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新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ  作者: 条文小説


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8/10

1-7 一瞬のバグ、永遠のロス

挿絵(By みてみん)


三河物語みかわものがたり』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia

 よう、彦左衛門だ。……正直、今回は語るのが辛い。


 前回、徳川家(松平家)の「SSR当主」清康公が、三河を統一して尾張まで進出した話をしたな。まさに天下取りへの最短ルート。


 だが、歴史は、ここで最悪のイベントを発生させた。三河の歴史を語る上で避けて通れない悲劇、「森山(守山)崩れ」。その幕が上がる。


 天文4年(1535年)12月5日、早朝。森山の陣屋は緊張に包まれていた。例の「阿部家が裏切る」というデマのせいで、清康公の側近・阿部 大蔵おおくらは死を覚悟していた。その息子、弥七郎やしちろうもまた、精神的に極限まで追い詰められていた。そんな時、陣屋で一頭の馬が暴れ、大きな人声が上がった。


「なんだ!? 何が起きた!?」


 パニックに陥った弥七郎の脳裏に、最悪のフラグがよぎった。


(父上が成敗されたんだ! 殿が父上を殺したんだ!)


 ……完全な勘違いだ。だが、極限状態の彼は理性を失った。彼は無防備に立っていた清康公の背後に駆け寄り、腰の刀をひん抜くと、そのまま……一閃。


 三河の希望、戦国の超新星・松平清康。享年25。戦場ではなく、味方の「勘違い」によって、その命の灯が消えた。


 その場にいた上村うえむら新六郎しんろくろうが即座に弥七郎を斬り伏せたが、もう遅い。陣内は阿鼻叫喚。


「釈迦様の入滅でもこれほど悲しくはない」と言われるほど、屈強な三河武士たちが子供のように泣き叫んだ。あまりの怒りに、犯人の死体を肥溜めに蹴り込む者もいたという。


 頭領を失った組織ギルドは、通常ならその場で崩壊だ。新六郎は「俺も腹を切って殿の供をする!」と叫んだが、ベテランの家臣たちがそれを止めた。


「待て、早まるな。今ここで俺たちが全員死んだらどうなる? 岡崎城にはまだ幼い若君(広田公。後の家康公の父)がお一人だ。 10日もすれば、織田信秀(信長の父)がハイエナのように攻めてくるぞ。俺たちの『追腹(追い腹)』は、ここじゃねえ。若君の目の前で、盾となって死ぬこと。 それが本当の供養だろ!」


 泣きながら、彼らは森山の陣を引き払った。敗残兵のような姿だが、その心には「若君を守って死ぬ」という新しい、そして最後のミッションが刻まれていた。


 その頃、叔父の内前うちぜんはといえば……「ラッキー、これで俺の天下じゃね?」と言わんばかりの態度で、寝てるのか起きてるのかわからないような不気味な沈黙を保っていた。まさに組織のガン。三河の暗黒期が本格的に始まった瞬間だ。


 清康公の死からわずか10日後。予想通り、織田の魔王の父・弾正忠信秀が軍勢を率いて三河へなだれ込んできた。大樹寺だいじゅじに旗を立て、岡崎城を飲み込もうとする織田軍。


 対する松平側の残存兵力、わずか800。織田軍は8,000。 戦力差10倍。まさに絶望的なイベントバトルだ。だが、森山で生き残った800人は笑っていた。


「さあ、ここが俺たちの『追腹(死に場所)』だ」


 彼らは若君・広忠公を仰ぎ見て、涙を流しながら叫んだ。


「若君! 貴方に天下を見せられなかったのが唯一の心残りですが、俺たちの命、ここで全部使い切らせてもらいます! 妻子も家も、殿の御恩に比べりゃゴミみたいなもんです。行ってきます!」


 岡崎・伊田のいだのごう。そこが最終決戦の地となった。


 織田軍8,000は二手に分かれ、怒涛の勢いで押し寄せる。松平軍も400ずつに分かれて迎え撃つ。この時、不思議な伝説が残っている。


 伊賀八幡宮の方角から、目に見えない「白羽の矢」が雨のように織田軍に降り注いだというんだ。清康公の無念が、神をも動かしたのかもしれない。戦場に轟く、織田軍8,000のときの声。


