1-4 三代目・信忠。まさかの「コミュニケーション能力」全振り忘れ
『三河物語』(みかわものがたり)は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
また会ったな。大久保彦左衛門だ。
前回は、我が徳川家のご先祖様・松平 親氏公と泰親公が、どん底の「全ロス状態」からどうやって「内政チート」と「爆速アップデート」で三河に基盤を築いたかって話をした。
だが、世の中そんなに甘くない。運営歴史は定期的に、プレイヤーのメンタルをへし折るような「クソゲー展開」をぶっ込んでくる。
今回は、徳川家が崩壊の危機に直面した「暗黒期」と、そこから現れた「真の主人公(SSR)」、松平 清康公の伝説を語ってやろう。
さて、泰親公のあとを継いだ長親公は、なかなかの策士だった。戸田っていう勢力が「今川と手を切ろうぜ」なんて危ない誘いをしてきた時も、表面上は話を合わせつつ、裏では「西三河の城の普請を見てくるわ」と適当な理由をつけて馬を飛ばし、さっさと自分の拠点に引き上げる。深追いをせず、リスク管理を徹底する……まさに「堅実なプレイスタイル」だ。
長親公はその後、息子たちに領地を分配した。次男の内前には桜井城、三男の新太郎には青野城。その他の一族にも適材適所で知行をアサインし、長男の信忠に本拠地・安祥を譲って、自分は隠居したんだ。
これで安泰……かと思いきや、ここでとんでもない「デバフ」が発生する。四代目(当主としては三代目)の信忠公が、これまでの歴代当主とは真逆のキャラだったんだ。
一言で言うと、「慈悲ゼロ、情けゼロ、コミュ力マイナス」。信忠公は、家臣たちに対して一切「言葉をかけない」というストロングスタイルを貫いた。
普通、いい上司ってのは、「最近どうだ?」「お疲れさん」なんて声をかけるもんだろ? だが彼は、民百姓はおろか、一番近くで支える譜代の家臣にすら「完全スルー」。
家臣たちはビビり散らかした。「俺たち、嫌われてんのか?」「あの人の下で働いてても、将来の報酬が見えない……」。
これがいわゆる「モチベーションの死滅」ってやつだ。一族も家臣も、どんどん彼から離れていく。かつて最強を誇った松平ギルドは、いまや安祥一帯を細々と維持するだけの「弱小 豪族」にまで衰退してしまったんだ。
「このまま信忠公についていったら、俺たちの家もろとも家系断絶だぞ」
家臣たちの間で不満が爆発し、ついに「当主交代」のクーデター案が浮上した。
「次男の内前様の方がマシだろ。アイツ、利発だし、スペック高いし」
「そうだよ、長親様の血筋なら誰でもいい。信忠公はもう無理ゲーだ」
だが、ここで熱い反対意見を出す連中もいた。
「バカ野郎! 確かに信忠公は不器用だ。でも、俺たちの親は、長親様にめちゃくちゃ世話になっただろ? その恩を忘れて、主君をポイ捨てしていいのかよ!」
この「忠誠心」と「効率主義」のぶつかり合い。まさに地獄のオフ会状態だ。
「いいか。この松平家が続いてきたのは、『武勇』『情け(コミュカ)』『慈悲(福利厚生)』、この3つのステータスが揃っていたからだ。信忠公は、その3つが1つも揃っていない……。このままじゃ他国に食われて終わりだ」
「それでもだ! 主君を裏切って腹を切るのが怖いのか? 俺は、たとえ無能と言われようが、譜代のよしみで最後までお供する。俺を笑いたきゃ笑え!」
家臣たちの意見は真っ二つに割れた。松平家、最大最強のピンチだ。信忠公も、鈍感だったわけじゃない。「あ、これ俺、マジで嫌われてるわ」と察したんだろうな。
彼は決断した。「……わかったよ。俺は隠居する。あとは息子に任せるわ」。こうして、泥沼の議論に終止符を打つべく、一人の少年が歴史に降臨した。
それが、松平次郎三郎清康。後に「徳川の歴史上、最強の天才」と呼ばれる男だ。
