「お姉さま、婚約者さまを許してあげて」と妹が言う。浮気相手はお前なのだが。
「お姉さま、婚約者さまを許してあげて」
私の部屋の寝台に、裸で抱き合う妹のリルビアと、私の婚約者、ステファン。
私は腕を組み、冷ややかな視線で二人をじっと見据えた――。
*
ここは王都から遠く離れた、魔獣との戦地。ストランド侯爵家の長女であり、護衛魔法使いとして従軍している私は、野外での食事中に侍女のナタリーから一通の封書を受け取った。
そこに記されていたのは、リルビアとステファンの不貞。
しかも、こともあろうに、私が不在で人の出入りが少ないのをいいことに、私の部屋を密会に使っているという。
(さて、どうしてくれようかしらね)
ステファンごときに、今更未練などひとかけらもない。
しかし、主の留守をいいことに他者の私室を汚すなど、万死に値する。あの不届き者たちをどう料理してやるか、私の脳内ではすでにいくつかの制裁プランが立ち上がっていた。
「ウェラーナ、どうしたの? 怖い顔をして」
声をかけてきたのは、第二王子、エドワード殿下だ。
そもそも侯爵令嬢である私が前線に従軍するなどおかしな話だが、魔獣の暴走が起こった今、膨大な魔力量を持つエドワード殿下が自ら出陣している。ならば、殿下の学園時代の同級生であり、その背を預かる護衛魔法使いとして私が選ばれたのも、致し方ないことだった。
とはいえ。
「大丈夫。君のことは、私が守るよ」
端正な顔立ちを綻ばせ、護衛対象であるはずの殿下にそう言わしめてしまう私は、護衛としていったいなんなのだろう。
「……殿下、少々頭の痛い報せが届きまして」
私は苦笑しながら、ナタリーからの手紙を殿下に差し出した。
手紙にさっと目を通した殿下は、ふっと口元を和ませる。
「それで、どうするの?」
「ステファンとは婚約解消になるでしょうね。いえ、必ずそうします」
きっぱりと言い放った私を見て、殿下はなぜだか、とても嬉しそうに目を細めた。
「妹君のことは?」
エドワード殿下の問いに、私は小さく息を吐き出した。
「リルビアは……あの子は幼い頃から、私の留守を狙って部屋に入り込むんです。そして、私が大切にしているものをどういうわけか正確に嗅ぎ分けては、盗んでいきました。ぬいぐるみ、ハンカチ、指輪、オルゴール、絵画……今まで数え切れないほどです」
そこまで言って、私は自嘲気味に少し笑った。
「そう考えると、あの子の行動は昔から一貫していますね。私の留守を狙い、私の大切なものを盗む。でも、不思議です。今まで盗まれたものたちは今でも愛着があって、いつか取り返したいと思うのに……ステファンに関しては、もう本当にどうでもいい、要らないな、と。幼馴染ですし、将来は共に実家を盛り立てていくパートナーだと思っていたのですけれど」
自分では落ち着いて話しているつもりだった。
しかし、腹の底では相当苛ついていたのだろう。無意識のうちに風魔法が暴発していた。
私の声は風の魔力に乗り、この野営地全体へと朗々と響き渡ってしまったのだ。
(あ、やってしまった……!)
