1-10 奪還、岡崎城!
『三河物語』は、江戸時代初期の、旗本の大久保忠教による著作。戦国時代から江戸時代初期を知るための史料とされることもあるが、徳川史観による偏った記述により資料としての正確性は欠如している。出典:Wikipedia
よう、大久保彦左衛門だ。ついに、ついにこの時が来た!
兄貴・新八郎の「21枚の嘘起請文」という壮大なブラフに、裏切り者の内前が完全にはまった。主君・広忠公が、数年間に及ぶ「浪人生活(三河追放)」から、ホームベースである「岡崎城」へ再入城を果たす決定的瞬間だ。
今日は、歴史の教科書には載らない、現場の連中の「手のひらの汗」まで伝わるような奪還劇の記録を語ってやろう。
新八郎が九郎豆(蔵人)殿との極秘内談を終えて戻ってきた。道端で待っていた佐近右衛門は、新八郎の姿を見るなり駆け寄って涙ぐんだ。
「……生きていたか! 九郎豆殿に消されたんじゃないかと、生きた心地がしなかったぞ!」
新八郎はニヤリと笑って言い捨てた。
「安心しろ、完璧な『接待』を受けてきた。詳しくはここでは言えんが、明日の夜明け前、藤助殿と一緒に俺のところへ来い。『祝杯』の準備はできている。」
一方、待機していた又太郎と甚六の兄弟も、霞の中から現れた新八郎を見て、ようやく深く大きな溜息をついた。
「殿を戻すために、お前の命を賭けるなんて、ヒリヒリするぜ」
「譜代の主君に命を預けるなら、場所なんてどこでも一緒だろ?」
翌朝、メンバー全員が集結。九郎豆殿の「有馬温泉への湯治」作戦が伝えられると、一同のテンションはMAX(バフ状態)になった。いよいよ、広忠公への「お迎え」コマンドが発動する。広忠公へメッセージが届く。
「準備をして待機してください。明日の夜、あなたを城へログインさせます。お迎えのパーティー(藤助、甚六、佐近右衛門、又太郎、甚四郎)を派遣します」
広忠公の喜びは尋常じゃなかった。この一日が、まるで千年にも感じるほどの凄まじい「待機時間」。夜の帳が下りるのを、今か今かと待ちわびていた。
一方、城内。新八郎は「交代の番衆」を装って、一族を引き連れて午後4時頃に入城した。日が暮れた頃、新八郎は奥の局へ向かい、こう言った。
「門の鍵を渡しなさい」
奥から声がする。「鍵をくれとは何者だ?」
「大久保新八郎だ。九郎豆殿から話は通っているはずだ」
「おお、新八郎か!」
局は自ら鍵を持って現れた。九郎豆殿の指示通り、「新八郎なら渡せ、他には渡すな」というアクセス権限設定が完璧に機能した瞬間だ。
その頃、広忠公は城に向かって馬を飛ばしていた。途中で「城の制圧は完了しました! 早く来てください!」という通知が来ると、もう夢中だ。
馬を急がせているが、心の中では「鳥になって、一っ飛びで玉座へ行きたい!」と願うほどの超高速移動。肉体は馬の上だが、意識はすでに本丸に到達していた。
大手門に到着。新八郎が待機し、大久保一族が門の閂を外してゲートをフルオープンにする。
「殿! お帰りなさいませ!」
広忠公を本丸へ導き入れた新八郎は、ここで初めて天を仰いで大きな息をついた。
「今こそ、日頃の悲願が成し遂げられた……!」
内前側の「入番」たちは、パニックに陥った。
「何!? 広忠がログインしただと!? どこからだ!」
彼らは狭間をくぐり、壁を乗り越え、文字通り「クモの子を散らすように」逃走していった。
夜が明けた。何が起きたか分からなかった「残留勢力」たちは、広忠公が城に戻ったと知るやいなや、我先にと大手門へ駆け集まった。
「誰が殿を入れ奉ったのだ!」
「大久保の新八郎だ! 今は二の丸・三の丸を固めている。内前が上野から襲撃に来るかもしれん、油断するな!」
