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新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ  作者: 条文小説


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20/55

2-3 13年ぶりの「入城」――岡崎城、奪還!

挿絵(By みてみん)


 『三河物語』(みかわものがたり)は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia

 よう、また会ったな。大久保(おおくぼ)彦左衛門(ひこざえもん)だ。


 前回、最強ギルドだった今川家が「桶狭間の戦い」という特大奇襲で崩壊し、当主の義元公がまさかの「一発 退場(ロスト)」を喫したところまで話したな。


 三河全体が「これからどうなるんだ!?」と大パニックに陥る中、俺たちの主君、次郎三郎(じろうさぶろう)元康(もとやす)様(後の家康公)が、いかにしてこの大混乱(カオス)を乗り越え、自分の「岡崎(ホーム)」を取り戻したか。


 今日は、伝説の「独立(リスタート)編」と、三河全土を巻き込んだ「最大級の一向一揆(レイドイベント)」の始まりを語ってやろう。


 本題に入る前に、一人だけ「全プレイヤーが泣いた」エピソードを紹介させてくれ。今川の家臣、岡部五郎兵衛(おかべごろべえ)だ。


 彼は義元公が討たれた後も、鳴海城をガチガチに固めて信長軍の猛攻を耐え抜いた。最後は降参するんだが、その条件が熱い。


「城を渡す代わりに、俺たちの主君(義元)の首を返せ」


 彼は主君の遺骸を守り抜き、ボロボロになりながら駿河へと送り届けた。これこそが「侍の義理」であり「譜代の鑑」。尾張から東で彼の名前を知らない奴はモグリと言われるほどの伝説のムーブだ。


 さて、その頃、大高城にいた俺たちの元康様。周囲は「義元が死んだらしい! 今すぐ逃げよう!」と騒ぎ立てたが、元康様は動かない。


「デマだったらどうするんだ? もし逃げた後に義元公が生きていたら、二度と顔向けできねえだろ。俺は確かな公式 通知(ログ)が来るまで、この城を動かん!」


 この徹底した「不義理をしない」スタンス。まさに主人公スペックだ。結局、親戚の水野家から「マジで死んだから! 明日は信長が来るから今すぐ撤退(ログアウト)しろ!」と強力なプッシュが来て、ようやく大高城を後にした。


 元康様はまず、菩提寺の大樹寺(だいじゅじ)へ向かった。岡崎城にはまだ今川の「留守番」が残っていたからな。だが、今川の連中も戦意喪失して城を捨てて逃げ出した。


「捨て城なら、俺たちが拾うまでだ!」


 永禄3年(1560年)5月23日。6歳で城を出てから、実に13年。 19歳になった元康様が、ついに岡崎城の玉座に座ったんだ!俺たち譜代衆の喜びは、言葉じゃ言い表せねえ。


「若君、おかえりなさい……!!」


「清康様(じいちゃん)以上のカリスマだぜ、こいつは!」


 みんな鎧の袖を涙で濡らしながら、10年以上の極貧サバイバル生活(豆腐のカス食ってた時代)を思い返して咽(むせ)び泣いたよ。


 ここから元康様は、今川との関係を完全に断ち切り、一気に三河の「エリア制覇」に乗り出した。名前も「元康」のまま(後に家康に変えるが)戦いまくる。


 寺辺(てらべ)、梅ヶ壺(うめがつぼ)、広瀬(ひろせ)、衣(ころも)、長沢(ながさわ)、西尾(にしお)……。月をまたいで5回も6回も出陣する、超・高回転周回(パワーレベリング)。――まさに怒涛の城攻めラッシュ。


 戦場では名だたる猛者たちが「鑓合(タイマン)わせ」を繰り広げた。織田の柴田勝家 vs 我が大久保次右衛門。石川伯耆守 vs 高木主水。まさにSSR級プレイヤー同士の激突。三河の武士団は、この数年間の実戦で信じられないほどレベルアップしていった。


