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念のためと夫に呼ばれ続けて、三年目の朝が来た  作者: 九葉(くずは)


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第9話 改鋳停止令

翌朝、王立鋳貨院本院から、速達が届いた。


封蝋に院章。差出人「王立鋳貨院本院 鋳貨頭 ジョスラン・ヴェルニエ」。


エドモンが封を切った。中の書面を、机に広げた。


「改鋳停止令」


短い題目。


本文は、行政文書らしく、淡々としていた。


「辺境伯領年貢改鋳事業について、王立鋳貨院辺境支所の現地検証および中央財務監察庁の同行検証の結果、改鋳に供される地金の純度が、王立鋳貨院基準値〇・九八〇に達していないことが確認された。


本書面をもって、本改鋳事業の停止を命じる。


一.改鋳許可符の効力停止。


二.既改鋳貨の王立金庫通過認証の保留。


三.流用地金の返納命令。返納先、王立鋳貨院辺境支所。


四.商会鋳貨ギルドへの今期発注停止。


五.辺境伯家所領財務の暫定統括を、中央財務監察庁が暫定的に担うものとする。


六.本件に関わる関係者の処分は、別途通達する。


王立鋳貨院本院 鋳貨頭 ジョスラン・ヴェルニエ」


私は、書面を読み終えて、机の縁を一度、指で撫でた。


「副所長」


「うん」


「辺境伯家側への伝達は、私が」


「いや。本院鋳貨頭から、中央財務監察庁が直接、辺境伯邸に届ける。君は、ここで待っていい」


エドモンの言葉は、簡潔だった。


「君が、君の役割で関与したのは、検証会までだ。停止令の伝達は、本院と中央の仕事だ」


「ありがとうございます」


私は、青表紙の地金台帳の、最新の頁に、停止令の写しを、丁寧に挟んだ。



昼過ぎ、辺境伯邸の方角から、家令ロベール・ロワゾンが、徒歩で支所に来た。


馬車を使わなかったらしい。


支所の入口で、ロベールは、深く頭を下げた。


「副所長殿。奥様」


「家令殿」


「家令職、辞任の届けでございます」


ロベールは、書面を一通、エドモンに渡した。


エドモンが、書面を一目見て、


「これは支所宛ではない。辺境伯家の代理として、王立鋳貨院本院宛だな」


「はい。婚礼招待状の検査印を、私の判断で破棄いたしました。三年前、奥様の検査印の効力を、私が独断で『代替できる』と書類に記したことが、本件の発端の一つでございます」


「家令殿」


「はい」


「届けは受理する。ただし、本院は理由を聞く。何故、君が独断でやれると思ったか」


ロベールは、少しだけ口を開け閉めしてから、


「……三年前、商会のお話が、辺境伯様の代でようやく動き始めました。先代様の代では止まっていた話でございます。私は、辺境伯様に手柄を立てていただきたかった。奥様のお名前が文書に並んでいると、商会の方が『先代様の検査体制が残っている』とお感じになると、辺境伯様が私に漏らされました。私は、それを口実にしました」


「口実、と」


「お屋敷を守るのが家令の務め、と申し上げる前に、辺境伯様を、私が、見立てたかった。新しい代の家令としての、私の――業でございます」


エドモンは、湯を一口、啜って、それから、頷きもせずに、書面を受け取った。


ロベールは、もう一通の書面を、私に向かって、差し出した。


「奥様」


「はい」


「本件、私の保身でございました。辺境伯家を守る、と申しましても、奥様のお名前を消すことで守ったのは、家ではなく、私の家令としての面目でした」


私は、書面を受け取った。


短い詫び書面だった。


「奥様の検査印を、婚礼の年から、私の判断で、控帳から段階的に削除してまいりました。代替できる、と書類に書いた根拠は、ございません。家令としての職務逸脱でございます。


