 右手の指先を少し動かす。

 手首の痛みは引いていない。昼に起きた時よりも、肩も背中もずっと重い。

 身体を起こそうとすれば、すぐに宮廷医か侍女に止められるだろう。


 それでも、眠る前より頭ははっきりしていた。

 だからこそ、状況の異様さが胸に迫ってくる。


 自分は記憶喪失のふりをしている。

 レオナルトは、私を婚約者だと言った。

 父も、それを訂正しなかった。


 候補だったはずなのに。

 七人いる候補のうちの、日曜日を与えられた一人にすぎなかったはずなのに。


 眠る前よりも、逃げ道は狭くなっていた。


「お目覚めでいらっしゃいますか、フィオナ様」


 王宮付きの侍女が、静かに近づいてきた。


 名は確か、ミラベル。

 日曜日の茶の時間に、紅茶を注いでくれたことが何度もある。

 けれど今の私は、その名を知っていてはいけない。


「……はい」

「お加減はいかがでしょう」

「少し、身体が重いです」

「宮廷医を呼びますね」

「いえ、今は大丈夫です」


 小さく頷きながらそう答えてから、唇を噛みそうになった。

 自分で具合を判断する癖は、昔から父に注意されてきた。


 令嬢が無理をして倒れれば、周囲に迷惑をかける。

 そう言われて、痛みや疲れを大丈夫ですと飲み込むことに慣れている。

 記憶を失ったふりをしているなら、その癖も隠さなければならない。


 ミラベルは、少し心配そうに眉を下げた。


「ご無理はなさらないでくださいませ。殿下からも、些細なことでも報告するよう仰せつかっております」

「殿下が」

「はい。お目覚めの時刻、召し上がったもの、痛みの強さ、眠りの深さまで。すべてお伝えするようにと」


 細かすぎる。

 私は、返す言葉を失ってしまう。


 日曜日のレオナルトは、私の紅茶が冷めても気づくことはなかった。

 昼食の味がしなくても、皿の上に残した魚を見ても、ほとんど何も言わなかった。

 それなのに今は、眠りの深さまで気にしている。


 記憶を失った婚約者だから。

 そう思えば、説明はつく。

 けれどその婚約者という立場自体が、嘘で作られたものなのだ。


「殿下は、お忙しい方ではないのですか」


 知らないふりをした質問のつもりだった。

 ミラベルは微笑む。


「もちろん、お忙しい方です。ですが、フィオナ様のことを何より案じていらっしゃいます」

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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