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新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ  作者: 条文小説


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3-2 三方ヶ原の惨劇――レベル差3.75倍の壁

挿絵(By みてみん)


三河物語みかわものがたり』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia

 よう、また会ったな。徳川ギルドの「歩く真実ログ」こと、大久保おおくぼ彦左衛門ひこざえもんだ。


 前回は「背戸(裏口)を踏まれるのは嫌だ」という家康公の意地だけで、勝ち目のないフィールドバトル「三方ヶみかたがはら」に突っ込んだところまで話したな。


 今日は、戦国最強のレイドボス・信玄にボコボコにされた地獄の合戦本編と、その後の意地のカウンター、そして信玄という巨星の病死ログアウトまでを語ってやろう。


 いいか、これは負け戦の記録だが、徳川の「折れない心」が刻まれた大事な記録ログだぜ。


 元亀3年12月22日。信玄はまず、地元の連中(郷人)を前線に出して「つぶて(石投げ)」をさせてきた。格下扱いの挑発行為だ。


 だが、徳川のガチ勢たちは顔も上げず、兜のしころを傾けて敵陣に突っ込んだ。その気迫たるや凄まじく、武田の第一陣、第二陣をあっさりブチ抜き、信玄の旗本メインルームまで肉薄したんだ。


 だが、ここからが最強ボスの本領発揮だ。信玄の旗本から真っ黒な塊のような精鋭たちが、怒号と共にカウンターを仕掛けてきた。こっちはわずか8,000、あっちは3万余。全力で押し合ったが、最後は物量とレベル差に押し戻されて総崩れとなった。


 家康公は全く動揺せず、「小姓(若手プレイヤー)たちを死なせるな!」と、自ら馬を回して殿しんがりを務め、円陣を組んで退却を開始した。


 退却戦の最中、エモい記録ログが残っている。家康公が、大久保新十郎が馬を失ってピンチなのを見て、側にいた小栗おぐり忠蔵ちゅうぞうに命じた。


「忠蔵、馬を一匹貸してやれ」


 忠蔵もすでに傷を負っていたが、即座に「了解!」と馬から飛び降り、新十郎を乗せて自分は槍を杖に徒歩かちで走り続けた。家康公の馬にしがみついて、無事に浜松城まで帰還した。これぞ譜代の連携プレーだ。


 一方、戦場から真っ先に逃亡ログアウトした連中は最悪だった。上方(京都)の浪人たちは、浜松を通り越して掛川まで逃げた。水野下野守にいたっては、浜名湖(今切)を越えて愛知まで逃走。


 山田平一郎なんて、岡崎まで逃げ帰って、留守番の信康公の前で「家康公は討死しました!」という超特大のフェイクニュースを流しやがった。


 そこへ家康公がピンピンして帰還したもんだから、デマを流した奴らは恥ずかしくてどこかへ消えちまったよ。


 信玄は戦勝後、犀ヶ崖という場所で首実検をして、そのままキャンプを張った。徳川ギルド内は「もうおしまいだ……」という絶望的なムード。そこで立ち上がったのが、俺の兄貴、大久保おおくぼ七郎しちろう右衛門えもんだ。


「このまま弱気でいたら、敵は調子に乗るだけだ。今夜、夜討ちを仕掛けて、武田の連中の安眠を妨害ハラスメント攻撃してやろうぜ!」


 家康公から許可を貰ったが、他の部署(諸手)からは怖がって誰も出てこない。結局、兄貴は自分の手駒と志願者わずか100人を集め、鉄砲100挺を抱えて犀ヶ崖へ忍び寄った。


 真っ暗闇の中、武田の陣へ一斉射撃(つるべ打ち)!これには信玄も驚愕した。


「……なんという奴らだ。これほど主力を失って、中もボロボロだと思っていたのに、この状況で夜討ちを仕掛けてくるとは。家康というプレイヤーは、恐ろしい男だ。 まだまだ骨のある奴が残っているようだな。」


 信玄は「こいつら、深追いすると面倒だ」と判断。浜松を攻めるのを止め、三河の奥地へと移動していった。兄貴たちの意地が、徳川の全滅ロストを防いだ。


 信玄が次に向かったのは、藪の中にある小さな「野田城」だ。「通りがかりに踏み潰せ」と命じた信玄だったが、ここでも三河武士の粘り腰に手こずらされる。菅沼新八郎たちが鉄砲で応戦し、なかなか落とせない。


 信玄は竹束や「亀の甲(盾)」を使って昼夜問わず攻め立て、ついには水を断って降伏させたが、かなりの日数をロスしてしまった。


 そして、これが信玄にとって最後のミッションとなった。野田城を攻めている最中、信玄は深刻な病気 (エラー)を発生させた。城が落ちた後、もはや京都へ進軍する気力はなく、本国の甲斐へ引き返す途中の「平井波合ひらいなみあい」で、ついにこの最強プレイヤーは死亡ログアウト……。この世からロストしたんだ。


