3-13 天下の「所有権」争い――小牧・長久手イベント
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、また会ったな。徳川ギルドの「御意見番」にして、三河武士の魂の代弁者、大久保彦左衛門だ。
武田信玄がサーバーから消え、織田信長っていう覇者が本能寺で唐突にBANされた……。天正十年前後の戦国は、まさに大乱闘状態だ。そんな中、信長公の遺産をちゃっかり継承し、新たな覇者・関白として君臨し始めたのが、あの「猿」こと羽柴秀吉だ。
天正12年(1584年)、世に言う「小牧・長久手の戦い」。今日は、十万の大軍を相手に家康公がどう「詰将棋」を仕掛け、そして身内の「裏切りフラグ」にどう対処したか、その濃い戦記を語ってやろう。
きっかけは、秀吉が信長公の三男・三七殿(織田信孝)を自害に追い込んだことだ。これに対し、次男の信雄公が「秀吉の野郎、やり方がブラックすぎる!」と家康公を頼ってきた。
家康公はこれを受けた。
「信長公の恩を忘れ、主家を乗っ取ろうとする秀吉は、昔の裏切り者・長田と同じだ。俺が修正してやる」
秀吉は10万余の超大軍で犬山へ進出し、小牧山を奪おうとした。だが、家康公の方が一足早く小牧山を占拠。秀吉は「先を越されたか!」と驚き、近くの楽田に巨大な土塁を築いて引きこもった。
対する家康公は、小牧山に柵さえ作らず、「いつでもかかってこい」とばかりにオープンな陣形で挑発し続けた。
正面突破が難しいと見た秀吉は、家康公の本拠地・岡崎を直接叩く「バックドア攻撃」を仕掛けた。大将は三好秀次、副将に池田勝入(恒興)や森長可といったガチ勢3万人。だが、家康公はこれを看破していた。
「岡崎をやらせるか!」
家康公は榊原康政や大須賀五郎左衛門、そして我らが本多忠勝(平八郎)らを迎撃に派遣。岩崎城を落としてドヤ顔をしていた池田・森軍の背後を突いた。
ここで、家康公自らも動き出す。小牧山に留守番を残し、わずか3,000余の精鋭旗本(井伊直政ら)を率いて、3万の敵のど真ん中に突っ込んだ!
平松金次郎と鳥居金次郎が槍を合わせる激戦の中、池田勝入は長井右蔵に、森長可は本多八蔵によって討死。
3万の軍勢は総崩れとなり、家康公は鮮やかな手並みで小幡城へ引き上げた。後から駆けつけた秀吉も「家康、なんて速い動きだ……」と手を打つしかなかった。
この勝利の裏で、小牧山の防衛ラインでは「不具合」が起きていた。酒井忠次が「秀吉の留守を突いて楽田の陣を焼き払おうぜ!」と提案したが、重臣の石川数正(伯耆守)が「いや、それはまずい」と頑なに拒否したんだ。
数正はすでに秀吉にハッキングされていたのかもしれん。忠次は悔しさのあまり白泡を吹いて怒ったが、数正が動かないため作戦は中止。
これを見た本多忠勝は、「数正が動かないなら、俺たちが殿(家康公)を迎えに行く!」と、わずか500騎で秀吉の10万の軍勢の目の前を悠々と通り過ぎ、家康公と合流した。敵味方問わず、この忠勝の「鋼のメンタル」を絶賛したよ。
戦場は伊勢方面へ。蟹江城の前田与七郎が裏切り、滝川一益を城に引き入れた。
家康公は「情報の更新を待つな、今すぐ叩け!」と爆走。蟹江城は海辺の細道しかない難所だったが、家康公の勢いに押された滝川は船で逃走。裏切り者の前田与七郎も、妻子を連れて船で逃げようとしたが、逃げ場を失い、家族もろとも全員 討死した。死体は潮に浮き、裏切りの代償がいかに重いかを世に見せつけたんだ。
秀吉はその後、水攻めや伊勢方面への転進を試みたが、家康公は服部半蔵を派遣して城を固め、一歩も譲らなかった。結局、秀吉は力で家康公を屈服させることを諦め、「交渉(和平)」という名のメンテナンスモードに入る。
どうだ。3,000人で3万人を壊滅させる超絶ミクロ指揮。そして、裏切り者の影を察知しながらも、毅然と立ち振る舞う強さ。
これが、徳川家康というプレイヤーが「天下人候補」として完全に覚醒した瞬間だ。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