 だが、三河統一を目前にして、「最大級の障害」が発生する。永禄6年(1563年)正月。「三河 一向一揆(いっこういっき)」の大規模イベントが強制スタートした。


 きっかけは、勝万寺などの特権を武力で取り締まろうとしたこと。これに怒った三ヶ寺がガチで団結し、元康様に反旗を翻した。


 これがなぜ「最悪」だったか。「身内(家臣)の半分以上が、寺(敵)に移籍した」からだ。


 「殿には仕えたいが、信心も捨てられない!」と悩んだ連中が、次々と敵側に回った。さらに、かつての裏切り者・内前の親戚や、元康様の妹婿だった荒川殿までが「よっしゃ、この混乱に乗じて元康を潰そうぜ!」と便乗してきやがった。


 当時の岡崎城は、囲(かこ)まれて詰んでる、まさに四面楚歌(デッドゾーン)状態だった。


 南の土呂(とろ)、鍼崎(はりさき)には一揆のガチ勢(槍使いのプロ)がウジャウジャ。南西の 野寺(のでら)、佐崎(さざき)、桜井(さくらい)も一揆と反逆者の魔窟。


 北西の上野城(うえのじょう)には裏切り者の坂井が陣取り、東の長沢(ながさわ)では今川派の残党が火を放つ。岡崎城から一里(4km)四方が、すべて敵の陣地(キルゾーン)。


