2-5 地獄を超えて、真の「三河」へ
『三河物語』(みかわものがたり)は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、三河の語り部、大久保彦左衛門だ。
前回、三河全土が「一向一揆」という史上最悪のバグイベントに飲み込まれ、岡崎城が四面楚歌の孤立無援に陥った話をしたな。まさに「絶望」って言葉がふさわしい状況だ。
だがな、ここからが三河武士の本領発揮だ。味方の半分が寝返り、昨日までのフレンドが今日の敵になるという地獄絵図の中、俺たち「残留勢力(ガチ勢)」がいかにしてこの無理ゲーを攻略していったか。
今回は、「SSR主君・家康公の爆速エンカウント」と、敵側に回った「最強の槍使い」との死闘を語ってやろう。
一揆軍が膨れ上がる中、岡崎城には続々と「本当の忠臣」たちが集結した。松平和泉守、坂井雅楽之助、石川伯耆守、本多平八郎……。まさに三河のオールスター勢揃いだ。
だが、このイベントの難易度は「☆☆☆☆☆(極難)」。上村十内や鵜殿十郎三郎、さらには松平一族の若手たちが次々と戦死していく。チャット欄には絶え間なく「味方が討死」という不穏なログが流れ続ける。
そんな中、最前線の「上和田」を死守したのが、我が大久保一族だ。新八郎(五郎右衛門)を筆頭に、甚四郎、弥三郎……大久保の親戚一同が勢揃いして、鍼崎の一揆軍と日夜、殴り合いを演じたんだ。
「上和田を抜かれたら岡崎は終わりだ。ここが俺たちのデッドラインだ!」
俺たちは泥を啜り、一睡もせずに防衛ラインを維持し続けた。おかげで一揆軍は、ついぞ上和田から岡崎へ一歩も踏み込むことはできなかった。
上和田の防衛拠点には、矢倉の上に「竹の貝(信号用の貝)」が置いてあった。敵が攻めてきた時、これをブォォォー!と吹き鳴らす。いわば、マップ上での「ヘルプ信号」だ。
岡崎城でその音を聞いた瞬間、俺たちの殿(元康公。後の家康公)は、まだ報告も受けていないうちに馬に飛び乗って駆け出す。「殿、早すぎます!」なんて供の者が追いつけないほどの爆速移動だ。
これを見た一揆軍の反応がまた面白い。
「あ、やべ。殿が来た! 逃げろ、逃げろ!!」
殿の姿が視界に入った瞬間、さっきまで威勢よく攻めていた敵が、クモの子を散らすように退却していくんだ。
一揆軍には「壊れ性能」のユニットがいた。その筆頭が、八屋半之丞だ。彼は以前は俺たちの仲間だったが、今は一揆軍の最強エース。
ある時、殿の供をしていた水野藤十郎が、退却する半之丞を追いかけた。
「半之丞、返せ!(戻って勝負しろ)」
すると半之丞は立ち止まり、ニカッと笑ってこう言った。
「藤十郎殿。俺を相手にするのは、あんたには荷が重いよ」
半之丞が持つのは、白樫で作られた三間(約5.4m)の長柄の槍。これを石突で地面に突き立て、手ぐすね引いて構える姿は、まさに門番の鬼だ。藤十郎が斬りかかるが、半之丞は圧倒的な筋力と技術で、三間の槍を「投げ突き」で放った。
ドスッ!