然る処に、同天正十二年〈甲申〉之年、関白殿、御本上に、腹をきらせ給はんと被成ける間、其時御本上家康を奉頼と、被仰候に付而、尤之儀成。是非共に、みつぎ可申、さてくわんばく殿は、むごき事仰候物かな、柴田が三七殿を引申たれば、しばたと、しづがたけにて、合戦して、しばたをたやして、又三七殿を、沼の内海に、おはします処に、現在の主成を、昔之、長田に、たがわずして、三七殿をぬまのうつみにて打奉り、本上をばくわんばく殿のもりたてんと被申て、又世もしづまるかとおぼへば、本上に腹をきらせ申と手、是非にみつぎ申さんと仰ければ、早くわんばく殿、十万余騎引つれ而、鵜沼を越而、犬山へ押出て、こまき山を、とらんとし給ふ処に、家康はやくかけ付させ給ひ而、こまき山へあがらせ給へば、くわんばくも手をうしなひ給ひて、おぐちがくでんに、諸勢は陣取りて、一丈斗に高土手をつきて、其内に陣取成。こまき山には、柵をさへ付けさせ給はずして、かけはなちに、陣取せ給ふ。土手のきわまで、かけ付〳〵して、十万余之人数に、つらを出させ給はず。然る処に、岡崎へ押寄而、城を取物ならば、こまき山も、たもつ事成間敷とて、三好之孫七郎殿を大将として、池田勝入、森之庄蔵、はせ河藤五郎、堀の久太郎、其外三万余にて、天正十二年〈甲申〉卯月八日に、おぐち、がくでんを立而岩崎へ出て、一時之内に岩崎城を責めとりて、かち時をつくりて有ける処に、家康は三河へ、敵がまわると聞召而、其儀ならば、人数をつかわさんと被仰而、水野惣兵衛殿、榊原式部大輔、大すか五郎左衛門、本田豊後守親子、其外を指つかわされける処に、程なく三好孫七郎殿に押寄而、合戦をしてきりくづし、岩崎を指而おひ打に打つ。然処にほりの久太郎、はせ河藤五郎岩崎之城を責取而、きおひていたる処へ、おひかけければ、ちり〴〵に乱而、おひける処を、又其寄おひかへされて、おばた迄うたれける。然る処に、小牧山には、本上と坂井左衛門督、石河はうき守、本多中務、其外之衆を、留すゐに置せられ給ひ而、家康は御旗本衆、井伊兵部少輔斗、以上雑兵三千余にて、跡寄押つめさせ給ふ処に、こと〴〵くおばたを指して、にげ入を御覧じて、押よせさせ給ふ処へ、池田勝入と、森庄蔵と、押立て家康へむかひける処に、押合而之合戦成。其時に、平松金次郎と、鳥井金次郎と、二人の鑓が相而、程なくはいぐんして、池田勝入をば長井右近がうち取、森庄蔵は本田八蔵が、打ちたるとはいへども議定せず。其寄も、三万余之者どもを、きりくづし給ひ而、ことごとくおひ打に打取給ひ、いそぎ人数を引上而、おばたの城へ引きいらせ給ふ処に、くわんばく殿、おぐつちがくでんにて、このよし聞召而、いそぎりうせん寺まで押出し給へども、家康御目の、きかせられたる御武辺第一の名大将なれば、そのむねを思召したる間、きり〳〵と、とりまわして、手ばやくおばたの城へ、引いらせ給へば、くわんばく殿も、手をうしなひ給ふ。然処に、小牧山にあひ残坂井左衛門督申けるは、くわんばく殿押而被出ければ、おばた筋之儀を、心元なく存ずれ。是より二重堀を押やぶり而、こと〴〵く陣屋に火をかけて、やきはらふ物ならば、くわんばく殿も、はいぐん可有と踸(すゝみ)給へ共、其比寄、石川はうき守は、くわんばく殿へ心之ある間、其儀不㆑可㆑然とて、はうき守一ゑんに踸ざれば、左衛門督は、手にあせをにぎつて、白泡を嚙みて、いかれ共、はうき守すゝまざれば、打おきぬ。本田中務も、左衛門督と同意なれば、はうき守すゝまぬと見、さらば我等はおばたゑむかひに参らんとて、五百斗にて、くわんばく殿之備之下を、押してとほり、おばたの城へゆきて、御供を申而、小牧山へ来る。敵味方共に、本田中務をほめたり。然間くわんばく殿も、おぐち、がくくでんへ引入り給ふ。然る処に、おぐち、がくでんを引はらつて、すのまたを越而、いもふへはたらき給ふ。家康は、しげん寺へ押出し給ひ而、其寄きよすへ御馬が入る。くわんばく殿はいもふ之城を水ぜめに、せめさせ給ふ内に、かにゑの城にて、前田与七郎が、べつしんのして、滝川を引入ける処に、家康此由聞召して、ぢこくうつしてかなふ間敷と仰あつて、其儘取あへさせ給はずして、かけ出させ給へば、我おとらじとかけける程に、かにへと申は、しほ之さし引の処なれば、ほそ道一すぢにて、わきへゆくべきやうもなけれ共、家康之御いきおひ、一つをもつて即程なくのり付ける。滝川もかなわじと思ひ而、城之内寄舟にのり而、から〴〵の命、たすかり而、ゑ口を指而にげゆく。前田与七郎も、一こたゑ、こたゑ而見てあれども、つよくせめられ而、かなはじと思ひ、女子を一舟に打のり而、ゑ口を指而にげゆけども、のがすべきやうにあらずして、ゑ口にて女房子共、もろともに、のこらず打ころされて汐にうかび而ぞ有ける。さてまたくわんばく殿は、いもふ之城を水ぜめにして、其寄いせへまわり、桑名の上成山に陣取給ふ所に、家康は清須寄、くわなへうつらせ給ひ而、松が島へ、服部半蔵を指つかわされて、しろこへ出させ給ひ、浜田と四日市場に、城をとらせ給ひ而、引入給ふ。くわんばく殿も、其寄引入給ふ。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