清康公が家督を継いだ時、なんとわずか13歳。普通なら「子供に何ができるんだよw」って煽られるところだが、清康公は登場した瞬間から「オーラ」が違った。
身長はそれほど高くなかったが、その瞳は鋭く、まるで鷹のようだったという。見た目だけで「あ、これ主人公だわ」と確信させるビジュアル。さらに、弓矢や剣術といった戦闘スキルは、もはや比較対象がいないレベルの「カンスト状態」だった。
そして何より、父親が持っていなかった「最強のパッシブスキル」を持っていた。それは、「異常なまでの慈悲と情熱」だ。
彼は家臣の身分に関係なく、誰にでも優しく声をかけた。上下の隔てなく、相手をリスペクトする。これに家臣たちは一瞬で落ちた。
「待ってた……! こういうリーダーを待ってたんだ!」
かつて愛想を尽かしていた連中も、「清康様のためなら、妻子を捨ててでも、死体になって野に晒されても構わねえ!」と、一気に熱心な信者に早変わり。まさに「人心掌握のチート」だ。
清康公が膳を囲んでいる時、歴史に残る「エモいイベント」が発生した。
ある日の食事時、家臣たちがズラリと出仕していた。そこで清康公は、自分が使っていた膳の上の「御 定規」(主君専用の酒器や道具を置くトレイのようなもの)をパカッと開け、そこに酒を並々と注がせたんだ。
「さあ、みんな。この酒を飲め」
家臣たちは固まった。
「え……? いや、それは殿が使っている専用の器じゃないですか。俺たちみたいな雑兵が口をつけていいもんじゃありません……」
みんな地面に頭を擦りつけて辞退する。だが、清康公は笑ってこう言った。
「何を言っている。前世の行いが良かった奴は『主』に生まれ、悪かった奴は『家臣』に生まれる。だがな、侍としての『誇り』に、上も下もあるか! 遠慮するな、さっさと飲め!」
……。
…………。
何その全米が泣くレベルのセリフ!!
家臣たちは震えながら、その酒をいただいた。下戸も上戸も関係ない。清康公の情けが嬉しすぎて、みんな3杯ずつ一気に干した。その帰り道、家臣たちは涙を拭きながら語り合った。
「おい、今の見たかよ……。金銀財宝や領地を山ほどもらうより、今の言葉、今の酒一杯の方が、何万倍も価値があるぜ……」
「ああ。今の酒は、酒じゃねえ。俺たちの『首の血』だ。 あの人のためなら、いつでも首を差し出す。それが俺たちの『恩返し』だ!」
こうして、バラバラだった松平 一族は、清康公という圧倒的な核を中心に「鉄の結束」を取り戻した。
だが、清康公はただの「優しいお兄ちゃん」じゃない。自分を脅かす存在や、規律を乱す者には、容赦ない「君主権限(BAN)」を発動する。
ある時、能の鑑賞会があった。清康公は縁側の一番いい席に座っていた。その下では、叔父の内前や一族の連中、家臣たちが畳を敷いて見物していた。ところがだ。内前が、あろうことか清康公の座っているすぐ近く、畳の端っこに腰をかけたんだ。
これ、当時のマナーとしては「完全なマウント」だ。「お前は子供だけど、俺は叔父だ。対等、あるいはそれ以上の存在なんだぞ」っていう無言のプレッシャーだな。清康公はそれを遠くから見逃さなかった。
「おい、俺の座敷に腰をかけてる不届き者は誰だ? そいつを引き摺り下ろせ」
使いの者が走る。「内前様、すぐに降りてください!」内前も「あ、いや、つい不注意で……」とごまかしたが、清康公は追撃の手を緩めない。
「早く降ろせ。降りないなら、力ずくで叩き出せ!!」
この迫力。13歳とは到底思えない、完成された「王の威厳」。内前は青ざめて退散した。これで周囲も理解した。
「清康様は、優しいだけじゃない。この人は本物の『天下人』の器だ」とな。
どうだ、これが松平清康公の凄まじさだ。父親の代でどん底まで落ちた「一族の信頼度」を、わずか数年でMAXまで引き上げ、さらに圧倒的な武力で周辺の勢力を次々と飲み込んでいった。