辞任の届けと併せて、本書面を、奥様にお渡しいたします。


ロベール・ロワゾン」


「ロベール」


「はい」


「お受け取りします。お疲れさまでした」


「奥様」


「ええ」


「先代様の手帳の写しを、検証会でお出しになったこと、お見事でございました。あの一行が出された瞬間、私は『私が止めるべきだったのは、八年前だ』と気づきました」


「八年前」


「はい。先代様が、奥様のお名前を、まだ会ったこともない頃に、手帳に書かれた、あの頃に」


ロベールは、深く一礼して、支所を出ていった。



午後、もう一通、書面が届いた。


差出人「モンセール商会主 バルテルミ・モンセール」。


中身は、商会鋳貨ギルドの経営姿勢見直し声明。組合員の再教育、検査官資格取得の支援、王立鋳貨院との連携体制の再構築。


末尾に、ナエル・モンセールの停職処分受け入れと、再受験への支援表明。


私は、声明を、ナエルの書面の隣に、丁寧に挟んだ。


エドモンが、机の向こうから、


「商会、覚悟したな」


「はい」


「あの商会主、悪い経営者ではない。野心はあるが、娘の書面で、目が覚めただろう」


「ええ」


「先代殿の手帳、効きすぎたな」


「効きすぎ、ですか」


「うん。あの一行は、息子オリヴィエ殿にも、ロベール殿にも、バルテルミ殿にも、別々の角度で、効いた」


私は、義父の手帳のことを、もう一度、考えた。


「副所長」


「うん」


「先代様の付箋、本日の議事録には載せないでください」


「載せん」


「公開してしまうと、息子オリヴィエ様が、ご自分の判断で、頭を下げる機会を失います」


「うん」


「公開しない、というのも、私の判断です」


「君の判断だ」


エドモンは、それだけ言って、湯を啜った。



夕方、辺境伯邸から、夫オリヴィエが、徒歩で、支所に来た。


家令ロベールが付き添うこともなく、御者もつけずに、一人で。


「ヴィルジニー」


応接間で、夫は、私の名を、フルネームで呼んだ。


三年で、初めてだった。


「辺境伯様」


「いや、ヴィルジニー」


「はい」


「すまな、――でも」


夫は、自分の口から出てしまった「でも」を、自分で噛んで止めた。続きはない。続きを言うつもりがあって出した「でも」だったかもしれないし、咄嗟に出てしまった音だったのかもしれない。


オリヴィエは、しばらく唇を動かさずに、それから、もう一度、息を吸い直した。


「……すまなかった」


オリヴィエは、椅子に座らず、立ったまま、深く頭を下げた。


「改鋳の話は、俺が一人で抱え込むべきだった。お前の名前を、商会主任印で『代替できる』と思った、その判断が、根本だった」


「辺境伯様」


「ヴィルジニー」


「あなたが抱え込むべきだったのは、改鋳ではありません」


夫は、頭を上げた。


私は、続けた。


「あなたが抱え込むべきだったのは、私の名前です」


短い間。


オリヴィエの肩が、一度、上下した。それから、止まった。


「ヴィル、いや、ヴィルジニー」


「はい」


「すまなかった」


「もう一度、伺います」


「うん」


「私の名前を、抱えていただけますか」


「うん」


「念のため、ではなく」


「うん」


「素人でも数えられる、ではなく」


「うん」


「私の名前を、私の名前として」


「うん。すまなかった」


私は、紙の角を、折らなかった。


そのまま、白湯の杯に、口をつけた。冷めかけた湯は、レモンの皮のせいで、少しだけ、甘かった。


「辺境伯様」


「うん」


「結婚の解消については、本日、お返事は申し上げません」


「うん」


「ただ、当面、辺境伯邸には戻りません。書類上の別居、ということで、ご了承ください」


「うん」


「書類は、明日、王立鋳貨院辺境支所と、辺境伯家の家令代行を通して、整えます」


「うん」


オリヴィエは、深く一礼して、応接間を出ようとした。


扉の前で、振り返って、


「ヴィルジニー」


「はい」


「先代の父は」


「はい」


「お前のことを、何か、書き残していなかったか」


私は、しばらく、答えなかった。


それから、


「先代様は、私が嫁ぐ前から、私の名前を、ご存じだったようです」


「そうか」


「それ以上のことは、書面でお伝えします」


「うん」


オリヴィエは、応接間を出た。


ベルナトン氏は、応接間の隅で、口を開かずに、立っていた。


夫が出てから、ベルナトン氏は、礼の角度を、一度だけ、深く取って、


「お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「私は、席を外しておりました」


「はい」


「同席は、立会記録のためですが、内容には立ち入りませんでした」


「分かっております」


ベルナトン氏は、応接間を出ていった。



夜、私は支所の机で、新しい手帳の四頁目に、ペンを置いた。


「夫、私の名前を、フルネームで呼んだ。


一度だけ。


『あなたが抱え込むべきだったのは、改鋳ではありません。私の名前です』。


この一文を、私は、彼ではなく、自分に向けて、書く」


ペンを置いて、机の上に、本院鋳貨頭ヴェルニエ様の名で、もう一通、書面が届いていることに気づいた。


封を切ると、辞令だった。


王立鋳貨院本院昇任。


新法案「年貢改鋳新制度」の起草補佐。


私は、辞令を、しばらく、ただ読んでいた。

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