だが、裏切り者の親玉・内前は、一歩も動けなかった。
「広忠を戻したのは……大久保か。あいつしかいない。俺はあいつに、八幡様の前で21枚も誓約書を書かせたんだぞ。 なぜ神罰を恐れないんだ……。あいつ一人を信じてしまったのが、俺の人生最大の失敗だ……」
新八郎は、内前にどれだけ憎まれようが、神にどれだけ呪われようが、知ったこっちゃなかった。
「地獄に落ちるのは俺一人でいい。主君を城に戻せた。これ以上の『報酬』がどこにあるんだ?」
広忠公の喜びを例えるなら、『法華経』にある言葉そのものだ。寒い者が火を得たように。裸の者が衣を得たように。商人が主を得たように。子が母を得たように。渡りに船を得たように。
まさに人生逆転、最高の逆転だった。広忠公は、この功績を讃えて新八郎たちにそれぞれ「15貫」の領地を与え、新八郎には中野郷という100貫もの大規模な代官職を授けた。そして、ここが重要だ。
広忠公は、自分が一度「浪人」として苦労し、民や少身の者の悲しみを見てきたからこそ、代々の主君の中でも一際「慈悲深く、情け深い」君主になったんだ。
苦労を知る者がトップに立つ。これこそが、国が安定するための最強のパッチだった。
どうだ、これが大久保家が誇る「岡崎城・電撃復帰」の全貌だ。兄貴たちの執念、そして広忠公の慈悲。これらが混ざり合って、今の徳川の基盤が作られた。
【三河物語 作:大久保忠教 国民文庫刊行会 1912年】
爰に而具に可承候得ども路次之儀に候へば早々承候、万事御心安可有と申捨ぞ通りける。佐近右衛門も新八者命ながらへて有かと思ひ、大道へ出てきゝみゝを立而、泚をにぎりて、をほせなぎをつきてゐたる処得、遠寄見懸而はしり寄、扨も帰らせ給ふかと云而涙ぐむ処に、先仕合御心安思召せ、事之外御ちそう忝奉㆑存候。是に而御ちそうの儀御物語申度者候得ども、路次之儀に候得ば如何に候。今日之御ちそう忝奉存候間、其祝に明朝御出可被成候、御振舞可申候。藤助殿も是迄御寄可有候由仰候。御同道有而かならず未明に藤助殿と御同道可有候。待入申其迄も候はず未明に可参候。又太も甚六も待かね可㆑被㆑申候間、御免なれとて通りければ、又太八国も二人之兄弟どもと打つれて、半途迄出候得而、新八者果てられけるかとて、互に物もいはずして泚をにぎりて待かね而居たる処に、岡崎之方をながめ居たるに、霞之内寄見付而、新八社来りたりとて大息をつき、はしりむかひて只今御越かと云ば、仕合先御心安思召而帰らせ給得とて、喜而供につれて入にけり。又太甚六二人之兄弟どもに、此由具に語ければ不㆑斜喜而、涙を流而申けるは、陲今日之御身之命と申ければ、とても普代之主に奉㆑命ば何くに而奉も同事成と云。明ければ藤助、甚六、佐近右衛門、又太参而此由具に語。又九郎豆殿右之衆得、御念比に被仰し事どもをも具に申渡しければ、愈感涙を滂而喜事無㆑限。扨又九郎豆殿御湯治と聞寄も各々胸落付。新八郎は忍び而広忠得申上けるは、御支度有而御待可被成、明夜是得入可㆑奉、然者明晩御迎に藤助、甚六郎、佐近右衛門、又太郎、甚四郎を進上可申と申越候得ば、広忠之御喜給ふ。明ければ君も御一代之御大事御一代の御喜と思召、今日之日の暮申事を、千年をふる思ひに思召暮させ給ふ所に、早入合に成ければ、御迎を待兼させ給ふ処に、藤助、又太郎、佐近右衛門、甚六郎、甚四郎忍而参、早御時分能御座候。御仕度有而出させ給得と申す。新八郎は兄弟一類引つれて御番に上相待奉㆑申と申上けり。新八郎は番之由を申而、兄弟一類引つれて七つ時分寄行、暮相に成ければ、御門之かぎを渡させ給得と云。