3-1 三方ヶ原の決断――「俺の家の裏口を汚すな」
『三河物語』(みかわものがたり)は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、また会ったな。徳川ギルドの「歩く真実ログ」こと、大久保彦左衛門だ。
これまでは織田家とのマルチプレイや遠江の小規模なエリア奪還の話をしてきたが、ついに戦国最強のレイドボス、武田信玄が本気で攻めてきた。
元亀3年(1572年)。「大井川が境界線だろ」という協定を無視して、「天竜川まで俺の領土だw」と強引な仕様変更を迫ってきたんだ。
今日は、家康公が人生最大のピンチを迎える「三方ヶ原の戦い」の前夜、そして戦場での「射撃講座」について語ってやろう。
信玄が遠江へ侵攻し、「見付」に陣を取った。家康公も浜松から出撃したが、敵の物量に押されて撤退戦になる。これが有名な「一言坂の戦い」だ。
この撤退の最中、我が一族の大久保勘七郎が、迫り来る敵に鉄砲をぶっ放した。距離はわずか一、二間(約2〜3m)。
……なのに、大ハズレ!
後で家康公が「おい勘七郎、あんな至近距離でなんで外したんだ?」とツッコミを入れた。勘七郎は震えながら答えた。
「隣で都筑藤一郎殿が弓を構えていたので、それを頼りにして撃ったんですが……結局、俺がビビって外してしまいました!」
すると、兄の次右衛門と藤一郎の間で、こんな「不器用な譜代あるある」な会話が始まった。
「藤一郎殿、あんたがいたから弟は踏みとどまれたんだ。あんたが弓の『ゆがけ(グローブ)』を外したのを見て、俺も馬のゆがけを外して覚悟を決めたんだぞ」
「いやいや、坂を下る時にあんたが外したのを見たから、俺も外したんだよ」
「いや、俺が先だ!」
「俺だ!」
この「どっちが先に気合を入れたか」論争を見て、家康公は笑いながら勘七郎にガチの「FPS(First-Person Shooter)コーチング」を始めた。
「いいか勘七郎。お前が外したのは臆病だからじゃない。敵に追われて息が上がっている時に、銃身の真ん中辺りを握って撃っただろ? そうすると、吸う息で銃口が上がり、吐く息で銃口が下がるんだ。 つまりレティクルがブレまくる。次からは、両手でしっかり『引金下』をホールドして撃て。そうすれば、どれだけ息が荒くても銃口は狂わない。次は外すなよ」
戦場でも冷静に部下のプレイヤースキルを分析してバフをかける。これが家康公の才能だ。
信玄は次に向かったのは、天竜川沿いの要衝「二俣城」だ。ここは断崖絶壁にあり、井戸がなくて川から水を汲み上げる「水の手櫓」が命綱だった。武田軍の猛将・山県三郎兵衛と馬場美濃守が城を偵察して言った。
「力攻めは時間の無駄だ。水の手を物理遮断すれば、すぐ落ちるぞ」
信玄は天竜川の上流から、大量の筏を流し続けた。上流から流れてくる巨大な筏が、水を汲み上げる釣瓶の縄を次々と叩き切っていく。水が飲めなくなった城兵たちは、ついに籠城継続が不可能になり、城を明け渡した。
二俣城を落とした信玄は、浜松城をスルーして三河へ向かおうとした。家康公は「出撃して叩く!」と宣言したが、古参の重臣たちは大反対。
「殿、無茶です! 敵は3万のガチ勢、こっちはわずか8,000。信玄はレベルMAXの老練プレイヤーですよ!」
これに対し、家康公は伝説の「Giga-Chad」発言を放った。
「いいか。誰かが俺の屋敷の裏口を勝手に踏み荒らして通り過ぎようとしているのに、家の中にいて文句も言わない奴がいるか?負けると分かっていても、とがめなきゃならん時があるんだ。多勢無勢なんて関係ない。これは天道に、俺の意地を見せる戦いだ!」
こうして家康公は、勝ち目のないフィールドバトルへと飛び出していった。
元亀3年12月22日。雪がちらつく三方ヶ原。信玄は、一点突破の攻撃特化フォーメーション「魚鱗の陣」で待ち構えていた。対する家康公は、敵を包み込むような「鶴翼の陣」を展開。
だが、いかんせん人数が足りない。鶴翼の陣は薄く引き伸ばされ、武田軍の重厚な圧力を前に、今にも千切れそうな危うい状態で、歴史的な大敗戦の幕が上がろうとしていた……。
どうだ。圧倒的なスペック差を前にしても、「裏口を踏まれるのは嫌だ」と突っ込んでいく。
合理的じゃない? ああ、そうかもな。
でも、この「効率を無視したプライド」があったからこそ、徳川家は後に最強ギルドになれたんだ。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
第三下