槍は藤十郎の身体を、後ろから前へと突き抜けた。まるで魚を串刺しにするような凄惨な一撃。半之丞は悠々と槍を引き抜き、また去っていった。
さらに半之丞は、殿自らが追いかけてきた時は「殿には逆らえねえ……!」と、三宝に拝むようにして逃げるが、他の家臣が来ると「お前らじゃ相手にならん!」と返り討ちにする。
まさに、敵に回すとこれほど厄介な「壊れキャラ」はいなかったぜ。
戦いは泥沼化していったが、ここで殿がまた「慈悲」という名のスキルを発動させる。きっかけは、妹婿だった荒川殿や、桜井の松平監物といった身内が次々と裏切ったことだ。普通なら「全員処刑(BAN)」だが、殿は考えた。
「こいつら、みんな宗教に惑わされてるだけだ。無理に殺し尽くすより、和談で終わらせたほうが三河のためになる」
ここで動いたのが、俺たちの一族の長老、大久保 浄玄だ。浄玄は、殿にこう進言した。
「殿、俺の息子(新八郎)も甥も、一揆軍の矢で目を射抜かれて傷だらけです。でも、殿が自ら戦場に立ち、敵を圧倒した。その上で、一揆の首謀者たちの命を許してやってください。そうすれば、三河は一つにまとまります」
殿は頷いた。
「わかった。浄玄、お前に免じて、起請文を書いて和談にしよう」
上和田の浄衆院で、「寺の権利は元通りにするから、一揆はやめろ」という和談が成立した。
……もちろん、これは殿による「戦略的な嘘(後で権利を剥奪するための布石)」だったんだが、とにかくこれによって三河一向一揆という最悪のレイドイベントは、表向きは終息したんだ。
どうだ。これが三河一向一揆のクライマックスだ。親兄弟が槍を交え、最強の仲間が敵になり、絶望的な防衛戦を繰り広げた。だが、この地獄を乗り越えたことで、残った連中の絆は「鉄壁」になった。
「一度、殿を裏切った。それでも殿は許してくれた」
この圧倒的な「許し(バフ)」を受けた家臣たちは、これ以降、狂ったような忠誠心を家康公に捧げることになる。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
扨又御味方の衆、松平和泉守、大給に有而御味方成。坂井雅楽之助、坂井左衛門丞、石河 日向守、石川 伯耆守、内藤三左衛門、内藤喜一郎、本田肥後守、本田平八郎、本田豊後守、上村出羽守、上村庄右衛門、上村十内、是は此時打死。鵜殿十郎三郎、是も同時打死。松平弥右衛門殿、松平弥九郎殿、松平次郎右衛門殿、松平金助殿、是も同時打死。鳥井伊賀守、鳥井又五郎、賀藤ひねの丞、賀藤九郎次郎、賀藤源四郎、米来津藤蔵、同小大夫、小栗太六郎、小栗弥左衛門、上野三郎四郎、青長蔵、押かも殿、中根藤蔵、中根権六郎、中根喜蔵、成瀬藤蔵、榊原摂津守、榊原早之助、榊原小兵衛、山田清七郎、山田そぶ右衛門、伊名市左衛門、松井左近、香村半十郎、中根 肥濃、中根源次郎、中根甚太郎、中根新左衛門、中根弥太郎、中根喜三郎、天野三郎左衛門、天野三兵衛、天野助兵衛、天野清兵衛、天野伝右衛門、天野又太郎、山田平一郎、芝田七九郎、平岩七之助、賀藤 播磨、渥海太郎兵衛、青山喜太夫、今村彦兵衛、長見新右衛門、青山牛之大夫、今藤馬之左衛門、青山善四郎、平岩五左衛門、河斎文助、河上十左衛門、久目新四郎、八国甚六郎、ほつち藤三郎、坂井下総、ほそ井喜三郎、大竹源太郎、小栗助兵衛、小栗仁右衛門、案藤九助、池野波之助、池野水之助、吉野助兵衛、遠山平大夫、鳥井鵧之助、鳥井才一郎、筒井与右衛門、筧豆書、筧牛之助、土屋甚助、打死。筒井内蔵、ふたゑつゝみにて打死する。土屋甚七郎、林藤助、内藤甚五左衛門、内藤四郎左衛門、松山山城、杉浦藤次郎、山田彦八郎、此外岡崎に有衆数多有。