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新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ  作者: 条文小説


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1-15 広忠の涙――「敵にしたのは俺だった」

挿絵(By みてみん)


三河物語みかわものがたり』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia

 よう、また会ったな。三河の「真実ログ」の語り部、大久保彦左衛門だ。


 これまでの話で、若君・広忠公がどれだけ苦労して岡崎に帰還したか語ってきたが、世の中そう簡単にはいかない。織田の魔王の父・信秀(弾正忠)がじわじわと圧をかけてくる中、ついに「最強の助っ人」が動く。


 今日は、今川家が誇るチート級の軍師・太原たいげん雪斎せっさいの出陣、そして親戚同士の悲しき決着、さらには歴史に刻まれる「小豆坂あずきざかの戦い」のログを語ってやろう。


 竹千代様を人質に出してまで勝ち取った、今川義元公の全面バックアップ。義元公は「よし、広忠を支えてやれ」と、今川 ギルド最強の雪斎長老に、駿河・遠江・東三河の三ヶ国の連合軍を預けて送り出した。


 雪斎の進軍スピードは凄まじかった。まさに「ファストトラベル」だ。初日、駿府(静岡)を出て藤枝へ。翌日は大井川を越え、中山を抜けて掛川へ。3日目は 袋井、見付を通過し、天竜川を渡って引間(浜松)へ。4日目に二手に分かれて浜名湖を回り込み、吉田(豊橋)へ。5日目には御油、赤坂を爆走し、一気に岡崎近郊の「山中・藤河」にキャンプを設営!


 岡崎の連中は大喜びだ。「ついに最強の増援が来たぞ!」と、弓自慢の30人が円入坊山へ登って、今川軍の到着を今か今かと眺めていた。


 その時だ。敵対していた親戚、九郎豆くろうず(松平蔵人)が500の兵を率いて岡崎を狙い、坂を押し上げてくるのが見えた。円入坊山にいた30人の精鋭たちはニヤリと笑った。


「あいつら、俺たちが30人しかいないと思って舐めてやがる。よし、木の葉の擬態ギミックを使ってハメてやろうぜ」


 彼らは木の葉を頭に差し、林に隠れて待機。九郎豆が至近距離まで来た瞬間、一斉に矢を放った!「うわっ、伏兵だ!」と混乱する敵軍。30人はそのまま坂を駆け下り、明大寺の町へ逃げ込む。


 九郎豆は激怒して町に火を放ち、追い詰めるかと思いきや……なぜか詰めが甘く、少し引いた場所で陣を立て直した。そこへ、逃げたはずの30人が再び「ヒット&ラン」を仕掛ける。二手に分かれて町の中から狙撃!


 放たれた一本の矢が九郎豆の馬の馬引きを射殺し、続く次の一矢が……九郎豆を馬から射落とした!大将がロストしたのを見た敵軍は総崩れ。岡崎城からも追撃部隊が出て、九郎豆はそのまま討死。その首は広忠公のもとへ届けられた。


 九郎豆殿の首を見た広忠公は、勝利を喜ぶどころか、ボロボロと涙を流した。


「……なぜ生け捕りにしてくれなかったのだ。九郎豆殿は、もともと俺に逆らうような人ではなかった。俺が彼の力を恐れて締め出したから、彼は恥じて敵になるしかなかったのだ。彼を無理やり敵に仕立て上げたのは、俺の不徳だ。」


 この「聖人級」の慈悲。家臣たちも鎧の袖を濡らして、共に泣いたという。広忠公というリーダーは、本当に「情」にステータスを全振りしたようなお方だったんだな。


 さて、雪斎の到着を知った織田信秀(弾正忠)も黙っていない。清洲城を出て、安祥へ入り、矢作川を渡って上和田へ布陣した。運命の「小豆坂の戦い」。


 雪斎率いる今川軍は藤河から、信秀率いる織田軍は上和田から。互いに山道で見えない中、小豆坂の頂上でバッタリ鉢合わせ(鼻合)した。


「うわっ、敵だ!」


「戦闘開始!」


 戦況は激しい押し引きの連続だった。最初は信秀の弟・織田三郎五郎が押されるが、信秀の旗が「盗人来ぬすびとき」という場所で踏みとどまり、そこから押し返す。さらにまた押し返され……。


 結果として、織田側は二度も押し戻され、多くの死傷者を出した。このラウンドは今川軍の勝利で幕を閉じた。


 しかし、勝利の影で広忠公はわずか23歳でこの世を去る(病死)。岡崎は今川家の支配下となり、管理者(入番)が送り込まれてきた。城を守る大久保新八郎と田中彦次郎が、ひっそりと語り合う。


「なあ、新八殿。俺たちはこうして苦労して奉公してきたが、松平 家 (ギルド)が大きくなって今川みたいな巨大勢力が入り込んできたら……俺たちみたいな『譜代』は、結局飢え死にするんじゃないか?」


 新八郎は答えた。


「案ずるな。広忠公の慈悲は深かった。あのお方がいればそんなことは……。だが、お前の言う通り、いつか松平 家 (ギルド)が拡大した末の時代には、口のうまい新参者がチヤホヤされ、俺たちのような古参は隅に追いやられる日が来るかもしれんな。」