 どうだ。三方ヶ原でボコボコにされても、夜中に鉄砲を撃ち込みに行く「嫌がらせ」が、結果的に信玄の足を止め、時間を稼いだ。


 もし兄貴たちが「もう無理w」と諦めていたら、信玄はそのまま岡崎を焼き払い、歴史は変わっていただろう。


 「勝負は、相手が『こいつら面倒くせえ』と思った時が、本当の勝ちの始まりだ。」


 最強の敵・信玄は消えた。だが、その跡を継ぐ「二代目」もまた、なかなかに厄介な脳筋プレイヤーだった。

 次は、あの有名な「長篠ながしの」の話をしようか。




【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】




信玄はまづ郷人がうにんばらをいださせ給ひて、つぶてをうたせ給ふ。然るとは申せ共、家康衆は面もふらず錣をかたぶけてきつてかゝる程に、はや一二之手をきりくづしければ、又入かへてかゝるを、きりくづして、信玄のはた本迄きり付けるに、信玄之旗はた本よりまつくろに時をあげてきつてかゝるほどに、わづか八千の人数なれば、三万余の大敵に骨身をくだきてせり合たれば、信玄之旗はた本にきりかへされてはいぐんをする。家康御動転どうてんなく御小姓衆をうたせじと思召而のりまわし給ひて、まん丸に成てのかせ給ふ。馬にて御供申衆は、すがぬま藤蔵、三宅みやけ弥次兵衛其外はおり立ければ、馬にはなれてかち立成。中にも大久保新十郎をかなしませられ給ひて、小栗忠蔵に馬を一つとれと仰ければ、相心得申とて頓而取てのりける。忠蔵も手を負ひけるが、其馬を新十郎にかすまじきかと被仰ければ、忠蔵御意寄はやくおうけを申而とんでおり、新十郎をのせて我はもゝを鑓にてつかれけるが、いたまずして御馬に付奉りて御城迄御供を申、上様よりも御さきへにげ入て、上様は御討死を被成たると偽を申処へ、無何事いらせ給へば、彼者共はこゝかしこへ又にげかくれけり。上方らう人に中河土源兄弟はおぼえ之者と申つるが、浜松へは得のかずして懸河へにげてゆく。水野下野殿は今切れを越てにげ給ふ。山田平一郎は岡崎迄にげ行て、次郎三郎様之御前にて、大殿様は御打死を被成候と申上候処へ、上様は無何事御城へいらせられ被成候。諸大名衆も一人も無何事引のけ申成。但信長よりの御かせい平手と、御手前之衆には青木又四郎殿、中根平左衛門計、物主は討死仕候。其外若き衆家老からう共は鳥居四郎左衛門、本田肥後守、加藤ひねの丞、同九郎、ゑのきづ小太夫、大久保新蔵、河井やつと兵へ、杉之原なつと兵へ、榊原摂津守、成瀬藤蔵、石河半三郎、夏目次郎左衛門、河井又五郎、松山久内、加藤源四郎、松平弥右衛門殿、何れも此外に此とほり之衆数多候へ共しるすに不及。然処に信玄はさいがかけにて首共をじつけんして、其儘陣どらせ給ふ所に、大久保七郎右衛門が申上けるは、加様に弱々としては、いよ〳〵敵方きおひ可申、然者諸手のてつぽうを御あつめ被成給へ。我等が召つれて夜討を仕らんと申上ければ、尤と御諚にてしよてをあつめ申共出る者もなし。やう〳〵諸手よりして、てつぽうが二三十挺計出るを、我手まへのてつぼうに相くわへて、百挺計召つれて、さいがかけへゆきて、つるべて敵陣へ打こみければ、信玄是を御らんじて、さても〳〵勝ちてもこわき敵にて有り。是程にこゝわと云者共を、数多討とられて、さこそ内もみだれて有哉らんと存知つるに、かほどのまけ陣には、か様にはならざる処に、今夜の夜ごみはさても〳〵したり、未よき者共の有と見えたり。兎角にかちてもこわき敵成とて、そこを引のけ給ひて、いの谷へ入而長しのへ出給ふ。其寄おく郡へはたらかんとて出させ給ふ所に、爰に藪の内に小城有ける。何城ぞととわせ給へば、野田之城成と申。信玄は聞及たる野田は是にて有か、その儀ならばとをりがけに踏みちらせと仰あつて押寄給へば、打立てあたりへもよせ不㆑付。さらばとて竹たばを付もつたて、亀の甲にてよせかくる。昼夜ゆだんなくかねたいこを打て、夜もすがらせめけれ共日数をふる。城には野田のすがぬま新八郎、松平与市殿のかせいにいらせ給へば、ことともせずしておはします。然共日数もつもりければ、二三之丸をせめとられて本丸へつぼむ。然間あつかいをかけて、二の丸へうつして堄をゆひておしこみて、其寄して長しのゝ菅沼すがぬま伊豆が人質と、つくでのおく平道文が人じちと、だみねのすがぬま新三郎が人じちに、換へあひにして、松平与市殿もすがぬま新八も引のきけり。信玄は野田之城をせめる内に病つかせ給ひて、野田落城有而後は、きつてのばる事も不成して、本国へ引而入とて御病おもく成而、平井波合にて信玄は御病死被成ける。

〜参考文献〜

三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource

https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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