 かつて一緒に豆腐のカスを食って「一生付いていきます!」って言ってた仲間が、今は城のすぐ外で槍を構えて俺たちを殺しに来る。


 「……なんでこんなことになったんだ?」


 若き元康様は、絶望的な光景を前にして歯を食いしばった。だがな、ここで逃げないのが俺たちの殿だ。


「四方が敵なら、四方に勝てばいいだけだろ?」


 一揆軍の最強の槍使いが集まる土呂・鍼崎。ここをどう崩すか。一族同士が殺し合う、三河史上もっとも「地獄」で、もっとも「エモい」戦いが、今まさに幕を上げる……。


 ホームを取り戻した瞬間に、身内に背中を刺されるという「超弩級の裏切りイベント」。

 これが、徳川家康が天下を獲る前に超えなければならなかった、最大の試練なんだ。


 次回、「三河一向一揆・激闘編」。主君か、神か。引き裂かれた家臣たちの涙と、新八郎たちの狂ったような忠義の話をしよう。





【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】




岡部(をかべ)之五郎兵衛は、義元打死被成、其故 屝(くつ)懸之入番衆も落行供、鳴海之城を持固(もちかため)而、其故信長を引請而、一責々られて其上にて、降参して城を渡し、あまつさえ信長得申義元之しるして申請而、駿河得御供申而下けり。御 死骸(しがい)を取置(おき)申而、御しるし斗之御供申而下事、たぐいすく無とも申つくしがたし。此五郎兵衛を昔之事のごとくに作(つくる)ならば、武辺と言侍之義理と云、普代之主の奉公と云、異(い)国はしらず、本朝には有難し。尾張之国寄東において、岡部之五郎兵衛をしらざる者は無。扨又義元は打死を被成候由を承候。其儀に置而は、爰元を早々御引 除(はらは)せ給ひ而、御尤之由各々申ければ、元康之仰には、たとへば義元打死有とても、其儀何方寄もしかとしたる事をも申不㆑被㆑来に、城を明退(あけてのき)若又其儀偽にも有ならば、二度義元に面(おもて)をむけられん哉。其故人のささめき䇻(はらひ)くさに成ならば、命ながらゑて詮もなし。然者何方寄もしかとしたる事無内は、菟角にのかせられ間敷と仰除(はらつ)而御座候処得、小河寄、水野四郎左衛門殿方から、浅井六之助を使(つか)ひにこさせられて、其元御油断と見得たり。義元 社(こそ)打死なれば、明日は信長其元得押寄可被成、今夜之内に御支度有而、早々引のけさせ給得、然者我等参而、案内者可申由を、申被㆑越候得ば、六之助、主之使(つかひ)に来り而申けるは、我等に御案内者申而、早々御供申せ。信長押寄給はゞ御六ヶ敷候はんと、四郎右衛門申被㆑越候間、我等に三百貫被㆑下給得、御供申さんとて知行をねぎりて御案内者を申けり。水野四郎右衛門殿は腹を立、憎(にくき)やつばらめ、成敗をいたし度と被申候得ども、敵味方の事なればせいばいも弄(ならず)、大高之城を引のかせられ給ひ而、岡崎には未駿河衆が持而居たれども、早渡してのきたがり申せども、氏真(うぢざね)にしつけのために、御辞退有而請取せられ給はずして、直に大樹寺得御越有而御座候得ば、駿河衆岡崎之城を明而 退(のき)ければ、其時 捨(すて)城ならば、拾(ひろ)はんと仰有而、城得うつらせ給ふ。其時御普代衆 悦(よろこび)而、扨も〳〵も目出度御事哉、十ヶ年に余普代之御主様を遠くに置奉り而、一度岡崎得奉㆑入而、とてものはしりめぐりを御目之前に而申度と願ひ而、余国も無、猪猿之様成やつばらどもに折れかゞ見、敗(はい)つく敗(はい)かゞみまはる事も、一度は君を是得入申さんため成。御年六歳之御時此城を御出被成、永禄三年 〈庚申〉五月二十三日、生年十九歳之御年、岡崎之御城得入せ給ふ事之目出度さと申而、悦(よろこび)申事無㆑限(かぎり)。然間駿河と御手切(ぎれ)を被成候得て、元康を替させられ而、家族にならせちれ結ぶ。扨又板倉(いたくら)弾(だん)正を中島之郷(がう)に而松平主殿助殿ゑ仰被㆑付、御成敗(せいばい)被成候得と而、仰被㆑付ける処に、打漏し給得ば、岡の城得来り而、岡之城を持(もつ)所に岡崎寄押寄給ひ而、責おとし給得ば、板倉弾正者東三河得行岡崎も方々得御手づかいを被成けり。或(ある)時は広瀬之城得御 働(はたらき)被成、押つめ而構(かまい)ぎはにてはげ敷せりあひ有而、追(おひ)こみ而曲輪を破(やぶり)、数多打取而引給ふ。又有時は履(くつ)懸之城得押寄而、町を破(やぶり)放火して引給ふ。又有時は衣之城得押寄、数多打取て引給ふ。有時は梅が壺(つぼ)之城得御 働(はたらき)有而、町を破而引給ふ。有時は小河得御 働(はたらき)有ければ、小河寄も石が瀬迄出てせり合けり。其時鳥居四郎左衛門、大原佐近右衡門、矢田作十郎、蜂屋半之丞、大久保七郎右衛門、同次右衛門、高来九助、是等が鑓(やり)を合成其寄引のき給ふ。又有時は寺辺之城得御働有而、押懸而城をのり取給ふ。又有時は苅屋 得御働(はたらき)有。苅屋寄十八町得出てたゝかいけり。十八町にて大久保五郎右衛門、同七郎右衛門、石河新九郎、杉浦八十郎鑓(やり)が合、但杉浦八十郎は爰に而打死をしたり。其寄互(たがひ)に引のく。又或時は長沢(さは)得御働(はたらき)有而、鳥屋が根(ね)之城得押懸而、荒々とあて給ふ。其時榊原弥平々々兵衛之助を、あれは誰(たれ)ぞ早しと被仰ければ、榊原弥平々々兵衛之助に而御座候と申ければ、早押こみて有り。更(さら)ば早之助と付よと被仰けるに仍、榊原早之助と申成、又有時は西尾之城得御働(はたらき)被成、是に而も鑓(やり)が合、又有時は東条(でう)之城得御働(はたらき)有而、各々鑓が合、又有時は衣之城得押寄給ひて、各々鑓が合、越前之柴田と大久保次右衛門鑓が合、ある時は小河得御働(はたらき)有、小河衆又石(いし)が瀬迄出で各々鑓が合、石川伯耆(はうき)守と高木主水が鑓が合、又有時は梅が壺(つぼ)得御働(はたらき)、是にても各々鑓が合、此城城得度々に置(おき)而、二三ヶ年は御無㆑隙、月の内には五度三度づつ御油断(ゆだん)無御働(はたらき)有。

〜参考文献〜

三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource

https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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