3-24 九代のXP稼ぎと、ボロボロになった譜代たち
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、三河の「真実ログ」の番人、大久保彦左衛門だ。三河の山奥で産声を上げた弱小ギルド「松平」が、いかにして天下の将軍職を掴んだか。その全軌跡を語り終えた今、俺はどうしても伝えておかなきゃならない「幕府への愚痴……いや、ガチの提言」がある。
徳川幕府という巨大なシステムが安定した今、かつて泥にまみれて戦った俺たち三河武士の末裔が、どのような扱いを受け、どのような危機に直面しているか。そして、これからの将軍家が何をすべきか。俺が抱える「最高の毒舌」と「最大級の忠義」を、ありのままに書き残してやろう。
いいか、よく聞け。初代・親氏公から今の将軍様まで、徳川11代。俺たちの先祖は、今のようにお洒落な屋敷でヌクヌクしてたわけじゃない。野宿は当たり前、山を家として駆け回り、常に死と隣り合わせの「超・極限サバイバルモード」だった。
親が死に、子が死に、親戚一同が次々と討死していく。それが当たり前の日常だ。家では、女房や子供に「麦の粥」や「粟・稗の粥」という、今なら家畜のエサレベルの低ランク飯を食わせ、自分もそれを胃に流し込んでから戦場へ出向き、血を流して主君に奉公してきた。
……それが、俺たち「譜代」の積み上げてきた、圧倒的な「徳」だ。
だがな、今の状況はどうだ?かつてのガチ勢の末裔たちは、今や御前へ出る力すら失い、行く当てもなく他人の譜代(部下)に成り下がったり、一季奉公のフリーランスとして食い繋いだりしている。
中には、天秤棒を担いで「鰯」や「田作り」を売り歩く行商人(NPCのような暮らし)をしている奴らまでいる。
運よく直参として雇われていても、支給されるのは「100俵、200俵」という雀の涙ほどの報酬だ。
武士としてのステータスを維持するには、髪を結い、若党を連れ、小者を5人も3人も雇わなきゃ城内を歩くことすら許されない。だが、その給料じゃ、部下への給料はおろか、自分の一衣(装備)すら新調できない。
結果、家では奥さんが、先祖代々の「稗粥」を啜って飢えを凌いでいる。「天下を獲った功労者」の末路が、これか?中には、ちょっとしたミスで勘気(BAN)され、餓死寸前まで追い込まれている奴だっている。俺はこれを見るのが、たまらなく辛いんだよ。
人を動かすのは、大工が木材を使うのと同じだ。長い木は梁にし、短い木は柱にする。それぞれの器量やスペックに合わせて、適材適所にアサインすれば、誰一人として無駄な人なんていない。昔の格言にこうある。
「君子は、一つの良い功績があれば、百のミスがあってもその人を捨てない。だが下郎は、百度の功績があっても、たった一度のミスで恨みを抱く」
今の幕府は、古参の小さなバグ(落ち度)を責めて、簡単に「勘当(BAN)」しすぎじゃないか? 三河者は不器用で、世渡りは下手だ。だが、その愚直さこそが、最大の武器だったはずだ。
今、幕府は全国の諸大名(外様)に金銀や広大な領地を与えている。俺から言わせれば、それは金銀を海や川へ投げ捨てているのと同じだ。外様なんてのは、しょせん「風にたなびく草」だ。強い方に付くのが奴らのプレイスタイルだ。今は幕府が強いから大人しくしているが、もし徳川に隙ができれば、真っ先に裏切るのは奴らだ。
そんな奴らに過分な報酬を与えてご機嫌を取るくらいなら、今こそ各地に散らばった「譜代の落とし子」たちを呼び戻せ。勘当された古参たちを許して、再びギルドに集めろ。そうして5,000人、1万人の「ガチ譜代」が揃えば、たとえ数百万の敵が攻めてきても、徳川サーバーはびくともしない。
思い出せ。長親様は500人で1万を蹴散らした。家康公は7,000人で10万の秀吉軍を足止めした。「少数精鋭の譜代」こそが、徳川OSのコアエンジンなんだ!