ハッと口を押さえたがもう遅い。しかし、一年の苦楽を共にした軍の仲間たちは実に優しかった。全員が聞こえないふりをして、引きつった笑顔で明後日の方向を見つめてくれている。
その後間もなく、魔獣の討伐は完全に完了した。エドワード殿下と私、そして数人の精鋭は、ついに王都への帰路につくことになった。
貴族も平民も関係なく同じ釜の飯を食い、一年もの間、命を預け合ってきた戦友たちとの別れは名残惜しい。
「お姫さん、元気でやれよ!」
現地の戦後処理に残る屈強な兵士たちが、涙ぐみながら手を振る。
「困ったことがあればいつでも俺たちを呼びな。地の果てまで駆けつけるからよ!」
「ふふ、お気遣いありがとう。あなたたちもどうかお元気で。今度は王都の酒場で会いましょうね!」
*
そして、私は懐かしき王都のストランド侯爵邸へと戻ってきた。
両親には前もって帰還を知らせてあったが、「リルビアとステファンには極上のサプライズを用意したいので」と、二人には私が生きていることすら内密にしてもらっていた。
私は、頼もしい我が家の執事と侍女たちを引き連れ、自室の前に立つ。
一呼吸置き、容赦なくその扉をバンッ!と音を立てて跳ね上げた。
白昼堂々、ベッドの上で裸で抱き合っていた二人が、ぎょっとしてこちらを振り向く。
「ウェ、ウェラーナ……!? 生きて、いたのか……っ」
ステファンの口から、引きつった声が絞り出された。
「お姉さま、ステファンさまを許してあげて」
卑しい笑みを浮かべたリルビアが、勝ち誇ったように言う。
「仕方がないじゃない。私のほうがいいっておっしゃるんだから」
本当に、昼間からお盛んなことで反吐が出る。
私の合図で、後ろに控えていた従僕がすぐに両親を部屋へと招き入れた。
この現場を目の当たりにした父と母は、あまりの衝撃にしばらく呆然と立ち尽くし、言葉を失っていた。
しかし、次の瞬間。
我に返った母がつかつかとリルビアに歩み寄り、その頬を思い切りひっぱたいた。
鋭い破裂音が室内に響き渡る。
「なによっ! 私は悪くないわ!」
リルビアは頬を押さえ、髪を振り乱しながら叫んだ。
「それに見れば分かるでしょ!? ステファン様が愛しているのは私なのよ! ステファン様はうちの次期当主になるお方。そして私は、その次期当主夫人になるんだから!」
あまりの愚かさに、母は頭を抱えてその場に崩れ落ちた。
「なんて馬鹿な娘なの……。あなた、お願いです、この邪な娘を今すぐ殺してくださいませ……!」
荒れ狂うリルビアを、父は冷徹な一瞥であしらい、淡々と言い放った。
「まず、ステファン。ウェラーナとの婚約は現時点を以て破棄とする。追って我が家から、君の実家へ詳細な不貞の証拠と共に通達を送らせてもらう」
一瞬にして次期侯爵への道が完全に閉ざされたステファンは、絶望に顔を白くしてがっくりと肩を落とした。そして、今なお自分にしなだれかかってくるリルビアを、激しい恨みのこもった目で見つめる。
しかし、そんな視線にリルビアは気づかない。
「それでこそお父さま! じゃあ、ステファン様の新しい婚約者は、私に決まりね!」
勝ち誇った顔をする娘に、父の冷たい声が追い打ちをかける。
「……新しい婚約者など、私の与り知らぬことだ。それからリルビア。お前をストランド侯爵家から除籍する」
「な、何言ってるのよ!? ステファン様の婚約者を私にすげ替えるだけで、何も問題ないじゃない!」
往生際悪く喚き散らすリルビアに、今まで黙っていた母が、氷のように冷ややかな視線を向けた。
「本当に、あなたという娘は……父親にそっくりだわ。あの、救いようのないろくでなしに」
実のところ、父と母は再婚同士だった。
父は早くに最愛の妻――つまり私の実の母親を亡くした。一方、現在の母は、浮気癖の酷かった前夫に理不尽に家を追い出され、行き暮れていたところを父に救われたのだ。
「恩人である旦那様と、愛おしいウェラーナを、こんな浅ましい形で裏切るなんて……」
母はやりきれない様子で首を振ると、毅然とした態度で言い渡した。
「リルビア。直ちにこの家から出ていきなさい。ただし、この屋敷の物は髪飾り一つ、下着一枚にいたるまで何一つ持ち出すことは許しません。すべては侯爵家の資産です!」
怒り心頭の父も、その言葉に深く頷く。
「とはいえ、着の身着のままで行く当てもなければ困るだろう? 妙な娼館にでも流れ着いて、この家の名誉を汚す噂でも流されてはたまったものではない。まあ、その時は私自ら、容赦なくその命をいただくけれどね」
鈴を転がすような、しかし骨の髄まで凍るような凄みのある笑みを湛えて現れたのは、第二王子エドワード殿下だった。
「こんな面白いことになっているんじゃないかと、先触れもなしに来てしまってすまないね」
私たちが慌てて最高礼を執る中、ベッドの上の二人はあまりの驚きにぽかんと口を開けたまま固まっている。