 それに対し、松平軍800は「春の野にうぐいすが初めて鳴くような、優しくも鋭い声」を上げた。最前線で上村新六郎が槍を構えるが、横にいた磯貝いそがい出助ですけがそれをいさめる。


「新六郎、あせるな。勢いに任せて突っ込むと槍が弱くなる。敵を十分に引き付けろ。根を張るように受け止めて、そこから一気に刺し貫け!」


 ……これが、三河武士の真髄だ。


 野方の400人は、10倍の敵に包囲されながらも、一人残らず花々しく討死した。だが、その壮絶な死に様を見た田方の本隊が、完全に「ゾーン」に入った。


 150人ほどの精鋭が、一度に兜のしころを傾け、地を這うような執念で突撃。大将の先に立とうと競い合い、織田軍の第一陣、第二陣、そして第三陣までをも次々とブチ抜いた!


 信じられるか? 10倍の敵を、たった数百人が押し返したんだ。織田軍は「なんだこいつら、化け物か!?」と恐怖し、散り散りになって大樹寺へと逃げ込んだ。


 若手たちは勢いに乗って「追い詰めて全滅させようぜ!」と息巻いたが、老練な武士がそれを止めた。


「深追いはするな。俺たちは勝った。……いや、殿が勝たせてくれたんだ」


 これが歴史に刻まれた「守山崩れ」と、その後の奇跡的な防衛戦の全貌だ。どうだ。これが徳川家の「血の歴史」だ。


 清康公はわずか25歳で世を去った。もし彼が30歳まで生きていれば、天下はもっと早く、もっと簡単に治まっていただろう。だが、清康公が残した最大の宝は領地じゃない。


 「この人のためなら、家族を捨ててでも死ねる」と家臣に思わせた、圧倒的な『情け』と『慈悲』。


 そのバフがあったからこそ、徳川家は全ロス寸前から何度も立ち上がることができた。この精神が、後に「最強の軍団」を育て、あの家康公を天下人へと押し上げていくことになる。