外様たちは、今の平和な世では愛想を振りまいて役に立つフリをするだろう。だが、御意に背けばすぐに背を向ける。逆に、譜代の連中は、どれだけ冷遇されても、いざとなればどこからともなく駆けつける。
俺はもう年寄りだ。明日、この世をログアウトするかもしれない。だからこそ、この書物を遺した。
当代の家光公の武勇は本物だ。譜代を大切にすれば、徳川の世は永遠に続くだろう。
鰯を売っている譜代の子供たちよ。胸を張れ。お前たちの祖先が流した血こそが、この泰平の世の礎だ。そして幕府よ。苦い薬を飲む勇気を持て。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
偖又我子共物を聞け。親氏の御代に三河国松平之郷へ御座被成てより此方、親氏、泰親、信光、親忠、長親、信忠、清康、広忠、家康、此御代々野にふし山を家としてかせぎ、かまりをして度々の合戦に親を打死させ子を討せ、伯父、甥、従弟、はとこを打死させて、御ほうこうを申上、それのみならず女子けんぞく共に麦の粥粟稗の粥をくわせ、其身もそれをくいて出ては打死をして御ほうこう申上たる、其すへ〴〵子共供が、只今は御前へ可罷出ちからもなければ、ゆくゑもなき人の普代と成、一季奉公をして世をめぐるも有り、御はしりばうかうをするも有り、荷担商をして鰯田作をうりて世をおくるも有、又は御前御ほうかうを申せ共、百俵、百五十俵、弐百俵、三百俵被下候へば、御前の御ほうかうを申せば、髪をゆひ申若とうの一人も二人もつれではかなわず、御城ありきにもならざるとて徒跣にてもならざれば、小者の五人三人持でもならず。百二百三百俵被下候物は年中の上下一衣又は若とう小者の扶持給にもたらず候へば、内儀は昔親祖父のすぎあひのごとくなる、稗粥のていなり。各々御普代のすへ〴〵のくらし申なり。それのみならず其身が咎とは申ながらにて候へば、さら〳〵御怨みにはあらねども、御勘気をかうむり奉りてこゝかしこ徘徊し、餓死に及も有り。然間人を召つかう事番匠の木をつかうが如し。長木をばうつばりにし、短きをばひじきつかばしらにす。如此人の器用分限に随いて心もちをしてあてがいつかふ。されば人をあまさずしてすべき事共なり。又年比召つかうともちいさき咎あらんには捨べきなり。或文に曰く、君子はよき事一つしたるをば百のとがあれども人をすてず、下郎はよき事百度したれども、とがを一度しつれば恨みつるなり。人をかへりみるには我ごとくある物はすべてなき物なり。是則主となる時は、人をもどかわしく思ひ、臣と成時は人にもどかるゝ習いなり。惣別三河の者は明暮弓矢をかせぎければ、公儀の道は何れもしらざる。然と申せどもかうぎのよき物何に可被成、日本の諸侍はこと〴〵く御内の者にて候へば、誰をあがらめてせうくわん被成てかうぎのよき物を御用に思召や、余りかうぎのよき物に昔も武辺をかせぎたる物なし。偖又日本の諸大名に金銀実物を被下給ふ事は、海河へなげいれさせ給ふ如く也。其を如何にと申に大名は百姓同前にて、此前々も草の靡にて強き方へ斗就きければ、後世にもかく可有。何の入ざる諸国の者は、御身にも成間敷者に過分の御知行を被下候ても、其上に御気遣可被成。御普代の衆の産広げたる子が方々へ散りて有を召集させ被成、御勘気の御普代衆をも御赦し被成候はゞ、五千も一万も可有。是を召よせられて御座あらば、百万騎にて寄来る共、上様の御先にて働く物ならば、きまんごくのきおふが寄せ来る共、何かはためんや。只今斗にもあらじ。長親様の御時も北条の新九郎が一万余にて寄懸たるを、長親様五百斗にて斬懸らせ給ひて斬崩し給ひし事も有。家康様の御時氏なを四万三千にて相陣を取時、相国様の人数は七八千にて四万三千につらを出させ給はねば、氏なをは国郡を帰して降参してのく。同太閤の拾万余にておぐちがくでんに陣取給へば、相国様は雑兵七八千にて小牧山へあがらせ給ひて相陣をとらせ給ひ、十万余の人数につら出しをさせ給はず、あまつさへ三万余打ころし給ふ。是を見る時んば、御普代衆押へ召寄させられておかせられ給はゞ、万に御きづかいは有まじけれども、御普代の衆といへば肩身をすくめてありく事は是は何事ぞ。他国衆は只今世がおさまりたる故におひさう被成て御普代衆をば外様に召つかはれ給ふ。御代は五百八十年目出、しぜん何事もあらば、他国衆は御目を日比かけられ申たるとはおもわずして、こと〴〵く欠落をすべし。それのみならず只今も左様に可有、御目をかけられ申内はぜひとも御用に立可申とは思ひ申べけれ共、御意も背き御言葉をも御かけなくば、そばめる心有て御かたじけなく候間、御用に是非共立候はんとおもふ人は一人も有まじき。又御普代衆の御重宝は召つかわさるゝ人の儀は不申及、在々所々に有て御存知なき衆迄もはせ来りて御用に罷可立。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