「民のためのインフラ」
「家臣への無限の情け」
「そして、敵を震え上がらせる果断な処置」
この3つのバフが揃った時、徳川家は三河一国を完全に統一し、天下をも狙える位置にまで進化した。
この清康公が、もし25歳という若さで命を落とさなければ、歴史にもっと早く「徳川幕府」が出現していたかもしれない。
……おっと、また語りすぎちまったか。
次は、この清康公の死によって再び訪れる「最悪の冬の時代」と、それを乗り越える「狸」の話でもしよう。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
然る処に田原之戸田申けるは、駿河を頼而者 上下も六ヶ数き長親と申合而、駿河と手ぎれをせんと申を、新九郎 其を聞而、我は西之郡之城普請をみて、させて頓而 帰んとて、馬まはりの者計引つれて出けるが、西之郡へは行ずして、すぐに吉田得引入。諸勢者是を聞、跡寄足々にして吉田へ引く。其寄新九郎西三河ゑ出る事不㆑成、長親は安祥へ引入給ふ。其後は猶以国中の者ども異儀には不㆑及、扨又次男内前殿には桜井之城を参せられ、三男新太郎殿には青野の城を参せられ、松平勘四郎殿には藤井を参せられ給ふ。同右京殿にはふつかまと東ばたを参せられ給ふ。信忠へ安祥を御譲給ひ而、ほど無御遠行成。次郎三郎信忠、後には左京亮信忠御 法名太香、此君何れの御代にも相替らせ給ひ而、ほど御慈悲之御心も無、まして御情がましき御事も御座ず。御せへんもぬるくをはしまして、御内之衆にも御詞懸も無をわしませば、御内之衆も又は民百姓にいたる迄も、怕慴きて思ひ付者も無。然る間早御一門之衆も我々に成而、したがい給ふかたもをわしまさず。ましてや国侍供も、我々に成而したがい申者も無。然る間逍わづかの安祥計をもたせ給ふ。然る間とても此君之御代をつがせられ給ふ事成難。其儀に而も有ならば、長親之御子は何れも同事成。長親ゑ御ほうかうの筋目は、何れと申も同然にさふらゑば、次男に而をわしませば、内前殿を御代に立申、信忠をば胠に置申さんと云人多し。此中に信忠を捨難思ふ衆の申ける者、又各之仰尤成、然とは雖長親寄も、内前殿ゑは桜井を被遣人をもわけて被遣給ふ。信忠卿者御総領式にて御座あれば、安祥を譲せられ給ふ。其故人をも方々達を初、度々のはしりめぐりの衆を多付させ給ふ事者別之儀ならず。君之御不器用ならば各守り立申せとの儀成。君之御ぶきやうにて各を初申、我々迄もふの悪き事なれども、長親之御見あてがいのごとくにも被成、此君を御主と仰ぎ奉り給へと申衆も有。いや〳〵長親之御前をそむく物ならば、御主之御命を背て七逆罪の咎をかうむり、無間にも堕つべきが、是は各も御分別あれ、此御家と申は、第一御 武辺、第二に御内之衆に御情御詞の御念頃、第三に御慈悲、是三つをもつてつゞきたる御家なれども、三つ之物が一つとして不㆑調。左様にも候ば、とても御家者立間数、然る時んは長親御跡は、此君之御代につぶれて、他之手に渡申事目之前成。我も人も子をもつ事者、大身少身供に道前成。そうれうが倥侗て跡を嗣間敷と見ては、弟が利発なれば弟に跡を次するは習成。長親も左様に思召べき。内前殿も次男なれども御子成、其故此御跡御代々之引付、三つの物一つもはづれさせ給はず、長親之御跡者立而ゆく故者、兎角内前殿を御代に立まゐらせんと云、尤此君之御代を次せられ間敷と、各々の仰尤道理成。我我も左様に者存知候。しかしながら、か様に無㆑情も御主に取あたり申も前々の因果成。又我々の親達之長親之様成御主に取あたり申而、御情をかうむられ申も前々の果報成。然りとは申せども御普代久敷御 主を取替而、藪之側にすませ申を見事も成間敷ければ、其時御有様をみまいらせて、袖に而涙を押拭いて通るならば、その普代之主をそれに取替たる者どもよとて、人之観処は扨をきぬ、我心にはづかしくも可㆑有、其を思ゑば是非も無御供中而腹を戮迄、各々者互之心々にし給ゑ。