 ……ふぅ。今回はちょっと熱く語りすぎちまったな。さあ、物語はここから、さらに過酷な「人質生活」と「忍耐の時代」へと突入していく。


 清康公の魂に、黙祷。




【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】




此中も憂世に而其沙汰を仕とは、内々承及申つれども、夢々左様成儀ども者不㆑存候と、又は仰出しも無御座候へば、此方寄申上候へば、却而かへつてあやまり有に似たりと存知、又は其 証跡ぜうぜき少成供似にたる儀有間敷、仰出しも御座候時可㆓申上㆒と存知候而罷在、御普代ふだい久敷召つかはされ申耳成のみならずあまつさへ君之御蔭をもつて人と罷成、此御恩おんわすれ御謀叛むほん申ならば、日本にしよ神もましまさば、天命よかる間敷、此上にても七逆罪ぎやくざいをかうむりて、無間むげんすみかをいたさんに、何とて君に弓をひき申、御謀叛むほんを申上候はん哉。夢々父子ともに不存候由を申上、其故尋常に腹切はらきり申せと申きかせ候ゑば、親の仰をもそむき、御主に敵を申上げ、七逆ぎやく五逆ぎやくとがうけ申す事、日本一の阿房弥七郎めとは此事成。然間君之御運つきさせ給ふ哉。御馬がはなれて人声高こゑたかく候へば、父之大蔵を御成敗かと心得而、弥七郎せんごのかたなにて、清康何心も無して御座有処を、ひんぬいて切害きりころし申。上村新六郎是をみて、弥七郎を其場にて切伏 踏害ふみころす。各々是を聞莅いそぎ参りて君之御有様をみて、各々落涙する事、釈尊の御入滅もかくやと思ひしられてあはれ成。各々余りのはら立に弥七郎が死骸を屎堀くそぼりふみこむ。各各あきれはて、とほうにくれていたる処に、上村新六郎申けるは、御かたきは打申成。此故者思ひおく事無なきはらきりて御供を可申由を申、其時各々被申ける、君を切申たる弥七郎を切申事手がら申に不及比類無、然どもか様に君之不慮之御仕合あらんとも、神ならねばしらずして、陣屋ゑくつろげし故に、居合ずして各々迷惑めいわく流水りうすゐかへら後悔こうくわい先立さきだた㆒、か様の事あらんとしりたらば、たれかは陣屋へくつろげん哉。折節をりふし御身有合而天道にも叶い候いて、弥七郎を打給ふ事ひるい無云にも不及。然ども有合たる事ならば、たれかは御身に (おと)らん哉。有合ぬ事社こそ天道にはなされたり。もと寄もおひばらを切申事、御身にもたれか (おと)らん哉。しかしながら御身者追腹おひはらを切給ゑ、我ら供者是に而追腹おひばらは切間敷、追腹おひばらの切つぼに而可㆑きる、御身もふんべつ有而切給ゑと、各々申されければ、新六郎聞而申、追腹おひばらの切処者何くぞや。各々被申ける、追腹おひばらの切処といつは十日と過ごす間敷、小田之弾正だんじやう之忠ちう岡崎をかざき押寄おしよせべし。各々是に而腹を切程ならば、岡崎に者人も無して若君御一人御おはしまさば、だん正之忠押寄おしよせ而鵜鷹うたかの餌をうつ様にうたせ申さんは無念に存知可申。然ば若君様之御先に而追腹おひばらをばきり可申。追腹おひばら之切処是成。御身も同は爰に而之追腹おひばら思案あれ。何くに而切も同事なれば停はせず。新六郎被㆑申ける、げに思ひあやまつて候。各々と一身して若君之御前に而切死に死可申と云ければ、各尤成、とてもきる追腹おひばらならば、各々と一身して火花をちらして切死にし給へ、御供申而可㆑切とて、森山をおち而帰る。森山も落勢おちぜいなれども心もかはらずして手も不㆑付して帰しける。内前殿も只今は何かと申而手出しあらば、城をもちかためては成間敷とや思召ける哉、玃待さるまちの歌のごとくにたるぞぬぞにして、そらだるみして二三ヶ月之間者、兎角之御取合もなくして、万事指さし引をおはします。其内に悉引付給ひ而、我者同前にいたされ申す。清康三拾之御年迄も、御命ながらへさせ給ふならば、天下はたやすく治させ給んに、廿五を越せられ給はで、御遠行有社こそ無念なれ。三河に而森山崩くづれと申は此事成。お代様拾三にして清康におくれさせ給ゑば、森山くづれて十日も過去すぎざるに小田の弾正之忠三河へ打出、大樹寺にはたを立る。其時森山にて追腹おひばらきらんと申衆、我人追腹おひばら者爰成、若君様は城に而御腹を被成而、城に火を懸させ給ゑ。然ども聊爾に御腹はらきらせ給ふな。各々打死を仕物ならば、敵方城ゑ押寄おしよせ而、二三の丸ゑせめ入らば、其時御腹はら被㆑成候ゑ、其寄内は御腹者切きらせ給ふべからず。