3-16 京都の「毒味」イベント――席替えによる回避
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、また会ったな。三河の「真実ログ」の番人、大久保彦左衛門だ。徳川ギルドと羽柴秀吉(関白殿)のガチPvP「小牧・長久手」が終わった後、世界は一気に「外交ゲーム」へと移行した。
今日は、家康公が命懸けで挑んだ「上洛(京都訪問)」という名の高難易度クエスト、そして宿敵・北条ギルドを解体した「小田原征伐」と「関東移籍(サーバー移転)」の記録を語ってやろう。家康公が、どうやって全滅(全ロス)を避け、最強の「徳」というバフで天下を掴みかけたか、その極秘ログを見てくれ。
天正14年(1586年)。これまで共闘していた織田信雄(尾張内府)が、家康公に無断で秀吉と「和解パッチ」を当ててしまった。秀吉はそのまま家康公に迫る。
「信雄くんもログインしたことだし、家康くんも京都へ来て挨拶(上洛)しなよ」
これに対し、徳川の古参スタッフたちは猛反発だ。
「若君を殺された恨みを忘れたのですか! 秀吉の招待なんて、罠に決まっている。上洛するくらいなら、もう一度手切れだ!」
酒井忠次(左衛門督)をはじめ、全員が「上洛拒否」を連呼した。そこで家康公は、静かに、だが重い一言を放った。
「……いいか、お前たちの言うことは分かる。だが、俺一人が腹を切ることで万民が助かるなら、それでいいじゃないか。俺が拒否すれば、また戦争(手切れ)だ。百万の軍勢が攻めてきて、この三河・遠江の民百姓、お前たち侍の家族までもが戦火に消える。その亡霊たちの怨念こそが、俺は何より恐ろしい。俺一人が死ぬことで皆の命が助かるなら、俺は喜んで京都へ行く。お前たちも、俺に何かあっても、上手くやってみんなの命を繋いでくれ。」
この「自己犠牲バフ」に、忠次たちも「……流石は俺たちの君主だ」と涙を呑んで承諾するしかなかった。
秀吉も家康公の本気を感じ取り、自分の母親(大政所)を人質として岡崎へ送ってきた。家康公は彼女を井伊兵部少輔(直政)と、俺の兄貴・大久保七郎右衛門に預け、京都へと出発した。出発の際、家康公は二人に「隠し命令」を伝えた。
「もし俺が京都で殺害されたら、即座に大政所を処刑して腹を切れ。だが、他の女たちは傷つけずに帰してやれ。『家康は女子供まで殺して死んだ』なんて末代までの恥になる記録は残したくないからな。」
幸い、上洛は何事もなく成功し、家康公は無事に帰還。この奇跡の生存に、上下万民が「目出度い!」と歓喜のログを叩き込んだよ。
京都での滞在中に、危ういバグが発生したことがある。秀吉との会食の際、毒を盛られたという噂だ。家康公は、秀吉の弟・大和大納言(秀長)と並んで座っていたが、膳が出される瞬間に「おっと失礼、上座はあなたに」と、絶妙なタイミングで「席替え(スワップ)」をかましたんだ。
結果、家康公が食べるはずだった「毒入りの膳」を大納言が食べることになり、彼はそのまま病死した……という話がある。真偽のほどは分からんが、家康公の「運」と「機転」が、死のデバフを回避したってわけだ。
天正18年(1590年)。天下統一の総仕上げ、小田原征伐が始まった。秀吉は日本中のギルド(上杉、真田、加賀大納言など)を招集し、北条家を完全にロックダウン。家康公も箱根を越え、小田原城をぐるりと包囲した。
北条のトップ氏政と氏照は切腹。氏直は高野山へ追放され、名門・北条ギルドは完全に解散した。その後、秀吉からとんでもない「トレード提案」が来る。
「家康くん、今持っている三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5ヶ国を返上して、新しく手に入れた関東6ヶ国へ移籍してよ」
住み慣れた「三河サーバー」を離れるのは辛いが、家康公は「了解しました」と即答。こうして天正18年、徳川ギルドは江戸を中心とした関東サーバーへの大規模移住を完遂したんだ。
天正19年(1591年)。今や太閤となった秀吉は奥州の反乱も鎮め、日本全土のマップをコンプリート。家康公も岩手沢に陣を張り、その平定を支えた。最後は米沢で太閤と語り合い、家康公は関東の経営へと戻っていった。
「自分を犠牲にしてもサーバー(民)を守る」という高潔なプレイ。そして、毒を避ける知略と、新天地(関東)をゼロからビルドする決断力。これが、三河武士が信じた「家康公」というリーダーの姿だ。
物語はいよいよクライマックス。秀吉の死と、あの「関ヶ原」へ……。語る準備はいつでもできてるぜ!