奥寄も門之かぎと申は何者ぞや。不㆑被㆑苦候、大久保新八郎に而御座候と申ければ、局の仰には大久保新八ならばかぎを渡し申せと仰置たり。新八ならば直に渡し申とて御つぼね自身身づから持給ひ而、直に新八かとて渡させ給ふ。かぎは請取申今や慹と相待けり。広忠も早打立給ふ而、莅給ひし処得、城者取申成遅御座候。莅給得とて半途迄申来りければ、御夢之御心地して、御馬を早め給得供、御心には一つ処に而遊様にを思召、鳥ならば一飛にも飛も行早と思名共、御身は跡に御而、御心者城得移らせ給ふ。然間無㆑程打付せ給ひければ、新八郎者待請申。大手之門には兄弟一類を置ければ、錠を取槤斗に而有事なれば、急門を闢而奉入ば、新八郎も一類之者を引付而置、本城之御門の闢、広忠を入奉て大息ついて、今社日比の御本望是成と云。然以此番之族者此方彼方(こゝかしこ)之城をのり狭間をくゞりて落坎ぬ。然間城をかためて、広忠を御本居をとげさせ給ひ而、只今城へ移らせ給ふ成。二三之丸に有侍広忠得心有者は、二三の丸をかため給ひ而、入番之族を一人ももらさず打取給得と云而、鯨声を上鉄砲をはなし懸申せば、しるもしらざるも落行。既に夜も明ければ、心有御普代衆は、何方から此城を忍び取らんともおぼえず。誰人ぞ広忠を引入申とおぼえたり。其儀ならば急可㆑参とて、心有衆は大手へ急参而、是者誰がし何がしと名のりて馳せ集まる。城寄は喚はる。各々か早く来り給ふ物哉。次郎三郎様社今夜暁方に是得御本居をとげさせ給ひ候ぞや。各々御普代の面々達は、いそぎ二三の丸得入せ給ひ而、かためさせ給得、定而上野寄内膳殿駈け可㆑被㆑付、御油断有間敷と申ければ、各々我も〳〵と駈け入而、二三之丸をかためけれども、内前殿も寄給ず。内前殿仰けるは、広忠を引立申者別之者にはよも荒じ。大久保にて可㆑有、腹切すべき者なれども、伊賀之八幡之御前にて七枚起請を三度書せ申故、ゆだんをして扶置き申事悔敷口惜無念成。流水跡へ不㆑帰後悔不㆓先立㆒、大久保は内前殿に憎まれても苦にもたず、広忠を御本居させ申せば、内前之憎給ふも起請の御罰も不㆑入、只今社嬉しきと云。広忠十三の御年清康に御おくれさせ給ひ而、頓面其年眼前之大祖父内前殿に岡崎を立出されさせ給ひ而、御年十三に而伊勢の国得御浪人被成、御年拾五之春駿河国へ御下被成、今河殿を御頼被成而、其年之秋今河殿寄も加勢をくはへて、三河の国もろの郷にうつらせ給ひ而、御年拾七歳之春、御本居被成岡崎得入せられ給ふ。広忠之御悦を、物に遥々譬ふれば、法華経之七之巻薬王品に云、寒者の火を得たるがごとく、倮成者の衣を得たるがごとく、商人のぬしを得たるがごとく、子の母を得たるがごとく、渡りに舟を得たるがごとく、病に薬しを得たるがごとく、貧敷に宝を得たるがごとく、民之王を得たるがごとく、こきやくの海を得たるがごとく、燐燥の暗を除くがごとくと説給ふ如くに、何御心之内の御喜是に劣申間敷、扨又御本居をとげさせ申儀、御満足と仰有而、其御忠節と被成候而、新八郎、藤助、甚六郎、佐近右衛門、又太郎に地方拾五貫づつ被下けり。甚四郎弥三郎を初此一類之者どもにも、それ〴〵に被下けり。新八郎にも並に被下る。然ども御知行は其分成、是に余かつて中野郷と申て、くでん百貫之処を代官を仰被付而、後日には是を知行に被下けり。扨又其後内前殿も御詫事被成而御出仕被成、御一門悉御本居目出度とて、各々御出仕無㆑滞。広忠御慈悲御情御哀見ふかきと申各々喜申処に、御浪人被成人之憂苦き善悪を思召しらせ給ひ而、民百姓の歎適をも能見置給ひ、少身者の鄙の棲渡世を送をも御覧じければ、愈御慈悲、御哀見、御情(見)を懸させ給ひし御事、御代々にも殊に勝たり。