然る所に元亀三年〈壬申〉之年、信玄寄申被越けるは、天りうの河をきりて切とらせ給へ。河東は某が切取可申と相定申処に、大炊河ぎりと仰候儀は、一円に心得不申。然者手出を可仕とて、申之年信玄は遠江へ御出馬有而、来原西島に陣取たまへば、浜松寄もかけ出して見付の原へ出て、来原西島を見る所に、敵方是を見ておつ取〳〵のりかけければ、各々申けるは、見付の町に火をかけてのく物ならば、敵方案内をしるべからずとて、火をかけてのきけるに、案之外に案内をよくしりて、上のだいへかけあげ而乗付ける程に、頓而ひとことの坂之おり立にてのり付けるに、梅津はしきりのり付られ而ならざれば、がん石をこそのりおろしける。其時大久保勘七郎は、とつて帰し而てつぽうを打けるに、一二間にて打はづす。其時上様之御諚には、勘七郎は何として打はづして有ぞと被仰ける時、其儀にて御座候ふ。都筑(つゞき)藤一郎が弓をもちて罷有によつて、其をちからと仕候て放し申つる。纔一二間ならでは御座有間敷、定而くすりはかゝり可申、兎角と申内に我等が臆病ゆへに、打はづし申たると申上ければ、藤一申は、勘七郎が立とゞまりて打申故に、我等は了簡なくして罷有つると申ければ、兄之大久保次右衛門が申は、藤一左様に御取合は被申そ、御身を力とせずんば、せがれが何とて立とゞまらん哉。方々の故に有つるぞと申せば、御方之弓ゆがけをはづし給ふを見て、我も馬ゆがけをはづしたると申せば、藤一申は次右左様にはなし、坂のおりくちにて、御身の馬ゆがけをはづし給ふを見て、我等も弓ゆがけをはづしたると申せば、いや〳〵御身の弓ゆがけをはづしたるに心付、我もゆがけをはづしたと申ば、上様は御笑はせ給ひ而、其儀はまづおけ、勘七郎汝があやかりと云にはあらず、見付の台寄おひ立られ而のきたる間、せいきのせきあげたる処に、定而汝はてつぼうを中程に、手をかけて火ざらのしたを取而放したるか、御意のごとく左様に仕申と申上ければ、左様に可有、中程に手をかけて火ざらの下をもちてはなせば、引息にては筒さきがあがり、出る息にてはつゝさきがさがる物成、殊更つねの時とおひ立られし時のいきは、かわる物にて有間、はづれたるも道理成、汝がおくびやうと云処にはあらず、何時も左様成時は諸手ながら、引がねの下をもちて打物成、何といきをあらくつきたり共、つゝさきはくるはざる物にて有ぞ、以来は其心もち可有と御意成。然間遠江之小侍共が信玄へのきけるが、此度供して来り而、天方、むかさ、市の宮、かくわのふるかまい、其外のふる城、又は屋敷構を取立てもつ。かくわの構をもちたる小侍共を、久野と懸河と出合而、せめおとしておゝく討取たれば、其外之所をばのこらずあけたり。天方斗久野弾正其外寄合之小侍共がもちけるを、味方が原之合戦之後、天方之城をせめさせ給ひ而、本城斗にして引のかせ給へば、其後明てのく。信玄は見付のだい寄がうだゐ島へ押上而陣取、其寄二俣之城を責ける。城には青木又四郎中根平左衛門その外こもる。信玄はのりおとさんと仰ければ、山県三郎兵衛と馬場美濃守両人かけまわりて見て、いや〳〵此城は土井たかくして草うらちかし、とてもむり責には成間敷、竹たばをもつてつめよせて、水の手を取給ふ程ならば、頓而落城可有と申ければ、其儀ならば責よとて、日夜ゆだんなくかねたいこをうつて時をあげて責けり。城は西は天りう河東は小河有り。水の手は岩にてきし高き崕づくりにして、車をかけて水をくむ。天りう河のおし付なれば、水もことすさまじきていなるに、大綱をもつていかだをくみて、うへよりながしかけ〳〵、何程共きわもなくかさねて、水の手をとる釣なはを切程に、ならずして城をわたす。然間信玄は城を取而寄、東三河に奥平道文と、すがぬま伊豆守と同新三郎、これ等はながしの、つくで、たみね是等が山が三方をもちたるが、逆心して信玄に付、すがぬま次郎右衛門と同新八郎は御味方を申而、ぎやくしんはなし。然間信玄は上方に御手を取衆之おゝくありければ、三河へ出て、それより東美濃へ出、それよりきつてのぼらんとて、味方が原へ押上て井の谷へ入、長しのへ出んとて、ほうだへ引おろさんとしける処に、元亀三年みづのへさる十二月二十二日、家康浜松寄三里に及而打出させ給ひ而、御合戦を可被成と仰ければ、各々年寄共の申上けるは、今日之御合戦如何に御座可有候哉、敵之人数を見奉るに三万余と見申候。其故信玄は老むしやと申、度々の合戦になれたる人成。御味方はわづか八千の内外御座可有哉と申上ければ、其儀は何共あれ、多勢にて我屋敷之背戸をふみきりて通らんに、内に有ながら出て尤めざる者哉あらん。負ればとて出て尤むべし。そのごとく我国をふみきりて通るに、多勢成というてなどか出てとがめざらん哉。兎角合戦をせずしてはおくまじき。陣は多ぜいぶぜいにはよるべからず、天道次第と仰ければ、各々是非に不及とて押寄けり。敵をほうだへ半分過も引おろさせて、きつてかゝらせ給ふならば、やす〳〵ときり勝たせ給はん物を、はやりすぎてはやくかゝらせ給ひしゆゑに、信玄度々之陣にあひ付給へば、魚鱗にそなへを立て引うけさせ給ふ。家康は鶴翼に立させ給へば、少せいという手薄く見えたり。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