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
然る処に、天正十四年頗之月、尾張内府家康へは御さたもなくして、関白殿へ無事をつくらせ給ふ処に、くわんぱく殿よりして、尾張内府早ぶぢに被成候間、家康も御ぶぢに被成候へと、仰被越ければ尤の儀なり、大ふの頼被申候へばこそ手ぎれは申たれ、大ふさへ一身被申候はゞ、我等においては仔細なしと仰つかはされければ、其儀におひては忝存知候。然者べつして申合可申ためなれば、我等の妹を可進とて其御定を被成て頓て御輿を入給ひて、御姉婿殿に被成ければ、此故は上洛をせずしてはかなわざる事なれば、然者御上洛可被成と御意の有ける処に、坂井左衛門督被申けるは、御上洛の儀共さりとはゆわれざる思召立にて御座候。菟角に思召とゞまらせ給へ、御手ぎれに罷成候うとても、是非に及ざる儀共なりとしきつて被申上ければ、各々諸大名衆も右衛門督被申上候ごとく、御手ぎれに罷成申とも菟角に御上洛の儀は分別に及不申候。何と御座候へても、今度の御上洛は是非に思召とどまらせられ可被成と、各々もしきつて申上給へば、左衛門督をはじめ各々は何とて左様には申ぞ。我一人腹を切て万民をたすけべし、我上洛せずんば手ぎれ可有。然共百万騎にて寄くる共、一合戦にて打はたすべけれ共、陣のならいはさもなき者なり。我一人のかくごをもつて民百姓諸侍共を山野にはめてころすならば、其亡霊のおもわくもおそろしき。我一人腹を切ならば諸人の命をたすけおくべし、其方などもかならず何かの儀不申共、わび事をして諸人の命をたすけおけと被仰ければ、左衛門督も左様にも思召に付ては御尤なり、御上洛可被成之由申被上けるを、さすがにおとなの御返事には似相たりと申ける。太閤者御上洛之由を聞召て、其儀ならば忝存知候。左様にも思召ならば、若御用心之儀も思召可有候へば、母にてまします人を岡崎迄質物に可遣と被仰て、御老母之政所を岡崎迄御越被成ければ、其迄に及不申忝と被仰て、井伊兵部少輔と大久保七郎右衛門にあづけおかせられ給へば、人じちの御越有て、諸人も大いきをつきてよろこぶ。御上洛有ける時兵部と七郎右衛門を召て被仰けるは、若我が腹を切ならば政所をがいして腹を切可有者なり。我腹を切たり共、女共をばたすけおきて帰すべし。家康こそ女房をがいして腹を切たると有ならば、異国迄の聞えも不㆑被㆑可㆑然、末世の云つたへにも可成、然時んばまん所をばがいし奉れ。かならず女共に手さし有間敷と仰おかれて、御上洛被成けるに、何事もなく御帰国被成ければ、各々上下共に目出度と申よろこぶ事かぎりなし。然間政所も御よろこび有て御上洛被成けり。然共六ヶ敷や思召けるか、其後に御毒をまいらせんとて御ふるまいの時被遣けるに、大和大納言とならばせ給ひて上座に御座被成候つるに、御運のつよきによつて御膳の出る時御しきだいを被成て、大和大納言殿を上座へ上させ給ひて下座へ居替らせ給ふゆゑに、其御膳が大和大納言殿へ据りて、家康のきこしめされん御毒を大和大納言の参てはてさせ給ふ。さて其後年々御上洛被成けるに相違もなし。天正十八年〈庚寅〉三月廿八日小田原の御陣立なる。うき島が原へ押出してさうが原に御陣の取せ給ひ、にら山の城へ人数を指越給ひて責させ、其よりはこね山をひらおしにあがりて、山中の城をとをりがけにのりおとして、太閤の御旗はむじりがとうげに打あがらせ給ひて、石かけ山に御陣のとらせ給ふ。家康はみやぎ野へかゝらせ給ひて、くの原へ出させ給ひ、其よりいまい、いつしき、浜の手をうけとらせ給ふ。思ひ〳〵に山々をのり越て城を取まきけり。関東へは加賀、越前、能登、越中、越後、信濃衆を引つれて、加賀大納言、うへ杉景勝の出給ひて関東の城々をのこらずうけとりて小田原一城になす。然る所に早松田尾張もべつしんのくわ立けり。みな河山城も城よりかけおちをしければ、城中も早成間敷とてぶぢのあつかいにて落城する。其上にて氏政と奥州と兄弟に腹をきらせ申て、氏なおと、安房守と、美濃守と左衛門助をばたすけ給ひて高野山へやり給ふ。さて又家康は国替可被成においては関東にかへ給へ、いやに思召ば御無用なり。何と成共御存分次第と被仰ければ、尤かへ可申と被仰て三河、遠江、駿河、甲州、信濃五ヶ国に、伊豆、相模、武蔵、上野、下総、かづさ六ヶ国にかへさせられて、関東へ〈庚寅〉の年うつらせ給ふ。其より太閤は御馬が入、天正十九年〈辛卯〉七月日、くわんぱく殿大将はして奥州陣有りて家康の御旗は岩手ざわに立。然間奥州もこと〴〵くおさまりて関白殿は板屋越を被成て米沢へ入せ給ふ。家康もよなざわへ御越被成て関白殿と其より御帰国。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




