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日曜日だけの婚約者候補でしたが、王太子殿下が私を婚約者だと言い張りはじめました  作者: 木風


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第十話 嫌われていたわけではない

 レオナルトの灰色の瞳が、わずかに揺れた。

 嘘が、彼自身を追い詰めている。

 私はそれをわかっていて、尋ねている。

 胸の奥が痛む。けれど、この痛みだけは彼にも少し知ってほしかった。


「その通りだ。俺は、お前を近くに置きながら、遠ざけていた」


 レオナルトは否定しなかった。

 遠ざけていた。その言葉が、日曜日の記憶を一つずつ照らしていく。

 書類から上がらない視線。短い返事。庭師に任された薔薇。

 予定通りでいい、今まで通りでいい、という言葉。


 全部、気のせいではなかった。


「なぜですか」

「今はまだ、話せない」


 尋ねると、レオナルトは唇を結んだ。

 まただ。膝の上の本を指先で押さえる。


「それは、私の記憶がないからですか」

「それもある」

「それ以外にも、理由があるのですか」

「ああ」


 また、短い返事。

 けれど今度の短さは、壁ではなく、何かを押し留めるためのものに聞こえた。

 レオナルトは、私の手元へ視線を落とした。

 包帯の巻かれた左手ではなく、右手の指先へ。


「ひとつだけ、言えることがある。嫌っていたわけではない」


 息が止まった。


「お前を嫌って、冷たくしていたわけではない」


 喉の奥が熱くなる。

 欲しかった言葉のはずだった。

 ずっと、ずっと欲しかった言葉だ。

 嫌われていないのなら、何かが変わるかもしれないと、何度も願った。


 けれど今、その言葉は遅すぎる。

 遅すぎるのに、胸は反応してしまう。


「では、私は。嫌われていないのに、傷ついていたのですね」


 震えそうになる声を押さえた。

 レオナルトの表情が強張った。


 責めたかったわけではない。ただ、そういうことになる。

 嫌われていたから冷たかったのではない。

 けれど傷ついた。なら、その傷はどこへ置けばいいのだろう。


「フィオナ」


 名前を呼ばれる。

 その声が優しいから、余計に苦しい。


「ごめんなさい。記憶がないせいでしょうか。聞いてよいことと、悪いことの区別がつかなくて」


 嘘だ。本当は、区別などついている。

 これは聞いてはいけないことだった。けれど、聞かずにはいられなかった。


「謝るな。聞いていい。お前には聞く権利がある」


 レオナルトは、椅子から少し身を乗り出した。

 権利。その言葉が、胸の奥に触れた。


 候補だった頃の私には、そんなものはなかった。

 冷たくされても、日曜日が苦しくても、笑って耐えるしかなかった。

 今は、記憶がないふりをしているから、聞く権利を与えられている。


 何て皮肉なのだろう。


「では、もうひとつだけ。私は以前、殿下のことを好きだったのでしょうか」


 ゆっくり顔を上げた。

 ミラベルが、今度こそ小さく息を呑んだ。

 レオナルトは動かなかった。


 問いかけた瞬間、自分の胸に痛みに近い熱が走った。

 答えなど知っている。


 好きだった。十二歳の夜会から、ずっと。日曜日のたびに傷ついても、嫌いになれなかった。

 けれど記憶のない私は、知らないふりで尋ねられる。

 レオナルトは長い沈黙のあと、低く答えた。


「それを、俺が決めることはできない」


 逃げたのだろうか。それとも、誠実な答えなのだろうか。


「だが……もし、そうだったのなら、俺は、その気持ちに甘えていた」


 灰色の瞳が、痛いほど真っ直ぐにこちらを見る。

 指先から、少しだけ力が抜けた。

 膝の上の植物図鑑が少し滑る。

 レオナルトが手を伸ばしかけ、けれど触れずに本の端だけを支えた。


 触れない。彼は最近、いつもそうだ。

 近くに来る。守る。気遣う。けれど、怪我をした手にも、頬にも、簡単には触れない。

 その距離が、以前よりずっと近いのに、まだ遠い。


「私は……」


 口を開きかけた。

 好きでした。今も、嫌いにはなれていません。そう言えたら、どれほど楽だろう。

 けれど言えない。記憶がないふりをしている私は、過去の恋を語れない。


「……すいません。少し、疲れました」


 選べたのは、その言葉だけだった。

 レオナルトは、すぐに身を引いた。


「休め」

「はい」


 ミラベルが枕の位置を直し、植物図鑑を小卓へ置く。

 レオナルトはしばらく寝台のそばにいたが、やがて静かに立ち上がった。


「午後にまた来る」


 また来る。その言葉にも、もう驚かなくなっている自分がいる。


「殿下」


 扉へ向かいかけた彼を呼び止めると、レオナルトが振り返る。


「私は、記憶を取り戻した方がよいのでしょうか?」


 部屋の空気が、また変わった。

 レオナルトは、すぐには答えなかった。

 やがて、苦いものを飲み込むように喉を動かす。


「お前が苦しまない形で戻るなら。俺は、それを望む」


 静かな声だった。

 苦しまない形。そんなものがあるのだろうか。

 記憶が戻ることも、戻らないふりを続けることも、どちらも私を苦しめているのに。

 レオナルトが部屋を出たあと、白い花と青い花の混ざった花瓶を見つめた。


 嫌われていたわけではない。

 けれど、傷ついていた。

 その事実だけが、花の香りよりもずっと濃く、部屋の中に残っていた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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