「ということで、彼らにぴったりな行き先を用意したんだ。ウェラーナと私が今しがた帰還した、あの魔獣に荒らされた被災地への『復興要員』として招待するよ。人手はいくらあっても足りないし、これは国のためにもなる高尚な義務だ。いいね?」
王子の命令を拒めるはずもなく、リルビアは直ちに身一つで強制連行された。ステファンの実家も、父からの連絡を受けるや否や、一族の恥だとばかりに彼を即座に除籍し、同じ戦地へと叩き出したのだった。
*
魔獣の爪痕が色濃く残る被災地では、兵士たちが復興作業に汗を流していた。
そこに、エドワード殿下からの直筆の手紙が添えられた差し入れが届く。
『かねての計画通り、ウェラーナの元妹リルビアと、元婚約者ステファンを送る。好きに使っていいよ』
手紙を読み上げた瞬間、屈強な兵士たちから地響きのような歓声が湧き上がった。
「うおーーーっ! 姫さん(ウェラーナ)をずっと苦しめてきた泥棒猫と、裏切り男が来たぞ!!」
「さあて、どう可愛がってやろうかねえ?」
「まずは明日の朝まで立ち上がれなくなるくらい、とことん肉体労働から叩き込んでやるか!」
身の程知らずな二人には、戦友たちによる文字通りの地獄が待っていた。
*
「あっ、これは……」
王都の侯爵邸で、母と二人でリルビアが残していった私物を整理していた時のことだった。
クローゼットの奥の隠し引き出しから、見覚えのある懐かしい品々が次々と現れたのだ。かつて、私の部屋からいつの間にか消えてしまっていた、大切な宝物たち。
母はその少し古びたオルゴールや指輪を見て、ハッと息を呑み、すべてを悟った。
「……あの娘、あなたが生みのお母様から譲り受けた形見まで盗んでいたのね。心優しいあなたが、私たちに言いつけないことを見越して……!」
母の言う通りだった。私は、生みの母が遺してくれた唯一無二の思い出を、あの娘に奪われていたのだ。
けれど、それを告発して、再婚して必死に新しい家族になろうとしてくれているこの優しいお母様を傷つけたくなくて、私はずっと一人で抱え込み、口をつぐんでいた。
「ごめんなさい……気づいてあげられなくて、本当にごめんなさい、ウェラーナ……!」
母は涙を流し、私を壊れ物を扱うように優しく抱きしめてくれた。
「いいえ、お母様……ありがとうございます」
私も母の背中に手を回し、涙を溢れさせる。
奪われた宝物は、すべて私の手元に戻ってきた。そして何より、私たちはこの瞬間、血の繋がりを超えて、本当の「家族」になれたのだと確信した。
*
それから数日後。我が家にエドワード殿下がやってきた。
なぜだか、抱えきれないほどの大きな薔薇の花束を腕に抱いて。
「あの二人は、現地で随分と苦労しているようだよ。何と言っても周りは君の戦友だらけだからね。温かく迎えられるわけもない。頼れるのはお互いだけのはずなのに、顔を合わせれば『お前のせいでこんな目に遭った』と四六時中、怒鳴り合いの応酬さ。……まあ、そんな元気があるならもっと肉体労働のノルマを増やしてやってくれ、と兵士たちには伝えておいたけれど」
楽しそうに語る殿下を、私は半ば呆れ、半ば確信を持ってじっと見つめた。
「……殿下。今回の件、何だか始めからすべて用意されていたように思えるのですが?」
「そうだね」
殿下はあっさりと認め、悪戯っぽく微笑んだ。
「長い道のりだったよ。君をあの無能な婚約者から引き離すために戦地へ従軍させたし……本当はもっと早く魔獣を片付けられたのだけれどね。君と離れがたくて、わざと討伐のペースを遅らせていたんだ」
「な……っ」
あまりの衝撃的な告白に、私は言葉を失った。あの過酷な戦場の裏で、まさかそんな壮大な職権乱用が行われていたなんて。
驚きに固まる私の前で、殿下は静かに片膝をついた。抱えていた花束を私へと捧げ、真摯な瞳で見上げてくる。
「邪魔者はすべて片付いた。……ウェラーナ、やっと言えるよ。私の妻になってください」
その瞬間、ストン、と胸の奥のピースが嵌まった。
あの戦地からの帰り道、仲間たちとの別れ以上に胸が締め付けられるほど寂しかった理由。あの場所から、あの時間から離れがたかったのは――他でもない、この方の隣を離れたくなかったからだ。
私はトクトクと高鳴る鼓動を押さえながら、やっとの思いで言葉をひねり出した。
「……殿下。うちは侯爵家ですよ? 優秀な殿下なら、ご自身で新しく公爵家を興すことだっておできになるでしょうに」
「君が私の隣にいてくれるなら、爵位なんて何だっていいのさ」
その言葉が引き金だった。
私はプライドも令嬢としての慎みもすべて投げ打ち、片膝をつく殿下の胸へと勢いよく飛び込んだ。
「喜んで、お受けいたします――エドワード様!」
抱き留めてくれた殿下の腕は、戦場で私を守ってくれていた時と同じように、とても温かくて力強かった。
誤字報告、本当にありがとうございます。助かります。