我等供はとても追腹おひばらを切申上は御城を罷出広ひろき処ゑ罷出、浮世うきよ之思ひ出に、花々ときり死に可仕、取誉ほめられて此方彼方に而死する物ならば、人も追腹おひばらとは申間敷、然どもいか御普代ふだいと申とも御慈悲じひ御情なさけ御哀見あはれみおはしまし給はずば、其場其場にて、当座之死者仕候とも、か様に妻子さいし眷属をすて而、打死仕事よもあらじ。君之御代々我等供之代代之御 なさけ御慈悲じひ御哀見あはれみ殊更清康之御慈悲じひ御情なさけ御哀見あはれみを思ひ出し奉れば、妻子けんぞくをてき只今打剿ころされ申、又は我等共どもは打死仕たる斗にては足り不申、御代々又は清康御慈悲じひ御情なさけ御哀見あはれみ無者、いか御普代ふだい成とも此時は妻子けんぞくをかこちて、山野に隠忍かくれしのび而命をつぐべけれども、清康之御情なさけに者妻子けんぞくもをしからず。さて各々若君を見上而見まいらせ、なみだをはら〳〵とながし、各々妻子けんぞくともに只今果て申事を、露塵つゆちり程もをしからじ。若君に御代をもたせ不申して、御年にもたらせ給はぬに、只今来世之御供を申事之遖かなしさよと、申もあゑず一度にはつとさけぶ。是や此釈尊の御入滅の時、拾弟 弟子、拾六羅漢、五拾二類にいたる迄、遖嗁もかくやらん。儅又御普ふだい代に而無者何物かか様にはかなしまん哉。是を思へば主人之実たからには普代ふだいの者にしくは無、二つ有事は三つ有とは、よくこそ申つたへたり。清康之御仕合に一度嗁さけび、只今若君様に別れ申に、二度之嗁さけび打死をとげ申さんとて出るに、妻子けんぞくよろい之袖そでに取付、かなぐり付而嗁さけぶ事三度之歎成。早時刻はやじこくうつり候、御暇いとま申而さらばとて、御前を立而能出る。神も爰を大事と思召めすにや、伊賀の郷之八幡宮之鳥居、伊田之郷の方ゑ一間間けんまなかあよぶ。各々岡崎を半道程出而伊田之郷に而、敵を待懸而居たりと云とも、ざう兵逍八百有り。だん正之忠是見而大樹寺を押出し而、二つに分けてかゝる。伊田之郷と申者、上者野成下者田成、野方へ四千、田方へ四千押寄よする。岡崎寄出る衆も八百を二つにわけて、野方へ四百、田方へ四百に而打むかう。誰見たると云人者なけれ供、申伝へには伊賀之八幡之方寄も、白羽之矢が敵之方へふるあめ之ごとく、はしりわたりたると云。さも有哉。然る所に八千之者ども一度に鯨声ときのこゑあぐる。優しくも八百の方寄も鯨声ときのこゑあぐるいかづち渡る春之野にうぐひす之古巣を出て初音を出すごとく成。早近寄而南無八幡とてぞむかいける。田の方にて上村新六郎がやりを入んと云。磯貝出き助が云、新六郎早きぞはやりてやりを入れば、物きはにてせいがぬけて、やりが弱き物成、大軍の方寄入させて、待請うけ而根強く請留めて入よと云て、野方を見上て見れば、ひろき野に而四百之衆は四千之者に取まかれて、追腹おひばらきらんと云衆は一人ものこらず火花をちらして、切死にぞしたりけり。又若党わかたう小者中間、ちり〴〵に岡崎をかざきさし而坎にげ入を見而、野方者皆みなうたれて、よわ者は岡崎をさし而坎にげ入ぞと云処に、敵方も野方がかつを見而、我先にと競ひて押懸たり。何方之合戦にも人数多おほしと申とも、先へ出てやりを合る者は、五人拾人には過去物なれども、此人々者森山寄此時之事思ひまうけたる事なれば、少もさわぐ事も無、待請うけ而百四五十人一度に錣を傾けて根強くついて係(かゝり)ければ、主々に付而残のこり之者ども刀をひんぬき〳〵、主々寄先に立たんと進みければ、三のそないを切くづしければ、のこるそないは共にはいぐんすれば、悉切捨にして又かたまりて、野方之敵にむかい而しづ〳〵と押寄ければ、敵是を見てかなはずとや思ひけん、我先にと大樹寺へみだれ入、其寄してのけてくれよと降参を乞う。何方も若き衆は有習あるならひなれば、かつのつ而迚も遣る間数と高言をする。其中に老武らうむしやども之申けるは、敵かうさんのせばやり給ゑ、敵を打取と云とも田方四千をこそ打取たり。其儀も未残たり。

〜参考文献〜

三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource

https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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