各之長親之御跡之、つぶれざる様に内前殿を御代に立申さんとの給ふも、長親のため成。又我等供が御供申而腹を戮と申も長親之御ため成。我等どもがか様に申をも、信忠者何とも思召者有間敷けれども、普代之御主なれば一命をまいらする事は、露塵 惜からず。偖も〳〵御いたわしや、御不器用成故、各か様に思ひたゝれ申と思得ば、一入いたはり入まいらせ候。早御家も二つにわれ申由を信忠も聞召て、其中に頭取之族を御手討に被成ければ、目出度御事かな御気の付せ給ふと云者も有り。いや〳〵何としても御代者次せられ難きと申者計多し。然間信忠之仰には、何としても一門を初又は小侍どもに届迄も、我に思ひ付ぬと覩たり。其を何と云に一門之者も遠立而出仕も無、小侍どもさゑ出仕をせず。賸普代の者迄我を嫌うと覩ければ、さらば隠居して次郎三郎に譲と仰有而、次男九郎豆殿に械の郷を譲せ給ふ。三男十郎三郎殿に見次之郷を譲せ給ふ。次男三郎清康得御代を渡させ給ひ而、信忠者大浜之郷へ御隠居成。次郎三郎 清康御法名道法、十三之御年御世に渡らせ給ひし寄此方、諸国迄人之賸申事唯事不㆑被㆑成。去程に此君者御脊矮くして、御眼之内くならてうのごとし。只打をろしのこたか寄も猶も見事にして、御図并人無。殊に弓矢之道に上越人も無、御やさしくして、大小人を隔て給はで、御慈悲をあそばし御情を懸させられ給ふ。去程に御内之衆も一心に思ひ付、此君には妻子を帰り見ず一命を捨而屍を土上にさらし、山野の獣物に引ちらさるゝとても何かは惜しからんや。此御跡六代の君、何れも御武辺並に御慈悲同御情をもつて、次第々々につのらせ給ふと云ども御六代に勝させ給得ば、天下を納させ給はん御事目の前成。去程に御膳の上時分、各々出仕をする処に、御しるしの御でうぎを打あけさせ給ひ而、指出させ給ひ、面々是に而酒を被下よと仰ける。各々頭を地に付而謹ん而伺候申す。何とて被下ぬぞ、とく〳〵との御意なれども、別の御酒盃供思はず御主の御めしのでうぎなれば、誰かは可被下哉と思ひ而、猶もひれふすを御覧じて、面々何とて被下ぬぞ、過去之生性能ば主と成、過去之生性悪しければ内之者と成、侍に上下者無物成、謙に早く被下よと御意之 下故、余り御辞退申帰而 悪かりなんと存知、畏つて召出しに罷出る。其時包笑給ひ而、老若ともに不㆑ら㆑残罷出、三つづつ被下よと御意なれば、余り目出度忝さに、下戸も上戸も押なべて三ばいづつほして罷立、道にて物語をする様は、只今之御ぢやうぎの御酒盃並に御情之御詞を、何程の金銀 米銭を知行に相そゑ、宝物を山程被下たると申すとも、此御情には替難。只今之御酒盃之御酒者何と思召候哉。御方々又は我等供之頭の血成。此御情には妻子を帰覩ず、御馬の先に而討死をして、御恩之報ぜん事今生之面目、冥土の思出可㆑成と申、各一同に尤成と悦。又或時御能のありける時、清康者縁之上にて御見物被成候。内前殿を初、各々御一門其外者白洲に畳をしきて見物有。然処に内前殿御座敷に有、御前衆御出無内にをもはずしらずに、畳の端に腰を懸けるを遠寄も御覧じて、我座敷に腰を懸る者は、何者ぞおろせと仰けり。御使参り而、内前はをりさせ給へと申。莅をりさせ給へと申せば、尤内前様之御座敷に何とて上申さん哉。をもはずしらずに、心不㆑ら㆑成たゝみのへりに腰之懸り申成。御意無供見 懸申ばおり可申処に畏御座候と申処ゑ、重而御使参而申、早々おりさせ給ゑ、おりさせ給はずばおろし申せと申被付たり。急おりさせ給ゑと申せば、彼人申、迷惑成重て御使をり申間敷と申さば社、畏御座候と申上候処へ、か様之儀 迷惑仕候。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