御手先得出る衆、上和田には大久保一 類有。鍼崎に向。大久保五郎〔新八郎〕右衛門、大久保甚四郎、大久保弥三郎、大久保七郎右衛門、大久保次右衛門、大久保八郎右衛門、大久保三助、大久保喜六郎、大久保与一郎、大久保新蔵、大久保与次郎、大久保九八郎、宇津野京三郎、筒井甚六郎、杉浦八郎五郎、杉浦弥七郎、杉浦久蔵、松山久内、松山市内、天野孫七郎、市河半兵衛、田中彦次郎。扨又土井の城には本田豊後守有而御 忠節申。扨又ふかうずには、松平主殿之助殿、竹之谷には松平源番殿、かたのはらには松平紀伊守殿、是三が所相并御 忠節有。扨又屋 萩河之西には、藤井之松平勘四郎殿、ふつかまの松平右京殿、両所相并而御忠節有。扨又佐崎には松平三蔵殿御加勢を申請而御忠節有。扨又筒ばりには小栗助兵衛、小栗二右衛門、小栗大六郎、其外小栗等有而御忠節有。扨又岡崎寄上和田得は廿丁斗有。土ろ寄も上和田得廿丁計有。扨又鍼崎寄上和田得は、十二丁計之間に而有処に、大久保一類之者どもが集而、日夜油断無塞戦而、終に其寄岡崎得敵を上たる事無。鍼崎寄上和田得働ければ、矢蔵に上而竹之筒の蚵を吹ければ、岡崎には上和田に蚵が立と聞と被㆑仰而、番を付而置せられければ、すはや上和田に蚵社立申せと申上ければ、日比仰被㆑付候間、早御馬に鞍を置而引立れば、早召而何時も人先に懸付させ給ふを、敵は遠見を置而見而者、殿の懸付させ給ふに早のけとて、足々にしてのく。げにと五丁十丁之事なれば、上様を見懸申而は、其儘寺内得引入、又重而之懸合にも何ものごとく貝を立ければ、御懸付も何ものごとくに懸付給ふ。其時は御供申而懸付申たる衆には、上村庄右衛門、黒田半平、敵には八屋半之丞と上村庄右衛門が鑓を合る。渡辺源蔵などが鑓が合、其時黒田半平を渡辺源蔵がつきたをす。然処に懸付之衆重ければ八屋半之丞も渡辺源蔵も引ぬいて足々にしてのく。八屋半之丞はほそ畷而得折而退ける所得、水野藤十郎殿懸付給ひ而、半之丞が八幡大菩薩のけ間煎に、返と仰ければ、八屋立どまり而につこと笑而、藤十郎殿が我等にはとてもならせられ間敷と云而、鑓をまつ直に突立て手につばきを付而手ぐすねを引。藤十郎殿重而仰けるは、とてもやる間敷物をと仰ければ、八屋云、とても我には成間敷に、こたへ給得とて鑓おつ取而、錣を傾け而懸りければ、藤十郎殿脇得闢給ふ。半之丞のゝしりて、左程に社思ひたれ。我に何がならせ給はんと云而ののしる。半之丞と申は脊かし高にして力の強ければ、白樫の三間柄を中ぶとによらせ而、長吉之身の四寸斗成をとぎ上にして紙を吹き懸而、颯々ととほるを、えりはめて持。然間長柄之持鑓も少成ども錆のうきたる事は無。去間半之丞が鑓さきには誰かむかはんと、独ごとを云ける者成。然間半之丞は其寄野得上てのく処得、上様懸付させられて、八屋め返と被仰ければ、心得たりと而返而見而あれば、上様に而有ければ、取つ而戻し鑓をひきずり而頭を傾而、虚空三宝に逃行処得、松平金助殿懸付而、八幡半之丞返と仰ければ、取而返而、殿様なれば社逃たれか、御身達にかとて帰し而、金助殿も八屋も互に鑓を突き合而五度六度合給ふが、力の強き者が樫之三間柄を石突を取而突立れば、かなはじと思召、鑓を引抜而うしろへしさり給ふ所得、ふみ込み而擲突にしければ、金助殿うしろ寄前ゑ鯨に魚淙を立たる如くに突き立けり。走り寄而、鑓を引ぬきける処得、又上様懸付させられ給ひ而、八屋めと被㆑仰候を聞而、又鑓を引ずり而跡も見ずしてにげにけり。上様も御帰被成而、八屋めが我にもにげんやつにはあらね共、我を見而にげけると御意被成、御機嫌能。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




