1-16 子孫への「利用規約」
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、三河の「真実ログ」の番人、大久保彦左衛門だ。
これまで徳川(松平)家がいかに泥水をすすり、全ロス寸前の無理ゲーを潜り抜けてきたか語ってきたが、ここで一度、俺たちのアイデンティティ……「譜代」という名の古参プレイヤーたちが直面している「仕様」と「不具合」について、ガツンと提言しておかなきゃならない。
これからの時代、主家の状況がどう変わるのか。そして、お前たち子孫がどう生き残るべきか。これは俺が命懸けで書いた「非公式・最強生存ガイドライン」だ。
いいか、よく見とけ。世の中には、かつて別のギルドにいたり、一度は主君を裏切って追放された家筋の末裔であっても、要領よく立ち回って主君の「お気に入り」に収まり、特権持ちの側近として返り咲く連中がいる。
逆に、信光様の時代から代々、じいさんも親父も伯父も、みんな戦場で討死してまで忠節を稼いできた俺たちのような「譜代」が、「主君は扱いが悪い! 報酬が少なすぎる!」なんて不満をぶちまけて不奉公に走れば、いずれ「お前みたいなうるさい古参はいらねえ」とキックされるのがオチだ。
そうなれば、永く続いた譜代のコミュニティもバラバラになり、忠義のログは完全に消去され、いずれ「何の役にも立たねえ連中が譜代を名乗る」ような暗黒のパッチが当たる時代が必ず来る。
なぜそんな「バグ」が起きるのか。理由は簡単だ。この先の御代でも、ギルドの勢力図がグワッと広がる時もあれば、ふとした拍子にサーバーダウン寸前まで手狭になる時もあるからだ。勢力拡大中は新しいプレイヤーが次々と入ってくるから、不器用な譜代は目立たず、入り込みにくい。
勢力縮小中は前の代で慈悲もなく古参を追い払っていれば、いざピンチになった時に「譜代の筋目」なんて誰も分からなくなっている。主君は誰を信じていいか分からず、譜代も主君を愛さない。そんな「マッチングエラー」が起きている時代の主君は、実に気の毒だ。
だが、安心しろ。今の君主、広忠公は極めて慈悲深い「ホワイト上司」だ。田中彦次郎が言った。「この殿の代で、譜代が飢え死にすることなんて絶対にない」とな。俺の兄貴、新八だも「全くだ。あの慈悲深さは、語り尽くせんほどだ」と同意している。
とはいえ、未来には慈悲のかけらもない「ブラック君主」が現れる可能性もある。そうなれば、積み重ねてきた忠節のログはすべて川へ流され、俺たちの存在意義すら危うくなるだろう。
だからこそ、俺はこの書を書き残し、お前に託す。この書を日に一度は取り出して読み、先祖の苦労を脳に焼き付けろ。主君へのご連絡ミスを避け、全力でサポートしろ。
どれだけ辛労しても実を結ばず、どれだけ奉公しても取り立てられなくても、主君に文句を言うな。報われないのは「前世の因果」だと思え。恨みを持つな。
元和8年(1622年) 4月11日 大久保彦左衛門:花押
本来なら、他の譜代家についても詳しく穿鑿して書くべきだが、この書は世に出すための「公式Wiki」じゃない。お前たち大久保一族だけの「門外不出の家宝」だ。だから他家のことは記さない。
俺一人の苦労が実らなくても、お前たちがどれほど冷遇されても、それが「譜代」という生き方の仕様だ。この書は、他人の目に触れさせてはならない。大久保の意地とプライドを、ただひっそりと守り抜くためのログだ。いいか、絶対に外に出すなよ。以上だ。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
其耳弄別儀別心之末の子孫供が、能御奉公申而、御意に入、御膝本近く御来公可㆑申、又信光寄此方忠節忠功をなし度々走りめぐりをして、親、祖父、伯父どもを打死させて、御代々御忠節申上たる子孫なれども、悪召つかはさるゝと申而、御不奉公をかならず可㆓申上㆒、其時普代もいらざるとて、押はらはれ可㆑申。御普代久敷者はちり〴〵に罷成、忠節忠高之筋は一人も無して、普代もいらざるとて、行得も無者を普代と可㆑被㆑仰御代もかならず可㆑有。然ども其御代には御普代も入㆑申供又入申御代も可有。其を如何にと申に、此跡之御代にも御手之広がる御代も多し。又はらりと崩れて御手狭む御代も多く候つるを各々御存知成。御手之広き御代には御普代は入申間敷けれども、又末之御代に御手せばに成たる御代に前前の御代に御慈悲無おいはらはせ給ば、後には御普代之筋をも御存知有間敷、又は普代之衆も御普代之御主を知るまじきければ、御身にあてゝ引立申者有間敷ければ、其御代にあたらせ給ふ御主をいとをしく存知候。只今之御主広忠は、御慈悲のふかく御ば御心安あれ。此君之御代に飢ゑ殺は被成間敷候と云。田中彦次郎申者新八殿尤成。只今之御慈悲は申つくしがたし。如仰末之御代に御慈悲無御代も可有候。左様之御代も出来させ給ば、御代々久敷筋は散々(ちり〴〵)に成て、御主も御普代之筋を御存知有間敷は歴然成。又御普代之衆も、御普代之御主を存知申間敷は、是もれきぜん成。然者其御代にて信光寄之此方、御代々之忠節を積み置而河へ流す迄。
元和八年〈壬戌〉卯月十一日 〈子供是を譲門外不出可有成〉 大久保彦左衛門 花押
子供是を能嗜みて、日に一度づつ取出して見而、御主様得御無沙汰無能御奉公申上候得、御普代衆は何れも是に劣らず御忠節はしりしめぐり者同前可㆑成。然ども此書物公界ゑ出す物ならば、何れも御普代衆之事をも能穿鑿して可㆑書が、此書物はくがいゑ出す事無して、汝供が宝物に可㆑有候得ば、各々の事は不㆑書して、我一名之事又は我れ辛労しても見も成、子供も有程の御奉公申上而、御取上無とも其に御不足不申上候。何事も先之世の因果と思ひ而、御不足無奉公を申上よ。其に寄何れもの事書不申候。其為此書物門外不出可有者成。以上。
〜参考文献〜
三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