 ……この不安が、後に俺が『三河物語』を書く動機の一つになるんだが、それはまた別の話だ。


 どうだ。これが広忠公の最期と、今川・織田の巨大抗争のログだ。




【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】




此上は広忠を見継而、加勢かせい可有とて、林西寺りんさいじ之説斎せつさい長老に各々を仰付而、駿河、遠江、東三河、三ヶ国之人数をもよほし而加勢かせい有。説斎せつさい駿府すんぷを立而藤枝につき、明ければ藤枝を立出大㳄おほゐがは、さよの山を打越懸河に陣を取。明ければ懸河を打立而、福路居ふくろゐ、見付、天龍りう河を打越、其日は引間に陣を取。明ければ引間を立出而、両手にわけて今切と本坂を越而、吉田に陣を取。吉田を立出下地しもぢ之御位ごい小坂井御油ごい赤坂を打過而、早山中藤河に陣を取けり。岡崎には各々此由聞寄もよろこび而、いざや駿河衆之出けるか見んとて、弓取三十人斗円入功ゑんにふぼう山得あがりてながめける。折節岡の城寄九郎豆殿五百斗にて岡崎得打まはりと有而、まつくろにかたまりて坂を押上させ給ふ。三十人斗之衆是を見而、爰成は九郎豆殿と見得たり。いざや此小堬こづかに木の葉をさし其蔭に隠れ居而、近くよらせられ給ふ時、一矢づつ射懸申、其寄坂を下りに (はしり)おり而、明太寺之町得懸かけ入而、其寄すがう河得出べしとて待懸て居たりける処得、近々と寄来よせきたらせ給得ば、 (はしり)出而一矢づつ射懸而、坂を下に (はしり)おり而、明太寺之町得入而、すぐにすがうの河原へ出けり。九郎豆殿は御覧らんじて、おつ取〳〵おひかけ而町得追おひ入而、町に火を懸させ給ひ而、其きほひに引のけさせ給ば、御手柄と申くるしかる間敷を、御遊の末のかなしさは、町に火を懸させ給はずして、一町斗引のけさせ給ひ而、そなへを立而御おはします処得、又三十人斗之者供が立帰而、ふたつにわけて町の上下寄指取引詰、我も〳〵とそなへゝ射懸ければ、たれ之矢が中るとも無して、九郎豆殿ひかへさせ給ふ御馬の口取を射害ころす。次に来る矢にて九郎豆殿を御馬寄射おとし奉ければ、是を見而犇はしり出指取引つめ射懸れば、其儘敗軍しければ、九郎豆殿は早打死被㆑成けり。岡崎も其間四五町有事なれば、元寄押出したる衆是を見而、おつ取〳〵おひ付而、皆打取。然間九郎豆殿御しるしをもち而参る。広忠得角と申上ければ、聞召もあへさせ給ずして、御涙なみだながさせ給ひ、安如何而かいけ取てもくれざる哉。日比九郎豆殿我等に一つとしてそむかせ給ふ事無く、此度敵をなし給ふ事も、ちがひめ更になければうらみと更に思はず。以来を疑ひてそれがし方寄立出しけるを、様々わびさせ給得ども、わ聞ざれば赤面して存知之外に敵にならせ給得ば、我方寄無理に敵とはなす成。内前之敵に成給ふとは、ばつくんちがいたりとて、はら〳〵と御涙をながしさせ給得ば、各々も御道理とて、よろひそでをぬらしけり。然間弾正之忠は駿河衆之出るを聞而、清須きよす之城を立而、其日は (かさ)寺鳴海に陣取給ひ而、明ければ箸寺を打立給ひ而、案祥あんじやうつかせ給ひ而、其寄八萩やはぎ河之下の瀬を越而、上和田之取出にうつらせ給ひ而、明ければ馬頭ばとう之原得押出し而、合陣の取んとて上和田を未明みめいに押出す。駿河衆も上和田之取出へのはたらきとて、是も藤河を未明に押出す。藤河と上和田之間一里有。然処に山道の事なれば、互見たがひにみ不㆑いださして押けるが、小豆あづき坂へ駿河衆あがりければ、小田之三郎五郎殿は先手に而小豆坂へあがらんとする所に而、はな合をしてたがひ洞天どうてんしけり。然とは申せどもたがひはた立而即すなはち合戦社こそはじまり而、しばらくは戦けるが、三郎五郎殿打負まけさせ給ひ而、盗人ぬすびと迄打れ給ふ。盗人来にはだん正之忠之旗はたの立ければ、其寄も盛り帰して、又小豆あづき坂之下迄打、又其寄追おひ帰されて打れけり。其時之合戦者対々とは申せども、弾正之忠之方は二度追おひ帰され申、人もおほく打れたれば、駿河衆之勝かちと云。其寄駿河衆は藤河得引入、弾正之忠者上和田得引而入、其寄案祥得引而、案祥には舎弟之小田之三郎五郎殿をおき給ひ而、弾正之忠者清須きよす得引入給べ。三河に而小豆取も申したゑしは此事に而有。広忠は其年二拾三にて御病死被成ければ、岡崎得も駿河寄入番を入而持もちけり。扨又本城之御番はたれ而御おはします。大久保新八郎と云。扨二の丸之御番は誰人に而御おはしますやと云。田中彦次郎に而御座候。扨新八殿聞召御代々御忠節ちうせつと申、又はか様に辛労苦労して御奉公申上、君之御手もひろく成申たらば、御普代之衆は手と手を取合而、飢死かつゑじにに候はんにやと云。新八郎申、御心安あれ此君御慈悲じひふかければ、御手広ひろくならせられても、かつころしは被成間敷、御身之如㆑仰末の御代には必さもあらん。御手もひろくあらば新参しんざんはしり付之衆多おほく来り而、独楽をまはすがごとく御奉公申ならば、其を御身近ちかく召つかはるべし。

〜参考文献〜

三河物語(国民文庫刊行会 大正元年)- Wikisource

https://share.google/jJTiQMFkLIRfryR6a


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。

 もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。

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